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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
月の章
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五、揺れる心、読めない人

 (ゆき)(あかざ)から隊長室に呼び出されたのは、ちょうど夕食の片付けを終えたころだった。


 もう随分と藜には慣れたはずなのに、藜を前にした雪の心臓は、はじめて藜と出会ったとき以上に早鐘を打っている。


 考えることが多すぎるのだ。


 そもそも、長治(ちょうじ)にいつ会えるのかという期待だけでも胸がいっぱいなのに、藜が半妖なのではという疑問も抱えている。


 加えて、今、藜はなぜか雪の目の前で黙々と雪の作った料理を食べているのだ。椿(つばき)の言ったとおり、まったく表情の変化なく。


 どうしてこんなことに、と雪は胸を押さえる。なぜか胃まで痛いような気がする。


 早く食べ終わってくれ、できればなにごともなく。そう願いながら雪が藜の食事終わりを待っていると、ようやく藜は最後の一口を咀嚼して茶をすすった。


「悪い、待たせた」


「あ、いえ! 全然大丈夫です!」


 一応、藜にも申し訳ないという気持ちがあったのか。雪はそんな失礼なことを考えつつ、居住まいを正す。


 味はどうだったのだろうか。嫌いなものはなかったのだろうか。それを訊くことができれば、一つ肩の荷がおりて楽なのに。


 藜は美しい所作で食器を脇へ避けると、口元を拭い、雪の不躾な視線に気づいた。


「何かあるならはっきり言え」


 例にもれず、ピシャリと一喝されてしまう。


「え、っと……」


 味はいかがでしたか。なんて訊けるわけがない。だが、藜の命令である。それをなかったことにするわけにもいかない。


 それに。


 料理の味なんかよりも、もっと聞きづらいことを抱えている。ならば、いっそここですべての荷をおろしてしまったほうがいいかもしれない。


「お、お料理のお味は、いかがですか!」


 勢いあまって、疑問というよりもはや、うまいと言えと脅迫するような態度で迫っている。が、緊張している雪は、当然そんなことには気づかず、羞恥と不安を押し殺して藜をキリリと見据える。


「悪くない」


 意外にも、藜はすぐさま椿が今朝がた教えてくれたものと一言一句たがわぬ感想を口にした。


「それだけか?」


「あ、えっと……、は、はい。その後のことはなんにも考えておりませんでした。で、でも、お口にあっているのであればよかったです!」


 本当は好き嫌いも聞いておきたいが、ひとまず今日のところは本題が別にある。


 雪は安堵するにとどめて、藜に話を譲った。


「単刀直入に言う。長治との面会は二日後の昼に決まった」


 藜は雪と違って、もったいぶることも、ためらうこともなく告げる。


 親子の久しぶりの再会である。こんなに早く会えるなんて嬉しい、と思う反面、もっと感慨深く感じるというか、もっと噛みしめたかったような……というのが雪の本音だ。が、藜のあっさりとしたもの言いのせいか、想像よりもすぐに会えるという事実からか、


「二日後のお昼、ですか」


 そうオウム返しするほかなかった。


「なんだ? 都合が悪いのか?」


「いえ! とんでもございません! ただ、思っていたより早かったので」


「早いほうがよいだろう。決まっていることなのだし、先延ばしにする理由などない」


「それは、おっしゃるとおりです」


 雪が藜の正論にうなずくと、「ならば、これで」と藜は早々に仕事へ戻ろうと立ちあがった。


 しかし、これで終わりにするわけにはいかない。


 料理に不満はない。長治との面会も決まった。万事順調だ。


 つまり、雪が抱えているもっとも大きな荷物をおろす準備が整ったということである。


 幸いにも藜は今晩、討伐も見回りもなかったはずだ。ご飯を食べ終えて機嫌も悪くはなさそうだし、むしろ、聞くなら今しかない。


「あ、藜さん!」


 雪は決死の思いで名を呼んだ。


「まだ何かあるのか?」


 振り返った藜は普段どおりの冷静な顔つきであるはずなのに、雪の心臓がまたもうるさく音を立てる。


 月色の髪から覗く深い赤に見つめられると、途端に雪の中で迷いが生まれた。


 本当に訊いてしまってもいいのだろうか。藜はどう思うのだろう。仮に(ふみ)の言っていたことが真実だとして、藜がそれを否定したら? いや、そもそも雪は、藜が半妖であってほしいのだろうか。今までどおり、人であるほうが安心できるのだろうか。


 藜が半妖であることを伝えて、雪は、藜にどうしてほしいと言うのだろう。


 雪は、藜と、どうなりたいのだろう。


「……っ」


 考えて、雪の唇が震えた。


 もしかしてこれを訊いてしまったら、雪は、藜は、今までどおりには生きていけなくなってしまうのではないだろうか。


 この関係性は、あっけなく崩れてしまうのではないだろうか。


 雪にはなぜかそれが無性に恐ろしかった。


「おい」


 藜は今度こそ不機嫌さを声に滲ませた。あたりまえだ。藜にとっては、仕事の邪魔をされているにすぎないのだから。


「な、何を言うか、忘れちゃい、ました」


 気づけば、雪はそんなことを口走っていた。ご丁寧に、えへへととぼけた笑みをつけて。嘘は苦手だったはずなのに、こんな風にごまかすこともできるようになってしまった。


 ヘラヘラしている雪に、藜は呆れてものも言えないと肩をすくめた。それから、雪のような暇人を相手にしている時間がもったいないと、完全に雪の存在を無視するように机へ向かって資料を読み始める。


 雪も閉口し、藜が使い終わった食器を盆にのせて片付けをする。


 食器のぶつかる音と、資料をめくる音だけが隊長室を満たしていた。


 少しでもはやくここから退出したい。その一心で、雪は手早く片付けを終わらせ、


「失礼します」


 と頭をさげた。


 自らの意気地のなさと、考えのなさに後悔しながら出ようとしたとき、


「おい」


 今度は藜から声がかかる。


 雪が続きを待っていると、さきほど雪がそうしたように、藜もしばらく雪を見つめて閉口した。


「あ、あの……」


 用がないのであれば帰りたい。雪がそんなことを考えていると、藜の口元がフッと歪む。


「仕返しだ」


「え?」


「根を詰めるのは悪くないが、ぼうっとするくらいならやめておけ。討伐部隊の資本は体だからな」


 藜は「もういいぞ、行け」と雪を手で追い払うと、資料に目を落とした。


 促されるままに隊長室を後にして、雪は「え」と独り言ちる。


 もしかして、今のは、隊長として雪を心配してくれたのだろうか。


「やっぱり、全然わからないわ」


 半妖であるかどうかに関わらず、そもそも、藜が。


 雪は、おろせなかった荷物の扱いをどうしたものかと考えつつ、米粒一つ残さず綺麗に完食された食器を見つめた。

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