「エマ去りて」
セラの問題が片付いた一方で、エマさんはその日のうちに旅立つこととなった。
身支度を終えた彼女と、少し馬小屋で話す機会があったのだが……。
「もう少しゆっくりしていってはいかがですか? ここは空気もいいし水も美味いし、良いとこですよ? じきに収穫祭もありますし」
俺の提案に、しかし彼女はあっさりと首を横に振った。
「いいえ。すぐに戻らないとギュスターヴ閣下が癇癪を起こしますので。それは巡り巡って部下からのわたくしへの不満につながりますので」
なるほど、どこの世界でも上に立つ者は大変らしいと大いにうなずいていると、彼女は意外な一言を放ってきた。
「それに、ちょっと怖い気もしますしね」
「……怖い?」
「ええ。一年に一度の収穫祭ともなれば、あなたにされた枷も外れるのでしょう? 小麦粉に砂糖、一部の香辛料の使用。今のままでも十分化け物なのに、本気で料理なんてされた日には……たぶんわたくしは、ショックで寝込んでしまいます」
「また大げさな……」
さすがにそんなことはないだろうと俺が肩を竦めていると……。
「ですので、わたくしは決めているのです。次にあなたと会う時は王都。そしてその時にもう一度決闘を申し込もうと。そのためにも今はひたすら腕を磨いておこうと」
「リベンジってことでしたら望むところですが、俺が王都へってのは難しい話ですよ。ご覧の通りのしがない修道院の料理番で、しかも王様に嫌われてますからね」
「いいえ。あなたは来ますよ、絶対に」
確信めいた口調で、エマさんは言う。
その表情は相変わらず変化が乏しく、真意が見えづらい。
でも、これだけは言える。たった数日のことだけど。
こと料理に関して、この人は嘘をつかない。
俺の腕を買い、その将来に太鼓判を押してくれているのは間違いない。
前にも言ったが、料理長ってのは料理人にとって特別な称号だ。
しかも、王国にあって王様に次ぐ2番目の地位である公爵家の料理長にそこまで推されて、嬉しくないわけがない。
かといってそれをそのまま表に出すのは恥ずかしいので、俺はポーカーフェイスを務めた。
「……ま、俺が王都に行くかどうかは別として。フレデリカのことはどうするんですか? というのは、例の報告の件なんですが……」
俺は視線を外へ向けた。
馬小屋の外でセラたちが騒いでいる。
フレデリカが得意げに何かを語り、セラが首を傾げ、マリオンとルイーズが驚いている。
ま、どうせくだらないことなんだろうが……。
「希望的観測込みで前向きに成長なさっている、ということにいたします」
「ずいぶんと回りくどい言い方ですね?」
「だって、そうとしか言えませんもの。あのお嬢様が芯から悪いと思って人に詫びることがあるだなんて、しかもその相手との関係性を変えて行こうと努力なされる日が来るだなんて、わたくし、つい先日まで想像すらしておりませんでした」
たしかにそうかもしれないと、俺は思った。
他人から見れば、驚くほどに小さな一歩。
でもそれは、問題児フレデリカにとっては大いなる一歩でもあったのだ。
「ですので、わたくしからの報告は以上ということにさせていただきます。詳しくお知りになりたいのでしたら、一度お会いになってみてはいかがですかとお伝えするつもりです」
「……なるほど」
実際に会ってみれば、その変化に驚くだろうと。
逆に言うなら、それぐらいの自信があるというわけだ。
「そうだ。あなたにひとつお礼をしなければなりませんね」
ひらりと馬に跨がり立ち去りかけたエマさんが、思い出したように振り返った。
「お礼だなんて、そんな別に……」
わざわざ言われるほどのことはしていないはずだが……。
「いいえ。今回のことで、あなたにはひとかたならぬお世話になりました。だって……ねえ? あの時あの料理を、タルト・タタンを作ったのは、お嬢様のためでもあったのでしょう? いいえいいえ、そんなに必死に否定しても無駄ですよ。でなければあの状況で、あんなにちょうど良い逸話が出てくるわけありません」
うぐ、と俺は詰まった。
エマさんの看破した通りだ。
たしかにあの時、俺は勝敗以外のことも計算に入れていた。
ただフレデリカ陣営を叩きのめすのではなく、セラとの関係性の改善にも繋がればいいなと思っていた。
結果的にはセラが自ら解決したので、必要のないものではあったのだが……。
「ですので、こちらの気持ちの良いようにさせてくださいな」
「へえへえ……わかりましたよ」
不承不承うなずく俺に、エマさんは驚くべきお礼の内容を告げた。
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