夜光教授の日本童話講座 議題『鉢かつぎ姫』
家紋 武範様主催【知略企画】の参加小説です。
その日、如月弥生は、世話になっていた教授に呼び出され、久しぶりの母校に足を運んでいた。
教授――夜光護は変わり者と言っていい人だった。
専門は生物学のくせして、趣味で童話の研究をしているとかで、如月はよく絡まれた。
如月が教授のとは違うゼミを選んだあとも容赦なく話しかけに来たのだから、教授はさぞかし如月のことを気に入っていたのだろう。
如月も一学生の範囲で、教授のことを面白くて優しいひとだと思っていた。
初めて会う人には必ず聞き返されるこの名前を、笑ったりからかったり戸惑ったりせずに、真摯に考えてくれた初めての人が夜光教授だったから。
答えはまるでとんちんかんで、彼が趣味とする童話のように甘く不思議な話だったけれど。
「教授、お茶をいれましたよ」
「おお、如月くんありがとう。うん? これはペットボトルのお茶じゃないか。ペットボトルのお茶を手渡すことは、お茶をいれるというのだろうか……?」
「相変わらず細かいことが気になる人ですね」
真面目に悩んでいる教授をあしらいながら、しかし如月の口元には笑みが浮かぶ。
教授は何も変わったりしていない。
こんな些細なことにも真剣な様子は出会った頃のエピソードを思い出させる。
如月は教授に言った言葉とは裏腹に、そんな彼が大好きなのだった。
「今日だけは教授の戯れ言にちゃんと耳を傾けてさしあげますよ」
「おや、どういう風の吹きまわしかな。とはいえ、この歳になると真面目におじさんの話を聞いてくれる人は稀少でね。さっそく本題といこうか」
如月は教授の机の前まで椅子を運び、ゆったりと腰かけて教授の言葉を待った。
「私の好きな童話は、ロシアの冬将軍だよ。君の好きな童話はなんだい?」
「そうですね……美味しいおかしが出てくるので、ヘンゼルとグレーテルでしょうか」
「なんてこった! 君は魔女に檻に入れられた挙げ句、魔女をかまどにぶちこむ話が好きなのかい? 色恋で悩んでいた君のことだから、きっと白馬の王子を望むと思ったのに」
「シンデレラですか。私が女性だからって安直すぎる発想ですよ。そういうの、セクハラですから」
「いやいや、すまなかった。君からシンデレラという言葉を出すために、言葉にもないことを言ってしまって。そうだろう、そうだろう、今流行りの馬たちはどれも茶色や黒だものな」
もしかして競馬の話だろうか。
特別、好きな人に足の早い馬に迎えに来て欲しいとは思わないものだが。
「僕は男だけれどシンデレラは大好きだよ。心優しく正しい者が、悪意に負けずに懸命に努力した果てに、幸せな生活が待っているという成功秘話。王族として暮らすことが幸せばかりかどうかはさておくとして、僕は現代の世の中にも通ずるものがあるんじゃないかと思う」
「そんな大層な話ですかね。虐げられていた女の子が王子に一目惚れされる、よくあるモチーフだと思いますが」
「君の言う通りだ。シンデレラのような話は、昔話や物語ではありがちだよね。今でも人気のあるストーリーだと思う。ところで、日本にもシンデレラのような昔話があるのを知っているかな」
夜光教授が穏やかに微笑む。
当然知らないだろうと言いたげな優しい目が悔しくて、如月は脳をフル活用した。
シンデレラのような、ということは男女が恋愛感情を持って結婚する話か。
日本史は詳しくないが、戦国時代の将軍たちの逸話だったらあり得るかもしれない。
私はちらりと教授を見た。
「降参かね、如月くん」
「参ったというのは、教授の話をすべて聞いてからです」
「負けず嫌いなのは変わらないんだねえ。では日本版シンデレラ、鉢かつぎ姫の話をしようか」
鉢かつぎ姫の概略。
あるところに病弱な母から生まれた可愛らしい娘がいました。
しかし、自分の死後の娘の行く末を案じた母が仏さまに祈り、お告げ通りに娘に鉢をかぶせました。
やがて娘の母は死に、父親は新しい妻を迎えました。
娘は育っていきましたがどうやっても鉢は外れず、周りからひどい扱いを受けていました。
ある日娘はこの身を儚み、川に身を投げましたが鉢のせいで沈むことができず、武家の若君に拾われることとなったのです。
若君の屋敷で働く日々。
娘はある夜、屋敷にあった琴を弾いたのをきっかけに若君と親しくなっていきます。
若君が嫁を取るときが来ました。
若君は鉢かつぎの娘を妻にしたいと父に申し出ますが許されず、激昂した父は娘に刀を振りかぶります。
そのとき娘の鉢がぱかりと割れ、娘は美しい姫君と変わったのです。
若君と娘は幸せに暮らしましたとさ。
「なんだか……人魚姫っぽさもありますね」
「そうだね、シンデレラや人魚姫の各要素がありつつ、光とともに美しい女性が現れる、かぐや姫のような要素も見られるね」
「琴が弾けるってことは主人公の娘はそこそこの家の娘ってことですよね」
「武家と貴族の結婚だったのだろう。シンデレラだって、姉や継母に流行りのドレスを用意できたのだろうからそこそこのお金持ちなんだろうね」
「なんで鉢が割れて、美しい女性が出てきたら結婚が許されたのでしょうか」
「鉢を乗せたままの姿は一貫して醜いという認識だったらしい。どんなに心根がよく働き者でも、見た目がダメだということで武家の当主は結婚に反対したようだからね」
「はあ……こんな昔話にも美男美女に限る文化があるなんて。世知辛いなぁ」
「あとはやはり光の中から出てきたことだろう。きっかけが神仏に祈ったことであったし、どこか神の使いというか、神々しいというか、畏れ多いという認識が働いたのではないかと思うよ」
そこで教授はペットボトルのお茶を口に含む。
如月は自分のペットボトルを見て、半分ほど減っているのを確認してから大きく煽る。
しばしの沈黙。
割りと気心しれた仲だから、嫌な感じではない。
如月は悔しいけれどその言葉を口にした。
「降参です、教授」
「えっ?なんのことだい、如月君」
「さっき教授が言ったじゃないですか。日本版シンデレラのことが検討もつかなければ参ったと言えと。私の予想は外れました。だから降参です」
しばらく教授は目をパチクリしていた。
やがて合点がいったようで、いつもの優しい目をしてシワだらけの顔が笑む。
「まったく、君は真面目なんだから。そんな真面目な人には福来るべきだよ。だから僕はシンデレラが好きなんだ」
「雑なこじつけですね。私は可愛いだけで寄ってくる男は願い下げですよ」
「シンデレラは何も恋愛ばかりの話ではないさ。本当の姿を見いだし、相手の努力を認めるのは仕事だって一緒だろう? 如月君の縁が良きものになるよう、僕はいつまでも応援するよ」
「……お節介焼きな人ですね」
「少し元気になったかな。では、君が予想していたことを教えてくれないかな。研究にはいつも新しい視点が必要だからね。如月君も協力して欲しいな」
やっぱり教授は変な人だ。
人の悩みを少し溶かしておいて、そんなこと忘れてしまったかのような、まるで学生のような自由さで目を輝かせている。
『君は如月弥生と言うのか。もしかして誕生日は閏年かい? あれは二月と三月の間にあるからね。閏年は二月生まれで、他は三月生まれ扱いなんて、誕生日プレゼントはいつもらえばいいんだろう』
『えっ、違う……? 両親の再婚で名字が変わっただけ? それは失敬。それに誕生日プレゼントはいつも2月の28日にもらってるって? 本当だ、生年月日が1996年の2月28日だ』
『気を遣わせて悪かったね。お茶でも飲んでいくかい? ……どこへ、って自販機だよ。僕のゼミは不人気でね、茶葉なんて常備してないのさ。それに今時は、好きな飲み物が飲めた方が嬉しいだろう?』
『なんでもいいから奢ってあげるよ。ただし、150円までで頼むよ。お小遣いが厳しくてね』
あの日、どこか厳めしい、けれどいたずらっ子のように笑う教授を思い出して、如月の口元は微笑みをかたどった。
今日は如月がそんな風に教授を翻弄したっていいだろう。
「私の想定ですが……内緒です。教授には教えません」
一拍置いて、教授が狼狽えた声を出す。
大人になっただの悪い女だの、好き勝手に言ってくれるものだ。
だけど、生真面目な如月だって、この教授をあたふたさせることぐらいできるのだ。
読んでくださった方と、家紋 武範様に感謝を。
冬将軍は健気で優しい気立ての娘が幸せになり、意地悪な娘が凍死する、こぶとり爺さん的な話です。