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朧月夜の雪花奇譚  作者: 安井優
雪の章
13/43

十二、妖を知る

 翌日から、(ゆき)の勉強が始まった。


 とはいっても、雑用係の仕事が減るわけではないので、雑用をこなしながら空いた時間に書物庫へ行って、必要な資料や書類を探したり、隊員たちからよい教科書を教えてもらったりするところからだったが。


 それでも、二日もすればすっかり準備も整って、雪はなんとか間に合った、と胸をなでおろした。


 西日が本や書類に当たらぬよう、窓帷(カーテン)を閉めて燭台に火を入れる。


 雪は書物庫の大きな文机に稲穂(いなほ)から推薦された分厚い本を置き、椅子に腰かけて一枚ずつ(ページ)をめくっていく。


 目当ては(あやかし)の基礎的な知識と小火(ぼや)騒ぎを起こしているであろう妖について。


 討伐を控えた明日の夜までにすべての知識を蓄えることは不可能だと判断した(あかざ)が、雪にそこだけでも調べておくようにと指導してくれたのだ。


 どういう風の吹きまわしだろうかと雪が驚いていると、藜は不愛想に


「ただでさえ足手まといだからな、少しでもマシなものにしなければ僕が疲れる」


 と、決して雪のためではないことを強調した。


 すでに藜のそうした態度に慣れてきた雪にとっては、それも不器用な優しさにしか感じられなかったので、素直に聞き入れたが。


 それにしても――、


「基礎的なことだけでも、こんなに……」


 雪は量の多さに感動とも驚愕とも、あるいは不安ともつかぬ感情を抱く。


「わたしは、本当に何も知らなかったのですね」


 自らの無知と、無知であることがどれだけ恐ろしいか、妖を前にしてようやく理解するなんて。


 だが、それも仕方のないことか、と雪は本をめくりながら思う。


 花国(かこく)では昔から妖と人間が共存してきたが、通常、人々は妖についての話題を避ける。口にすることすら恐ろしい、悪しきものとして忌避されているせいか、それとも、藜が言うように交わることのないものだと割り切っているからか、そのどちらもか。とにかく、妖について学んで何になるのだと考える人がほとんどなのである。


 雪も、今まではその一人だった。


 もちろん、長治(ちょうじ)から聞いて恐ろしさだけは知っているものの、その正体や生態など気にしたことなどなかった。


 もし知っていたら、あの日の雪の判断はもっと違ったものになっていただろうか。


 妖の赤い双眸(そうぼう)が見えた瞬間に、長治を無理やりにでも引っ張って橋を引き返していたかもしれない。


 雪の力を使わなくとも(はこ)から脱出する術があったかもしれない。


 別の戦術や、妖を救う術もあったのかもしれない。


「なんて、ね」


 今さら後悔をしても遅い。その分、今から覚えるしかないのだ。これからに役立てればいい。


 雪はブンブンと頭を振って、過去のおぞましい記憶を追いはらった。


 今は勉強に集中しよう、と再び視線を本に戻して、雪は書かれている内容に集中する。


「妖とは、万物に宿った人の強い感情が形になったものである。火や水など、形のないものにも思いさえ宿れば妖となる……」


 雪は自分なりに理解しながら、読み進める。


 思いの強さや蓄積された感情が力となり、妖自体の強さにも影響を及ぼすと考えられていること。


 より多くの人が信仰や畏怖するものが妖から神となるのも、そのためであること。


 妖は、自らより強いものを怖がる傾向にあり、妖同士での(いさか)いは少ないこと。


「そういえば……」


 雪はあの日、ご神火が雪たちを守ってくれたことを思い出した。


 妖が強くなったものが神だというのは初日に椿(つばき)が教えてくれたことだが、あの日はまさにそういうことだったのだろう。


 自分よりも強いものを恐れるのは自然の摂理だ。


 妖も、そうした意味では自然から生み出され、そして自然の循環の中にいるものなのかもしれない。


 人や動物と同じ、ただ生きとし生けるものにすぎないのかも……。


「順調か?」


 背後からかかった声に、雪はハッと我に返った。


「あ、藜、さん」


「どうかしたか?」


「あ、い、いえ」


 振り返ったさきに立っていたのは藜の怪訝な顔に、雪は咄嗟になんでもないと作り笑いを浮かべる。


(わたしは今、何を? 妖と人が同じだなんて……、そんなこと、あるわけないのに)


 藜はひょいと雪の手元を覗きこむと、雪の隣にあった椅子を引き出し、腰をかけた。


「さぼっていたわけではないようだな」


「藜さんはどうしてここに」


「お前の様子を見にいけとうるさいやつらが多いんでな。様子を見にきただけだ」


 おそらく稲穂のことだろうなと思いつつ、雪は礼を述べる。


 雪が討伐の任を与えられたことは、すでにほとんどの隊員が知っている。そのおかげでみな、雪の勉強には協力的だった。もちろん、それ以上の同情や憐憫(れんびん)、心配も受けたが、この部隊に所属している以上は(まぬが)れない仕事なのだと理解しているのか、みんな、最終的には、仕方がないことだと声を揃えた。


「で? どこまで理解できた?」


「妖の成り立ちについてはなんとなく理解できました。特定の妖の性質についてはこれからです」


「なるほど。では、今回の小火騒ぎの正体はなんだったか覚えているか?」


「えっと……、たしか、狐火かヒザマが有力、でしたよね」


 雪が最低限の理解をしていることに満足したのか、藜は珍しく感心したようにうなずいた。


 そして、雪の代わりに本をパラパラとめくると、席を立つ。


「狐火はこの頁だ。ヒザマはこの資料には載っていない。持ってきてやるから、狐火について読んでおけ」


「あ、ありがとうございます」


 雪が本へ目を落とすと、たしかに狐火についての所管がまとめられた頁だった。


 藜は何気なくやって見せたが、もしかして、どの資料に何が記載されているか、すべて把握しているのだろうか。


 書物庫には何百という本や書類があるというのに。


 思わず感動して藜を見つめると、本棚を見ているはずの藜から叱咤が飛んでくる。


「感心していないで、とっとと勉強しろ」


 雪のほうも見ていないのに、背中に目でもついているのだろうかと思わせる正確さだ。


(すごい、けど。藜さんは、やっぱりちょっと怖い)


 雪はそんな思いをしまいこんで、狐火についての頁に視線を戻す。


 そこには、狐火の絵だけでなく、生態や特徴、討伐方法までもがこと細かに記載されていた。


 一年中通して花国各地に現れる丁種(ていしゅ)の妖であることや、群れをなすこと、普通の火とは違って遠くからでも見えることなど、雪の知らないことばかりだ。


 触れると発火して消えることから、討伐方法の欄には長刀や銃、槍などの長物を使い、遠距離から攻撃すること、と書かれている。


(すごい……)


 妖の特性をこんなにも細かく分析し、きちんと書き記して残しておくなんて。


 普通は妖を見ただけでも恐ろしくて逃げ出したくなるというのに、きっと何度も戦い、試行錯誤を繰り返して、ようやくこうした形になったに違いない。


 雪が圧倒されていると、いつの間に戻ってきていたのか、資料を抱えた藜が


「どうだ?」


 と雪に声をかけた。


「すごい、です……。とても。教科書というより、図鑑のようでワクワクします」


 本心だったが、雪の答えに藜は数瞬、目を(しばたた)かせた。


 やがて、


「ふっ……」


 藜の口元から笑声が漏れる。


「お前は変わっているな」


 そのやわらかな表情に雪が目を見張ると、藜は我に返ったように顔を隠した。


 せっかく笑っていたのに、もったいない。


 雪のそんな思いなどおかまいなしに、藜は咳払いをしたかと思うと、麗しい表情をいつもの仏頂面に戻してしまう。


「ほら、手が止まっているぞ」


 藜はぶっきらぼうにそう告げると、雪の前に別の資料をドサリと置いて「俺はもう行く」と席にもつかず、背を向けた。


 まだ仕事が残っているのか、どうやら本当に様子を見にきただけのようだ。


「あ、ありがとうございます!」


 雪が立ちあがって礼を述べれば、藜はヒラリと軽く手をあげて書物庫を出ていった。


 残された雪は、改めて勉学に励まねば、と気合を入れなおし、机に向かう。


 藜の柔和な笑みを時折、思い出しながら。

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