「まさかの決闘」
公爵家の料理長であるエマさんがフレデリカの元を訪れたという話は、その日のうちに修道院中に広まった。
すわ料理番交代か、なんて勝手な尾ひれをつけて。
「んーなことになるわけあるかよっての、なあ、セラ?」
「うう……セラは、セラはジローとずっと一緒だからっ。ジローがクビになっても、どこまでもついて行くからっ。お嫁さんだからっ」
「……なんだろうこの、ありがとうとは言いづらい雰囲気」
夕飯の支度をしながら、俺はセラとふたりでとりとめもない話をしていた。
そこへ、例のエマさんが供もつけずにふらりと入って来た。
「あ、来たっ。来たよっ。料理チョーの人っ。ろーどーしゃの敵っ」
言うなり、顔を真っ赤にしたセラがパスタ用の麺棒を肩に担いだ。
「おいやめろ。暴力はやめろ」
そのまま殴りそうな勢いなのを、羽交い絞めにして慌てて止めた。
「……やあ、お邪魔します。エマです」
生きてるんだか死んでるんだかわからないような低いテンションで挨拶すると、エマさんは厨房内をしげしげと観察して回った。
調理環境を見て──貯蔵倉庫を見て──氷室を見てわずかに唸って──戻って来ると、改めて小さく会釈した。
「あなたがジローさんですね。ニホンから来た料理人で、ザント修道院の料理番で……」
ちらりとセラに視線をやると、わずかに後ずさった。
「……あくまで、ここの料理番で」
その「あくまで」がどこにかかっているのかは、後できっちり問いただすとして。
「ゴホン、ええその通りです。わたしがそのジローです。そしてこっちが助手のセラ」
俺が促すと、セラは羽交い絞めにされたまま器用に頭を下げた。
「それで、レーブ公爵家の料理長ともあろう方が、どうしてまたこんな狭い厨房に?」
「理由は単純です。ひとつには、この厨房を使わせてもらうこと。もうひとつには、それに付随する事項として……」
エマさんは、波の立たない湖面のような瞳を俺に向けた。
「あなたに、決闘を挑みに参りました」