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もう忘れたいあなたの味

作者: 優希


社会人3年目。23歳の冬。

その年初めての雪が降った日のこと。

私は母親と縁を切り、実家を出て行った。


所謂『毒親』という存在だったんだと思う。

しょっちゅうイライラしては、人が変わったように荒れる母親。言葉も汚くなり、罵倒され怒鳴られることは当たり前。

役立たずだの、クズだの。そんな言葉もそれ以上の言葉も、何度投げかけられたかもう覚えていない。


社会人になり、外の世界を知った今。辛い毎日から抜け出すために、親を捨てることに後悔はない。何かを捨てなければ何かを得ることは出来ない。私の場合、自分の幸せの為に捨てるべきものが、母親だっただけなんだ。


そう自分に言い聞かせているうちに、運転していた車が目的地のアパートに着いた。

大家さんに挨拶をして鍵を受け取り、車に積まれた荷物を運び入れていく。


…と。


「なに…これ?」


後部座席の片隅に、見覚えのない小さなバックが置かれていた。チャックを開けると、ひんやりした空気が流れ、幼い頃に使っていたお弁当箱と、小さなメモが現れる。


私はそっとメモを手に取り、目を走らせた。


『引っ越しお疲れ様。これくらいしか出来ないけど、良かったら食べてください。』


綴られた文字の筆跡は、確かに母親のものだった。


「…んだよそれ。」


何を今更。あれだけ訴えても何も変わらなかった癖に。


頭の中で様々な感情が渦を巻いていたが、持っている弁当箱をゴミ袋に投げ入れることは出来なかった。

「…勿体無いから。」と。自分に言い訳するかのように呟き、震える手で箸を持って、黄色い卵焼きを一口齧る。



『ねぇ、遠足のお弁当何が食べたい?』

『大好きな卵焼き、たくさん入れたからね。』

『喜んでくれて、お母さん嬉しい!』



「ーっ、く、うぅっ…」


悔しい。涙が溢れてしまうことが悔しかった。

嫌だ。思い出したくない。忘れてしまいたい。

いっそ酷いことをされた記憶しかなければ良かったのに。優しさの記憶が、温かかった僅かな時間が、こんなにも自分を苦しめる。

きっとこれから先も、名前のないこの感情は、消えずに心の奥底に残るのだろう。少し甘い卵焼きを食べる度に思い出して、私は泣くのだろう。


それが、自由になることと引き換えに払った本当の対価なのだと。


23歳の冬。雪が降りしきる中で食べた、甘いはずの卵焼きは、私の中に確かな苦さを残していった。

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― 新着の感想 ―
疎んでいたはずなのに、優しい思い出に触れ、複雑な感情が入り乱れる心情が伝わってきて、目頭が熱くなりました。
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