7月7日、晴れ
……今週も会えなかった…………。
仕事で忙しい樹にいつも置いてきぼりの加奈。樹は電話はしてくれる。最低でも寝る前の1時間は話している。でも。
会いたくて仕方がない。
前に会ったのは1か月前。ベタかもしれないが、一度の逢瀬と100回の電話とどちらがいい? と、いま聞かれたなら、加奈はきっと一度の逢瀬と答えるだろう。
もうすぐ七夕。去年の七夕に樹が加奈に告白した。好かれて付き合いだしたはずの加奈なのに、今は加奈のほうが追いかけるような立場に逆転している。
いや、樹も会いたいとは思っている。しかし、去年の冬から勤めている会社がちょっとブラック企業でなかなか休ませてもらえない。
樹はこの会社に勤める前の出来事を思い出していた。
去年の7月7日の夜。樹は加奈を呼び出していた。星空がよく見える田舎の川の土手に二人はいた。
「夏の大三角形って知ってる?」
樹は加奈に言う。
「んー、星のことはわかんない」
加奈は正直に答えた。
「こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブ。ベガとアルタイルは七夕の織姫と彦星と言われてるよ」
「へー、詳しいんだね」
加奈は目を丸くしながら言う。
「それほどでも。位置、教えてあげる」
樹は加奈に説明するが、加奈にはなかなか星の場所がわからなかった。でも、加奈は樹に何度も聞き、ベガとアルタイルを見つけることができた。
「今日、晴れてよかったね。織姫と彦星、おデート中かな?」
加奈は笑顔で言う。樹もうん、とうなずいた。
「加奈、さん」
「はい……」
樹は深呼吸をすると、カバンから用意していたプレゼントの小さな箱を出して加奈に差し出す。
「好きです。付き合ってください」
樹の声は震えていた。加奈は驚いていたものの、とても嬉しかった。
「……はい。よろしくお願いします」
プレゼントの箱を受け取る加奈。樹は箱を開けるように促した。中には、二つのシンプルなデザインのリング。
「加奈さんの友達に指のサイズ、聞きました。きっと合うはず」
そう言うと樹は加奈の左手の薬指に小さい方のリングを付けた。サイズはぴったりだった。
「樹君も」
加奈も樹の左の薬指に大きい方のリングを付ける。二人の指に同じデザインのリング。そして、加奈は樹に抱きついた。実は、加奈もかなり前から樹のことが好きだった。
田舎から都会に移り働くようになった樹。あまりにも忙しそうなため、加奈は心配だった。電話で話していても以前と違い、疲れた声をしている。
「大丈夫?」
「何が」
心配して聞いた加奈だが、樹の返事は少しイラついた声だった。
「無理しないでね?」
「無理してねーよ!」
けんか腰の樹の返事を聞いて、加奈はこれ以上話しても楽しい会話になりそうにないと思った。
「そう? じゃ、また今度、話そうね……」
気を使って電話を切る加奈。少し落ち込んだ。
窓から外を見ると雨が降りそうだった。
今日の夜空には下弦の月が浮かんでいる。ベランダで星空を見ながら加奈はため息をつく。今日も樹に会えない。何日会ってないんだろう。ふと思い出し、部屋に戻るとカレンダーを見る。
「あ、もうすぐ七夕だ」
加奈はそう呟くと一年前のことを思い出した。優しい笑顔で夏の大三角形を教えてくれた樹。加奈も今は三つの星をすぐに探せるようになっていた。ベガとアルタイルを見つけてから、七夕と言えば、と必要なものを思い出した。
笹、用意しなきゃ。
加奈が母に言うと買っておくわよ、と言ってくれた。
短冊に願い事を書く。もちろん、言葉は『樹に会えますように』だった。ほかにもいくつか願いを書く。
スマホが鳴った。着信音でわかる。樹だ。しかし、ほんの一瞬で音は鳴らなくなった。
樹も、私と同じように会いたいと思ってくれてるかな……。
どんな一日でも、無事に終わっていてほしい。上司に怒られた日でも、ハードな一日でも、アパートに帰ってからコーヒーなんかを飲んで、ホッとしていてほしい。
再び、スマホが鳴った。樹だ。
「もしもし?」
「俺。7月7日、最終の新幹線に乗ってそっちに行くよ」
最近の疲れた声でなく、楽し気な声の樹。加奈の心も弾んだ。
「ほんと! よかった!」
加奈は『やっと会えるね』の一言は呑み込んだ。嫌味に聞こえたら嫌だったから。
「晴れるといいな。七夕だから」
「そうだね」
二人はお互いに相手が笑顔になっているのを想像していた。
ベランダの笹には願い事を書かれた短冊がいくつか飾られていた。加奈は星から一番見えるであろう場所に樹と会えますようにと書いた短冊を飾っていた。
7月7日、空は曇っていた。明るいころに夕立が降ったせいかもしれない。今は雲の切れ間からたまに星が覗いている。風も吹いているし、もう少ししたら晴れてきそうな気がする。
新幹線に乗っているであろう樹のために、加奈はお気に入りの青のチェックのワンピースを着て迎えに行く準備をしている。薬指には樹がくれたペアリング。
グレーの小さめのバッグの中にスマホを入れると外に出た。自分の白の軽自動車に乗ると助手席にカバンを置き、白いハイヒールを脱いで車用のサンダルに履き替えるとアクセルを踏んだ。
その頃、樹は慌てていた。せっかくのデートの今日、残業を頼まれてしまった。最終の新幹線には間に合わないだろう。今日この日のために、必死に仕事を終わらせようと頑張ったのに、ほかの人の仕事を押し付ける上司に腹が立っていた。
仕事の合間を見つけて加奈に電話をかけるが、つながらない。こんな大切な日になぜつながらないのか。スマホの呼び出し音が鳴り続けるのを聞いて樹はため息を付く。仕事のイライラと、加奈に電話がつながらないイライラ。
もういい。どうしようもない。着信履歴は残るからきっとかけてくるだろう。樹は電話を切る。
ああ、俺、遠距離恋愛に向いてない。樹は自覚しながらため息を付くと、書類に目を落とす。
樹は、加奈と別れようかと考えていた。
加奈はご機嫌だった。大好きな曲をかけてその曲を口ずさみながら車を運転していた。空は雲が少しずつ減り、星が大分、見えるようになっていた。
加奈はまだスマホが鳴っていることに気づいていない。今日、職場の会議の時に音が鳴らないようにミュートにしたのをすっかり忘れていた。
加奈は駅に着く。駐車場に車を置くといつもの待ち合わせの場所に向かい、樹を待つ。
会いたい。早く会いたい。樹……。