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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
月の章
18/43

一、書物庫の姫さま

 椿(つばき)の忠告を聞いたのか、それとも別の思惑があってか。狐火討伐からしばらくしても、(ゆき)に次なる討伐の任がくだることはなかった。


 そのため、雪は今までどおり雑用をこなし、空いた時間を勉強にあてている。


 雪がはじめての討伐任務を無事に乗り越えたからか、椿だけでなく、稲穂(いなほ)や他の隊員たちもいよいよ本格的な協力体制を見せはじめた。おかげで、これまで寂しかった書物庫に活気が生まれている。


 そんなわけで、今、書物庫は大量の資料や書類、文献が散乱し、もはやどこになんの資料があるのかわからないありさまだ。おそらく、あの(あかざ)でさえ必要な資料を見つけられないだろう。


 片付けは徹底しているつもりだが、元より整理された書物庫ではなかったし、人の出入りが増えたことでより煩雑になっている。さらには、隊員たちの報告書や軍部からの指令書なども記録として保管されていくため、書類の量も日々増えていく。それらを整理する時間は、隊員たちにはない。


「さすがにそろそろ掃除しなくちゃね」


 藜に見つかったら何を言われるか。それこそ、こんな風にするなら使わせない、と書物庫の鍵を取りあげられてしまうかもしれない。せっかく勉強ができ、(あやかし)やこの討伐部隊についても詳しくなってきたというのに。今ここで書物庫の出入りを禁じられては困る。


 雪は覚悟を決め、早速目の前の書類へ手を伸ばした。



 ☽



 書物庫の整理をはじめて一週間。


 雪は、掃除に手をつけた過去の自分を呪いたくなった。


 せめて書類を本棚へ並べなおすだけにしておけばよかったのだ。それを、どうせなら使いやすいほうがよいだろう、と書類を分類したのがよくなかった。それで終わるはずがないのだ。欲はつきないもので、分類したものは名前順やら年号順やらに整理したくなるのが雪の性分だし、バラバラの書類は束ねたくもなる。なんなら、古くなったものは新しい紙へ書き写し……、と自ら仕事を増やしているのだからどうしようもない。


 雑用をこなしながらのため、当然はかどるわけもなく、いまだ手つかずの書類の山がいくつも残っていた。


「はぁ……」


 雪は書類を重ねながら、思わずため息をついた。


 もちろん、悪いことばかりではない。


 書物を整理するために、最低限内容を確認するためか、知識は身についている。


 式神のこと、九尾のこと、雪女や雪男のこと。妖だけでなく、討伐部隊に関わる資料も多くあって、この部隊についてもそれなりに理解できるようにもなった。


 が、それにしても、だ。


「せめて、もう一人くらいいれば……」


 雪はやるせなさをつづり紐にぶつけ、書類をぎゅっと固く束ねる。


「手伝ってやってもよいぞ」


「えっ!?」


 突如、いるはずのない人の声、それも幼女と思しき愛らしい声が聞こえ、雪は手を止めた。


「……誰?」


 雪の白い腕にゾワリと粟が立つ。


 恐るおそる振り返ってみても、だれもいない。もちろん、雪の左右にも、頭上にも、眼前にも。


 しかし、その間にもクスクスと雪をからかうようなあどけない笑声が聞こえる。


(妖? でも、まさか、こんな本部内にいるなんて信じられない)


 雪は文机の下を覗きこむ。が、やはりいない。


「どこにいるの? あなたは誰?」


 雪が呼びかけると、


「ここにいるじゃろうて」


 閉めていたはずの窓帷(カーテン)がふわりと揺れ、窓の向こうから月光が差しこむ。


 月の光に照らされ、愛らしい女の子の姿が窓硝子(ガラス)にふわりと浮かびあがった。


「あなたは……」


 切りそろえられた前髪から、妖艶に輝く紫色が覗く。まるで紫水晶のように美しい瞳だった。


「わらわは(ふみ)。文姫と呼べ」


 文は美しい紙製の着物を優雅にひるがえして、窓から降り立つ。


「そちの名は?」


 そのまま、文机に腰かけた文がずいと顔を寄せた。ふわりと古紙のような、ほのかに甘い香のような匂いが鼻につく。


 十ほどの年にしか見えないのに、彼女が(まと)う高貴な気にあてられ、雪はかしこまる。


「わ、わたしは雪と申します」


「ふぅん、そちに似合いのよい名じゃな」


「あ、ありがとうございます」


 頭をさげると、文はコロコロと笑った。


「妖に礼を言うなんて、変わっておるの」


「え……」


 雪は絶句する。


 今、文は自らを妖と言わなかっただろうか。それとも、聞き間違い?


 雪が困惑していると、文は雪が束ねていた書物をそっと撫でた。


「それとも、やっぱり怖いかえ?」


 文に上目遣いで見つめられ、雪は言葉に詰まる。


 文はどこからどう見ても、年端もいかぬただの幼女である。整った顔立ちや、にじみ出る気高さ、見た目にそぐわぬ大人びた言葉使いに多少の違和感は覚えるものの、彼女を妖だと憎むことは雪にはできない。


 妖は怖いもの。人を食らい、人を殺める悪しきもの。そう思ってきたのに、こんなに美しい少女が妖だなんて。


 しかも、文は「手伝ってあげてもいい」と雪に声をかけてきたのである。


「文姫さまは、本当に妖なんですか?」


「そうじゃ。信じられんか?」


「その、妖はもっと怖いと言いますか。文姫さまの姿形は、まるで人のようで……」


「それは化けられないものたちのことじゃろう? 化けられる妖は、形になど囚われぬ。あんな下賤(げせん)なものたちと一緒にするな」


 化けられない妖、つまり、丁種(ていしゅ)丙種(へいしゅ)の妖を下賤呼ばわりとは。


 もしかしなくても、この文姫は人に化けているだけで、乙種(おつしゅ)以上の力を持った妖ということである。


 すなわち、それは。


「……わたしを、殺すのですか?」


 自然と声が震えた。


 雪の知っている妖とはそういうものだ。だから、この場で殺されてもおかしくはない。そもそも、文には本部内に潜入できるだけの力がある。本部へ入るための門には、雪ですら一人では通り抜けられない結界が張られているというのに。


 しかし、恐怖に震える雪に向けられた文の笑みは、寂しげなものだった。


「そんなことせん。わらわはただ、そちと友人になりたいだけじゃ」


 予期せぬ文の告白に、雪はまたもや呆然としてしまう。


 妖が、雪と友だちになりたいだなんて。それとも、知能をもつ妖は、このような甘言で人を(だま)しいたぶのだろうか。


 だが、文の目は真剣そのもので、雪をからかっているようには思えなかった。


 どういうわけか、文にはあまり嫌な気配も感じない。妖独特の背筋が凍るような感覚を覚えないのだ。


 本心からそう思っているのだとすれば……、今度は別の疑問がわきあがる。


「どうして、わたしと友だちに?」


「書物庫の整理をしてくれているのは、そちじゃろう?」


 質問に質問で、それも雪が想像していた角度とは違う角度から返され、雪はうろたえながらも素直にそうだと答える以外ない。


「だからじゃ。そちが、ここにある書物や本を大切に扱っていることは知っておる」


「もしかして……」


 雪は文をもう一度注意深く観察する。


 紙でできたような着物、女性、書物庫に棲む妖。その特徴を総合すれば。


「文姫さまは、文車(ふぐるま)妖妃(ようひ)なんですか?」


 読んだ文献では、恋文にこめられた思いから生まれる妖だと記載されていた気がするが、どんな書物にも書き手の思いは少なからずこもるもの。この書物庫には大量の書類があるし、それらが長い年月にわたって蓄積されていれば、なおのこと妖となってもおかしくはない。


桐吾(とうご)もわらわをそう呼んでおったわ。文車妖妃だから、わらわは文だと」


 文はどこか懐かしむように目を細め、再度、指先で愛おしそうに書物を撫でた。


「わらわは、書物から生まれた。だから、わらわは書物を大切に扱う人を憎めないんだろうと、昔、桐吾から言われたのよ」


「その、桐吾さんというのは?」


「そちの言葉では、隊長と呼ばれていたものよ。よい友人だった。本が好きで、聡明で、勇気があった。妖だろうと困っているものを放っておけない優しい人だったの」


 言われて、雪はいつか見た古い報告書を思い出した。


 たしか、桐吾と署名の入ったものがあったような気がする。今の隊長は藜だが、おそらく先代か先々代の隊長だろう。


 討伐部隊の隊長が妖と友人になるなんて考えられないが、文の話を聞くに、どうやらその隊長がそういう性格だったらしい。


「だから、わらわはそちに会えて嬉しい。もうずっと一人で退屈だったのじゃ」


 文は妖とは思えないほど美しい笑みを見せた。


 退屈と強がってはいるが、本心は寂しかったのだろう。賑やかになればなるほど、孤独は強く感じられる。最近は特に、人の出入りも多かったから。


 討伐部隊の中で妖と友人になるなんて。それこそ、藜にばれたら雪は殺されてしまうに違いない。


 でも。


 雪は、文をこのまま一人にすることはできなかった。


 雪だって半妖だ。人にも妖にもなれず、討伐部隊のみなを(あざむ)いて生き長らえているだけ。


 半妖だと知ったあの日から、家族も失い、ずっと孤独だ。


「文姫さま、わたしでよければ、友人になってください」


 雪は幼い文の手を握る。その手は小さく、人の手と同じあたたかさを持っていた。

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