1.彼女を変えた悲劇
光の父親は警察のお偉い人だ。
転勤で、この街から引っ越したのが2年前、光が小学校を卒業した後のことだった。そして、この街に戻ってくることが決まったのがつい先月。
明日から新しい学校での新学期が始まる。
光は荷物を居間に置いて、地べたに寝転がる。
「そうだ」
今日は春休みの最終日。なら、きっと彼女も家に居るはずだ。
会えるかもしれない。そう思うと胸が高鳴った。
ぱっと起き上がって、アパートを出る。向かいの家の前までわずか半歩。手を伸ばす。指先が呼び鈴のスイッチに3センチまで近づく。
「ふぅ」
慌てるなよ。俺。
心を落ち着けてスイッチを押した。
チャイムの音が響いてから数秒。ノブが回るとき特有の音が聞こえ、ドアが開いた。
期待と緊張が体を支配し──
目の前に少女が現れた。
言うべき言葉が出てこない。
髪は前より長くなっている。身体つきも女性のそれに近づいる。
だけど。
あの日の彼女だった。
緊張して口が動かない。
彼女は、その青緑色の瞳で見つめてくる。
そして先に口を開いたのは彼女だった。
「だれ」
「……え?」
「だれですか」
淡々と、感情の篭っていない声。
「あ、その、俺だよ。わからないかな、向かいに住んでた、光。斎藤光」
ようやく口を開く。
彼女が一瞬考え込む。
そして
「光くん」
懐かしい呼び方で俺を呼ぶ。
渚──。
そう呼ぼうとした。
だが。
「そう」
彼女はそう言って、突然ドアを閉めた。
予想外の反応に立ち尽くす。そしてようやく状況を認識し、
「え」
そんな間抜けな声を出していた。
♪
翌日。
転校初日なので、早めに学校に行き、職員室で担任の先生と会った。
今日の予定と、自分のクラスを聞いた後、気になっていたことを先生に聞いた。
「あの。同じ学年に、掛川渚という人はいますか?」
と、その名前を聞いた瞬間。先生の表情が突然硬いものになった。
「先生、どうかしたんですか?」
「確かに、3-Aにいるよ。ただ……」
先生が言葉に詰まる。
「ただ?」
「色々あって学校には来ていない」
……なんだって。
「学校に来てない?」
「もう半年以上前から不登校よ」
♪
放課後。
光は自分の席を立って、渚の席にやって来た。
新しく綺麗な机。だがそれゆえに、その落書きの痕がはっきりと読み取れた。
「──殺人鬼の娘」
「──殺人鬼の娘」
「──殺人鬼の娘」
机にしっかりと残ったボールペンの痕。
気がつけば拳を握り締めていた。
昨日のそっけない反応。
あれは、渚が単に忘れてしまっただけなのかと思っていた。2年の歳月は長いのかと考えていた。
だけど。
時間なんて関係ない。
何が起きたのかは分からない。
けど、この落書き(きずあと)が物語っている。
彼女の身に何かがあったのだと。
俺は、横を通り過ぎようとしたクラスメイトに声をかけた。
「何?」
「あのさ、ここの席の子、どうして学校に来てないの?」
「ああ。転校してきたから知らないのか」
「何かあったのか?」
「そいつの母親、半年前に近所のおばさんを殺して捕まったんだよ」
クラスメイトは事も無げに言った。
♪
家に帰って急いでパソコンを立ち上げる。
大型検索サイトのニュースページを開き、街の名前を入れて検索にかける。すると案の定一件の記事が見つかる。
日付は半年前。
それに目を通す。
事件の詳細はこうだった。
今から半年前。
渚が住んでいたアパートの近所に住むおばさんが死体となって見つかった。
そのおばさんは、近所でも有名な迷惑おばさんで、アパートの近くで、意味不明なことを永遠叫んだりしていた。
すぐに容疑者は逮捕された。
容疑者の名前は掛川雪子。
自宅アパートから凶器が見付かったのが主な原因だ。
見付かった凶器は掛川雪子の所有物だった。
「そんな馬鹿な」
あの雪子おばさんが?
雪子おばさんには小さい頃からお世話になっていた。普段家に両親が家にいない光にとって、母親代わりと言っても過言ではない存在だった。
そのおばさんが殺人。にわかには信じられなかった。
と、画面をスクロールすると、別の記事が見付かった。
『容疑者留置所で死亡』
雪子おばさんは、取調べの最中に亡くなっていた。
その文を見たとき。
心臓が止まるかと思った。
まさか、そんなことがあるなんて、あるはずが無いと。
だが、よく考えてみれば。雪子おばさんは病気がちだった。警察の取調べは心身ともに疲労するものだと聞く。そのせいで病状が悪化してもおかしくは無い。
そして娘の渚は、それが原因で登校拒否。
何時の時代でも、犯罪者の家族が一番の被害者になるのは変わらないのだろう。
もし母親が殺人者扱いされてしまったら、子供である渚が平気でいられるはずなど無い。
「渚……」
光は、何をしたら良いのかわからず、ただ記事を見つめ続けた。