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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
雪の章
6/43

五、椿と小火

 その夜、(ゆき)(あかざ)が普段執務に使用している隊長室にいた。そこを寝床として借りられることになったのだ。


 藜は雪を天鵞絨(ビロード)の柔らかい生地がはられた高級そうな寝椅子(ソファ)に座らせ、「とっとと寝ろ」と命令した後もなお、机に向かってなにやら資料を読みふけっていた。


 雪はといえば、初めて(あやかし)としての力を解放してしまったためか、それとも、妖との戦いや、藜にいつ殺されるかわからないという緊張感からか、腰をおろした瞬間にどっと疲れが押し寄せて、気づいたときには眠りに落ちていた。


 そして、翌朝。


南波(みなみ)隊長、おはようございます。昨晩の報告に……、って、こちらは?」


 雪がうつらうつらと目を覚ますと、藜と同じ軍服を身にまとった青年が雪を困惑気味に見つめていた。


「……えぇっと……?」


 藜と雪を見比べる青年の姿を、雪もぼんやりと見つめ返す。


 質問に答えたのは藜だった。


「昨日の夜、妖に襲われていたところを拾った。こいつに帰る場所はない。今日からここで働かせる」


 藜はすらすらと嘘を述べ、雪のことなど気にするなと言わんばかりに、雪の隣へどかりと腰かける。


 明らかに戸惑っている様子の青年に向かって、藜は対面に座るよう視線だけで促した。


 雪も、藜の視線につられるようにして青年を目で追う。


 紺の長い髪を一つに結った青年は、墨汁を落としたような澄んだ黒いまなこに雪を映した。物静かな雰囲気と落ち着いた佇まいは、軍人というよりも住職や神職者のようである。藜も麗人だが、この青年も違った美しさがある。


 青年は最適な言葉が見つからないのか、渋々といった様子で静かに腰かけた。


 青年と雪の目線が同じ高さに揃ったせいで、ばちん、と視線がぶつかる。


「あっ!」


 雪はそこで寝起きであったことを思いだした。


 寝ぼけまなこをこすり、慌てて寝ぐせを整え、居住まいを正す。


「このような情けない姿をお見せして申し訳ありません。本日からお世話になります」


 昨日藜と約束したとおり、妖であることは伏せ、深々と頭をさげる。


 嘘をつくのは苦手だ。余計なことを言わぬよう、雪は早々に挨拶を切りあげた。


 とはいえ、どう考えても怪しまれることは明白だ。


 雪がそっと青年の顔色を窺うように顔をあげると、彼は意外にも生暖かい目で雪を見つめている。


「南波隊長が連れこんだ女性……、というわけではないっちゅうことですか?」


「違います!」「違う」


 雪と藜の声がピタリと揃い、ますます疑念を増大させたような気がしなくもない。


 それを裏付けるように


「まあ、別にどっちでもええんですけど」


 と、青年は意味深な笑みを浮かべて、話題を濁す。


「それにしても」


 青年は雪を上から下までじっくりと観察する。値踏みするような遠慮のない視線は、雪の心臓を無性にざわめかせた。


「なんちゅうか、妙に人間離れしてはるような……、不思議な感じのお嬢さんですねえ」


「え」


 妖であることを見透かされたような気がして、雪の体が強張る。藜に助けを求めるわけにもいかず、雪は姿勢を正して笑みを顔に貼りつけた。


「そ、そうでしょうか?」


「うぅん、はっきりとはわかりませんけど。体の内側に変わった気が流れとるような感じがします」


 青年は言って、とんとん、と自らの心臓のあたりを軽く指さした。


 どうしてそんなことがわかるのだろう。雪はダラダラと嫌な汗が全身を流れていくのを感じながら、ぎゅっと手を膝の上で握りしめた。


 これ以上はまずい。何か言い訳を、と考えているうち、雪の視界がふっと手で遮られる。


 藜が青年の視線を物理的に切ってくれたのだ、とわかったのは、藜が


「椿」


 と青年の名を呼んだときだった。


「見世ものじゃないぞ」


 藜の低い声に、椿と呼ばれた青年も我に返ったようで「すみません」と謝罪する。


 藜の手が離れたときには、青年の顔に申し訳なさが浮かんでいた。雪と目が合うと、青年は雪に対しても頭をさげる。


「職業病なんですわ、申し訳ありません」


「い、いえ! 全然!」


 雪が気にしていない、と告げれば、青年はホッとしたように笑みを浮かべた。藜の笑みとは違う自然でやわらかな笑みは、雪にも落ち着きを与える。青年の性根のよさが現れているのかもしれない。


「申し遅れました。わたくしは鎌帛(かましめ)椿(つばき)と申します。怪異討伐特務部隊で術師として、南波隊長の補佐と妖の討伐を生業(なりわい)にしております」


「あ、わたしは雪です」


「雪さん。あなたにぴったりのええお名前ですね」


「あ……、ありがとうございます」


 正面から褒められて、雪は照れくささからはにかんだ。雪の日に、雪の中で拾われたから雪。それだけなのに、他人からよい名前だと言われるとなんだか嬉しくなる。


 昨日、藜の名前を褒めたときに、藜が複雑な面持ちだったのはこういう気持ちだったのかもしれない。


「椿さんも、綺麗で、素敵なお名前ですね」


 気恥ずかしさを逃がすように椿の名前を褒め返せば、椿は穏やかに微笑んだ。


 互いに、よろしくお願いします、と改めて挨拶をかわせば、先ほどの嫌な気持ちも、妖とバレてしまったのでは、という焦りもやわらいだ。


 チラと藜の様子を窺えば、藜も話題をそらすことに成功して興味を失ったらしい。椿が持ってきた資料を手にしていた。


 椿も話題が落ち着いたことで本来の仕事を思い出したのか、


「ああ、そうや。本題に戻りましょうか」


 と藜に向き直る。


「昨晩の帝都の小火(ぼや)騒ぎ、やはり妖が関連してるとみて間違いなさそうです」


 藜は「ああ」と資料から顔をあげ、ちょうどその報告書を読み終えたと言うように、椿へと戻す。


 椿はそれを受け取ると、神妙な面持ちのままに報告を続けた。


「最近はようけ妖の数も増えてますし、なんや妙な感じがするんですよね」


「そうだな。昨日の深川の妖も丙種(へいしゅ)だった。今月だけですでに三体目だ」


「個々の妖の力が強まってきてるんか、それとも単に増加してるんか……」


「あ、あの……、丙種ってなんですか?」


 聞きなれない言葉だ。雪が尋ねると、話を遮ったにもかかわらず、椿は穏やかに微笑んだ。


「妖の強さを表す指標ですよ。強いほうから、(こう)(おつ)(へい)(てい)とあって、甲種の中には雪さんたちが神と(あが)めるようなものも含まれます」


「へぇ……、そんな種類が」


「通常、丙種を(はら)うには同等以上の力が必要になるんだ。例えば、お前が丙種の妖を倒したとすれば、お前の力は丙種かそれ以上、ということになる」


 藜が雪を見やる。椿にばれないように例え話にしてくれているが、つまるところ、昨日丙種の妖を倒した雪の力も丙種以上ということだ。


「それって、つまり、どれくらい強いのでしょう」


「一般的には、丙種以上は人を食らう、と言われています」


「そして、乙種は人を(あや)める」


 椿の言葉を引き継いだ藜の言葉に、雪はゾッとする。


「人を、殺める……」


「妖に襲われたばかりの雪さんを脅すようなことは言いたくないんですけどねえ。まあ、知能があるって意味ですわ。丙種を倒すのに討伐隊一人、乙種なら三人、甲種は……考えたくもないって感じで」


 雪の顔がよほど不安そうだったのか、椿は冗談交じりに話を締めくくった。


 そして、藜に小火騒ぎの報告を再開する。


 だが、その報告はもはや雪の耳には入らなかった。


 自らの力が人を殺めてしまう可能性があるのだ。しかも、雪はまだ力を制御できない。


 もしも、力が暴走してしまったら? 自身の力が誰かを殺してしまったら?


 今は人として生きているが、心まで妖のようになってしまうことがあるのだろうか?


(そのとき、わたしは人を……)


 想像して体が震える。話に夢中になっている藜と椿に悟られぬよう、雪は、六花を散らす指先を、妖を氷漬けにした自らの手のひらを、ぎゅっと握りこんだ。

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