31. みんながいてくれたから
ユウがその場に作り上げたバスに乗り込んだ。車内はどこにでもありそうなバスの内装だが、乗客はなく、明かりも点いていない。エンジン音すらない。前の方を見ても運転手のいる気配はない。
私はユウについて行き、後ろの方の席に2人で腰を下ろした。それを見計らっていたみたいに、バスが音も立てずに走り始める。前方の電光掲示板に表示がされる。目的地は『蕪山』だ。
ユウは窓の外を眺める。私もなんとなく外を眺める。そこに会話はない。
私はずっと前から、もう死んでしまいたいと思っていたんだ。
今の私の本当の願いは、ユウと一緒に人生の最後を迎えること。死んで幽霊になって、そのまま消滅する。つまり自殺だ。
自殺には大きく分けて2種類ある。苦痛ばかりのこの世から逃げ出す手段としての自害か、自分の信念のために戦った後の自決。両方とも酷い苦しみ、あるいは情熱を注ぐ自分の信念にしか意識が集中していない。故に死ぬ際の苦痛や恐怖、人生でやり残したことに意識が向かない。
現代で「死にたい」と口にする人間のほとんどは、それらの死ぬ苦痛や恐怖、人生でやり残したことに意識が向かなくなるほどの戦いや苦しみの中にはいない。だから死にたいと言っても自殺に踏み込めない。私もその中の一人だ。
それならどうすれば私はこの生き地獄から抜け出せる自殺を達成できるか。
死の苦痛や恐怖に目が向かないようにすればいいけど、私の感じてる生きることの苦痛ではそれらを払拭できない。ならば、自分の信念や強い想いのために戦った結果の自決を目指してみればいい。
今の私の一番強い想いは――――ユウと一緒にこの世界から消えること。
ユウがいなくなった世界で生きていてもしょうがない。ユウと一緒に人生の最後を迎えたいんだ。私がそれを望めばユウもそれに応えてくれる。
私に必要だったのは生きるか死ぬかの判断ではなく、自分の大切なことのために死ぬ理由だったんだ。
ユウと一緒にこの世界から消えるにはまず、私が幽霊になる必要がある。それは蕪山の奥のトンネルに入り、トンネルの奥の世界で死ぬと幽霊になるという言い伝えに倣えば大丈夫。これは以前からユウと冗談半分で話していたことだ。もし一緒にこの世界から旅立つなら、という空想の話。
問題はその後、幽霊になった私がユウと一緒に消滅する手段。幽霊の消滅に必要な3つの物を私は揃えていない。『舟旅の稲穂』、『許蛇の短刀』、『氷眠鈴』の3つだ。
「ねぇユウ。私が消滅するのに必要なもの、ひとつも持ってないよ」
私は手紙を書いていた手を止めて、隣のユウに尋ねた。外の景色は真っ暗で何も見えない。
「大丈夫、稲穂と鈴の2つは問題ない。でも、残りのひとつ、許蛇の短刀は夕蛇様の許しを得てもらわないといけないけど」
「そうなんだ…………」
稲穂と鈴についてはユウが大丈夫と言うからには心配しなくていい。私はユウの言葉だけはちゃんと信用できる。
やがてバスは新興住宅地を進み、蕪山の麓の集落手前辺りで停車した。ちょうど最後の手紙を書き終えた頃だった。
バスを降り、街灯もない真っ暗な夜道を歩む。廃村と化した集落を通り抜け、蕪山の麓に着く。辺りを照らしてくれるのは月明かりだけ。
幾度も目にした慰霊碑がそこにあった。ユウが死んだ件の慰霊碑。横を通り抜けて山道へと進む。
ユウが手の平から青白い人魂を生み出す。真っ暗だった周囲が怪しく照らされる。
黙々と歩を進めていると、私の脳内に今までの人生の記憶が止めどなく溢れてくる。私は自分のことを努力ができない人間だと卑下していたが、今になって振り返れば私の過ごしてきたあの日々は、私の人生は努力そのものだったかもしれない。
山道の分かれ道で細い道に進み、鬱蒼とした森の中に冷たく居座ったトンネルに辿り着いた。トンネルは夜の暗さの中でも一段と暗い大口を開けて待ち構えている。
そのトンネルの手前、夜闇の中に3人の人影が見えた。ちょうど「大、中、小」と表せる背丈。影のシルエットだけで誰かわかったが、近寄ってその答え合わせをした。
シラヌラ君、コマルちゃん、杏おばあちゃんだ。
「遅ぇぞリクマァ!!」
シラヌラ君が機嫌のいい笑顔で囃し立てた。
「悪いな、マナを待ってて。来るような予感がしてな」
「ハハッ、最後の最後まで遅刻癖は直らなかったなァ!」
ユウはシラヌラ君の肩を笑って小突いた。幽霊同士なら触れ合える。そんな2人が、少しだけ羨ましく思えた。
最後の最後、か。もうみんなも消えてしまうんだ。それで最後にみんなで会うために集まったんだ。
「春野さんも来たんですね?」
私の顔を見上げるコマルちゃん。不安げに様子を窺っている。私のことを心配してくれているみたい。
「本当に、来てよかったんですか? ここに来たってことは、その………………春野さんも、消えるんですよね?」
「うん」
どうやらみんな、私がここに来るのは予想はしていたけど、予定にはなかったらしい。
コマルちゃんが私を見つめる。シラヌラ君と杏おばあちゃんも同様に。
「夢があるって言ってましたけど、本当に、これでいいんですか?」
「うん。自分が本当にしたいことに気づいたから。みんなには理解してもらえないかもしれないけど」
「………………」
俯いて黙り込むコマルちゃん。何か言いたいことがあるけど抑えているのか、あるいは何か思うところがあるのか。
今度は杏おばあちゃんが口を開いた。
「アンタ、その歳で死ぬっていうのはちょっと早すぎるんじゃあないのかい?」
「そうかもしれない」
普段と変わらないいつもの仏頂面のおばあちゃん。
「親には何か言ったのかい?」
「なにも」
「…………そうかい。そりゃ今から死にますなんて伝えるわけないさね」
それからおばあちゃんはひとつため息をこぼし、重く口を開いた。
「まあ、アンタがそれでいいって言うならいいんだろうね。あたしゃぁ否定しないよ。肯定もしないがね」
そう言って悲しげな笑みを浮かべた。おばあちゃんのこんな顔を見たのは初めてだ。
………………杏おばあちゃんが私のお母さんだったらよかったのに。
そんなことが一瞬、脳裏によぎってしまった。どうしようもない願いだ。
「ありがとうおばあちゃん。でも、そのために必要なものが揃ってなくて――――」
「――それならあるぜェ!!」
私の言葉を遮ってシラヌラ君が意気揚々と声を上げた。同時に両手にそれぞれ持った小さい麻袋2つを差し出した。
「――? これは?」
「舟旅の稲穂だァ!! 右のはリクマの分で、左は………………春野ォ! お前の分だ!!」
「――ッ!? 私の!?」
とびきりの笑顔で頷くシラヌラ君。さらにコマルちゃんも、
「私からもプレゼントです! どーぞです!!」
コマルちゃんの両手にもそれぞれ、紫のひもで繋がれた小振りの鈴が握られていた。
「これ、氷眠鈴?…………私の?」
「そうですよ!」
「なんで…………なんで2人が…………」
困惑した私にユウが答えた。
「俺が3人にお願いして、みんなで協力してもう一人分の鈴と稲穂を集めたんだ」
「結構大変だったんだぜェ」
「リクマさんが、なんとなくこうなる予感がするって言って、それで集めたんです」
「あたしも協力したんだ。この老体を労ってほしいさね」
みんな、私のために頑張ってくれたんだ。これらの消滅に必要なものを一人分集めるだけでもかなり大変で時間のかかる作業というのは以前ユウから聞いた。実際に数か月も時間をかけていたし。何せ、そこら辺に落ちているような代物ではないから。
「そうだったんだ………………ありがとうみんな…………本当に、ありがとう……」
自分のためにここまでしてくれる人、幽霊は今までいなかった。私は嬉しくて、感極まって目から溢れそうになる雫を必死に堪える。声も裏返りそうになってしまう。
3人はそんな私を温かい微笑みで見守ってくれる。
「アンタ、泣いてる場合じゃあないよ。残りのひとつの許蛇の短刀は夕蛇様の許しを得ないと手に入らないからね」
「うん、頑張る…………」
目の端の涙を指先で拭って答えた。それからシラヌラ君とコマルちゃんから稲穂と鈴を受け取った。
「春野さん、リクマさん。私は死んで幽霊になっちゃったけど、それでも2人が、みんながいたから楽しかったです! 今までありがとうございました!!」
「オレも、最後まで退屈しなかったぜェ」
瞳を潤ませて感情を吐露するコマルちゃんと、今までにないくらい穏やかに目を細めて笑うシラヌラ君。
「ねぇ、コマルちゃん、シラヌラ君。2人は今から消滅するのって、怖いって思わない?」
「んー……全然? 考えたこともなかったなァ」
「むしろ、私はなんか満たされた気持ちで心地いいです!」
本心から生じる笑顔のコマルちゃんに私は胸を打たれた。そして、その気持ちは私も同じだった。
「私も。今から死ぬっていうのに、満たされていて、穏やかな気分だよ。今までの人生のどんな時よりも」
「そうですか………………なら、よかったです!」
コマルちゃんは最後に納得した様子で頷いた。この世に未練も心残りも何もない澄みきった表情で。
「春野、あたしからはアンタにひとつ助言をしとくよ。夕蛇様との交渉の件さ。夕蛇様は人の理を超えた神みたいな存在だけど、それでいて理屈よりもどちらかと言ったら感情を優先させるタイプだ。だから感情で訴えてみるといい。アンタの思いをな。まあ、アンタには苦手かもしれない…………いや、今のアンタならそうでもないかもねぇ」
「うん、わかった。アドバイスありがとう。頑張ってみる」
杏おばあちゃんはまた、実のおばあちゃんみたいな、憂いを帯びた優しい笑みになった。まるで自分の娘の顔でも眺めてるみたい。
「そうかい、せいぜい頑張るこったね………………それじゃあ、あたしらはそろそろ先に行くよ。渡すモンも渡したしね。春野、リクマ、後は自分らでなんとかするんだよ。アンタらの問題だからね」
「お別れですね。さようならです…………夕蛇様の説得、頑張ってくださいね!」
「じゃあなァ。リクマ、春野」
3人は振り返って背中を向けた。揃って一歩を踏み出し、トンネルの暗闇へと歩いていく――――――もう、二度と会うことはない。
最後は呆気なく、静かに去っていく3人。その背中に向かって、ユウが最後の言葉を送った。
「ああ、みんなありがとう。頑張るよ………………サヨナラ」
3人は多分、あえて振り返らず、何も答えなかった。そのままトンネルの中へ姿を消してしまった。
名残惜しさすら残さず消えていった。
沈黙の中に取り残された私とユウ。ユウが口を開く。
「俺たちも行こうか」
「うん」
私はユウのなるべく近くに寄り添って、2人で先の見えない暗闇へと歩を進めた。




