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其の壱

初めてくぐる吉原の大門は、大きくて、豪奢で、夢の世界への入り口のようだった。


 昼間でもこれなのだから、夜は無数の提灯に照らされて、さぞや幻想的な景色なんだろう。


 門をくぐる瞬間、瑛助は首が痛くなるくらい真上を見ながら歩いた。小石にけつまずいたが、なんとか転ばずに体勢を立て直した。


「こら、はぐれんなよ。こんな用でもなきゃお前にゃ十年ばかし早い場所だ」

「十年ですか? あと五年もすれば十五になるんですから、十年は大げさじゃないかなあ」

「ばーか。こんなところで遊べる十五の若造なんて、実家が太いとか、相当恵まれたやつだけだよ」


 瑛助はぶーと口をとがらせて、問屋の先輩・恭四郎のあとをついていった。


 瑛助は、吉原に遊びに来たわけではない。飛脚見習いとして、恭四郎の供でここにやってきた。あくまで、仕事。


 昼見世なんて言葉もあるくらいだから、営業している店もいくつかあるが、客足はさほどでもない。少し静かな通りを、瑛助は恭四郎とはぐれないように歩いた。

 やがてたどり着いたのは、若草楼という店だった。瑛助たちの仕事は、この店に文を届け、また店から文を預かり、お客に届けることだった。


「ごめんくださぁい。飛田屋の恭四郎でぇす」


 恭四郎が声をかけたが、返事はない。しかし、恭四郎は勝手知ったる様子で框に腰掛けた。


「ここで待ってりゃ、来るから」


 不思議そうな顔をする瑛助に座るよう促すと、恭四郎は


「『若草花魁』って聞いたことあるか?」

 

 と、瑛助に尋ねた。


「いえ、知りません」

「なんだあ、やっぱりお前はまだまだガキんちょだな。若草花魁っつったら、ここの看板遊女。店で一番の売れっ子が、代々受け継いでる名前なんだ。今は確か、三代目の若草花魁だったか。俺だって顔は拝んだこたぁねえが、そりゃあもう天女のような女だっていう……おっと」


 恭四郎が話をやめ、奥に視線をやった。瑛助もそちらを見やると、風呂敷包みを持った少女がこちらにやってくるところだった。


 瑛助は息を飲んだ。赤地に優美な柄の刺繍が施された着物、きれいに結い上げた髪には金色の簪がきらめいている。そして何より、その美しい着物がよく似合う、整った目鼻立ち。歳は、瑛助と同じくらいだろうか。瑛助は、少女を穴の開くほど見つめてしまった。が、少女は何事もなかったかのように笑みを浮かべ、二人に風呂敷包みを差し出した。

 

「飛田屋さん。いつもありがとうござりんす。これが今日の分ですえ。……あら、見ないお顔でござりんすな」

「おう、杏子あんずちゃん、こいつは瑛助っていってな、うちの見習いだ。ほれ、瑛助、挨拶」


 恭四郎が瑛助の頭をがしっと掴み、無理矢理お辞儀をさせた。瑛助はなすがままに頭を下げ、「瑛助です。よろしくお願いします」と挨拶した。


「まあ、こんなに若いのにこんなところに来るなんて、ご苦労なことでありんすなあ」

「こいつぁ俺の弟子だからよ。俺と同じところを回ることになってんだ。ま、あと十年もすればもしかしたら別の意味でお世話になるかもしれねえがな」


 はっはっは、と自分で笑っている恭四郎を揶揄するでもなく、楽しそうに笑っている杏子は、瑛助より何歳も年嵩なのではないかと思わせた。


 届ける分の文を杏子に渡し、瑛助と恭四郎は早々に若草楼を辞した。その後も何軒かの店で手紙を預かり、二人は吉原を出た。


「恭四郎さん、手紙を渡すのに禿が出てきたのって、最初の若草楼だけでしたね」

「ああ、あそこはな。若草花魁は当代一の人気者だが、逆にいえば他の女は有象無象というか……。まあ、要はあんまり儲かってねえんだ。だから値の張る吉原の飛脚は使えなくて、うちみてえな外の安いところに頼んでいるのさ。って、こんな話よそでべらべら喋るんじゃねえぞ?」

 

 はあ、と瑛助は頷いた。じゃあ、次の若草花魁はあの杏子って子ですか? と、喉まで出かかったが言うのをやめた。それでは「杏子は将来美人になる」と言っているようなもので、口に出すのはいささか恥ずかしかった。



 問屋に戻って、文の仕分け作業を手伝っていたが、若草楼の文は、ほとんどが客から若草花魁、また若草花魁から客に宛てたもので、本当に花魁の人気でもって成り立っている店なのだと実感した。店の命運を握っているとなると、彼女が背負う重圧やいかに。余計なお世話ながら、瑛助は勝手に杏子を思い浮かべ、心配してしまった。


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