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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
雪の章
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四、新天地

 夜だというのに喧騒に満ちた華々しい帝都を抜け、しばらくした後、(ゆき)は馬車をおろされた。


「ここは……」


 周囲を見まわすと、花国城(かこくじょう)が暗闇の中にドンと構えている。どうやら、帝のお膝元、城下町まで来ていたらしい。


 舗装された煉瓦(レンガ)の道も、一定の間隔で並ぶ瓦斯(ガス)灯も、石造りの洋風な家も。どれもが新鮮で、つい呆気に取られてしまう。


 まるで異国に来たようだ、と雪は途端に心細くなった。


 帝都には何度か長治と来たことがあるが、それも中心部までである。大抵の用事は帝都の入り口ですんでしまうし、そうでなくても中心部へ行けば、必要なものはすべてそろう。そこよりもさらに奥に位置する城下町になど、当然足を踏み入れたことはない。


 城下町は道も家々も整備されていて、同じような景色が広がっていた。おかげで、何度角をどちらへ曲がったか、雪はあっという間に思い出せなくなってしまう。これでは仮に逃げたところで迷子になるに違いない。


 雪がよそ見をしながら歩いていると、ドン、と青年の背にぶつかった。


「す、すみません!」


 慌てて距離を取ると、青年は白けた目を雪に向けた。


「……ついたぞ」


 青年は雪をたしなめることなく、ため息混じりに雪の左手にあった建屋を指さした。


 白い石と白塗りの木で統一感のある壁に、青緑の三角屋根が美しく映える大きな洋館。玄関扉の上に飾られている彩色(ステンド)硝子(ガラス)は明かりに照らされ、鮮やかに輝いている。厳かな雰囲気も相まって、まるで教会のようだ。


「ここは?」


 雪が尋ねると、入り口の鉄門を押し開けた青年が振り返った。


「花国軍、怪異討伐特務部隊の本部だ」


「えっ!?」


「なんだ?」


「あ、いえ、なんでも……」


 軍の建物とは思えないほど洗練されている、とはまさか口が裂けても言えず、雪は促されるままにおずおずと門扉をくぐる。


 敷居をまたいだ瞬間、チリリと全身を焼くような痛みが走った。


「っ!」


 なにごとか。雪がその場で身を固めると、青年が「言い忘れていたが」と口を開く。青年は、雪の足元、ちょうど本部と道を(へだ)てている境界線へ視線を送った。


「その門は、(あやかし)()けの結界の役目を担っている」


「えっ!」


「人には害を与えず、妖だけを(はら)う力をもつ結界だ。今は一時的に弱めたが、それでも完全には消えない」


(この痛みがずっと続くの?)


 雪が痛みをこらえるように自身の腕で体を抱きしめると、青年は「早く入れ」と雪の手を引いた。


「本部内の敷地に入ってしまえば問題ない」


 青年に引かれるまま、雪は慌てて門をくぐる。


 青年の言ったとおり、門を抜けた途端、痛みは嘘のように引いていった。


 妖除けの結界に反応するなんて。やはり、自分は妖なのだ。雪はそう実感して、その事実に恐れと悲しみを抱く。


 どうして、なんで、一体いつから。とめどない疑問が雪の中にあふれていく。


 足を止めた雪に対し、青年が「おい」と呼びかけた。


「逃げようなどとは考えないほうがいいぞ」


 忠告だろうか。雪は「まさか」と首を横に振る。


 城下町では少し考えもしたが、ここまで来てしまって逃げようなどと。もっと恐ろしいことになりそうだし、そんな度胸はない。


「中から外へ出るときにも、結界は発動する。僕がこの結界を弱めないかぎり、お前は簡単にここで焼け死ぬことになる」


「それじゃあ……」


「お前は(かご)の中の鳥。この瞬間から、お前の命は僕が握っていることを忘れるな」


 青年の真っ赤な瞳が、ゾッとするほど無垢(むく)な光をたたえた。


 もう二度と、長治には会えない。この敷地の外に出ることすら叶わない。この青年に逆らえば殺され、妖として人間以下の扱いを受けるかもしれない。


 もしかして、あのとき、死んだほうがマシだったのではないか。


 雪の心を何度目かの後悔が襲う。それほどまでに青年の腹の内は見えず、怖い。


「……どうすれば、いいのですか?」


 生きのびるためには、どうすれば。


 生きて、もう一度長治に会いたい。雪を助けてくれたそのお礼を言うまでは死ねない。


 雪は震える口元をぎゅっと噛みしめて、青年を見つめた。


 それは、雪の覚悟だった。


 ヒュォォ、と冷たい冬の風が吹き抜け、青年の白金の髪が舞う。


 青年は静かに口を開いた。


「仕事はいくらでもある。お前の価値は、お前自身が見つけろ」


「え……」


 それは雪の想像していた答えではなかった。だが、雪の生を否定する言葉でもない。


 青年は雪から目をそらすと、正面扉に向かって再び歩き出した。軍服の衣嚢(ポケット)から鍵を取り出し、手慣れた様子で鍵を回して扉を押し開ける。


 雪解けを促すようなあたたかな空気がふわりと扉から外へ漏れ、かと思うと、室内を照らしていた明かりが目に飛び込んできた。室内の眩しさに雪の目がくらむ。


「お前は今日からここで働くんだ」


 雪の生きる道を示してから、青年は「だが」と鋭く雪を睨む。


「妖であることは、だれにも口外するな」


 青年の赤い瞳が、雪を貫く。


「いいな?」


 直感的に、この約束を破った瞬間、雪は今度こそ殺されてしまうのだとわかった。


 ここは花国軍、怪異討伐特務部隊本部。花国に棲む妖を祓い、討伐する軍人たちの本拠地なのだ。


「……わかりました」


 今まで、人間として普通に生きてきたのだ。他の人となんら変わりなく。


(大丈夫。環境が変わるだけ。なにも恐れることはない)


 長治に会うまでは死ねない。会って、恩を返すまでは、なんとしてでも生きのびる。


「今日から、よろしくお願いいたします。えぇっと……」


 そういえば、青年の名前をまだ知らない。


 せっかくの挨拶もしまりなく、雪が困惑を浮かべると、


南波(みなみ)だ。南波(あかざ)


 彼はようやくその名を口にした。


 真っ赤な瞳に、白金の髪。その風貌によく似合う植物の名。


 少し意外だ。


 それは、美しい名だと思ったから。


「藜、さん」


 雪が復唱すると、藜は少し驚いたように目を見張る。


「えっと……?」


「普通はみな、名字か役職で僕を呼ぶ」


「あっ! すみません、綺麗な名前だなと思って、つい……」


 雪が言い訳がましく謝ると、藜は気まずそうに目をそらして「まあいい」と雪の謝罪を遮る。


「好きに呼べ」


「わかりました。えっと、藜さんの役職は?」


「怪異討伐特務部隊、隊長だ」


 今度は雪が目を見張る番だった。


「隊長!?」


 討伐部隊に何人勤めているのかは知らないが、隊長といえば、軍の一部隊を任されている長だ。藜は雪よりいくつか年上の青年にしか見えない。風貌も、背丈は高いが、どちらかといえば細身だ。てっきり、もっと豪胆で、いかにも武将然とした屈強で大柄な男性がそうした役職につくものとばかり思っていた。少なくともひげは蓄えているはずだ、と。


「なんだ?」


 不服そうに雪を睥睨(へいげい)する藜に、雪は今度こそ「すみません、なんでもありません!」と即座にこうべを垂れる。


 しかし、藜のことを隊長と呼ぶのはやはりしっくりこない。


「よろしくお願いします、藜さん」


 結局、雪は藜を名前で呼ぶことに落ち着いた。


 藜もまた、若干の居心地の悪さを感じてはいるようだったが、好きなように呼んでいいと言った手前、とがめることもなかった。代わりに雪の挨拶に小さくうなずく。


「せいぜい、僕の手を(わずら)わせないようにしてくれ」


 そのとき、藜は初めて雪に笑みを見せた。


 それは一瞬にして魂を吸い取られてしまいそうな(うるわ)しい笑みでありながら、殺されないように粗相をするな、と言っているような迫力があった。


 ――妖よりも恐ろしい。


 それが、雪が初めて見た藜の笑顔に対する評価だった。

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