「薬膳フレンチとセラの嘘」
2023年9月5日に紙書籍の第1巻が発売となります!
お楽しみに!(*´ω`*)
ドロテアは、五歳までは普通の女の子だったそうだ。
笑って、叫んで、外を走り回って。
貴族の娘とは思えぬお転婆ぶりを発揮していたそうだ。
だけど、ある時から外を恐れるようになった。
貧血を重ねるようになり、目眩や動悸が激しくなり、咳き込み体重も落ち、胸も痛むようになったのだとか。
どんな名医に見せても理由はわからず、やがて両親はドロテアを見捨てた。
神学院の研究機関に委ね、二度と顔を見ようともしなくなった。
だがマシューは、妹を見捨てなかった。
継ぐはずだった家督を次男に譲ると自らは神職を選び、医学の研究に没頭するようになった。
この時代の医学の最先端は大学と、なんといっても宗教機関だったから。
そんなマシューに異世界の食事療法について訊かれ、出来ればドロテアの三食の世話をしてくれないかと頼まれた俺は、ノータイムで引き受けた。
え?
あれほど衝突していたのにどうしたんだって?
そんなの簡単だ。
妹を想う兄の気持ちは、どんな世界だろうが変わらないものだから。
ドロテアの食事療法を始めてから二週間が経った、満月の夜のことだった。
微かな風が頬を撫で、草むらから虫の音が聞こえてくる中を、俺とセラは歩いていた。
ティアたちが明日の授業の準備当番に駆り出されているのもあって、今日は珍しく二人きりでのドロテア訪問だ。
「ねえねえジローっ、今日のお料理も美味しそうだね!」
尖塔へと向かって伸びる石畳の道。
俺の前を歩いていたセラが、後ろ手に手を組みながら振り返った。
最近仲良くしているドロテアの元を訊ねるのが楽しいのだろう、ウキウキと弾むような口調だ。
「まあな……っと、んなことより危ねえから前見て歩け前」
「はあーいっ!」
元気に返事をしたセラは、とててと走って俺の隣に位置すると、羨ましそうな目で俺の手元を見上げた。
俺は今、手にトレイを持っている。
トレイの上には蓋の付いた土鍋がひとつ。
閉じられた蓋の中身は『ザリガニと夏野菜のリゾット』。
米に雑穀を混ぜ、ナスとズッキーニ、トマトなどの夏野菜をたっぷり入れ、メインのザリガニと一緒に炊き上げたものだ。
ザリガニというと引く人も多いと思うが、フランスではエクルヴィスと呼ばれる立派な高級食材。
大正天皇の料理番を務めた秋山徳蔵氏が大正天皇即位時にザリガニのポタージュを提供したのは有名な話だ。
川での採取、泥抜きや下ごしらえなど手間はかかるが、味はエビとカニの中間なのでまずいわけもない。
しかも高たんぱく低脂質で、病人にだっておすすめ出来るときたもんだ。
「ヤクゾンだっけ? なんか体にいーやつ」
「アマゾンみたいに言うな、こいつは『薬膳』だ。俺の世界に古くから伝わる思想のひとつで、ちゃんとしたものを食うことで病気を予防したり治したりしようって考え方だ」
薬膳料理自体は中国の思想だが、実際には世界各地に似たようなものが存在する。
インドに古代ギリシャ、古くから栄えた文明にはたいがいある。
数は多いが根本部分は大体同じ。体のバランスを食事でなんとかしようとするものだ。
医食同源、つまり食と医は同じ源から発し、食べることで病気を予防したり治療したりという発想をする。
「古来からの迷信や妄想が入り混じったせいもあって、全部が全部信用できるわけじゃない。なので俺が現代知識でアレンジしたものを作ったんだ。例えば――」
このリゾットを食べて得られる栄養や効能を、俺は一気に説明した。
「リコピン・クエン酸・ケルセチン・カリウム・メチオニン・ナスニン・βカロテン・葉酸・鉄。他にもビタミンミネラル盛りだくさん。中には科学的根拠の薄い栄養素もあるが、多くはバリバリに根拠のあるものだ。疲労回復・抗酸化作用・増血。血糖値を下げ、コレステロールを下げ、解毒作用があり、美肌になり、便秘を改善して高血圧や眼精疲労の予防まで行える。俺の世界じゃ薬膳というと薬臭くて味が薄いイメージがあるんだが……」
「お、おおー……?」
怒涛の勢いで語ったせいか、セラがあんぐりと口を開けたままコメントできずにいる。
健康より食い気真っ盛りなこいつにはさすがに難しすぎたか。
「まあーともかく、美味い上に体にもいい料理ってことだ」
簡単にまとめると、セラはホッとしたように微笑んだ。
「いいね、美味しそう。いいなあー、ドロテア隊員は」
ここ二週間通い詰めたおかげでずいぶんと親しくなり、今やドロテアはセラ商隊の一員になっていた。
だからだろう、新入隊員を語るその笑みにわずかに寂しそうな色が加わったことに、俺は気づいた。
かろうじて、気づけた。
「……なんだ、どうしたセラ?」
俺に顔色を読まれたことに気づいたのだろう、セラはその場でモジモジし出した。
「うんとね? えっとね? いいなあ、と思ったの。ジローが作ってくれた料理が食べられて。しかもみんなが食べてるのじゃなく、ひとりだけ別のものが食べられて、いいなあって」
「……おう」
「こうしてジローが運んでくれるでしょ? 説明もしてくれて、体の心配もしてくれて。それって特別だなって」
「……」
なんだ?
自分を特別扱いしてくれる男が好きとか、女が望むそういう感じのあれか?
ドロテアに嫉妬してるとか?
でも、そういうことなら……。
「俺はおまえを、ずいぶん特別扱いしてるつもりだがね」
そうでなきゃ、そもそも神学院までついて来やしねえよ。
「……知ってるよ。そんなの知ってる。でも、そういうことじゃないんだよ」
セラは顔をうつむかせながら俺のズボンを指で摘まむと、クイと引いた。
「問題はさ、そうしなきゃダメだってことなんだよ。ああ、特別な料理を作らないといけないんだなって」
「……あいつの病気のことを言ってんのか?」
「うん……あのね?」
セラは顔を上げると、まっすぐに俺を見た。
「いつも楽しくお話してるの。セラがあーした、ジローがこーした、ティア隊員がどーこーしたって。いっぱい……いっぱい。ドロテア隊員はいつも楽しそうに聞いてるの。そんで時々、調子いい時はお歌を歌うの。『にしとーの幽霊』だから、歌がすんごく上手いんだ。でもさ、時々、苦しそうにもするんだよ。背中曲げて咳き込んで、目をぎゅっとして……。んで……ちょっと、泣いてるんだよ」
つっかえつっかえしながら、セラは必死に言葉を紡ぐ。
いつの間にかその顔は苦しげに歪み、瞳はうるりと潤んでいた。
「……っ」
その瞬間、俺は心の底から呻いた。
俺はバカだ。
本物の大バカだ。
セラがこんな顔をして、涙を流すまで気づかなかった。
そうだ。
例え二週間とはいえ、こいつらはすでに友達なんだ。
その友達が目の前で苦しんでいるのに、平気な奴がどこにいるだろう。
ましてこいつに――
そう、こいつに俺は――約束していたんだ。
「ねえ、ジロー。セラはどうしても、ウソつかなきゃダメ?」
おまえの力を隠すためだ。
絶対、俺以外の誰にも言うなよって――
ターニングポイントだと思います。
セラとジローの『癒しの奇跡』に関しての。
これがふたりの未来にどういう変化をもたらすか、じっくり楽しんでいただければと思います。
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