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6. 君は完璧で究極の自殺者

 赤髪で赤い法被(はっぴ)を着た男の幽霊から足早に離れてバス停へ向かう。月鐘ヶ丘(げっしょうがおか)にある美術館に行くため、男に絡まれるわけにはいかない。


 春野と2人で住宅街を進む。振り返っても男が追いかけてきている様子はない。


 安心して俺は歩む速度を緩めた。


「よし、追ってきてない。大丈夫みたいだな」

「あ、あれ……」


 すると、春野が遠くを見て呟いた。


「え?」


 春野の目線の先には3階建ての茶色いアパート。見た感じ結構古いアパート。その屋上、奴がいた。赤い法被の男が。


「い、いつの間に…………」


 男は両腕を目一杯横に広げ、屋上の端に立つ。そして、静かに体を前に傾けた。力を抜いて重力に全身を預ける。男の目は――――最後まで俺を見ていた。


 男が飛び降りて1秒も経たずして――――ドンッ! と重い音が響く。重い肉体が地面に叩きつけられた音だ。男の姿は塀と茂みの奥に隠れて見えない。


 男は高所から飛び降りた。だが、彼が重傷を負うことも、ましてや死ぬことは絶対にない。幽霊だから。先程トラックにはねられた時と同じだ。


 俺と春野は男の安否を確認せず、気にも留めずにその場を後にする。


 あの男の行動は理解不能だが、俺たちが奴にマークされたということは確か。逃げた方がいい。


 歩み続けて振り返るが、男が追ってきている様子はない。しばらく進むと住宅街を抜け、小さい踏切に着いた。車一台がギリギリ通れるくらいの幅しかない踏切。右手には鬱蒼とした深い森があり、前方及び左手には手付かずの草原と青い空が広がっている。


 先に進もうと踏切に近づくと警報音が鳴り出した。赤い警報灯が左右に点滅を繰り返し、不安を煽る耳障りな音が周囲の自然に響く。春野はそっと両手で自分の耳を塞いだ。


 俺たちは足を止める。


 黄色と黒の遮断桿(しゃだんかん)がゆっくり降りてきて行く手を阻む。これでしばらく向こう側に渡れない。急がないとあの男がまた後ろから追いかけてくるかもしれないのに。


 かと言って遮断桿の下を潜って向こう側に行くのは危険すぎる。仕方なく俺はチラチラと後ろを気にしながら待つこととなった。


 すると、ずっと正面だけを見ていた春野が口を開く。


「あ、あれ……」


 その声で俺も意識を前に向ける。踏切の奥、赤いものがこっちに近づいてくる――――あの男だ。


 赤法被が俺たちめがけて全力疾走で近づいてくる。


「な、何で先回りされてんだよ……」


 正しい理由はわからないが、幽霊だからという一言で説明付けるしかない。


 ――ガタンゴトン、と列車の音が近づいてくる。赤法被の男も近づいてくる。


 …………待て、このままだとタイミング的に列車とあの男がぶつか――――


 男が遮断桿を飛び越えた。さながら陸上のハードル走みたいに。


 その瞬間、右手の深い森の方から貨物列車が飛び出してきた。俺の読み通り、男は列車の先頭部分と衝突した。


 客を乗せる電車よりは幾分か速度の遅い貨物列車と言えど、人間がはねられたらひとたまりもない。男は弾き飛ばされ、蹴り上げられたサッカーボールのように軽々と宙を舞う。


 長い滞空時間を経て、男は俺たちの目の前に落ちてきた。鈍い音と共に地面に叩きつけられたまま、男は動かなくなる。耳障りな踏切の警報音と列車の走る音だけが響く。


 やがて、コンテナを引き連れた長い列車が通り過ぎると警報音も止み、遮断桿は俺たちの通行を許可した。


 目の前の男は変わらず倒れたまま動く気配はない。目立った外傷もない。俺と春野は男を刺激しないよう慎重に、足音を殺して男の横を通り過ぎた。


「おぃ!! 少しぁ心配しろよぉ!!」


 急に背後で怒声が弾けた。少し活舌が悪く、荒々しい大声。


 振り返ると赤法被の男が立ち上がって俺を睨んでいた。ピンと背を伸ばして、見るからに元気そうに。


 改めて近くで男の顔を見ると、頬や目の周りには赤紫の痣があった。口元を見ると上の前歯が一本ない。これらの怪我や欠損は今さっきの行動でできたものには見えず、以前に誰かに殴られた際の傷が今も残っているもののように思えた。


「心配って、自分から怪我しに行ってるだろ!!」


 急に怒声を浴びせられたことが気に障った俺は反論の声を上げた。


「んなこたぁねえ! 全部不幸な事故だァ!! オレの名前はシラヌラリョウ! 呼び方はシラヌラでもリョウでも、どっちでもいいぜェ!」


 なぜか名乗る赤髪の男、シラヌラ。


 めんどうな奴に絡まれてしまった。このままバス停まで行ったらこいつ、バスに乗って美術館までついてきそうだ。それだけは避けたい。よくわからない自殺マニアみたいなこの幽霊と一緒に美術館巡りなんてしたくない。


「……春野、一旦引き返してこいつを振り払おう……」


 春野に耳打ちする。俺の思惑を理解したであろう春野は小さく頷いた。そんな彼女の体は小刻みに震えている………………きっとこの状況に恐怖しているんだ。


 俺たちはシラヌラに背を向けて歩み出す。


「アッ、おい! 待てヨ!」


 やはりついて来るシラヌラ。赤い法被と、額には白いねじり鉢巻き。言うなれば奴はお祭り男だ。


 住宅街に戻り、少し速度を上げた。お祭り男シラヌラもそれに合わせて歩調を速める。


 俺たちが走ると、奴も走り出す。


 やがて俺たちは全速力で駆けるが、奴も食らいついてきた。お祭り男との鬼ごっこ祭りが開催されてしまった。


 シラヌラの奴、体力だけはありそうだからこのまま走り続けていても俺たちの方が先に体力が尽きてしまいそうだ。さすがお祭り男。闇雲に走っているだけじゃ奴を振り切れない。何か策を講じないと。


 走っていると、俺たちが進む先に()()()()があることに気づいた。ユーレイ駄菓子屋に隣接する公園だ。


 俺は隣を走る春野に言った。


「春野、駄菓子屋に行こう」


 俺たちは公園に着くと外周を右回りに2周、左回りに1周、そしてまた右に2周…………。折り返し地点でもシラヌラは俺たちの後ろをぴったりマークしていた。ユーレイ駄菓子屋に訪れて状況が好転するかは不明だが、何もしないよりはマシだ。


 周囲の空気が一変する。現実から乖離した淡い世界。ユーレイ駄菓子屋のある異世界に入った。後ろから追って来ていたシラヌラも一緒に。


 奥に駄菓子屋、『みどうや』が見える。春野と俺は駄菓子屋の前まで走って足を止めた。振り返ると後からついて来ていたシラヌラも足を止める。


「あっ! ここはぁ!!」


 シラヌラが何かに気づいたようで声を張り上げる。そして自ら地面に転がり、右腕を抑えながらわめき始めた。


「うがぁあぁあああ!!!! 腕がァ!! かハッ!! 野良犬に噛まれたあぁああぁあああ!!!!」


 けたたましい声で叫ぶシラヌラ。すると、閉まっていた駄菓子屋の入り口の引き戸がぴしゃりと勢い良く開いた。


「なんだいなんだい? 騒がしいね?」


 機嫌の悪そうな声としかめっ面で駄菓子屋のばあさんが店から出てきた。隣にはコマルもいる。ばあさんと手を繋いで不安げな表情をしている。


「杏ばあ! やっべぇんだよ!! 野良犬に噛まれちまってなァ!!」


 なぜか表情が晴れ、明るく元気に告げるシラヌラ。ばあさんの名前は杏というらしい。


「あんたはほんとにうるさいね。そんなことしたって菓子はやらないよ」


 突き放す杏ばあさん。シラヌラと杏ばあさんは初対面ではない、知り合いのようだ。しかも結構交流のある。杏ばあさんはシラヌラの性質をよく理解しているようだった。


「ぐぬぬぬぅ~……」


 思うようにいかずに唸るシラヌラ。そして、


 ――ガバッ


 不意に起き上がる。その勢いのまま杏ばあさんの元に駆け寄り――――隣にいたコマルを肩に担ぎ上げた。


「――きゃああぁああッ!!!!」


 少女の甲高い悲鳴が響く。シラヌラは華麗なステップですぐさま杏ばあさんから距離を置くと、


「へへっ、コマルは貰ってくぜェ!」


 悪党さながらの悪い笑みでそう吐き捨てると、シラヌラはコマルを担いだまま颯爽と走り去っていく。


 突然目の前で起きたお祭り男による誘拐事件に俺たちは何もできず、ただ見ていることしかできなかった。誰も何も発さず、「祭」と書かれた法被の後ろ姿をただ眺める。


 奴が走り去って姿を消してからようやく杏ばあさんが口を開いた。


「…………まったくしょうがないね。あんたら、一応探してきてくれるかい?」


 倦怠感を顕わにしたため息交じりで俺たちに尋ねた。

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