六、涙の再会
長治との再会場所は、帝都の中心部にある洗練された喫茶店の一室であった。
花国軍の上層部や国政に関わる華族の御用達とあって、床に敷かれた緑の絨毯はふかふかとしており、天井から吊り下がった豪奢な洋燈も煌びやかだ。
雪は以前買ってもらった洋装を、藜は軍服をかっちりと決めており、それだけを見れば、まるで父親に婚前挨拶する男女のように見えなくもない。
もちろん、雪にも藜にも、そんな気持ちは一切ないのだが。
慣れない場の雰囲気と長治との再会を前に、雪が緊張で震える手を机の下で強く握っていると、
「嫌なら、今からでも引き返せるぞ」
珈琲と呼ばれる黒い豆の飲み物をすすっていた藜がそう言った。
「そ、そういうわけでは……。ただ、久しぶりですので」
「それなら、茶でも飲んで少し落ち着け」
「い、いえ。緊張で、今は、何も」
雪が答えれば、藜もそれ以上は言っても仕方がないと諦めたのか口を閉じた。
しばらくして、店内にボォンと柱時計の鐘が響く。
長治との約束の時間だ。
長治は、来てくれるだろうか。雪のことを怖がって、もう会ってはくれないかもしれない。もし会えても、雪のことはもう、妖としてしか見られないかもしれない。
「長治さん……」
雪がその名を呟いたとき、
「……雪、か?」
扉の開く音とともに、懐かしい声がした。
顔をあげれば、雪が知っている中でもっとも綺麗な着物を身にまとった長治が立っている。
雪の姿に目を見開き、口も大きく開けたままの長治は、すっかり驚きで固まっていた。
「長治さん!」
対して、雪は席を立ち、そんな長治に勢いよく抱きつく。
もはや、長治が雪を怖がっているかもしれない、なんてそんな気持ちはどこかに吹き飛んでいた。
わらのような、イグサのような、あたたかい香りがすぐ近くにある。それは間違いなく長治のもので、雪の涙腺が途端に緩んだ。
「長治さん、会いたかった! 会いたかったです!」
雪が強く背に手を回すと、やがて、雪の背中にもあたたかくて大きな長治の手が触れた。
「……雪、無事でよかった」
その声に、雪の目からボロボロと涙がこぼれ落ちる。
長治は、半妖と知ってなお、時間が経って冷静になっても、雪を娘として扱ってくれていたのだ。
「長治さんも、お元気そうでよかったです」
「雪は……、なんというか、まるで令嬢のようじゃないか。すっかり見違えて、誰だかわからなかった」
「これは、藜さんが」
雪が長治を抱きしめていた手をほどき、藜に目を向ければ、長治もまたその顔を思い出したようだった。
「あのときの!」
「花国軍、怪異討伐特務部隊、隊長の南波藜だ」
藜が立ち上がって、軍人らしい敬礼を見せる。
長治は藜が怖いのか、そろりと目をそらして会釈するだけだった。
だが、藜は気にもとめず、長治に座るよう勧めた。
雪と長治が着席したのを見て、藜はいつもの冷淡な表情はそのままに、しかし、意外にも丁寧に切り出した。
「長治殿、突然お呼びだてしてすまなかった。軍部の規定に従ったとはいえ、雪殿を乱暴に連れ去ったことも、お詫び申しあげる」
しれっとした態度は詫びているとは思えないが、雪も長治もそれを言及する勇気はない。
長治が「はあ」と緊張気味に相槌を打つと、藜も話を再開する。
「見ていただいておわかりのとおり、雪殿については、我が部隊で監視下においているものの、同時に、健康状態や金銭面での援助など、生活の保護も行っている。また、雪殿は隊員としても仕事をこなしてくれている」
まるで用意された文面をなぞるがごとく、藜は滔々と雪の現状を述べた。そのまま、顎で雪に指示する。
「お前から話したいことがあったのだろう、話せ」
「あ、えっと……」
雪も、昨晩ほとんど寝ずに考えてきたことを頭に思い浮かべる。
討伐部隊で働いていること。討伐部隊での生活について。長治にどれほど会いたかったか。
そして、長治への今までの礼を。
「わたしのことは、今、藜さんがお話してくださったとおりなんです。これは、脅されたとかじゃなくて、本当に。長治さんが心配するようなことはなんにもありません。むしろ、討伐部隊の人たちはみんな、本当によくしてくださっております」
雪が笑みを浮かべれば、長治もようやく緊張がほぐれたように目尻をさげた。
「最初は不安なことも多くて、大変なこともありましたが、最近はできることも、任せてもらえることも増えたんですよ」
「そうか……。そう、だよな。雪はもともと器量がよかったから、どこへやっても大丈夫だと思ってたんだ。服もすごく素敵なものを買ってもらって……」
「はい。でも、ずっと、長治さんにお会いしたかったんです。元気にしてらっしゃるのか、心配で」
「……ああ、なんとかやってるよ」
長治は弱々しく笑った。雪がいなくなってすぐは随分と荒れたようだが、長屋のみんなに支えられている、と言って。
「それならよかったです。長治さんは時々無茶をするから。でも、心配しないでくださいね。雪はこうして元気にやっていますから」
雪がぎゅっと長治の手を握ると、長治もその手を握り返した。
同時、雪の頬に何度目かの涙が伝う。
「……だから、今日はお礼を言いたくて、藜さんにお願いしたんです」
「礼?」
「長治さん、わたしを拾ってくださって、そして、育ててくださって、本当にありがとうございました」
雪が深く頭をさげると、握られていた手の力が強まったのがわかった。
「……待て、雪」
切実な声に雪は長治を見やる。長治は懇願するように雪を見つめていた。
「それじゃあ、今生の別れのように聞こえるぞ。また、会えるんだろう?」
すがりつくように言われ、雪は戸惑う。
雪だって、会えるなら会いたい。何度でも、毎日でも。
でも、そう簡単に叶う夢でないことはわかっている。雪はまだ、一人での外出もできないし、なんなら、これから一生できないかもしれない。
また妖討伐の任がくだって、命を落とす可能性だってある。
長治に生きて会える確率は、死んで会う確率より低いかもしれない。
雪が口を引き結ぶと、長治はいよいよ泣きそうな顔になった。握られた手から震えが伝わってきて、胸が張り裂けそうなほど痛い。
「……頼むよ、雪。そうだと言ってくれよ……」
ただ泣くしかできない雪と長治の代わりに、その場を引き取ったのは藜だった。
「長治殿、これは軍部規定だ。理解してくれ」
「そんな……! 南波隊長、そこをなんとか! 雪は、俺のたった一人の娘なんだ!」
「一人だろうが、二人だろうが同じだ」
藜はピシャリと長治をいさめた。その視線だけで人を殺せてしまいそうなほど、冷酷無慈悲だ。
だが。
「……手紙くらいならやり取りしてもかまわん」
藜は珈琲を飲み干すと、面倒だと言いたげに投げやりに碗を置いた。
「軍部の規定上、簡単に会わせることはできない。だが、隊長としては、雪殿の働きぶり次第では年に一度くらいはこのような時間を設けてもいい」
「……本当、ですか?」
驚いたのは雪だ。そんな話はまったく聞かされていなかった。てっきりこれで最後だろう、とばかり考えていた。
藜は雪の視線がうるさかったのか、いよいよ顔を背ける。
「それくらいなら、上も何も言うまい。僕が同席する条件は変わらんがな」
渋々と言った様子ではあるが、どうやら本気で検討してくれるらしい。
雪と長治は顔を見合わせ、今度こそ二人で声をあげて泣き、机越しに互いを抱きしめあったのだった。