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学校辞めた下駄箱開けた

作者: 佐藤

 町を歩く誰もが外套を羽織るようになったこの季節に、黒い学生服一枚で私は目的の駅に降りた。いつもならば画一化された一学生の私が、今日に限ってはひどくホームで目立っていた。今日という日を心待ちにしていたのだろう、他の人たちは意匠を凝らした服を身にまとっていた。


 彼らに交じりながら駅を出ると、ひどく分厚く陰気な雲が駅の屋根にかかっている。今にも雨が降り出しそうな天気で、私は「いやだな」と思った。他の人たちにはあの空がどう見えているのか私には分かりっこない。


 駅から学校までは徒歩5分もかからない。私はその距離がひどく嫌いであった。忌諱する施設へ手軽に行けてしまう距離というものは私を何も助けてはくれない。私はもう行かねばならぬ宿命のうちにある。


 歩幅を小さくしながら歩く私に対しても玉風は容赦なく吹き荒れる。四面楚歌の状態の私は今にも投げ出してしまいたい衝動にかられたが、大きな流れには打ち勝つことができなかった。


 目的地に着くと、玄関は閑散としていた。いつもの朝の賑わいが嘘のようなこの場所で私は下駄箱へ向かった。私の靴は年季の入った鉄製の部屋に収容されており、そこには律義に扉がついている。私の部屋は5段あるうちの最下層に位置しているため、毎朝かがむことを要求されるのだ。私はそのことにひどい不自由を感じていたが、やはり大きな流れには打ち勝つことはできないため我慢をしていた。


 だが閑散とした雰囲気であろうか、または不自由さが私をそうさせたのであろうか、私は自分の足を下駄箱で試してみたいと思った。


 私は下駄箱の扉に足を引っ掛けて、力任せに引いてみた。閑散とした空間に鈍い金属音が響き渡る。


 その時の快感はたまらないものであった。私はその時だけ大きな流れに逆らった気がした。


 ふと、私の眼には一つ上の段の部屋が目に留まった。1年は開けられていないだろうと思われるその部屋に今、親近感を覚えた気がしたのだ。


 その部屋は私のかつての同級Sのものであった。Sは2年前、正確に言うと高校2年に進級と同時に学校をやめた。理由は定かではないが、彼は入学当初から学校の不満を垂れ流していた。きっとその鬱憤があふれかえって、彼は退学という選択とったのだろう。それから、彼は連絡先を変更したため今では彼が何をしているのか知る術が私にはない。


 Sには行動力があった。一度自分が決めたことは何が何でも達成しようという熱意を彼は持っていた。もともと成績が良いとは言えなかった彼が「次のテストで学年で1位をとる」と発言した時には私を含め皆彼を揶揄した。しかし、彼が目標を達成した時には皆の彼を見る目が変わっていた。


 Sには人を惹きつける才能があった。私自身彼に惹かれていたことは否定できない。先の学年1位を獲得した結果は素晴らしいものであるが、私はそれ以上に彼の目標達成までの過程に惹きつけられていた。四六時中参考書を手放すことなく勉学に励んでいる彼の姿に触発された者は私一人だけではないはずだ。


 そんな彼であったから退学した時には驚いた。しかし同時に彼らしいとも思った。


 彼のことを久しく想起した私は彼の部屋をのぞいてみたいと思った。好奇心もあったが、かつて私が憧れた人物に少しでも近づきたいという思いが強かった。


 彼の部屋の扉は厳重であった。長らく開かれていないのだから当たり前だが、まるで扉が自身の仕事を忘れてしまったかのように硬かった。しかし、ついに私はその中身を拝見することができたのである。甲高い声を響かせながらそれは姿を現した。


 そこにはうち履きが一つ置いてあった。それは白かった。まだ何物にも触れられたことがないような白さをそれは持っていた。私はそれを手に取ってみたいと思った。手袋もつけずに玉風の中歩いてきたこの手で、私はそれに触れてみた。それは重く、硬かった。まるで新品の靴を持っているようだった。


 しかし、私はそれを手に取っている間かすかな罪悪感に襲われた。


 なぜ、私は彼を引き留めることはできなかったのか。彼ともう少し話をしてみなかったのか。そんな気持ちに襲われた。


 だが、おそらくそれは無理なことなのだろう。彼にとってこの居場所は窮屈すぎた。彼はもっと広い居場所が欲しいと求めてしまった。そして、それに彼の性格が災いして行動となった。そこの広い場所で今彼が何をしているのか私には知る由もないが、彼にとって自由とはそういうものだったのだろう。社会や学校のような大きな流れに逆らってまで自己を確立する、そういうことが彼にとっての自由であった。


 では、私はどうであろうか。今私は自由なのであろうか。私は彼のように大きな流れに逆らう勇気も力もない、そんな者の中に自由は存在するものなのか。


------わからない。


 今の私はあまりにも弱すぎる。だから私は学ばねばならない。一度大きな流れに乗り、学ぶことによって自分の小ささを自覚する必要がある。そのうえで最低限のモラルを守りつつ、自分がやりたいことだけに邁進する自由を獲得する。他人に合わせた行動なんて自由とは言えない。


 彼が退学を選択した本当の理由は分かりっこない。けれども、私はそれが自由の選択だったのだと思い込みたいのだ。少なくとも彼は私が憧れた人間なのだから。


 「あっ」そこで私は気が付いた。途中私は学ぶことまで放棄しようとしていたことに。今の私を彼が見たら笑うだろうか。それならば彼はどんな景色から私を笑うだろうか。私は果てのない草原から笑ってほしいと思った。


 早く私もそこへ行きたい。私は彼の白いうち履きを彼の部屋に戻し厳重に扉を閉めた後、開きっぱなしだった自分の部屋から黒く履きつぶされた私のうち履きのひもをきっちり結んだ後に、施設内へと足を運んだ。


 雲から一筋の光が差し込んでいた。


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