「厳寒期の終わりに」
厳寒期に突入してから4カ月半が過ぎた。
この頃になると俺たちは、慢性的な食料不足に陥っていた。
生鮮食品はすでに無く、あらかじめ作っておいた各種保存食の底も見え始めた。
穀物はかろうじて残っているものの、単調な食事は精神を摩耗させる。
味付けのバリエーションで誤魔化し誤魔化ししてはいるが、ビタミン不足はいかんともしがたい。
これに俺は、木を食用とすることで対抗した。
さすがに木の幹そのものを食べるのは無理、というか食べること自体は可能でも栄養にならない(主成分であるセルロースが分解できない)ので、木の芽に木の葉に根っこ、樹皮の内側などの可食部、さらにはまだ未成熟な樹液までをも抽出して料理に使った。
味に関してはお察しだが、皆、我慢して食べてくれた。
労働以外でカロリーを使わないよう、また燃料の消費を抑えるために、暖をとる時は集まってとることにした。
男子禁制の女子棟への入出を許された俺は、セラの所属する年少組の大部屋で寝起きするようになっていた。
「……ねえ、ランペール商隊はいつ頃来るって言ってたっけ?」
床に座り毛布を羽織ったフレデリカが、赤々と燃える暖炉の火を見つめながらつぶやいた。
「ええと、たしかもうじき……」
「……本当なら、もう来ていてもおかしくないはずなんですけどね」
マリオンとルイーズがフレデリカにもたれかかりながら口々につぶやき、そして同時に、ため息をついた。
「大丈夫だよっ。たぶん明日には来るんじゃないっ? そしたらお腹いっぱいご飯が食べられるねっ」
能天気なセラの言葉に、フレデリカは眉間に皺を寄せた。
「……あなたはいいわよね。そこにいればいつだってご機嫌なんだから」
そこ、というのは俺の足の間のことだ。
あぐらをかいて座る俺の足の間にすぽりと収まったセラは、俺もろともに毛布をかぶり暖をとっている。
少しでも暖房効率を上げようとの判断から許しただけなのだが、セラとしてはもっと違う何かの許可を得たような気になっているのだろう。
終始ニコニコご機嫌で、時おり鼻歌などを歌っている。
「うんっ、だってふーふだしっ」
「……ダメだわ。嫌味がまったく通じない」
「待て待て、その前に夫婦とかいう世迷い言をだな……」
「ええーっ? だって毎日一緒に寝て起きてたらふーふでしょーっ?」
「それを言ったらわたしたち全員、家族みたいになっちゃうんだけど……」
「ええーっ? ジローはいっぷたさいせーのはーれむきんぐなのっ?」
「それもたぶんおまえのおかーさん語録からなんだろうな……というかそんな言葉こっちにもあるんだなあ……」
「……ぷっ」
最近定番になっている俺たちのやり取りを見て、誰かがくすくすと笑い出した。
最初小さかったそれは徐々に連鎖し大きくなり、やがて部屋中に響く大きな笑いとなった。
「あっはっは、あー、おかしいっ」
フレデリカが涙を拭いながら笑いを堪え、
「えー? なんでなんで? なにがおかしいのーっ?」
セラはわけもわからずきょとんとし、
「いいんだいいんだ。おまえはまださ、わかんなくて」
俺も腹筋の痛みに耐えながら、セラの頭をわしゃわしゃしてやった。
こんな風にじっと引きこもっていてもいいなら楽なのだが、あいにくとやるべきことは山ほどあった。
引き続きの燃料調達、食料調達。
雪崩のせいで塞がってしまった麓への道の復旧。
寒さのせいで体調を崩す人間は多く、霜焼けや凍傷になる者も相次いでいる。
軽症者に関しては自力で治癒してもらうが、重症者にはセラの治療が必要となる。
この間の双子の時ほどではないが、そのつどセラは消耗し、時に倒れた。
もしこのまま、助けが来なかったらどうしよう──その恐れが、皆の頭上に暗い影を落としている。
だが、だからこそというべきだろう、俺たちは本当の家族のように結束していた。
血をも超えた強い何かで繋がっていた。
やがて、誰かが歌い出した。
それはこちらの世界の神様を讃える聖歌だ。
少女たちは次々に声を上げ、部屋には神聖なる言葉が満ちた。
「……」
あいにくと信心深くない俺には、その歌は刺さらない。
だけど少女たちの思いは伝わってきた。
この苦難をきっと生き抜こう。
やがて訪れる春を待とう。
みんなで、一緒に──
「……」
ふと思った。
なんで俺はここにいるのだろうと。
だって普通、異世界転生者ってのは特別な存在じゃないか。
こっちの人より強くて、武器や魔法の扱いに長けてて、凄まじいチート能力を持ってるのが普通じゃないか。
なのに俺はただの料理人だ。
こっちの人よりすごいのは料理の腕だけ。
食料の供給が絶たれたら何も出来ない。
もしここにいるのが俺じゃなかったら、今頃きっと……。
「……」
俺は小さく息を吐くと、黙ってセラの体を抱き寄せた。
「……ジロー?」
いつもならきゃあきゃあと騒ぐだろうセラが、その時ばかりは騒がなかった。
小さく微笑みながら俺の腕に頬を押し付けると……。
「ありがとう、ジロー。ジローのおかげで、みんなこうして生きてるよ」
などと、俺の気持ちを見抜いたかのような言葉を口にした。
その瞬間、唐突に俺は思った。
こいつは聖女になるだろうと。
『癒しの奇跡』など無くても、人々を導く立派な人間になるだろうと。
「……なあ、セラ」
「うん?」
「俺が絶対、生き残らせてやるからな。おまえも、みんなも、誰一人死なせねえから」
もう、二度と。
この命を懸けてでも。
「うん……信じてるよ」
俺の口約束を、セラは心の底から信じてくれた。
嬉しそうに微笑んでくれた。
そんな風に、俺たちは過ごしていた。
厳寒期の終わりを、本当の家族のように寄り添いながら。
大陸の遥か北方、寒く貧しきザント修道院で。
それからまた月日が経ち、5カ月目に突入したところで麓への道が復旧した。
ほぼ同時に、激しい地吹雪の向こうにのっそりと大きな影が見えた。
何体にも及ぶ雪の化け物が侵攻して来るような異様な光景に、皆は驚き身を寄せ合った。
やがて、誰かが叫んだ。
──馬車だ! 荷馬車だよ!
その声は徐々に繋がり、大きくなっていった。
ランペール商隊だ。
俺たちを助けに来てくれたのだ。
その瞬間の感動は、言葉では表しがたい。
踊り回るセラと、泣き崩れるカーラさんと、抱き合い喜び合うフレデリカたちが描く輪の中で、俺はスコップを杖にしながら呆然と立ち尽くしていた。
じんわりと胸にこみ上げる感慨と共に、バカみたいに突っ立っていると……。
「……っとと」
強い風が、一瞬辺りを吹き抜けた。
それはまるで、人の声みたいなものを俺の耳元に囁いて過ぎた。
──やったね。
って。
──がんばったね。
って。
優しく労うようなその声は、俺の知るある人物のものに似ていた。
セラでなく、カーラさんでもなく、他のシスターたちの誰でもない。
「……まさかな。そんなこと、あるわけねえよな」
どことなく、霧の声に──なんてことは、だから俺は、未だに誰にも言ってない。
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