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15. お前のせい、俺のせい

 俺は不安と怒りでぐちゃぐちゃになってとにかく走った。閑散とした集落を通り抜けて、気づけば周囲を草原に囲われた峠道を走っていた。コンクリートの地面に足音だけが響く。太陽はいつの間にか沈んでしまい、辺りは薄暗い。


 やがて、草原の中に佇んでいる少女を見つけた。夜空に浮かぶ月を見上げている。


「春野」


 呼びかけると、彼女は振り返った。ここからでは暗くて表情が見えない。


 俺も草原の中に足を踏み入れる。月明かりに照らされた彼女の無表情が見える位置まで近づいたところで俺は言葉を紡いだ。


「春野、なんでお前は、一人で先に行っちゃうんだ。お前が自分勝手に動いたせいで、俺たちみんなはぐれちゃったんだぞ」

「……………………」


 春野は何も言わずに俯いたままだ。


「ていうか最近、春野、俺のことを避けてるよな? なんでだよ。それに、蕪山に行こうって言い出した理由も、俺にはよくわからない」

「……………………私は……」


 小さく、捻り出すように声を漏らした。


「私は、あなたが明るいのが嫌いなの」

「――ッ!? は?」


 か細い声ではあったが、意を決してはっきりとそう言った。春野の両眼が俺を、まるで睨みつけるみたいにはっきりと見つめる。


 明るい。それは性格のことを言っているのか?


「あなたは、明るくて元気で、優しい性格を取り繕って接してきていることに気づいて、それが許せない。本当はそんな中身じゃないくせに………………気持ち悪い」

「……………………」


 今度は俺が何も言えなくなった。


 ――――たしかに春野の言うとおりだった。俺は、無理に元気で明るい自分を演じていると自覚することがたまにある。それに、思い返せば人と関わる時はいつも演じているようにさえ思える。本当の俺はもっと、憂鬱な人間なんだ……………………それにしても気持ち悪いは言い過ぎだ。


「私は、いつかあなたに嫌われて、その優しさとか明るさを向けられなくなる日が来るような気がして…………それが怖いの。だから自分から逃げた。あなたが私を否定する前に」


 いつになくよく喋る春野。冷静な口調と態度のように見えるがそれは見せかけで、自分の想いが、感情が彼女の中で溢れかえってしまっているみたいだ。


 ――なんで、何で気づいてるんだよ。俺の本性。でも…………


「でも…………それでも、周りの人のことも考えてくれよ。俺たちを置いて行かないでくれ」

「………………ごめんなさい。私の幼稚な感情で振り回してしまって」


 今度はしゅんとして素直に謝る春野。あまりにも素直に謝るから俺も居た堪れなくなって、


「あー、俺も、ごめん…………自分を取り繕ったりして」


 俺も謝った。


「でも、絶対に春野のこと嫌いになんてならないから。だから、みんなのところに戻ろう?」

「………………うん」


 俯いていた春野が顔を上げて頷いた。緊張の糸が解けて(ほころ)んだその表情は微かな憂いと温もりを内包していて、とても儚く思えた。




 それから仲直りした俺たちは進んで来た道を引き返した。シラヌラたちを思えば急いで帰るべきだが、ゆっくりと歩いて帰る。お互いに、言葉にせずともその気持ちを共有していた。


 夜は更け、辺りはすっかり真っ暗だ。


 得体の知れない化け物がいたことも春野に伝え、周囲を警戒しながら歩む。シラヌラが化け物に襲われたがシラヌラなら大丈夫だろうと言うと、春野は楽しそうに笑った。久しぶりに春野と本音で会話をしたような気がした。


 片方はガードレールに守られた断崖、反対側は(まば)らに草が生えて枯草も生えた草原。そんな道をしばらく進んでいると、崖の向こうに点々と明かりがともった大きい建物が見えた。規則的に並ぶ黄色い光は建物の窓から漏れる部屋の明かりだった。高さは6階ほどで横に長い建物。病院かホテルかもしれない。


 道は分岐し、狭い方の道は少し下った後、あの建物方面にまっすぐ伸びているようだった。


「リクマ君。あそこ行ってみない?」


 月明かりに照らされた春野の白い顔が尋ねる。でも、俺は、


「ごめん春野。あそこはやめておこう。嫌な感じがする」


 自分でも理由はわからない。でも、あの建物を見るだけで体の震えが止まらない。俺の本能が、全身を使って拒絶する。


「そう、わかった。やめとこう」


 俺の反応を感じ取ってくれたのか、春野はあっさりと了承してくれた。


 俺たちは足を止めずに来た道を引き返す。だが、あの建物を見てから全身の血が抜けるような脱力感が増してきて、歩いているだけでも少し辛くなってきた。


 やがて蕪山の麓の集落手前まで戻ってきた。林道へと続く脇道の傍にはボロい廃屋のような山小屋がある。扉は外れて近くに倒れており、壁には木の板で継ぎ()ぎした跡があるが穴を塞ぎきれていない。人が生活するには不十分な広さの、ただの倉庫のようだ。


 春野が俺を気遣ったのか、声をかけてきた。


「ちょっとここで休憩する?」


 春野は調子が悪い俺に気づいたようだが、それでも目の色を変えることはない。


「ああ、そうしよっか」


 扉のないフレームだけの入り口を通って中に入る。中は薄暗く、崩れた天井から射す月の光が仄かに照らしていた。俺たちは横長の木のベンチに腰を下ろし、壁に背中を預けた。


 ドアフレームの上に時計が掛けられている。もうすぐで午前2時になる。さっき日が暮れたばかりなはずなのに、異様に時の進みが早い気がする。それもこの時計が正確な時刻を表しているならの話だが。


 この時間になると夏のような蒸し暑さはかなり衰えていた。


 時計から目を離して隣にいる春野を見た。


「なあ春野。さっき春野は、俺が優しい性格を取り繕ってるのが許せないって言ったけど、その優しさが向けられなくなるのが怖いとも言ったよな。それって矛盾してないか?」


 優しさを取り繕うのを止めれば、今までの優しさは向けられないことになる。


 尋ねると春野は上を向いて少し考えた後に、


「優しくなくなっても、性格が暗くなっても、嫌われなければなんでもいい」

「あー、そういうこと」


 イマイチよくわからないけど、一応わかったということにした。


 多分、取り繕うのをやめたとしても、その時に俺が春野を嫌いになっていなければいいということだ。それなら…………


 俺は深く呼吸をして、もう一度春野の顔を見た。(はや)る鼓動を隠しながら、息を呑む。


「じゃあ俺は、もう春野の前で、無理して理想の自分を演じなくていいなら…………そうしたい」

「うん、そうして」


 俺としては勇気を出して、意を決して伝えたはずだったが、そんな俺を見て春野は何食わぬ顔であっさり了承した。本当に大丈夫なのだろうか。


「あのー…………、春野は嫌われるのが怖いって言ってたけど、逆に俺のこと嫌いにならないでくれよ? 素で接し始めても」

「大丈夫だよ」

「ホントかよ、心配だなぁ……。結構勇気出して伝えたのに」


 俺が頭を抱えると春野は微笑み、それから少し表情を硬くして目線を下に落とした。


「じゃあ、リクマ君が言いづらいこと喋ったから、私も言ってなかったこと教えるね」

「――? うん」


 ――言っていなかったこと…………幽霊になった理由とかか?


 春野は曇った笑みを浮かべ、言いづらそうに小さく口を開いた。


「私の下の名前………………マナブっていうの。学習の『学』と書いて(マナブ)。私は、この名前があまり好きじゃないの。なんか男の子みたいだし、それに、学ぶことを強要させられているみたいに感じて」

「……………………」


 そういえば春野の下の名前はずっと聞いていなかった。初めて『春野』と名字を教えてもらった時からずっと。


「だからあの時、下の名前は教えなかったのか。名前、好きじゃないから」

「そう」


 春野は俯いていた。


 ――名前が好きじゃない、か。


「じゃあさ、学じゃなくてカタカナで『マナ』にしよう。マナなら堅苦しくないし、女の子みたいで可愛いだろ?」

「――ッ!? え? ま、まなにしようって…………」


 驚いて、戸惑いを露わにする春野。いや、マナ。


「いつまでも名字で呼ぶのも他人行儀だし、今日からマナって呼ぶから。それでいい?」

「………………マナ………………いい、かも」


 俯いていたマナは微かに口元を綻ばせた。受け入れてもらえたようだ。


「それなら――――」


 マナが口を開く。目元は前髪に隠れて見えなくなる。


「私はリクマ君のこと……………………ユウって呼ぶから」

「――ッ!」


 俺の名前、憶えてたんだ。初めて名乗った時から一度もその名を口にしてないのに。


「いいよ。ユウって呼んで」


 マナは俺から顔を背けていた。長い髪に隠れて横顔は見えない。今この瞬間、俺に顔を見られたくなくて隠しているようだ。


 その仕草がすごく愛おしく感じて、俺はベンチの上にあった彼女の手に自分の手を伸ばした。


 ――――だが、俺の手は彼女の手の甲をすり抜け、彼女の肌と温もりを感じることはなかった。


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