7. 少女、行方不明
シラヌラに誘拐されたコマルを探すようにお願いされた俺と春野。女の子の誘拐沙汰を放っておくわけにもいかないのでその申し出に了承した。と言っても、杏ばあさんの口振りはあまりコマルのことを心配しているようには思えなかった。
コマルを肩に担いだシラヌラは公園の外周を左回りする道へ走っていった。左回りに公園を1周すれば元の世界に戻れる。そのことをシラヌラも知っているのだろう。
早く奴を追いかけよう。見失わないうちに。
「行くぞ春野」
俺は春野に告げて走り出す。だが、春野はその場から一歩も動かない。俺は足を止めて彼女を見た。
彼女の白い顔はより一層青ざめている。翡翠色の瞳は微かに潤んでいて、視線はどこか一点をじっと凝視している。息も荒い気がする。明らかに通常時と違う。
「ど、どうした……?」
「………………」
走りすぎて疲れたのか? それとも追われるのが怖かったのか? 確かにシラヌラに追われている時に彼女は震えていた。でも春野は以前、俺に追われた時はこんなふうにはならなかった。
幽霊なのに体調不良か。とにかく彼女を走らせるわけにはいかない。
「歩いていくか?」
尋ねると春野は視線を俺に移し、こくりと小さく頷いた。
それから春野と2人でゆっくり歩み、公園を1周した。先にある眩い空間まで歩いていき、目を開けていられないくらい眩しくなったところで目蓋を下ろした。
目を開く。元の世界に戻ってきた。空の色も、そよ風の音も明瞭になり、すべてが元の正常な状態に戻る。
春野はしばらく歩いたせいか少しだけ具合は良くなったようだった。まだ顔は青いが、呼吸は整って目の色も悪くない。
さて、後はアイツを、コマルを攫った幼女誘拐犯シラヌラを探すだけだ。どこに行ったのか。辺りをキョロキョロと見回す………………と、すぐに見つかった。
たった今、周回した公園。公園中央には地面から伸びた細い鉄の棒があり、その上端に丸い時計が掲げられている。公園の周りは疎らな草木に囲われていて、内側は淡い土色の地面が広がる空間。その空間には滑り台やブランコ、鉄棒やシーソー等のありふれた遊具がいくつか点在している。
そんな公園の中心。開けた空間で一人、慌てふためく男の姿があった。
赤髪短髪で赤い法被の男。シラヌラだ。落ち着かない様子で周囲を見回している。コマルの姿は見えない。
俺と春野はシラヌラの元へ歩み寄った。
「どうしたシラヌラ?」
「――――ブヴオォォおおおぉオオオエッ!?!?!?」
シラヌラに声をかけると奴は驚いて猛獣みたいな悲鳴を上げた。嘔吐ではなく悲鳴だ。目と口を大きく見開いて飛び退く。
「ど、どうした……?」
尋ねるとシラヌラは幾分か正気を取り戻した。それでもまだ動揺していて落ち着きがないが。
「あ、あぁ!? お前かァ! ヤベェんだ!! コマルが消えちまった!!」
「コマルちゃんが消えた!? なにがあったんだ?」
「コマルとかくれんぼすることになったんだ! 範囲はこの公園の中! けど探しても全っ然いねぇ!!」
かくれんぼ? こいつは誘拐した女の子とかくれんぼを始めたのか。
「それなら公園の外にでも行ったんだろ。お前から逃げるために」
かくれんぼで誘拐犯が鬼役を始めたら、攫われた女の子は鬼が目を瞑っている隙に逃げるに決まっている。
「いや、それはねぇ! あいつはかくれんぼが好きなんだ! だからルールはぜってぇ守る! 隠れる範囲の公園からは出ねぇ! 今まで一度もあいつはルール破ったことねぇんだ!」
今まで一度も、ということは以前からシラヌラとコマルはこんなふうにかくれんぼなんかをして遊んでいたということか。おそらく2人は友達。シラヌラの行いは誘拐ではあったが、それは親しき間柄での誘拐だったようだ。
「頼むぅ! あいつがどこ行ったのか! 探すのに協力してくれェ!!」
人にものを頼む態度とは思えない張り上げた荒々しい声色のシラヌラ。
「まあ、たしかにコマルちゃんがいなくなったのは少し不自然だな………………。よし! それじゃあ俺も一緒にコマルちゃん探してやるよ!」
「――ッ!? ホントかァ!? 恩に着るぜェ!!」
パッと表情が晴れるシラヌラ。その表情の変化からシラヌラがコマルのことをそれだけ重視していることが窺える。
なんかここ最近、人や場所を探したり、人を追いかけたり追いかけられたり、そんなことで街中を駆け回ってばかりな気がする。見慣れたこの街の景色にはもう飽き飽きしていて、正直あまり気乗りがしない……………………。そうは言っても、行方不明のコマルをそのままにして何か良くないことでも起こったら後味が悪い。春野と美術館に行く予定があるが、今はコマルの件を優先させた方がいいだろう。
「リクマ君」
「――――ッ!?」
春野が、俺の名前を呼んだ。
何気に初めてのことだった。彼女が俺の名を口にするのは。
「な、なんだ……?」
俺は少し緊張気味になりながらも尋ねた。春野の声を聞き逃さぬように耳を澄ませる。しかし、
「……………………」
何も言わない。表情もいつもと変わらない無表情。
「なんか言うことがあんのかぁ?」
痺れを切らしたシラヌラが口を開いた。すると、彼女は腕を上げ、公園の外を指差した。
指の差す先は住宅街の外の田園に続く道だった。
「あっち。黒い人影が、さっき歩いて行った。コマルちゃんと関係あるかも」
コマルの行方の手掛かりとなる情報だった。
「まじかァ!? でかしたぜ!! 行くぞ!!」
シラヌラは歓声を上げ、言うが早いかすぐさま走り出した。地面を蹴る度に砂煙を上げ、超人的な速力で一瞬で公園を飛び出す。
「元気だなあ、あいつ」
俺はシラヌラの背中を見送った後、春野の方に振り向いた。
「走れないよな?」
聞くと、春野は小さく頷いた。
――春野が俺の名を呼んだあの時、表情はいつも通りの静穏だった。だが、その表情の奥には何か言い淀んでいるような感情がありそうに思えた。
俺は春野のペースに合わせて歩く。公園を出て、シラヌラが走っていった方へ進む。
道中、俺は気になったことを春野に尋ねた。
「春野、お前がさっき言った黒い人影って、幽霊の類いだよな? どんな見た目だった?」
俺の目には幽霊が見えるが、黒い人影なんて今まで目にした記憶がない。俺が見るのは服や顔などがはっきりと見える幽霊で、黒い人影なんていう漠然としたものではない。
「全身真っ黒で、輪郭は黒い煙か、粒子っぽくて…………身長は大人の男の人くらい」
本当に『影』と呼ぶのにふさわしい見た目のようだ。そしてやはり俺はそんな影を今まで見たことはない。
「その影は何人くらいいた?」
「4人くらいで――――」
そんな話をしているうちに住宅街を抜けた。
目の前に田園地帯が広がる。稲穂は太陽の光を浴びて黄金に輝き、収穫の時が間近に迫っている。
遠くには走っていくシラヌラの後ろ姿が見え、さらに奥には横に連なる山々が見える。正面にある山は夏の終わりに春野を追いかけて辿り着いたあの山だ。そして今歩んでいるこの道は、あの日に春野を追いかけて走った一本道だ。今日は春野と一緒に歩いている。
隣にいる春野に声をかけた。
「このまま進めばまたあの山に辿り着くな」
「このまま進めばまたあの山、だね」
今一つ盛り上がりに欠ける会話。
しばらく進むと、道端に何かが落ちているのに気付いた。近づいてそれを拾うと、それは一足の白いスニーカーだった。田んぼに落ちそうなギリギリのところに靴が片方だけ転がっていた。
「靴か。田んぼ道って時々こういうの落ちてるよな。しかも片方だけって」
「………………これ、コマルちゃんのかも」
「――えっ!?」
春野が静かに呟いた。
確かに思い返せばコマルはこんな靴を履いていたような気がする。もしそうならコマルがここを通ったということでほぼ間違いない。だが、コマルの靴が片方だけここに転がっているというのはおかしい………………コマルに何かあったのかもしれない。
――先を急いだ方が良さそうだ。