九、背負っているもの
「おっかえりーっ! って、うわぁ! どこのご令嬢が来たのかと思っちゃった!」
新たな服を身にまとい、本部へと戻った雪を出迎えたのは、稲穂本人であった。どうやら、雪が本当に藜から服を買ってもらえたのか気にしてくれていたらしい。
「雪っち、本当に似合うよ! かわいい! これ、誰が選んだの? すっごくかわいいし、雪っちにぴったりじゃん!」
キラキラと輝く目で矢継ぎ早に褒められては、雪も照れくさい。
「あ、藜さんに……」
どもりながらも答えると、稲穂が「え!」と藜に視線を移す。
藜は明らかに嫌そうな顔で
「おい、報告書は」
と話題を変える。が、ここで引かないのが稲穂である。
「書いたってば! そんなことより、この洋装を隊長が選んだって!」
「……だったらなんだ」
「いやあ~、なにって、ねえ?」
稲穂はニヤニヤと頬を緩めながら、生暖かい視線を雪に投げた。初日に椿から向けられた目と同じものだ。
「えっと……?」
雪がその視線の意味を理解できずにいると、藜の深いため息が聞こえる。
「こいつのことは放っておけ。おい、稲穂、報告!」
藜はいよいよ煩わしくなったのか、稲穂をしかりつけて隊長室へと足を向ける。
だが、鋭い檄を飛ばされたにもかかわらず、稲穂はまだ話したりないと言うように、雪と玄関先に残った。
藜が視界から消えるまで見送ると、雪に近づいてそっと耳打ちする。いたずらなまなざしのままに。
「で? 実際のところどうなの?」
「どう、とは?」
「どうって、そりゃ、男女の仲に決まってるじゃん」
「え!?」
「え? 違うの?」
予想だにしていなかった雪の反応に、なぜか稲穂も驚いたように間抜け面を見せる。
雪と稲穂は互いに目をぱちくりさせて、もう一度「「え?」」と声をそろえた。
「ま、まさか! 藜さんはわたしをここに連れてきてくださっただけです! 男女の仲だなんてありえません!」
「だって、あの隊長だよ!? 今まで女のおの字もなかったのに、雪っちを連れ込んでなんにもないわけないじゃん! いや、雪っちが大変だったのは知ってるよ? でも、隊長は今までそういう女の人だって何人も見てきてるわけ! なのになんで雪っちだけ?」
雪の否定を上回る量と速度で問い詰められ、雪はいよいよ黙り込む。
藜が雪を連れ帰ったのは、雪が半妖だからにすぎない。だが、そんなことは絶対に言えない。
「そ、それは……」
雪が言いよどむと、先ほどまでニヤニヤと楽しそうにしていた稲穂は、その栗色の瞳に疑惑を浮かべた。
「なーんか怪しいんだよねえ」
口元に手を当て、稲穂は唸る。
まるで何か推理でもはじめそうな勢いに、雪の体も硬直してしまう。緊張からドキドキと鼓動が高くなり、額にうっすらと嫌な汗が浮かぶ。
「ねえ、雪っち、なんか隠してない?」
(まずい……、なにか話題を変えなきゃ……)
反射的に、雪は洋装の裾をきゅっと握りしめた。そのなめらかな手触りに、雪は、まだ稲穂へ洋服の礼を言っていなかったことを思い出す。ちょうどいい話題転換にもなる。
雪は「そうでした!」とわざとらしくポンと手を打って、笑みを作った。
「そういえば、稲穂さん、藜さんに進言いただき、ありがとうございました!」
「今はそんなことより……」
「そんなことって! わたしにとってはとても大事なことです! 稲穂さんのおかげで、こうして新しいお洋服や着物を着ることができたんですから!」
顔を合わせないよう、深々と頭をさげる。
しばらく腰を折っていると、「もう……」と稲穂もようやく諦めたように苦笑した。
「いいよ、わかった。隊長との関係性を聞くのは野暮だったね。そもそも、オレが隊長に服を買うようにそそのかしたんだし。隊長が服を選ぶのもおかしなことじゃない、でしょ?」
「そそのかしたって、そんな。でも、おかげさまで素敵な洋装までいただけて」
雪はごまかせたことにホッと胸をなでおろす。
「お店も素敵で……って、そうだ! 稲穂さんだって! 不知火財閥のご子息だなんて、そんなすごいかただったとは知らなくて」
雪が無邪気に笑みを浮かべると、今度は稲穂の表情が陰った。
「あー……、うん。だね」
今までの稲穂からは想像できないほど歯切れが悪い。
先ほどまでの空気が一気に冷えていくのがわかった。
どうやら稲穂にとって、不知火財閥の息子であるという事実は、あまり好ましくないものだったらしい。
「あ、ご……、ごめんなさい」
咄嗟に雪が謝ると、稲穂は軽く首を横に振る。
「ううん、雪っちが謝ることじゃないよ。でも、うん、そうだね、これからもオレのことはただの稲穂として接してくれたら嬉しいかも」
「それは、もちろん……」
「ありがと」
微笑む稲穂の顔はまだどこか強張っていて、雪は、やはり余計なことを言ってしまったのだと猛省する。
(ただ、お礼が言えればそれでよかったのに……)
反省している雪に、
「じゃあ、オレ、そろそろ行くね。さすがにこれ以上待たせると、隊長に怒られそうだし!」
稲穂は無理やりに明るい口調で話を切りあげた。
しかも、タイミングよく二階から「稲穂!」と藜が稲穂を呼びつけたせいか、稲穂は足早に雪の横をするりと去っていく。
すれ違う瞬間も、その後も、雪は稲穂の背を追いかけたが、目すら合わなかった。
それは、雪の何気ない一言が稲穂を傷つけてしまったことを暗に告げていた。
雪は心に深く突き刺さった事実に目を伏せる。後悔は先にたたず、自らの失態を雪は恥じた。
怪異討伐特務部隊の人たちは、みんな訳ありだ。
椿が初日に教えてくれたことが、今更になって雪の脳裏によぎる。
椿も、稲穂も、そしてきっと藜も。
妖を討伐するには特殊な力が必要で、その時点で彼らは普通の人とは違うのだ。もちろん妖とも違う。
半妖の雪と同じ、そんな人たちなのだ。
「……わたし、なんにもわかってなかったんですね」
一人、玄関先に残された雪は、自らの足元に伸びた影を見つめて自嘲する。
(わたしは、大馬鹿ものだ)
この部隊自体が背負っているものを、雪は初めてその身に感じたのだった。