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10. 君がいる

 春野の後を追って深い森の中の山道を進む。彼女が何を考えているのかもわからず、一抹の不安を抱きながら。


 山道は獣道のようなもので、人3人が横に並んで歩けるくらい幅、地面は硬い土だ。当然車は通れない。太陽の光は木々の葉に遮られて疎らにしか地面に届かない。


 しばらく進むと道が二手に分かれた。一方は今の道と継続して同じ道幅、もう一方はより狭くなった小道だ。


 春野は立ち止まった後、すぐに行く先を決めた。


「こっち」


 春野が歩を向けたのは狭い小道の方だった…………このまま彼女について行っても大丈夫なのだろうか。


 小道に進むとさらに森は深まる。緩やかな上り坂。道の両脇に生えた草木や枝が体を掠める。


 水分に富んだ自然の匂いがする。音は全く無く、森の中だというのに虫や鳥の声すら聞こえない。


 さらに進んで行くと木々が開け、少し道幅が広くなった――――同時に空気感が一変する。冷たい結界の中に立ち入ったような。体が進むのを拒みたがる感覚すらある。


 それでも春野は歩みを止めない。俺は引き返したい気持ちを押し殺して後を追った。この先に何があるのか知りたい好奇心もあった。


 道が左に曲がる。曲がった先に、ついに辿り着いた――――先には暗いトンネルがあった。


 山の斜面を掘り、石材を積み上げて造ったようなトンネル。いつ造られた物かはわからないが、かなり古いものに見える。草木やツタに覆われている。もう何十年も手入れされていないようで、石材の隙間から砂利や黒い液体が垂れ流れている。トンネルの中は真っ暗で、奥には一筋の光も見えない。どこに続いているのか皆目見当もつかない。見るからに普通じゃないトンネルだ。


 隣にいた春野が口を開く。


「このトンネルの噂。このトンネルの中で死んだ人間は幽霊になるんだって」

「な、なんでそんなこと知ってるんだ…………?」

「………………」


 その問いには答えない春野。ただじっと、トンネルの奥を凝視している。


「な、なあ。もう引き返さないか? ここの雰囲気はちょっと…………」

「………………うん。そうだね。ここには長居しない方が良さそう」


 俺の嫌な予想に反して引き返すことにあっさり同意した春野。声色は一切の熱を帯びていないが、この場所の空気感を警戒しているのは俺と一緒だった。


 俺たちは薄気味悪いトンネルに背を向け、来た道を引き返した。


 何事も無く後退し、山道の二手に分かれた分岐点まで戻ってくる。


「今度はこっちに行こ」


 春野はまだ行ってないもう一方の道を指差した。


「まだ行くのかよっ!?」


 もう戻って美術館に行くつもりだと思っていた。精神力を回復しかけていた俺は再び不安と恐怖の渦中に叩き落とされる気分だった。それでも、そんな俺を気にもかけず春野は一人で進んで行く。しょうがなく俺もついて行くしかなかった。


 こっちの道は道幅が変わらないまま奥まで続いた。やがて、道の終点に辿り着く。


 深い森の中、目の前には黒い豪勢な門が立ちはだかった。見上げてしまうほど巨大な門。和風建築で、建物の3階建てに相当するくらい高い。門の両脇には隙間なく草木が茂っている。


 門に掛けられた木製の縦看板には『蕪山慄命宗御這光寺』と書かれている。読みは「かぶやま、りつめいしゅう、おんしゃこうじ」だろうか。とにかくここが寺だということはわかる。山門の奥には寺の建物が見える。


 春野はその場で軽く一礼してから山門を潜って中に足を踏み入れた。俺も真似をして寺の中に入る。


 2人で境内を探索した。


 境内には左に三重塔や、右に鐘楼や仏堂などがあった。正面に伸びる石造りの歩道は奥までまっすぐ伸びていて、先には本堂がある。寺という割にはどの建物も比較的新しいものに見える。だが掃除や手入れがされている形跡はなく、地面や屋根の上には落ち葉が散らばり、建物の隅には巨大な蜘蛛の巣が張られている。雑草も無造作に伸びていて、ここ数年は人の出入りがなさそうだ。


 境内の左端には地下へと続く階段があった。幅はかなり広く、中央には階段を左右に隔てる手すりが伸びている。階段の先は垂直に交わった地下トンネルがあり、日差しがほとんど入らず薄暗い。屋外よりも張り巡らされた蜘蛛の巣と落ち葉が酷い。


 俺は以前にもこの景色を見たことがあるような気がした。


 寺の正面に進んで本堂に着く。大きさは程々だが(おごそ)かな威厳のある黒塗りの本堂。本堂の前には左右に、蛇の姿をした像が2体立っている。両者とも腕が片方だけ生えていて、空を仰いでいる。隻腕の蛇の像だ。


 本堂正面の入り口は障子が閉まっているが、少しだけ開いており奥が見える。春野はそのわずかな隙間の奥に目が釘付けになっていた。蛇に睨まれた蛙の如く固まって動かない。怯えているようにも見える。


「どうした? 何かあったのか?」


 何か見ない方がいいものが、禁忌がその先にあるような気がした。それでも俺は、春野と一緒に隙間の奥に目を向けた。


 本堂の中には――――日差しが微かにしか入らない薄暗い中に、白いなにかがあった。その白いものは着物か、あるいは色白の女性の肌のように見えた。


 煙や(もや)とは違い実体がある。動く気配はないが、意思がある者の存在感は醸し出していた。本当に………………見てはいけないものを見てしまったと理解した。


 全身の血の気が引く重圧を感じる。意識が遠退きそうなほどに。


 俺は一秒でも早くここを離れたかった。そうした方がいい。そうしなけらばならない。


 その一心で俺は、春野の手を引いて逃げようとした――――――が、俺の手は春野の手を貫通した。


 身体が透けた。人は幽霊に触れることはできないから。


 春野がそれに気づく。春野の手を貫く俺の手を見ていた。表情一つ変えずに。


 俺は急いで手を引っ込めた。まるで見せたくない自分の恥を隠すみたいに。


 人間と幽霊という俺たちの関係を彼女に突き付けてしまった。これを見て、春野は何を思うのだろうか。そんなことが脳裏をよぎる。


 それと同時に、俺は言いようのない孤独感に包まれた。彼女は幽霊。今、この場にいる人間は俺だけなのだと。


「春野、逃げよう」


 彼女は俺の言葉に頷いた。


 急いで本堂から遠ざかり、寺の山門を飛び出す。山の中の道を、出せる力すべてを出して全速力で引き返す。


 山道を出て、廃村の中を駆け抜ける。一度も振り返ることなく。


 走り続け、やがて住宅街へと続く上り坂まで辿り着く。戻ってくるのはあっという間だった。


 上り坂まで来た俺たちはようやく気を緩めて走るのをやめた。これだけ離れれば大丈夫だろう。樹木に包まれた上り坂をゆっくり歩く。


 坂を上り切ると、目の前に閑散とした新興住宅地が広がる。ここまで戻ってきた。


 ここも人の気配を感じない。まったく、どこに行ってもそうだ。世界中から人が消滅したみたいだ。人に全く会わないと未だに悪い夢の中に囚われているような気分になる。


 春野が口を開く。


「ここは本当に人がいないね。まるでこの世界から人間が消えてしまったみたい」


 そう言って彼女は、楽しそうに笑った。控えめだけど、目を細めて口角を上げた本当の笑顔。まさかこんな時に、彼女の楽しげな顔を見るとは思わなかった。


 春野は何であの廃村と蕪山の方に行きたいと言い出したのか。春野だってさっきの()()を見て恐れていたのに、怖い思いをしたのに何でそんなに楽しそうなのか。まったくわからない。


 わからない………………が、そんな能天気に笑う彼女を見て、緊張していた俺の感情もなんだか少しほぐれた。


 俺はこの世界で一人じゃない。彼女がいるから。


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