番外編1 (帝国裏話)実はみんな、皇帝のことが大好きです。
帝国軍の訓練場で、巨体の二人が相まみえていた。
「俺が行く」
「いや俺だね」
海軍少将のアーモスと、同じく海軍少将のボジェクだ。
海軍大将ヨナターンが、訓練場と見学席を仕切っている木枠の上から、だらりと両手を場内に入れる格好でそれを眺めている。
「おーい、怪我したらどっちも連れてかねーかんなー」
「うぐ」
「くそ」
海の向こうの小国であるメレランドから帰国したヨナターンが「ついに皇帝陛下の妹君殿下を発見した。苦しい環境下にあり、急ぎ迎えに戻らねばならない」とその任務に帯同する人員を募集したら――海軍のほぼ全員が手を上げた。
「陛下の妹君を助けるのだ!」
「俺が!」
「いや俺が!」
「俺だ!」
軍船に乗れる人数は限られているし、かつ小国にそれほど圧を与えてもいけない。
少数精鋭がいいんだけどねえ、とぼやくヨナターンに、「我こそが精鋭」と誰も譲らない。
ちっとも決まらないので、アーモスかボジェク、どちらかに決まったらもう命令しろ、とヨナターンが投げたら……こうなった。
「穏便に決めろ」
「大将、んな無茶な」
「そっすよー」
「ばーかやろーが。こんな状況これからずっと出てくるんだぞ? そのたんびに勝負してみろ、毎日怪我だらけじゃねえか」
「「うぐ」」
訓練場で向かい合う二人を、その部下たちが固唾を飲んで見守っている。
自分も妹君殿下を迎えに行きたい。あわよくば、少将対決を拝みたい。
「うあー? なんすかこれ」
そこへのほほんとやってきたのが、オリヴェルとヤンだ。
「おう。やっぱお前らか」
「は」「うっす」
ヨナターンからすると、アレクセイがこの二人を選ぶのは分かり切っていた。
オリヴェルの実力は折り紙付きで、軍医の資格も持っている。
対してヤンは、人懐っこい外見とは裏腹に、残忍さも併せ持つ貴重な人材だ。
「オリヴェルは良いけど、ヤンか~」
そんな本音を隠して、ヨナターンはヤンにちゃちゃを入れる。いつものことだ。
「はい、閣下。力不足は重々承知しております」
「お前潜入苦手だろ~? すぐ顔に出るしな。ま、そのぐらいの方が殿下にはいいかもな。素直なお方だから」
「うひー!」
「そうなのですか」
オリヴェルが、腕を組んで眉を顰めると、ヨナターンはそれを煽るかのように
「おう。めちゃくちゃ可愛いぞ」
と付け加えた。
「それは、急がねばなりませんね」
「さすがオリヴェルだなあ」
「え? なんでです?」
「……年頃の可愛いらしい方なのでしたら、一刻も早くお迎えに上がりたいところです。騎士団で匿うとはいえ、身分が明らかでないままなのですから。協力者の手の届かない場所で、手籠めにされてしまうやも」
「うげえ、そりゃそうすね!」
「つうわけでヤン。お前一番重要任務」
「ぎょわ! がんばるっすー!」
むん、と力こぶを作って笑って見せる若手に苦笑しつつ、ヨナターンは頭をぐしゃぐしゃ撫でてやる。
「がんばれ、犬コロ」
「あ! それ悪口っすからね」
ヤンがぶつくさ言いつつ髪の毛を直していると――
「何の騒ぎだ、ヨナターン」
「! 陛下!」
「「!!」」
ざ、と慌てて騎士礼をする軍人たちに、顎だけをわずかに動かして応える皇帝ラドスラフは、珍しくラフな姿で、後ろにマクシム大佐を帯同させている。
「妹君殿下を、誰が迎えに行くかで揉めています」
タハハと軽く笑うヨナターンに、全員がぎょっとするが、意外にも皇帝は片眉を下げた。
「ふむ……苦労をかけるな」
ざわ! とどよめくのも無理はない。
いつも威厳たっぷりで、話しかけづらい雰囲気満載の皇帝が、自分たちに直接労いの声を掛けるなどと! という感じなのだ。
「陛下! 是非自分が!」
「おいこらアーモス! ずるいぞ!」
二人の少将が我先にと争いながら場内をこちらに向かってくるのを見て、ラドスラフは
「まるで大型犬だな」
硬くて冷たい一言を発してその歩みを止めさせてから
「ならば、余が選んでやる……キーラとの初対面を想定して挨拶してみろ」
と、腕を組んで仁王立ちになった。
「ご機嫌麗しゅう存じます殿下!」
と顔全体で笑って素晴らしい騎士礼を見せるアーモスと、
「キーラちゃん、はじめまして!」
とにこりとして地面に片膝を突き、両腕を広げるボジェク。
ちなみにアーモスは独身、ボジェクは三人の子持ちである。
「ボジェク」
「は!」
「キーラは帝国に慣れていない。そのような対応の方が良いかもしれん。頼む」
「はっ! 誠心誠意、務めさせて頂きます!」
一方アーモスは
「ぐおおおおお! そうか、礼儀より愛嬌であったかああああ!!」
と、訓練場の土の上に両手両膝を突いてまで悔しがった。
それを見た皇帝は
「憂うなアーモス。貴様の騎士礼は手本になる。皆の者、今のような形を心掛けよ」
と慰めた。
もちろん、輝く瞳でがばりと立ち上がったアーモスは、たちまち感激している。
「陛下ぁ!」
「うおー! 俺も褒められたい!」
皇帝とともにあっても明るい雰囲気のままであることに、ヨナターンは嬉しく思うと同時に、気を引き締めるための号令をかける。
「ボジェク! すぐさま人員を選定し、出港準備を整える! アーモス! 必要に応じて補欠人員も選定せよ!」
「「はっ!」」
少将の返事に合わせ、全員が騎士礼をすると、ラドスラフは満足げに頷き去っていった。
――早くキーラに会わせてやりたい、とヨナターンは思いを馳せる。こんなにも皆が貴女を待っているよ、と。
◇ ◇ ◇
「ヨ、ヨ、ヨナさん!」
「ん~?」
「なんか人がすごいいっぱい!」
ヨナターン自慢の海軍旗艦船。最新鋭の魔道具を駆使した、武力も速度も誇れる帝国随一の船だ。もちろん客室も豪華。
甲板から身を乗り出すキーラに、船にいる全員が温かい微笑みを向けている。
ブルザーク帝国の軍船が入れる港町は、活気にあふれていた。
皇帝陛下の妹君の凱旋帰国を一目見ようと、帝国全土から帝国民が集まっているのだ。
キーラはロランとともに帰ってきたわけだが、動きやすいからといつもの事務官姿である自分に、少しの申し訳なさを感じる。
「みんなキーラが来るのを楽しみに待ってたからなあ」
「ヨナさん! 私、こ、こんな服装で」
「別にいーだろ? キーラらしくて」
「そうだね、キーラらしいよ!」
ヨナターンとロランが頷くので、じゃ、いっか! と安心する。私らしくでいいのね? と。
そうして、笑顔で「みんなありがとう!」と気さくに手を振る皇帝の妹が、下町や皇都で帝国民と直接会話を交わすことに、大いに驚かれることになった。
そんな飾らないキーラが、帝国民の間で人気になるのは、必然だろう。
一方その頃皇城では――
「無事に着いたとのことです」
マクシムが通信魔道具から顔を上げると、皇帝の間へ向かう足取りが、急に重くなるラドスラフ。
「……」
「残念ながら、謁見予定が夕方まで詰まっておりますよ」
護衛であるマクシムの頭の中には、皇帝の予定が完璧に叩き込まれている。
「分かっている。どうせ半日はかかる――だが即位してから初めてだ」
「は」
「公務が億劫などと……」
「! 楽しみですね」
「……ああ」
気心の知れたマクシムだからこそ出た、皇帝の本音だった。
マクシムは内心驚愕したことをひた隠し、同時に情の深さを再認識し、嬉しく思う。
やがて、その「妹大事、甥っ子可愛い」という皇帝のダダ漏れな態度でもって、『血塗られた皇帝』から『絆の皇帝』へと、その名が変えられていく。その道をともに歩ける、喜びとともに。
「さあキリル。今日はどこに隠れるか……」
「えっとね……ラース、あそこは? 温室の裏!」
「ほう?」
「いこ、いこ!」
はしゃぐ男の子に手を引かれ、小走りする皇帝は、笑顔だ。
「こーらー! ラース兄、キリルー! どーこに、隠れたあーーーーーー!」
温室の影でクスクス笑う、赤髪の二人の男子が、キーラに見つかって一緒に説教される毎日が、近いうちにやってくるのだ。――
お読み頂き、ありがとうございました。
帝国のみんな、可愛いです。
独りで頑張ってきた皇帝ですが、やっと少し気を抜けるようになりましたよ。




