13. 独走幽霊逃亡中!!
俺たちは月鐘ヶ丘に紅葉を見に行くことになった。
以前春野と月鐘ヶ丘美術館に行った時と同じバス停。俺たち意外にバスを待つ者は誰もいない。
周りは何もない田園風景。5人で横一列にベンチに座って待ち、しばらくしてバスが着いた。月鐘ヶ丘行きのバスだ。
みんなで乗り込み、バスが動き出す。
窓の外の景色が移ろい、田園から山中の森に変わる。木々の葉は真っ赤や黄色に染まっている。紅葉真っ盛りだ。
紅葉した木々でできたトンネルの中、色付いた葉がひらひらと舞い落ちる。葉の一枚一枚が陽の光を透過して明るみを帯び、幻想的な光の舞いを演出している。月鐘ヶ丘に着く前に、求めていた秋の風物詩をバスの中で見れてしまった。
コマルとシラヌラは窓の景色を見て大はしゃぎする。2人がどれだけ騒いでも人目を気にすることはない。幽霊の声は、他の乗客には届かない。
やがて森を抜け、新興住宅地『月鐘ヶ丘ニュータウン』に着いた。等間隔に生える街路樹も色鮮やかに染まっている。バス停に着き、俺たちは降車した。
新興住宅地の中に放り出された5人。
「うわ、結構寒いな」
俺は腕をさすって思わず声が出た。以前訪れた時よりも一段と寒くなっている。冬みたいに淡く澄んだ空が余計にそう思わせるのかもしれない。
「え? 寒い……?」
コマルが不思議そうな顔をして俺を見た。コマルは幽霊だから寒さを感じないのだろう。
春野がコマルに声をかけた。
「コマルちゃん。コマルちゃんは幽霊だから寒さとか感じないよね」
「ふぇ? ぁ、ああ! そうでしたそうでした!!」
突然思い出したとでも言いたげなリアクション。幼い割には敬語で話す大人びた少女だが、意外と頭の中は自分が何者であるかも忘れてしまうほどの困るちゃんなのかもしれない。
シラヌラが頭をぼりぼりと掻きながら周りの景色を眺める。ここは周囲を紅葉した山々に囲まれている。
「紅葉っつっても、もうバスん中でキレーな紅葉見ちまったしなァ」
「それなら、もっと綺麗な紅葉が見れる場所がある」
「どこにあるんだい? あんまり遠いとこは勘弁してほしいね」
春野の提案に杏ばあさんが訝し気に尋ねた。
「大丈夫、そんなに遠くないから………………ついて来て」
春野が歩きだした。それに倣って俺たちも後に続く。
しばらく住宅街の道を進む。この道には既視感がある。以前、春野と2人でここに来た時に通ったからだ。ここは………………
「こっち」
住宅街の広い車道から脇道に逸れる春野。先は深い木々に覆われた坂道だ。樹木のトンネルのようになっていて薄暗い――――――この道は以前春野と来た、山奥の廃村と蕪山に続く道だ。
月鐘ヶ丘に行くと言っても、まさか春野が蕪山に行こうとしているとは思ってなかった。以前ここに来て怖い目にあったのに、なんでまた行こうとしているんだ。なんで俺たちを連れて行こうと………………。
俺は嫌な胸騒ぎを覚えた。それでも春野も、俺たちも足を止めない。
坂道を抜けて人気のない山奥の廃村に出た。
「なあ春野、こっちはあんまり行かない方がいいんじゃないか?」
「………………」
俺は嫌な胸騒ぎを払拭したくて春野に尋ねたが、彼女は何も答えない。聞いているはずなのに全く聞こえていないかのように正面だけ見て先頭を歩き続ける。それが余計に俺の不安を募らせた。
荒れ地となった田畑。今にも崩れそうな木造家屋。どこか俗世間からかけ離れた空気が漂っている。
周囲は小山に囲われ、木々は紅葉した姿を見せている。そして俺たちが進む道の先には一際大きい山、蕪山が待ち構えており、木々は一際綺麗に、色鮮やかに紅葉している。春野の言ったとおり、もっと綺麗な紅葉が見れる場所ではあった。
俺は秋に色濃く染まった蕪山を見て、不安を差し置いて少し行ってみたいという思いの方が強まった。だが――――――
「ん? なんだいあれは?」
俺たち一行の最後尾を歩いていた杏ばあさんが言った。俺が振り返ると、杏ばあさんも後ろを振り返っていた。杏ばあさんの視線の先には――――――黒いなにかが蠢いていた。それは、夥しい数の黒い人影だ。
あの人影はコマルのかくれんぼの時に廃神社で遭遇したものと同じものに見える。輪郭が黒くぼやけて見える点も、顔に目や鼻が無い点も同じだ。
数はざっと見ても20人はいる。今まで歩いてきた道を埋め尽くす数で、ゆっくりと俺たちを追いかけてきている。影に敵意があるかわからないが、捕まったら何をされるかわからない。
あの時はシラヌラが突撃して影を撃退してくれたが、さすがの破天荒お祭り男シラヌラでもこの数の影を相手に戦うのは厳しいだろう。影の大軍を見て顔が青ざめているシラヌラを見ればそれは明白だ。
シラヌラだけじゃない。ここにいる全員が不測の事態に目を見開いていた。
「に、逃げるぞ!!」
俺の叫びと共に振り返ったまま固まっていた4人も我に返った。
逃げると言っても来た道を引き返すことはできず、先に進むことしかできない。
先頭にいた春野は我先にと駆け足で走っていく。後ろにいる俺たちを気にもかけず。
俺も春野に続こうとしたが、
「杏ばあ! 早く行くぞォ!!」
「待ってくれ、あたしゃぁそんなに走れないよ」
杏ばあさんの腕を引くシラヌラ。その速さに追いつけずに躓きそうになる杏ばあさん。そしてばあさんの体を抱きかかえて支えるコマル。
「ちょっとリョウ!! おばあちゃんは走れないです!! 無理させないでください!!」
「お、おぉ、ワリィ」
顔をしかめたコマルがシラヌラに抗議した。バツが悪そうに肩をすくめるシラヌラと、柄にもなくおろおろする杏ばあさん。
そんなことをしている間にも春野はどんどん先に行ってしまう。このままでは春野一人がはぐれてしまうが、かと言って春野を走って追って杏ばあさんを置いていくわけにもいかない。
「――ッ!! おーい春野ー!! 俺たちを置いてくなー!! ――――杏ばあさん、なるべく速く!」
「言われなくともわかっとるわい!」
俺の呼び掛けに必死の形相で答える杏ばあさん。一方春野は聞こえていないのか、一向に速度を落とさずに走り抜ける。
それからシラヌラとコマルは杏ばあさんに付き添って、なるべく早足で背後から迫る黒い影から逃げる。俺は春野もばあさんたちも両方見失わないように後方3人より少し速めに前を走った。たが、春野はあっという間に遠くまで走って行ってしまい、俺の配慮は徒労に終わった。
人影の黒い津波が押し寄せる。背後からだけではなく、左右の分かれ道からも人影が迫ってくる。俺たちの行く手を正面の一本道以外すべて潰すように。
どんどん数が増えていく黒い人影。やがて、俺たちは蕪山の目の前に辿り着いた。他の道からは影が迫り、俺たちが進めるのは蕪山の奥へと続く山道だけだ。
蕪山は今までどこで見た紅葉よりも葉が鮮やかに色付いて綺麗だった。山道の中も太陽の光を赤や黄色に透過した光に包まれていてどこか幻想的だ。画家が思い描く空想の世界のように。だが、見とれている暇はない。
振り返ると悍ましい数の人影が群がっていた。なぜこんなに大量に増えたのかわからない。杏ばあさんは息が上がり始めている。
山道以外に逃げ道は無いし、先に行った春野もおそらく山道の方に進んだのだろう。俺たちは迷わず山の中に足を踏み入れた。
慰霊碑の横を通り過ぎ、紅葉した山道を進む。杏ばあさんのペースに合わせて早く行き過ぎないように。
人影の津波も追ってくる。
途中で道が二手に分かれる。今の道の延長と、もうひとつは本道から逸れた獣道。春野はどっちに行ったのか………………。よく見ると、本道の地面にわずかに靴の足跡が残っている。歩幅としては一歩の感覚が広く、走ってできた足跡だと考えられる。
おそらく春野の足跡だ。幽霊でも物に触れることはできるから歩けば足跡もつく。それにこんな山の中に来る者なんて俺たち意外にいないだろう。
この道の先には確か、寺がある。御這光寺。以前来た時、本堂の奥になにかを見てしまった場所だ。人智を超えた、人の理から外れた存在。思い返せばそんな気がして、あの時のことを鮮明に思い出して再び悪寒が走った。
それでも恐怖に怯えて引き返すことはできない。俺たちは真っ直ぐ本道の方を進んだ。
山道を上っていき、やがて豪勢な寺の山門に辿り着く。全体が黒い門で、見上げると細部は緻密な装飾になっていることに気づく。だが今は緻密なつくりを観賞している場合ではない。俺たちは寺の中に飛び込んだ。
正面には石造りの歩道が伸び、左右には三重塔や仏堂が建っている。相変わらずあまり手入れはされていない。
そんな境内の中心に、春野の後ろ姿を捉えた。こっちに背中を向けていて、俯いて息を切らしているように見える。ずっと走り続けて疲れたのだろうか。
「春野ー!!」
呼びかけると彼女の肩が跳ねる。俺は彼女に走り寄った。
そうして春野に近づいてひとつ気づいた。彼女が両手で肩を抱いて小刻みに震えていることに。
以前にもこんなことがあったような気がする。怖くて震えているのか?
「だ、大丈夫か……?」
声をかけて春野の顔を覗き込もうとすると――――
――顔を背け、再び走り出す春野。
春野は境内の左の方、三重塔の横を走り抜けていく。
「おい! どこ行くんだよ!?」
呼びかけても彼女は止まらない。俺は後ろのシラヌラたちを振り返る――――彼らは目が合うと、首を小さく縦に振った。追いかけるしかないようだ。
再び春野を追おうと一歩を踏み出した。その時、
――サッ
境内の正面、本堂の方で音がした。襖が閉まるような音だった。音のした本堂に目を向けるが、特に変化はない。俺の空耳だろうか………………いや、そういえば、さっきまでは本堂正面の障子が開いていたような気がするが、それが閉じている?
記憶が定かではない。が、今はそんなことを気にしている場合ではない。春野を追って足を進めた。
三重塔の横を抜けて境内の左側、地下へと続く階段があった。横幅は広く、上の方には巨大な蜘蛛の巣が張っている。階段の先は暗い地下通路になっていて、そこに春野は下りて行った。
俺たちは階段を下った。上に張った蜘蛛の巣に引っ掛かるのが嫌で頭をかがめながら。
階段を降りると左右に伸びる暗闇の地下通路。走る春野の後ろ姿が見える右の方に進んだ。地面に溜まった落ち葉が足を進めるたびに音を立てる。
かなり長い通路で、階段から射す光と奥に見える通路の出口から射す光以外に光源はない。横幅は車一台がギリギリ通れる程度。故に真っ暗に近い状態で、先を進む春野が光に型取られたシルエットとして輪郭だけわかる。背後から影が追ってきているのかはもうわからない。それでも俺たちはなるべく速く春野を追った。
やがて春野が地下通路を抜け、彼女の体で隠れていた外の光が俺たちに降り注ぐ。眩しくて目が眩むが足を止めない。俺たちもすぐに通路を抜けた。
通路の先は深い森の中だった。空気が澄んで、潤いに満ちていて、無音。虫の声すら聞こえない。この感覚に俺は既視感を覚えた。
奥に続く森の中の道を春野は歩いていた。追いつくために俺たちはペースを落とさない。
春野が道を右に曲がった。俺たちもそれに追従する。もう彼女の背中は間近に迫っていた。
道を曲がると――――――先には見覚えのあるトンネルがあった。
ここは以前春野と来た場所だ。真っ暗なトンネルで、山の斜面にぽっかりと空いている。石材を積み上げて造られたトンネルで、石材の隙間からは汚れが漏れ出し、全体は草木やツタに包まれている。奥にはひたすら暗闇が続く。薄らと冷たい空気が奥から漏れ出しているような感じがした。
またこの気味の悪いトンネルに来てしまった。春野はトンネルの前に立って先の暗闇を見つめている。
あの時春野が言ったこのトンネルにまつわるうわさ話を思い出した。
『このトンネルのうわさ。このトンネルの中で死んだ人間は幽霊になるんだって』
この中で死ぬと幽霊になる。彼女がどこでそんな話を知ったのかは知らないが、とにかく物騒なうわさだ。
「わァ!? 後ろ!!」
コマルが悲鳴を上げた。振り返ると黒い人影の大軍が押し寄せていた。付かず離れずの距離でずっとついて来ていたんだ。
もうどこにも逃げ場がない………………いや、あるとすれば………………
春野が真っ先に動いた。暗闇のトンネルの中に躊躇なく駆けていく。
「春野!!」
呼んでも振り返らない。実際、影から逃れるにはそれしか術はない。
「みんな、俺たちも行くぞ!!」
コマルたちに声をかけると、腹を括って頷く3人。みんなもこのトンネルに恐怖を抱いているのは一緒のようだ。
俺は3人の同意と後ろから迫る人影を最後に目視し、暗いトンネルの中に飛び込んだ。