「くるみのタフィ」
甜菜と書いてテンサイ。
根の形が大根に似ているところからサトウダイコンとも呼ばれるが、実際にはほうれん草と同じヒユ科の植物だ。
主に葉を食用とするために栽培され始めたそれは、幾度かの品種改良を経て家畜の飼料用としての作物に落ち着いた。
つまりはまずくて人間の食いものじゃないという判断がなされたわけだが、1745年にドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフが根の部分に貯蔵されていた砂糖の分離に成功したことで評価は一変した。
冷涼な気候でも育つテンサイは、南方種であるが故に貿易上様々の障害があったサトウキビ由来の砂糖に変る作物として、主にヨーロッパで栽培されるようになった。
実際、日本で砂糖といえばサトウキビ由来のものになるだろうが、世界的にはサトウキビが60%、テンサイが40%とかなりのシェアを占めている。
そのテンサイが、まさか──
「……マジか。マジでテンサイだ。これもそれも……おいおい、あそこまでずっとか?」
俺は声を上ずらせながらその光景を眺めた。
商隊の最後尾の、人っ子ひとりいない寂しい馬車の荷台に、山のようにテンサイが積み上げられていたのだ。
「……ジローさん? どうかされましたかな?」
ランペール商隊長が、驚く俺に話しかけてきた。
積み上げられたテンサイの山に気づくと、眉間に皺を寄せて……。
「……ああ、これですか。実はこちらのミスで大量に仕入れてしまい、使い道に頭を悩ませていたところなのですが……」
ため息をつきつき話し始めた。
「仕入れミス……? するともしかして、ここにある以外にも在庫があったり?」
「ええ、拠点にしているこの近くの街の倉庫にもまだあったはずですが……」
マジか。
だとすると、これはけっこうとんでもないことになるぞ。
「……商隊長、ちょっとこいつを借りていいですか?」
俺はテンサイを何本か小脇に抱えると、厨房へと走った。
ざわざわ、ざわざわ……。
何やら俺がやり始めたぞということで、物見高いシスターたちが集まって来た。
商隊の人たちも興味をそそられたのだろう、厨房の入口にはいつの間にか分厚い人垣が出来ていた。
「ジロー、ジローっ。何するのっ? 何か作るのっ? 美味しいものっ?」
ウキウキした表情で俺を見上げて来るセラに、スッとテンサイを差し出した。
「セラよ……おまえに仕事を与えよう。その首から下げた包丁を使う、最初の機会を与えよう」
俺が厳かな声で告げると、セラは顔をぱっと輝かせた。
「お……おおあああーっ? ああおおあああーっ?」
意味不明の唸りを発したかと思うと、シャキーンとばかりに包丁を引き抜いた。
「は……早くもこの伝説の名剣『ドラゴンすれいやー』の切れ味を見せる時がっ?」
「……そんなご大層な名前がついてたのかよってかおまえはいったい何と戦おうとしてるんだよ……」
ハアとため息をつきながら、俺はセラに任務の内容を説明した。
「いいか? くれぐれも力を入れすぎるなよ? 綺麗な切り口なんかじゃなくたっていい。ギコギコ引き切るような感じでいいからな?」
「うんわかった!」
「おいやめろ、そのぶんぶか振り回すのを今すぐやめろ」
顔を真っ赤にして興奮するセラをなだめていると……。
「ジロー……あなた正気ですか? セラに包丁を使わせるなんて」
人垣をこじ開けるようにして、カーラさんがやって来た。
どうやらセラが包丁を使うのに反対のようだが……。
「間違って指を切ったりしたらどうするんですか。そんな危ない事、やめさせてください」
「ええー、出来るっ。出来るようーっ」
出来る出来ると主張するセラと、やらせはせんと包丁を取り上げようとするカーラさん。
ふたりの主張は平行線をたどり、俺が後ろから補助をするということでようやく決着を見た。
「いいか? 持つ手はグーだ。しっかり柄を握るんだぞ?」
「おおー」
「食材を押さえる手もグー。ほら、あれだ。狼の子供がやってるんだと考えろ」
「わおーん?」
狼を例えに出したのが良かったのか、セラは存外スムーズにテンサイの根と葉を切り分けた。
全てを無事に切り終えると、シスターたちからは安堵の息が漏れ、商隊の人たちからは拍手が沸き起こった。
「ようし、あとはこれを残らず洗うんだ。出来るな?」
「うんっ、出来るよっ!」
セラを次の作業に送り出すと、俺は自らの準備にとりかかった。
火を起こし、鍋にフライパン、ザルに濾し紙などの道具を用意し……。
火の温度が程よく上がったところに、セラが洗い終わったテンサイを持って来た。
第一工程はセラがやってくれたので、作業は第二工程からだ。
まずは根の皮を剥いて、賽の目状にカットする。
70度のお湯に浸けて糖分を抽出。さらに濾し紙で不純物を取り除き、フライパンに入れ200度で煮詰めていく。
「おおーっ、セラが切ったテンサイたちがっ、コトコトコトコト煮られているっ。大丈夫かっ? 熱くないかーっ?」
「なんでおまえは食材に仲間意識持ってるんだよ……。つうかその仲間、これから食うんだからな?」
「大丈夫っ。テンサイたちもセラに食べられるならいいよと言ってくれているっ」
「なんだその信頼関係……」
セラの戯言につき合いつつアクを取り、ひたすら煮詰めたら白下の完成!
出来立てはドロリ粘性のある茶褐色で、砂糖というよりはほとんど水飴。
まったく白くないのは砂糖の結晶と糖蜜が入り混じっているからだ。
「乾燥させて遠心分離器にかけるのが手順だが、当然そんな設備は無い。白下糖として使うにしてもいったんは乾燥させるのが普通だが……」
厨房に充満する甘い香りが食欲をそそるのだろう、ギャラリーたちがソワソワしながらこちらを見ている。
何も食わせないとか、あと2時間は待て、なんて言ったら暴動が起きそうだ。
「……そんな時間も無い、と。無い無い尽くしで大変だが、まあー……」
「『それが料理だ』!」
「そういうこった」
元気よく叫んだセラの頭をひと撫ですると、俺はすぐに作業に移った。
砕いたくるみを150度で10分ロースト。
水飴、蜂蜜、水を混ぜたものを160度で熱加熱し、溶かしバターと塩をひとつまみ振りかける。
狐色になってきたらちょうどの合図だ。火を止めて、ローストしておいたくるみを入れて手早く混ぜる。
そいつを鉄板の上に広げて伸ばし、冷めきる前にひと口サイズに切り分けて完成!
「『くるみのタフィ』だ。さあ、召し上がれ」
手早く仕上げたタフィを、俺たちは手分けして配って回った。