17. 供物と延命
背後で気配がして振り返ると、一つ目の大男が真後ろに立っていた。頭数個分上から俺を見下ろした大男。頭には一本だけ角が生えている。
俺が慌てて飛び退くと、大男は全く意に介さずに一歩前に進んだ。皿と包みを乗せた台の前で止まる。マナの真横で立ち止まった大男。マナは相手を刺激しないようゆっくりと距離をとった。
大男は太い指で包みを手に取ると、縛っていた紐を器用に摘んで解く。包みが大きい掌の上で開いて中身が露わになった。
…………包みの中から出てきたのは人間の指だった。
3本の指。どの指も小さく、おそらく子供のものだ。切断面からの出血は全く無いし、包みも赤に汚れていない。多分あらかじめ血抜きがなされている。青白く生気を失った指の色がその可能性を裏付ける。
何故子供の指が。俺は怖くなって考えるのをやめた。多分俺の顔もこの指みたいに青白くなっている。
大男は開いた包みを台に戻し、今度はその台を掴んで持ち上げた。
大柄の体格には似つかない慎ましくて謙虚な所作で白い蛇のような女、夕蛇の前に進む。大男は夕蛇の前で恭しく片膝をつくと、手に持った台をゆっくり下ろした。
夕蛇は台に乗った人の指と、それから皿に盛られた黒い髪と爪をじろりと眺めた。目を細めて、瞳だけ動かして目の前を見下ろす。高貴な者の紅潮の眼差し。そして、腕を動かした。
手を青白い指の方へゆっくりと持っていき、軽く摘まんだ。持ち上げる。そして皿の上に移動して落とした。盛られた黒い髪が指の重さでわずかに沈む。
3本すべての指を皿の上に移した。まるで汚いものを触るみたいに指先で摘まんで。
「では、始めようかのう」
夕蛇は皿から目を離し、俺たちを取り囲む幽霊や妖怪を見渡した。そして、
「其方だ。こっちに来い」
夕蛇に声をかけられた白い服の霊が前に進み出る。男の霊で、他の霊と比べて色素が薄いというか、全身が半透明で透けている。
指名された霊が先程の大男と同じように夕蛇の前で片膝をつき、両膝をついて正座になった。夕蛇が霊の額に手をかざす。すると、皿の上の髪から白い煙のようなものが漂い始めた。夕蛇は何かに集中しているようで、両目を閉じている。
徐々に、半透明だった霊の体が実体を帯び始めた。男の霊はじっとしているが、わずかに体が震えているようにも見えた。
程なくして半透明だった霊の体は他の霊と同様に実態を取り戻した。夕蛇が手を下ろす。
「これでよい。これで其方はまだ生きられる」
夕蛇が告げると男の霊はゆっくり立ち上がり、すぐに元居た場所に引き返した。
「い、今のは…………」
「霊の延命じゃ。幽霊とて、生気を補わねば消えてしまうからのう」
俺の困惑の呟きに答えた夕蛇。
延命と言ったが男の霊の顔は全く嬉しそうなものではなく、むしろ何か思い詰めているようにも見えた。元から暗い顔つきだったからそう見えただけかもしれないが。
「あ、あの……あなたは何者なんですか? …………えっと、夕蛇様?」
霊の延命とか、よくわからないが只者ではない。
「我はここに住まう者じゃ。人間の髪と爪と蜘蛛の巣から生まれ、人に崇拝されて力を得た。力とは、あらゆる『時』に関与する力じゃ」
楽し気に笑みを浮かべて話す夕蛇。彼女にその気はないはずだが、赤い唇と黒い歯がこちらを嘲笑しているようにも見える。
「時に関与?」
「例えば、意識の寿命を延ばす。まさに今行った霊の延命じゃ。――生きた人間の寿命を延ばし、死して生まれた幽霊の寿命を延ばし、死した人間の魂のみを繋ぎとめて幽霊にし、意識の寿命を延ばす。それが我の力の一つじゃ」
「………………」
難しくてよくわからなかった。おそらく生きてる人間の寿命も、幽霊の寿命も、死んだ人間の寿命も伸ばせる、ということだろう。
夕蛇は近くにいた側近のおかっぱ頭の少女を片手間に撫でながら説明を続ける。
「延命は我の使命でもある。人間はどんな姿であれど、この世に生を受け、意思を持ち、存在し続けていることに価値がある。生きていることは素晴らしい。特に夢を追う人間の姿は。――我はこの地に生まれてからずっと人間の生き様を見てきたから……………………あぁ、悪いのう。少しばかり喋り過ぎてしまった。人間の来客は久しぶりだったのじゃ」
目を細める夕蛇。話を聞く限りでは悪い存在ではなさそうだ。それに、話も通じそう。状況を話せば助けてくれるかもしれない。
「あのー、夕蛇様。俺たち、山奥のトンネルからこの世界に迷い込んでしまったみたいなんです。俺とマナ以外にあと3人います。黒い影の集団にトンネルまで追いやられて」
「ほう……黒い影は清き霊や生者から魂を奪う存在じゃ。あれは現世に強い恨みや憎しみ、執念を残して亡くなった者の怨霊の類い。其方らの中に影を引き寄せやすい素因を持つ者がいたのじゃろう」
影を引き寄せやすい者。俺は何となくコマルを想像した。彼女以外にも素因を持つ人はいるかもしれないが。
「この世界は何なんですか? 明らかに普通じゃない。さっきは蜘蛛みたいな化け物にシラヌラが、友達が襲われたし……」
「ここは、簡単に言えば現世と幽世の間の世界。難しく、厳密に言えば31日を過ぎた世界。其方の言う化け物は我も手を焼いている妖じゃ。まあ、手の付けられないものはここにもいるがのう」
夕蛇は人を揶揄うような笑みになる。
「元の世界に、現世に帰りたいんですけど。またあのトンネルに入れば帰れますか?」
「トンネルに入っても黒い影に飲まれて終わりじゃ。あの中は奴らの住処じゃからのう。其方らが現世に帰る手段はここにはない。まあ、帰れなくてもよいじゃろう。ここで餓死した人間は我が霊にして延命させてやる」
口角を吊り上げる夕蛇。
「えぇ…………なんかないんですか? 帰る方法」
「そうじゃのう………………ならばこうしよう」
夕蛇が腕を上げる。袖が捲れ、薄手の白い手袋をした両手が現れる。手袋を外し、その下の皮膚が露わになった。皮が剥がれていてボロボロだ。
その両手の平を胸の前で合わせる。すると、本堂手前にある蛇の姿をした2体の隻腕の像から、新たに白い腕が生え始めた。月明かりに照らされて陶器の如く綺麗な真っ白の腕だ。2体の白い腕はしなやかに伸び、中央の通路を遮る形で夕蛇と同じように両手の平を合わせる。
夕蛇の傍にいた白いおかっぱ頭の側近少女2人も体を寄せて抱き合う。夕蛇の手と、石像から伸びた手に白い光が満ちる。
夕蛇が言葉を紡ぐ。
「――こうしよう。其方らは日の出までに他の3人と合流し、奥のトンネルに入れば現世に帰れる。出来なければ二度と帰れない」
声の音量を一段階上げて『宣言』する夕蛇。短くも鮮明に脳裏に焼き付くそれが終わると、夕蛇の手に宿った白い輝きは衰え、蛇の像の腕も消滅した。
「こ、こうしようって……そんなんでいいんですか?」
「当然。ここは我の世界じゃ。誓えばそれ通りになる」
日の出までにシラヌラ、コマル、杏ばあさんを見つけてトンネルを潜れば帰れる。この人が誓えば何でも叶うと。帰る手段を与えてくれるのはありがたい。でも、
「でもそれならもっと簡単に、すぐにでも帰れるって誓ってくれれば――――」
「――さあ行け! 少年少女!! 日の出までそれほど時間は残ってないぞ!!」
夕蛇の鼓舞が俺の発言を封じた。その声に巻かれるように俺とマナは振り返った。
振り返ると、周囲を取り囲んでいた霊や妖の類いは綺麗さっぱり消えていた。そしてもう一度振り返って本堂を見ると、さっきまで開いていた障子が音もなく閉じていて夕蛇の姿はなかった。
まるでそこには端から誰もいなかったみたいに。