十三、妖討伐の夜
妖討伐の夜は、牡丹雪が降っていた。
雪は藜に買ってもらった新しい着物に、藜から貸してもらった軍服用の外套を羽織り、玄関で白い息をはく。
「いよいよ、なのね……」
不安と緊張で胃がキリキリと痛む。雪はほとんど夕食にも手をつけていないというのに、満腹感のある腹をなでて気を紛らわせた。
討伐に必要最低限の知識はつけたつもりだし、藜もいる。それに、狐火もヒザマも、文献を読むかぎりでは丁種と書かれていた。以前椿たちから教わった話だと、妖の強さは甲乙丙丁と順に並んでおり、雪は少なくとも丙種以上の力がある。丁種に殺されるようなことはないはずである。
「大丈夫、大丈夫」
雪が震える足を叩いていると、玄関の扉が開いた。
「何をしている」
藜の冷ややかな視線が雪を突き刺す。
雪は「なんでもないです」と取り繕って、雪を置いて歩き出した藜のあとに続いた。
藜の背を追っているうち、雪は、自然と自らの不安が緩んでいることに気づく。
それは多分、軍服姿の藜が頼もしく見えているからだろう。
いつだって藜の着こなしは見事だ。特に今日は、白い雪景色の中に軍服の黒がよく映えている。しかも、軍服の黒は闇に溶けこむようでありつつ、藜の白金の髪や赤い瞳を闇に浮かびあがらせているようにも思えた。
対して雪は、外套に着られているような気がする。出る前に姿見で確認し、稲穂からも似合っていると言われたが、自信は持てない。
これが積み重ねてきた時間の差なのかもしれない。
「おい、結界を弱めているうちにさっさと通れ」
「は、はい!」
藜に催促され、ぼんやりとしていた雪は門へ急いだ。
ゴクリと唾を飲みこみ、覚悟を決めて結界に触れる。チリッと焼けつくような痛みに耐え、足早に門をくぐる。
買いものへ出かけた以来の外だ。もっと言えば、夜の帝都に足を踏み入れるのは連れてこられた日以来である。
冷たい風が頬をなで、雪の黒髪に混ざる青白い髪をさらう。地面から伝う容赦ない冷気も、屋敷の外へ出たのだと雪に実感を与える。
こうして外へ出られるのはやはり少しだけ嬉しい。だが、ここで気を緩めてはいけない。
今日は買いものではない、妖討伐なのだから。
雪は、藜とともに止まっていた馬車へと乗りこんだ。
窓の外の牡丹雪に、雪は連れ去られてきた日を思いだした。藜もまた、なにかを考えるように外を見つめている。
二人きりの車内はどことなく緊張感が漂っている。
それを打ち破ったのは藜だった。
「お前、軍服は似合わないな」
「な……」
まさか開口一番にそんなことを言われるとは思わなかった。雪自身、気にしていたことをつっこまれ、余計に落ちこんでしまいそうになる。
雪が絶句していると、藜は雪の反応が予想外だったのか、「いや」と口ごもった。
「別に悪い意味では……」
ならばどういう意味なのだ。雪がじとりと視線を送れば、藜は窓の外に視線を逃がして呟く。
「軍服など、似合わないほうがいいだろう」
それは思いのほか真剣な口調で、雪もそれ以上、追求することはできなかった。
藜は軍服を誇りに思っているのだとばかり考えていたが、どうやらそうでもないらしい。
「たしかに、そうかもしれませんね。平和な世が一番ですから」
雪が冷静に返事をしたことで、藜もようやく正気を取り戻したのか、
「とにかく……、今日は、お前の能力を引き出すための訓練だと思えばいい」
と雪に討伐内容について説明を始める。
「討伐と言ったが、倒すことは考えなくていい。そういうことは僕がやる」
「はい」
「一度でもいいから、以前と同じように力を使うことだけを考えろ。繰り返せば、そのうち力にも慣れて制御できるようになるはずだ」
相変わらず、知っているかのような口ぶりである。ここまで断言されると、雪も清々しい。
「わかりました」
言われたとおりに力を発揮するのが今日の雪の仕事だ。空回りして、藜の足を引っ張ることだけは避けなければ。
雪は自分自身にそう言い聞かせて、そのためにも、と緊張を押し殺して藜に尋ねる。
「それで、作戦は?」
狐火は群れで行動し、ヒザマは単独行動をする。どちらの妖の仕業かはわからないが、藜のことだ。それぞれ作戦を考えているに違いない。
足手まといにならないためにも、事前に藜の考えを聞いておきたい。
だが、雪のそんな意気ごみはあえなく散った。
「作戦などない」
藜はきっぱりと言い切ると、自らの腰にさげた鞘に手をかける。
「向かってくるものはすべて、叩き斬るだけだ」
宣言と同時、藜の紅に染まった瞳がひときわ強く輝きを放ったような気がした。
ゴウ、と燃える業火のような瞳は、猛々しく、その強さを誇示するようである。
「余計なことは考えるな。お前は、自分のことだけに集中しろ」
己の強さに対する絶対的な自信が、その一言に宿っていた。
藜のこの自信は、強さは、一体どこからくるのだろうか。
雪もこんな風になれたら、いつか、妖も人も関係なく、胸を張って生きていけるようになるのだろうか。
藜への羨望と憧れ、尊敬が、雪の心中にあふれる。
藜は話しが終わったことを示すように雪から視線を切った。
その横顔に、雪は息を飲む。
藜の月光のように透きとおる白金の髪から覗く赤には、窓の外の雪景色ではなく、どこか遠い過去が滲んでいるように思えた。
どうしてか、胸が締めつけられるような儚さが藜の表情には同居している。
だからだろうか。
雪の口からは自然と質問がついて出た。
「藜さんにも、そうした時期があったのですか?」
今まで、藜との会話は仕事のことがほとんどだった。藜という人柄や、過去、趣味などは緊張や恐れが勝って聞けなかったから。
雪が藜から目をそらさずにいると、藜は窓の向こうに目をやったまま答える。
「さあな」
はぐらかすような答えには、しかし、切ない響きがあった。それ以上は踏みこんでくるな、と拒絶するような、そんな硬さも。
雪はなにも言えなくなった。代わりに、藜を真似て馬車の窓から外を眺める。
絶え間なく降り続く牡丹雪の向こう、色彩豊かに輝く城下町が広がっていた。