23. ちょうどいい鬱陶しさ
蕪山での事故の死亡者が俺だと知って、タケトがこの世に実在しないと知って、忘れていたことをすべて思い出した。思い出したのは、忘れていたのは人生の記憶のほとんどすべてだ。
思い返せばマナと出会ったこの数か月は異様だった。自宅に帰った記憶もなければ、今までの人生のことも何一つ覚えていなかった。
ずっと離れ離れになっていた記憶を、俺は初めから辿ることにした。本当にすべて思い出したか、辻褄が合っているかを確かめるために。
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俺が生まれ育った町はこの巳函沢市だ。何度か行った家族旅行以外では地元を離れたことがない。
家は特段貧乏なわけではなく、むしろどちらかと言うと裕福な家庭だった。母さん、父さん、弟と俺の4人家族で一軒家に住む。母さんは俺が生まれてからすぐに退職して専業主婦となり、父さんの稼ぎのみが生活源。それでも贅沢は出来ないが不自由もない程度で暮らしていた。
幼稚園から小学校へ入学する。
小学生の俺は忘れ物が多く、ミスや失敗が多く、時間を守った行動が苦手で、授業や勉強に集中できない子供だった。特にミスは異常に多かった。宿題を忘れたり、遅刻が多かったり。と言っても他の同級生も似たような感じで当時はあまり気にしていなかったが、今思えばこの頃から俺は少しおかしかったのかもしれない。
「ユウみろよ! またカエルいっぱいころしちゃった!!」
俺の名を呼び、目を細めた満面の笑みで告げる少年。
小学2年生になって猛人と出会った。
春のクラス替えで同じクラスになったタケト。タケトは少し変な奴だった。わがままで自己中心的。常に自分のことをよく見せようとして自分のことばかり話すナルシスト。会話が成立しないことも多いし、些細なことで感情的になって泣いたり怒ったりする。相手の気持ちを考えない。そのくせ他人にやたら積極的に関わろうとする。
そんなだから周りの同級生はみんなタケトのことを嫌って避けていた。でも俺は、俺だけはタケトと普通に接した。誰にでも優しく、みんなに平等で同じ態度で関わるべきだと信じていたから、タケトにも平等に接した。
結局俺はタケトとばかり付き合うようになった。みんながタケトを避けるから、タケトは俺のところにしか来ない。集団から疎外され、友情に飢えた嫌われ者だ。
同級生の親の間でもタケトの悪い噂が流れていた。素行が悪いとか、家庭環境が良くないとか。タケトと関わっていることが親にバレると母さんは感情的になって俺を怒鳴ったりもした。
俺もタケトのことはあまり好きではなかったが、タケトの方から絡んでくることが多いこともあって、必然的に一緒に居ることが多かった。
そんな微妙な小学校生活が終わり、中学生になる。
この頃くらいからネット上で「発達障害」に関する知識が広まった。同時に俺の学校生活でのミスの多さや時間管理の出来なさ、集中力の無さが目立つようになる。定期テストでは些細なミスで失点を増やす。通学中に別のことが気になって寄り道をして遅刻する。授業に集中できずノートが取れない。
ある時から、発達障害について知った母さんは俺にADHD(注意欠如・多動性障害)の可能性があると言い出し、休みの日になると山奥の田舎にある精神科に診察で連れていかれるようになった。だが、幾度問診を受けても障害があると診断されることはなかった。母さんはTMS治療とかいうものを受けるさせるように懇願していたが、精神科医の許可は下りない。
母さんはこの頃からヒステリックになって俺を罵倒することが増えた。父さんはそのことであまり口出ししてくることはなかった。
部活は一年の最初だけサッカー部だったが、結局すぐに退部してしまった。
タケトとの関係は中学になっても変わらない。いや、友達から、一番仲のいい親友になっていた。でも、タケトがクラス内で浮いた存在なのは相変わらずで、友達も俺以外いない。自己中心的で自分の自慢話ばかり、それでいて人懐っこいところも変わらずだ。
タケトは同級生から白い目で見られていて、一緒に居る俺もそれに引っ張られるように敬遠されつつあった。表面上はみんな明るく普通に接してくるが、どこか俺を避けて近づきたがらない空気を肌で感じる。
けれど、それでもよかった。親友を疎ましく思う反面、情もあった。まともな人と関わる時は素の自分を隠して相手に気を使うせいで疲れるが、タケトみたいな変な奴の前では気を使わなくていいから楽というのもある。それに、嫌な言い方にはなってしまうが世の中の人間は、大多数の人間は人並みの人には優しくするが、タケトみたいな人並み未満の人に優しくする人間は一人もいないと気づいてから、無理に大多数のまともな人間と関わろうとする必要はないと思うようになった。
ある日、中学2年生の冬。平日に精神病院に行くことになり、母さんに送ってもらえずに一人で行くことになった。この時には母さんはパートで事務職に就いていて平日は家にいない。
俺は学校を欠席して、バスで病院を目指す。自分一人でバスに乗って遠くに行くのは初めてだったから少し緊張した。
空気の澄んだ早朝、最寄りのバス停でベンチに腰掛けて待っていると、声をかけられた。
「ユウ! 眠そーだな!」
振り返ると制服姿のタケトがいた。顔には打撲痕や大きな絆創膏が貼ってある。
「タケト、お前学校は?」
この時間だともう朝礼が始まる時間だ。今から急いでも確実に遅刻。
「あ? サボったけど」
平然と言ってのけるタケト。
「お前普段からサボりがちだしな。で、俺に何か用?」
「ユウが病院行くって言うからついて行こうと思ってな。暇だし」
悪意のまったくない純粋な笑顔のタケト。
「暇って、学校行けよ……」
ほんと、よく絡んでくるな………………あんまり、病院とかは一緒に行きたくないんだけど。
「まあ、どっちでもいいけど」
俺はタケトの同行を許した。バスが来て、乗車する。座席に座るとバスは動き出し、山奥を目指して出発した。
車内ではタケトの一方的なお喋りを聞いた。ユーチューバーがどうとか、趣味のエアガンがどうとか、それに加えて自慢ばっかで俺にはあまり興味のない話を長々と聞き、てきとうに相槌を打った。
バスが山道に入ると道の両脇に積もる雪の量が増した。木々や地面にも厚く積もって、一面白銀の世界だ。
やがてバスが病院近くのバス停で止まった。山の中にぽつんとあるバス停で、膝の高さくらい積もった雪に辺りは埋まっている。雪かきが行き届いていない。
俺とタケトが降りると雪に脚が埋まった。そんなことは気にも留めずにバスは自動ドアを閉め、走り去っていく。
俺たちは雪に埋まってびしょ濡れになった両脚で積もった雪から這い出て、雪のない車道に出た。そこから少し歩き、歩道まで雪かきがされた道に出る。道の右手には、山奥にしてはそこそこ広い川が流れている。そして左の方には、俺の目的地の巨大な精神病院が見えた。山奥のその施設は、まるで普通の人間の日常生活の営みから隔絶された空間だ。
「あー、さみぃ。厚着してくればよかった」
「朝だから余計にな」
隣を歩くタケトが肩を震わす。俺は厚手で裏地がもこもこのロングコートという重装備で来たからそれほど寒くないが、タケトは違う。思い付きで突発的に来たのだろう。
タケトはがくがくと顎を震わせて、白い息を吐く。顔は、傷だらけだ。
俺は答えがわかりきっていることを聞いた。
「その顔、また親に殴られたのか」
「ん、ぁあ、そうだよ」
顔に貼った絆創膏をぽりぽりと掻いた。
あっという間に病院はもう目の前だ。この坂を上れば病院の受付がある。
正直、気が重い。だって、どうせ発達障害とか精神疾患の診断なんてされないとなんとなくわかっているから。いっそ、もう診断されてしまえば楽になれそうなんだけど。
まったく、何でこんな寒い真冬の朝からこんなところに来なければいけないんだろう。母さんの言うとおり、俺は、俺の頭は異常なんだろうか。
いろいろ考えてさらに憂鬱な気分になると、隣のタケトが口を開いた。
「ユウ、やっとついたな!」
無邪気に笑う。
なんでこいつはここまでついてきたんだ。遠慮というものを知らないし、しつこい奴。
…………………………でも、俺には、人付き合いに消極的な俺には、これくらいしつこくて遠慮のない奴がちょうどいいのかもしれない。
憂鬱な気分が少しだけ晴れたような気がした。




