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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
月の章
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三、もう一人の半妖

 まずい。(ゆき)は慌てて(ふみ)を隠すように立ちあがった。


 文机は書物庫の奥にある。たくさんの本棚が目隠しとなり、入り口からはほとんど見えていないはずだ。


「文姫さま、隠れてください」


 雪が小声で呟くと同時、(あかざ)が本棚の影から顔を出した。


「……一人か?」


「は、はい! 藜さんこそ、どうしてまた」


「討伐帰りだ。隊長室へ戻るつもりだったが、お前の声がしたのでな」


 地獄耳だ。雪は額に脂汗が浮かぶのを感じながら、必死に笑みを浮かべる。


「申し訳ありません。その、ちょっと、色々ありまして……。あ、藜さんもお疲れでしょうし、ここはもう片付けてわたしも戻ろうと思いますから!」


 早く帰ってくれ。雪がそう願っていると、無情にも雪の背後でカサリと音がした。


「!」


 雪がギクリと硬直したのを藜は見逃さなかった。


「何を隠している?」


 藜は聞きつつも、雪の返答を待たず、ズカズカと物音がしたほうへ歩いていく。


(文姫さま、逃げて!)


 雪が心の中で強く願うもむなしく、藜は何かを見つけて文机の奥で足を止めた。


「おい」


「は、はい」


 呼ばれて、雪はゆっくりと振り返った。どうか、文が見つかっていませんように。そう願いながら。


 果たして――、その願いは無事叶った。


 藜は文机から落ちたらしい一枚の書類を拾いあげ、雪へ差し出している。


「落ちていたぞ。報告書も貴重な書類だ。見るのはかまわないが、元にあった場所へ戻しておけ」


「あ、はい! 申し訳ありません」


 雪はそれを慌てて受け取り、ホッと胸をなでおろした。


 文が見つかったのではなくてよかった。いや、もしかしたら、この書類こそが文の変化した姿なのかもしれないが。とにかく、文がいることはまだバレていないようである。


 文机に出したままにしていた報告書の束へ重ね、つづり紐でくくる。


 雪が書類をきちんと棚へ戻すところまで見届けた藜は、ようやく雪への疑いをといた。


 討伐帰りで疲れていたのか、藜は組んでいた腕をほどくと、先ほどまで雪が座っていた椅子にドカリと腰をおろす。


「勉学に励むかたわら、お前がここの整理をしていると椿(つばき)から聞いた。稲穂(いなほ)からは先日の討伐任務と合わせて褒美をやれ、ともな」


「そんな。わたしはただ、自分にできることをしているだけですから。自分の価値は自分で見つけるしかない……、ですよね?」


「ああ。だが、隊長として、働きに見合った部下に報酬をやらねばならないのも事実だ。そうしなければ、全体の士気がさがる」


「そうなのですか?」


「あいにくとな。で? お前、何か欲しいものはあるか?」


「欲しいもの……」


 急に言われてもピンとこない。先日、すでに新しい着物と洋装をいただいたばかりだ。自室にはふかふかの布団も本もあるし、勉強だってさせてもらえる。今までの長屋暮らしでは絶対に手に入らなかったり、できなかったりしたことだ。


 なのに、これ以上なんて。


 雪が唸っていると、藜から助け舟が出た。


「したいことでもいい。例えば、(いとま)が欲しければ一日くらいは与えてやれる」


 その言葉に、雪の頭を真っ先によぎったのは、長治(ちょうじ)のことだった。


 長治に会って、礼を言いたい。今まで雪を育ててくれたこと、そして、半妖の娘だとわかってもなお藜からかばってくれたこと。残念ながら、今の雪にそれらを恩返しする方法はないが、礼くらいは言わねば気がすまない。


「……会いたい人がいるのです」


 雪が勇気を振り絞ると、それまで腕を組んで面倒くさそうにしていた藜が居住まいを正した。隊長として部下の話を聞くときのそれだ。


「想像はついているが……、お前の父だと言ったあの男か?」


「はい。長治さんは、雪の中に捨てられていたわたしを拾い、育ててくださいました。長治さんがいなくては、わたしは死んでいたも同然。命の恩人なのです」


 だからお願いします、と土下座する勢いで頭をさげる。


 藜は少し考えこんだのち、思案するような、(うれ)いを帯びた息を吐いた。


「本当に、会いたいと思うか?」


「え?」


「娘が半妖だったとわかって、それでもなお、お前に今までどおり接してくれる保証はないぞ」


「あ……」


 藜の言うことはもっともだ。いくら一度藜からかばってくれたとはいえ、あのときの雪と長治は冷静じゃなかった。日常に戻り、(あやかし)に襲われたときの恐怖を何度も思い出していくうち、雪のことも同じように恐ろしく思ったり、もう二度と会いたくないと思っていたりするかもしれない。


 でも。


「……それは、そうかもしれません。だから、これはただの自己満足なんです。もし、長治さんがわたしを見て逃げ出すのなら、それはそれで仕方のないことです」


 雪にとっては、今まで長治しかいなかったのだ。


 たとえ、実の父でなくても。家族は、長治だけだった。


 雪がもう一度頭をさげると、藜は今度こそ渋々ながらにうなずいた。


「わかった」


「本当ですか!」


「許可してやる。ただし、その場には僕も同席する」


「わかりました、ありがとうございます!」


 自然とこぼれるままに笑みを浮かべると、藜は奇怪なものでも見たというように、なぜか目を見張った。


 すぐさま、二、三度咳ばらいして、椅子から立ちあがる。


「……もう遅い。今日は戻れ。長治との面会の件は、明日にでも正式に伝える」


「はい」


 藜は軍服を羽織りなおすと、足早に書物庫を去って行く。


 それを見送った雪は、このたった数刻での喜びと疲れから肩をさげた。


「ふぅ……、あ、文姫さま? いらっしゃいますか?」


 さきほど書類をしまった本棚へ駆け寄り、雪は書類の束を引っ張りだす。


 つづり紐をほどき、書類を文机に広げるとふわりと古紙の香りが漂った。


 その香のせいか、めまいに襲われた雪の目は自然と書類からそらされる。


 めまいがおさまり、次に顔をあげたときには、ぶすりと不満げな顔で文机に腰かけていた文の姿があった。


 書物庫の扉を睨みつけている紫色の瞳には、明らかに憎悪が混ざっている。


「まったく、なんなのだあやつは」


「藜さんのことですか?」


「そうじゃ。わらわは、昔からあやつが大嫌いなのじゃ。大した力も持たぬくせに、偉そうに」


 ぷんすかと子どもらしい怒りを露わにした文は、「わらわも寝る」と文机から軽やかに飛びおりた。


 まさか、あの藜が大した力を持たないと言われるなんて。


 雪が驚いていると、文が「なんじゃ?」と(とげ)の残った、けれど不思議そうな声で尋ねた。


「あ、いえ。藜さんは、すごくお強いかただと思っていたので」


 たとえ文が嫌っているとしても、藜の実力は本物だと思う。少なくとも、雪にとっては頼りになる隊長だ。


 だが、文は小馬鹿にしたように(あざけ)る。


「人間としての力は知らん。だが、あやつは半妖のくせに、その力を封印する大馬鹿者よ。妖力よりも小さい気力で満足するような軟弱者じゃ。それどころか、妖であることを認めんうえに、妖を嫌うとは!」


「え?」


 藜が半妖?


 確認しようとしたところで、よっぽど藜に腹を立てているらしい文は、


「そちも早く寝るがよい。父との再会を万全なものにするためにもな」


 そう言って、紙吹雪を散らすように姿を消してしまった。


 取り残された雪はただ消えゆく紙吹雪を見つめるしかできなかった。

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