最終話
いつも思います。自分の見る世界は自分の体験と想像力から創られていますから、それを越えては人は世界を感じる事が出来ません。だからこの自殺志願の若者の気持ちも若者自身にとっては真実です。
しかしそこを敢えて言いたいのです。まだあなたの全然知らない世界が、価値観がこの世には在るのだ、と。この後納得してその土地で生きて暮らしてほしいと私は心から思います。
主人は食後の満足感溢れる表情から急に真面目な顔になった。そして次の瞬間、私の顔を見てにたりと笑った。
「そうです。確かにある程度の量が必要です。お金にしたら結構な金額になるでしょう喃」
「その仰り方だと、お金を払って手に入れておられる訳ではないという事でしょうか?」
「泥棒しているとしたら如何です? お金は無さそうな小屋でしょう? いや実際殆どありませんから」
「泥棒? 石炭をですか?」
「そうなんです。私はこの十年、ずっと石炭を泥棒しとるんですよ」
主人の話に拠ると昔この近く裏の林から始まる山並には炭鉱が在ったそうである。その坑道が近在彼方此方に在って、冬以外の季節主人は其処に石炭を掘りに入っているそうである。
「危なくありませんか! そんな、昔の廃坑の坑道に入り込むなんて」
「何の、そんなに深く分け入る訳ではありません。入り口が見えるくらいの所で鶴嘴一つで軽く掘るんです。簡単に獲れますよ。此処の炭質は良質なんですな。少々火力が強過ぎるくらいです。『煙の少ない羽幌炭』という言葉、聞いた事ありますか?」
「いえ、それは知りませんが、石炭というのは歴とした採掘権があるんじゃありませんか? 勝手に掘って大丈夫なんですか……」
「誰がその採掘権をこの小屋にまで主張しに来るっていうんですか? そんなの大会社が形式上持ってるだけで今や何処の会社だって石炭なんか掘らないですよ。売れないのに。それに万一権利をもっている人間が此処までやってきたら、この小屋に辿り着く前に羆に喰われて死ぬだけでしょうな。或いはそれこそ季節によっては凍えて死ぬか……」
「そりゃそうでしょうけど、ほんとに大丈夫なんでしょうか……」
「何有、私が此処で十年以上も斯うして暮らしていられるのが大丈夫だという何よりの証拠です。それに、そんなのが来たら来た時の事。こんな所に今まで永く暮らした人間が、何処でだって生きていけない筈無いですよ。私は何の不安も無いですな。道内にはそういう廃坑が結構在るんです。まあ、言ってみれば獲り放題ですよ。羆に気を付ける事だけですな、注意点は」
主人の口ぶりは実に軽そうだった。本心からそう思っているに違い無い。
午後からは吹雪が止み、早速私は主人に連れられて雪の中を平坦とはいえ一里以上も歩いて牧場に行った。中で牛の世話をするのが仕事である。かなり厳しい肉体労働だが、私は喜んでその仕事をこなした。大変なのは大変だ。だがその仕事の何処にも、捻じれた様な、卑しい、不自然で気味の悪い要素が無かった。終いに私は牛の糞をシャベルで牛舎の外に運び出しながら笑い出して仕舞った。
「大丈夫ですか? 初日で何処か変になって仕舞ったんですかな?」
主人が私にそう言った。しかし顔が半分笑っている。私は首を横に振った。すると主人もにこやかに頷いた。私が喜んでいるのをちゃんと理解してくれているのだろう。そして仕事の後、私が遠慮するのに主人は貰った給金の半分を私に寄越した。私に札を何枚か手渡しながら主人は言った。
「また雪が少なくなった頃、食糧を買う事の出来る店まで案内しましょう。今日はこのまま家に帰る事にして」
次の日は雪がやんで陽射しが顔を出した。しかし気温は相変わらず相当に低い。
「さて、家の前の除雪でもしましょうか」
主人は気温の低さなど慣れっこ以外の何でもないらしい。私達二人が小屋の玄関から大きなスコップでえっさほいさとやっていると直ぐに一人の作業着姿のおじさんがやって来て、
「おーい、またうちの分を手伝ってくれんかね」
と、笑顔で声を掛けてくる。
「ええ、分かりました。この後、直ぐに行きますんで」
おじさんが雪道を左右に揺れながら帰って行った後で、主人は私に言った。
「あの人の家はね、子供さんが三人とも町に出て行って仕舞って夫婦二人で酪農の仕事するのが精一杯。必ず誰か手伝人が要るんです。助けてあげないとね」
『助ける』なのだ。此方が金を得る為に働きに行くのではなく。心中密かに私がそう思っていると次に主人は、
「雪国、北の国ではね、冬は身体が健康なだけで幾らでも仕事があるんですな。雪掻き除雪、この仕事が無くなる事はありませんから喃」
と言った。私は主人の顔を見て頷いた。小屋の前の除雪を済ませると私達二人はまた雪道をぼこぼこと歩きながら、除雪を頼まれた家に向かった。其処で頑張って、しかし息切れして仕舞わない様にのろのろと家の前の除雪を終えると、昼飯の馳走に与った。焼いたパンとバター、チーズ、そしてサラダに珈琲、何と文明的で都会的な食事なのだろう。
「今日は本当に助かりました」
家の奥さんが私達にそう言うと小屋の主人はいきなり、
「失礼ですが今日はこのお昼御飯だけで十分ですので、賃金は要りません」
手伝いに来た家の夫と奥さんが二人揃って、
「ええっ?」
と声をあげた。私も呆気に取られて、当に呑み込まんとしたトーストが喉に詰まった。直ぐに夫の方が、
「それはいけません。お隣さんご近所さんといっても、けじめはちゃんとしないと」
すると小屋の主人がきっぱりとした口調で言った。
「いえ、別にそんな大仰な話ではなく、今は私、特に何も困っておりません。それに賃金を頂いても暫くは雪が深くて買いに行く事も出来ませんしな。だから今日のはご奉仕という事で」
「いや、しかしそれじゃあ……」
なおも食い下がる夫婦に小屋の主人は止めを刺した。
「これまた失礼ですが、そちらは今中々大変でしょう。酪農をしていると資金繰りが大変な事もあると聞きます。ちょうど今頃の季節でしょうかねえ。だから些かの協力というものをさせて下さい」
色々あったが結局夫婦は小屋の主人の申し出を受けた。私達は何度も御辞儀をされてその家を後にしたが暫くしてから主人が私に、
「今日は善い事をしました喃、気持ちが良いでしょう? あなたも」
私は即座に、
「仰る通りです、はい」
と返事しておいたが、心の中ではそんな事毛程も思っていなかった。全く別の事に心を奪われていたのだった。無料奉仕を申し出るのも無欲の極みだが、その事よりも全般的に満足し過ぎている。この主人は満足し、満たされ過ぎているのだ。欠落している、或いは歪に感じる部分が全く無い。私は主人と二人雪道を歩きまがら考えた。
「いつ自分の身体が動かなくなって生活が行き詰まるかも知れないというのに、この余裕は何処から来るんだろうか……」
すると主人が、私の心を読むかの様に言った。
「こんな風に暮らしていたら、仕事も生活も何も無いでしょう? 全部を通して私が生きている、本当にもうそれだけなんですな。動けなくなったら死にますから」
思わず私が口にした。
「不安だとは思わないのですか?」
「動物は皆死ぬ。それは普通の事だし、逃げられないし、また別に逃げる必要も無い事ではありませんかな?」
私がそんな暮らしをして暫く過ごすうちに、雪が融ける季節になった。私はこの小屋で主人と様々話し、また今までに経験した事の無い種類の労働にも従事した。しかしその何の瞬間を切り取っても嫌だとか屈辱的だとかの感情を覚える事は無かった。それは真実に、ただに生活しているだけだった。生きているだけだったのである。その営みの全てが私には楽しく思われた。
私は此処の主人に恩がある。何といっても命を救われた訳であるし、その後の暮らしの快適さも恩返ししなければ罰が当たる程のものであった事は疑いが無い。しかし何を如何に恩返しすれば良いのかが全く解らなかった。何処から何う見ても、全ての点に於いて主人の方が豊かにしか思えない。私がそんな事を思って過ごしていると、或る日主人が言った。
「此処で一緒に暮らして下さって有難うございます。私も退屈せずに済みますからな、ははは」
私は主人のこの言葉ではたと思い当たった。
「そうだ。一緒に住む事だ。一緒に時間を過ごす事なんだ。それが私がこの主人に対して果たす事の出来る一番大きな恩返しに違い無い」
私はこの事に思い至った時、本当に嬉しかった。それはこの思い付きを自分で何度吟味しても、この発想は私の心が非常に健康でなければ絶対に生まれてこないものだと確信出来たからである。一緒に居る、一緒に暮らす、その事がそのまま相手への援けになる。これが人間がまっとうに生きる事を実践している場所で通じる秩序なのだった。
雪の無い季節、私は主人に代わって主に石炭の盗掘や薪拾い、高所の掃除や重量物の運搬等の小屋の作業を代行し、外に向けては手伝い仕事をして金を稼ぎ、小屋での暮らしの維持の為に遣い、残金は貯金した。主人に医療が必要になった時の備えである。健康保険など死んでも入っていない人であるから、いざという時には金が必要になる。私自身の事は如何でも可いのだ。抑々(そもそも)が全く気にならない。心配ではないのだから。
私は、最近次第に自分が此処の主人に近くなってきた気がしている。そしてその事が何よりも嬉しい。私の心には大きな大きな余裕が生まれていた。その余裕の証拠として、私は私の亡き両親に手紙を書き始めた。ノートに綴っていくのである。そして或る晩それを初めから読み直していると、嬉しさのあまり泣けてきた。私は私が人間らしいと思う、そう看做す事の出来る生活を送る事が出来ている、明白にそう思う事が出来たからだ。
私はこの後も、此処で主人の弟子として、弟として、そして出来れば子として、生きて行きたいと願っている。
今にして思うのだが、私は自分の限られた体験だけで世界の全部を把握しようとしていたのだ。十と幾つの私の勤めた会社、其処での体験だけだった。其処で出逢った人間達が全てだったのだ。しかしそうでない世界が在る事を今や私は知っている。単純に、それだけの事だったのではないか。その事を私に教えてくれた、多分全然教えようとはしていなかったのだろうが、それでもその生活そのものをもって教えてくれた此処の小屋の主人に私は心から感謝している。私もまた、以前の私の様に人生を投げ出しかけている人間に出逢ったら此処の小屋の風呂を体験させてやろう。そして熱い生姜うどんを食べさせてあげよう。そしてその人間の事情が許すのであれば、出来れば一緒に暮らしたい。私は大切なものがちゃんと人から人に『伝わる』という事を、今強く実感しているのだから。
(了)
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