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19. あなたを感じられたから

 人魂を追って森の中を進む。山の麓の方に向かって獣道を進み、広い山道に出る。そして麓の集落まで辿り着いたところで、2人を見つけた。コマルとシラヌラだ。


 2人は山の入り口に立つ慰霊碑の裏に身を潜めていた。まるで何かに怯えて隠れる小動物みたいに。


「コマルッ! シラヌラッ! 無事だったか!?」

「――ッ!? しっ!! 声が大きいですリクマさんッ…………」


 慌てて俺を制するコマル。


 近づくと慰霊碑に背中を預けているシラヌラが腕を抑えていることがわかった。よく見ると腕を負傷している。杏ばあさんが脚に負っていたものと似た裂傷が走っていた。


「その傷、化け物にやられたのか」

「大したこたぁねぇよ。かすり傷だ」

「リョウが私を庇った時に怪我したんです……」


 強がってみせるシラヌラだが表情は苦痛に歪む。コマルは申し訳なさそうにシラヌラを見た。


「何とか逃げ切れたから問題ねぇ」

「化け物はどこ?」


 人魂を手にしたマナが尋ねた。コマルが答える。


「集落の方に走っていきました」


 化け物を倒すにしてもこの様子ではシラヌラはまともに動けなさそうだし、コマルも戦いには参加させられない。


「シラヌラ、コマル。俺たちが元の世界に帰る方法を見つけた。でもそのためにはあの化け物を倒さないといけない。杏ばあさんもシラヌラと同じようにアイツに襲われて怪我したんだ」

「――ッ! おばあちゃんこの世界にいるんですか!?」


 驚いたコマルの表情に希望が宿った。


「ああ、怪我して斜面の下から上がれなくなってる。でもあの化け物を倒したら傷も治るから、そうしたらコマルとシラヌラには斜面から杏ばあさんを引き上げてほしいんだ。自力で上がれるって言ってたけど多分虚勢を張ってそう言っただけだから。杏ばあさんは山道を辿って分かれ道を細い方に進んだ先に、道を遮る向きに木の枝が置いてあるところの道端にいるから、俺とマナが化け物を倒すまでそこで待っててくれ」

「わかったぜェ。でも、あんなバケモン2人で倒せんのかよ?」

「やるしかねぇよ。日の出までに5人でトンネルまで戻らないとこの世界から出られないんだ。杏ばあさんを引き上げたらすぐにトンネルに向かってくれ。時間もないから俺たちはもう行くぞ」


 シラヌラは負傷していない方の手で握り拳を作って掲げた。


「死ぬんじゃァねぇぞ」

「当たり前だ…………それじゃあまた後でな」


 シラヌラとコマルに別れを告げて、俺とマナは集落の方に足を進めた。暗い中、月明かりと人魂の白い光だけが頼りだ。



 しばらく集落を進むと、


「あ、いた」


 マナが指差す先、瓦屋根の平屋の上に蜘蛛の化け物がいた。巨体で、後ろに長い尻尾が垂れている。小石の上で丸くなる猫のように、その巨体を休ませている。


 化け物の体に宿った一点の赤い光が、俺たちの方を向いた。それから音もなく、垂直の壁を這うみたいに屋根から降りると、こっちに突進してきた。


「――逃げるぞマナッ!!」


 俺は蕪山から遠ざかる方向に走り出した。マナも後ろに続く。


 振り返ると追ってくる化け物も追ってくる。


 が、幸いにも足が遅く、しばらくは追いつかれそうな気がしない。感覚としてトラックに低速で追われている程度で、威圧感は迫るが逃げられない速さではない。


 とりあえず俺は道端に落ちていた石ころを拾って化け物に投げつけた。


 当然、化け物の体に軽く弾かれて終わった。暗闇の中の赤い点が俺たちを一心に見つめ、黒い化け物の巨体が闇に紛れている。改めて見るとやはり気味が悪い。足音がしない辺りも本当に蜘蛛のようで。


 走っていると集落を抜け、ガードレールの連なる峠道になる。


「ユウ! あれ!」


 走りながらマナが声を上げる。歩道から分岐した狭い分かれ道に、「この先、流々尾吊り橋」と書かれた立て札が地面に刺してある。


 …………吊り橋か


「マナ、あっちに行こう」


 俺たちは分かれ道の狭い方に進んだ。後を追ってくる化け物の巨体は道端の草木をなぎ倒しながら俺たちに執念を向けて走ってくる。騒々しい音を荒らげて、その音が化け物の膂力(りょりょく)を証明する。


 あの巨体にはこの道は狭すぎる。木々に行く手を阻まれて進むのに手間取っている。


 森を抜け、吊り橋に着いた。屈強なロープと木の板だけでできた吊り橋。幅は広めに作られているが、あまり頑丈そうには見えない。両端は垂直の険しい崖。その下は深く暗い峡谷(きょうこく)が広がっている。暗くて見えないが、遠くの方から濁流の荒々しい音が聞こえてくる。この遥か下方は川が流れているのだろう。山の中の川だから浅くて流れの速い川が。落ちたらまず助からない。俺も――――あの化け物も。


 後ろからは化け物が迫る。木々が邪魔をして俺たちとの間には結構差が開いていた。


「行こう、行くしかない」


 俺が先に吊り橋に足を掛けた。マナは一瞬険しい顔をしたが、黙ってついて来る。


 軋む吊り橋。俺たちが駆け足で進んだくらいでは、まだ橋として機能する。でも、あの化け物の巨体が渡ろうとしたら…………


 吊り橋をなるべく揺らさないように早足で進み、渡り切った。振り返り、マナもちょうど渡り切ったところで、化け物が吊り橋に足を掛けた。


 化け物は器用にロープの上に足を置いて進む。絶妙なバランス感覚。化け物がこっちに迫るほど、吊り橋が上げるギシギシと軋む音が激しくなる――――そして、巨体が吊り橋の中央地点に差し掛かると


 ――ブチッ


 ロープが切れた。化け物は一瞬だけ風船のように宙を浮く。吊り橋は真っ二つに分断され、張っていたロープから解放された反動で勢いよく崖際に叩きつけられた。


 化け物の巨体はすぐに、重力によって音もなく谷底に吸い込まれる。直後、地面に物体が叩きつけられる音と、それに混じって水面を叩く音が響いた。


 辺りが静寂に包まれる。


「や、やったか?」


 俺は恐る恐る谷底を覗いた。切れた吊り橋が崖に沿って下に垂れている。その、垂れた吊り橋の奥、赤い点が光った。


 ――――黒い巨体が崖下から姿を現す。無数の手足で岩肌を掴んで這い上がってきた。赤い点が今も執念深く俺たちを睨んでいる。


 落下死するには十分な高さだった。あの巨体からして体重が重いから落とせば殺せると思った。だがそうではなく、奴は巨体の見た目に反して体は軽いんだ。今思えば家屋の屋根から降りる時も俺たちを追って走ってくるときも足音がせず、屋根の上に乗っても家屋が潰れていなかったことから推察できる。谷底から響いた音もあの巨大な体が地面にぶつかる程の衝撃ではなかった。


「――に、逃げるぞマナッ!」


 あの速度ならすぐに這い上がってくる。俺たちは先に伸びる道に走った。


 体が大きければ体重も重いという思い込みが軽率だった。でも、この気づきは奴を倒すヒントになり得る。体重が軽いということはその分だけ皮膚の装甲が薄くて攻撃が通りやすいということが予想できる。それに加えて体重が軽いと攻撃に重さが乗らないから、多少無茶して奴の攻撃を食らっても平気かもしれない。襲われた杏ばあさんもシラヌラもせいぜい裂傷を負わされた程度で、無残に殺されたわけではない。そう考えるとこの化け物はそれほど強くないかもしれないと、傲慢だがそう思えて希望が湧いてくる。


 またすぐに分かれ道に出る。一方は広い駐車場に続いていて、もう一方は狭い歩道だ。俺たちは狭い歩道を選んだ。


 道はコンクリートや石段で舗装されていて、周りは綺麗に整えられた日本庭園のように装飾されている。石造りの灯篭や苔がびっしり生えた岩がそれらしさを演出している。もし灯籠に明かりが灯っていたら穏やかで情緒のある空間だったかもしれないが、逼迫(ひっぱく)した今はそんな風情を楽しむ状況ではない。


「マナ! まだ走れるか!?」

「うん……」


 わずかに上り勾配になった道を駆け抜ける。その先には『月魅庵』と看板が掲げられた建物に辿り着いた。森林と谷あいに囲われて涼しい空気に包まれた和風建築の建物。ここは山奥の温泉旅館だろうか。人の気配も近頃使われた形跡もない、廃旅館だ。


 ――ガラッ


 正面入り口の引き戸を開け放って中に駆け込んだ。中はこじんまりとした個人経営の旅館の玄関らしく、装飾も質素で狭い。目の前の壁には多分模造品の、鞘に収まった日本刀が掛けてあった。


 俺とマナはほとんど同時に、その日本刀に手を伸ばした。気づいて、互いに目が合う。同じことを思いついたようだ。


 化け物の足音が日本庭園を踏み荒らしながら近づいてくるのが聞こえる。あの化け物はどうも光を追ってきているようだ。マナが今も握っている、煌々と白い光を放つ人魂を頼りに。


「マナ、ここで決めよう。あの化け物は人魂の光を捉えて追ってきてるみたいだから、ここに人魂を置いて、玄関を少しだけ開けて光を漏らした状態で待ち構える。で、アイツが来た瞬間に突き刺す。いいな?」

「……? ………………?」


 理解していないようだ。動きがフリーズして、目だけパチパチしている。今も迫る化け物の足音に動揺し、怯えている。もう時間がない。でも、


「大丈夫だ。俺と同じことをすればいい。化け物が来たらぶっ刺す」


 俺は引き戸を閉め、マナの握った人魂を取り上げて床に置き、壁の刀を手に取った。刀を抜くと刀身が白い光を反射する。鞘を捨てた。


 地面を踏み荒らす奴の足音が聞こえず無音になった。庭園を抜けたのだろう。


 俺はゆっくりその場に(かが)んで、刀の柄を握った。


「マナ、しゃがんで、一緒に握って」


 指示すると彼女はそれ通りに動いた。マナが俺の手をすり抜けて刀の柄を持つ。その瞬間、刀が軽くなった。マナが刀の重さの半分を担ったからだ。


 この瞬間、俺は初めて幽霊である彼女がこの世界に確かに存在していると実感できた気がした。触れ合うこともできない彼女の体が、今、確かに俺の隣にある。


 こんな状況なのに、高揚感に胸が高鳴ってしまう。


 ――カタカタカタカタ


 静寂の中、化け物の微かな足音が聞こえてきて、次第に大きくなっていく。そして――――


 化け物が引き戸を突破した。突き破られ、室内に弾き飛ぶ引き戸。同時に俺たちは引き戸の奥に刀を突き出す――――なにかに刺さる感覚があった。見てる余裕すらない。深く、根元まで突き刺さる。


「――ギャアァァアアァアァアアアアッ!!!!」


 化け物が耳をつんざく甲高い悲鳴を上げた。複数の人間の叫びが共鳴したような悲鳴。人の姿から遠くかけ離れたこの化け物から発されるにはあまりに不自然で気味が悪い。


 薄気味悪い悲鳴に全身の肌がピリピリと震えた。刺さった刀越しに化け物の体が激しく痙攣するのを感じる。


 外れた引き戸が床に倒れる。人魂の白い光に照らされて化け物全体が露わになった。刀はちょうど、化け物の赤い点があったところに刺さっている。


 悲鳴が消え、化け物は力なく、音もなく地面に崩れた。赤い点が役目を終えて静かに消失する。体をよく見ると、化け物の表面は真っ黒の糸が絡まった塊のような見た目をしていた。この糸はおそらく…………人間の髪の毛だ。艶感や長さからそんな気がしてしまう。


 またも見つけてしまった気味の悪い事実から目を背けたくてマナに意識を向けた。


「や、やったな、マナ」

「うん」


 動揺していたマナはかなり落ち着きを取り戻していた。なぜか顔色も良くなっている。さっきまで怯えていて、化け物を倒した直後だというのに。


 それは、その理由は、ただの俺の願望かもしれないが、単に化け物を倒せたからという理由だけではないような気がした。


 化け物の残骸には目もくれずに空を見上げるマナ。


「ねぇ、ユウ。もう時間がない」


 俺も空を見上げると、真っ暗だった夜空が徐々に青みを帯び始めていた。


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