05 ヴァロンの街へ 後編
「いらっしゃい!」
街に入り何よりも、まず始めに出迎えたのは女性の声だった。
声がした方向に視線を向ければ新鮮な果物や野菜の前で1つ目の女性が澄んだ声を上げている。
その前には悩まし気に首をかしげている深緑の肌を持つ恐ろしげな顔の子供ほどの小さな化け物。
その頭には頭巾をかぶり、古びたワンピース、手にはカゴ。
何を買おうか迷っているようだ。
よく見れば、深緑の化け物はあちらこちらに居た。
腫れぼったい瞼、ギラつく目、歪な口から見える紫の舌と、とんがった牙。
あちらこちらで声を上げながら。しかし、楽しげに買い物やお喋りを楽しんでいる。
すぐそこのカフェだろうか?小さなテーブルの席に座った、深緑の化け物は今、死人喰にチェスで負けた。
「あの深緑の方々は黒小鬼です。この島で1番多い種族でとても気の良い方々ばかりですよ。私はよく家事を教わります」
「ああ。ゴブリン」
ゲームや漫画で見た通りの見た目だ。
悠真は目を細めた。
「あ、あの1つ目の方々は黒妖精です」
「え!え、エルフ?」
ラティエルが手で示したのは、つい先程、野菜を売っている女性。
長い髪にとんがった耳。白い肌に美しい輪郭と声を持っているが、その顔には大きな目玉がひとつしかない。
悠真の中のエルフとは整った容姿のイメージだったのだが…
周りを見渡せば、黒妖精と呼ばれる存在は沢山いた
形の良い唇に軽やかな笑みを浮かべ、パンを売ったり、カフェで食事を運んだりと男女関係なく忙しそうに働いている。
「あちら、鍛冶屋で働いてるのは巨人と子供小人です」
次にラティエルが示す。
そこには2mほどの牙の生えた恐ろしい顔立ちの大男がハンマーを手に、6、7歳の小さな男の子に叱られ今にも泣きそうな表情をしている。
「あら、ガルド様。また、叱られているのですね。あの二人は師弟の関係なんです。巨人は鍛冶の腕は中々なのですが、装飾が苦手で、子供小人の元でよく修行中なんですよ。子供小人の方は繊細な仕事が得意ですから」
パッと見、大人が子供に叱られているようにしか見えない様子に悠真は思わず小さな声を上げ笑ってしまった。
「ダメダメ!これ以上は値下げはしねぇからな!」
ふと、通りから大きな声がする。
見てみれば沢山並んだ魚の前、体格の良い男が声を上げている。
しかし、その頭は蛇で大きな山羊の角が生えている。
身体は鱗でびっしりと覆われており、体格の良い人間男性の様な体付きをしているが、服から覗く手足は、体と同じように鱗に覆われ鋭い爪が見えていた。腰下あたりからは蜥蜴の尻尾。
「あれは蛇人間。女性の方がお強いんですよ。男性はああやって海で捕れた魚を売っています」
そう説明され、辺りを見間渡せば同じような姿の女性を見つけた。
革鎧に身を包み、その手には槍を持っている。
彼女も自警団と呼ばれる存在なのだろう。
ただ、その頭は男と違い蛇というよりゲームの中の“竜”そのものだ。
「あ、危ない!」
あまりの光景にゆらりと悠真の身体が揺らめくと、ラティエルが突然悠真の手を引いた。
何事かと思えば、悠真の足元、そこを慌てたように10cm程の小さな赤い帽子を被った何かが数人かけて行く。
「ごめんよ!あーまったく!革紐の在庫を切らすなんて!あの新人め!」
ぷんすかと怒りながら、その背には何やら細い紐のようなもの。
「あれは赤帽子。種族の皆さんで靴屋さんをしています」
次々に説明を受けながら悠真は他にも辺りを見間渡す。
石の道、白のレンガで造られた美しい街並み。
彩の花や植物が並ぶ花壇。
光が差すと、街並みはキラキラ輝き、
しかし、上を見あげれば窓から干された洗濯物が見え、どことなく生活感がある光景だ。
魔物の町。
どこか不安であったが、どうだろう。
とても美しく素晴らしい街だ。
ふと、どこからか楽しげな音楽が風に乗って聞こえてくる。
ラティエルは花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「あ!お父様、お兄様!行きましょう!」
悠真の手に小さな白い手、ラティエルに手を引かれ、ぐらりと傾く身体は導かれるように自然と前へと進む。
「あぶないよ」
そんな言葉が頭を過ぎったが、ラティエルの横顔はあまりに楽しそうな年相応の普通の少女で、悠真は優しげに目を細めた。
彼にちゃんとした表情があるならば、彼は今とても優しげに微笑んでいる事だろう。
器用に人混みを避けながら、悠真達は開けた大きな広場へとたどり着く。
彼らを歓迎したのは、心踊るような楽しい光景。
黒妖精の男達が澄んだ軽やかな音色で笛を吹き、笛の音に合わせるように数人の黒小鬼たちが小さな太鼓でリズムをとりウクレレの音が合わさる。
傍では黒妖精の女と島では珍しく美しい容姿を持つ精霊たちが美しい歌声を披露する。
今にも踊りたくなる様な楽しくも愛らしい音楽が奏でられていた。
と、我慢が出来なくなったのだろうか。1人の屍人喰が黒妖精の手を取り、広場の中心で踊り出す。
それを筆頭に、また1人また1人、種族関係なく手を取り音楽に合わせリズムに合わせ踊り始めた。
器用に尻尾でリズムをとる蛇人間達。
子供小人は巨人に肩車をされ仲良く肩を揺らす。
靴屋の看板がある家の窓から赤帽子達が大勢で楽しそうにこちらの様子を覗き込んでいる。
自宅から顔を出した吸血鬼は眠たそうに目を擦りながらも、すぐに楽しそうに手拍子。
あちらこちらで、沢山の異形の姿をした者達が楽しそうに顔を出す。
あらゆる種族、性別関係なく皆、満面の笑み。
見ている悠真達まで楽しくなるほどに
「歓迎してくれているんですよ」
その光景に見とれていると、ラティエルがポツリと口にした。
彼女が示す場所には、1人の屍人喰が手を振っていた。街に入る前に1番にあった1人だ。
彼が、悠真達が来たことを街に伝えたのであろう。ラティエルはそう言った。
「本当は年に一度のお祭りにしか踊らないんです。でも今日はお父様がいらしたから。お父様は人気者ですから」
「……そっかぁ。」
きっと今、悠真はとても優しい笑みを浮かべていることだろう。
隣を見れば、アズエルもどこか優しげな笑みを浮べていた。
再び悠真はラティエルを目に移す。
「ボク達、この音楽が昔から大好きなんです。」
彼女もとても幸せそうに笑っていた。
いつもと変わらず、慈愛に充ちた瞳を住民達に向けながら
「……ラティエルはいつも慈愛に充ちた表情を浮かべているね。」
その表情を見て悠真そう口にする。
ラティエルは悠真を見上げると、一瞬きょとんとした表情を浮かべ、また直ぐに慈愛に充ちた笑みを浮かべた。
「慈愛、ですか?お兄様にもよく言われますがボクにはその自覚がありません。」
しかし。彼女は、そう続ける。
「ボクは誰であろうと、どんな種族であろうと、生きとし生けるもの、その全てがとても愛おしいのです。まるで、この世の全てが我が子のような……そんな気持ちです。」
悠真はラティエルの言葉を聞き少し目を細めた。
彼女の慈愛に充ちた表情は作り物には見えない。
ラティエルの言う通り、確かに彼女は生きとし生けるもの全てを平等に心から愛しているのだろう。
だから、愛おしい存在を前にすると自然と慈愛に充ちた笑みを浮かべてしまう。
それは最早、無意識である。
そして、それはきっと"母親"としての愛情だ。
しかし――。
「そっかぁ。ラティエルは凄いね。」
「?ボクは《天使》ですから、天の使いならば、当たり前です!」
「………そっか……」
ラティエルは自分自身が神様だとは覚えていない。
悠真はその事に、何となく気づいていた。
いや、それは最早確信していたと言っていいだろう。
ラティエルは何も覚えていない
この世界を創った事も何一つ。
自分勝手に悠真をこの世界に連れて来た事も何一つ。
今のラティエルは《天使》でしかない。
今の彼女にとって悠真は本物の《バロン》だ。
そんな、天使は今日も誰に対しても聖母のような慈愛に充ちた笑みを向ける。
何故なら、彼女は《天使)だから。
神様に使わされた、人を導く存在だから。
しかし、傍から見ればそれは――
嗚呼、いや、今はそれは置いておこう。
悠真は静かにラティエルから目を逸らした。
──あちらこちらに楽しげな声が上がる。
──あちらこちらで楽しげな音楽が響く。
──しかし、その全てが化け物だ。
パチンと、指を鳴らす音、アズエルだ。
その途端どこからともなく沢山の鮮やかな花びらが風に舞、広場を彩る。
歓迎のささやかなお礼だろう。
花びらが舞う中、住人達は歓喜の声を上げ、悠真達に拍手を送った。
「素敵な街でしょう?」
ラティエルが悠真の顔を覗き混みながら問うた。
やはり、その表情は慈愛深い。
楽しげな音楽と心踊るダンスの歓迎。
花びらが舞う中、悠真は静かに目を細めた。
「……うん。そうだね。」
悠真の声はいつもより優しげであった。
◇
さて、当初の目的である食事へと向かう時には、すでに太陽が高く昇っている頃だった。
すっかり、朝食を食べ損ねてしまったわけだ。
3人が向かったのは、食堂「もぐもぐ亭」。
ラティエル、オススメの場所らしい。
「はぁい。いらっしゃいませぇ。」
店に入ると、甘い声色の黒妖精の女性が案内してくれた。
銀色の髪に黒い肌。とんがった耳と形の良い輪郭。ふっくらとした唇。女性的な豊満な身体つき。
店の制服だろうか、メイド服にも似た愛らしいワンピースを纏っている。
しかし、やはりその目は大きな1つ目だ。
「なに、ご注文しますかぁ?」
「え、ええと……」
「日替わりランチメニューでお願いします。ルビー様。あと、コーヒーと葡萄酒2つお願いします」
メニューを見て、悠真が迷っていると、ラティエルが代わりに答えてくれた。
コーヒーはおそらくアズエルだ。良く飲んでいるのを見ている。
しかし、葡萄酒とは?
「え。お昼からお酒飲むの?」
「はい。ここら辺では普通ですよ。グラスに半分。アルコール度も低いので、酔いやすい方で無ければそれ程酔いません。ここは格別に美味しいと有名なんですよ」
珍しい風習だな。悠真は思った。
アズエルは、文句はないようだ。返事代わりに、いつもの様に胸元に手を置くと小さく頭を下げる。
「なら、私もそれで頼むよ。あ、でもラティエルには悪いけど私もコーヒーで、ラティエルにはブドウジュース」
「ふぇっ!?」
しかし、やはり昼間からお酒を飲むのは気が引ける。その上ラティエルに飲ませるなんてもっての外
悠真の注文を最後に、ルビーと呼ばれた黒妖精は美しく微笑んだ。
「はぁい。日替わり3つですねぇ。それと、コーヒーが2つとブドウジュースですねぇ」
「お、お父様ボクこれでも…」
「ダメダメ。お酒は20歳に…せめて、アズエルみたいに大きくなってからね」
不貞腐れるラティエルに、声を抑え笑うアズエル。
「うふふ。ではぁ、ごゆっくりぃ」
その様子にルビーは楽しそうに、最後に悠真にウインクを1つして、離れていった。
「?今、私彼女にウインクされた?」
「うう……。お父様は黒妖精達からすれば美形なんですよ。」
「へ、へぇ。そうなんだ」
思えば、確かに今の悠真も1つ目の化け物だ。……悪い気はしない。
先程からラティエルは珍しく項垂れているが、余程子供扱いが堪えたらしい。
悠真はそんなラティエルに柔らかな視線を向けてから、改めて店内を見間渡した。
店内には沢山の客がいるが、やはり異形と呼べる者達ばかりだ。
現実世界で言えば、ゲームで登場する様な化け物である。
しかし、あの歓迎を思い出し落ち着いて"記憶"を探れば、この島ではこの光景が正しい物であると理解した。
そう、この島には人間は存在しない。
しかし代わりに、それ以外の種族が手を取り合い暮らしているのだ。
「普通の街なのにね。なんで人間はいないんだろう」
「それはぁ、島の言い伝えと、わたくし達のせいでしょうねぇ」
ポツリとした悠真の呟きに答えてくれたのは、ルビーであった。その手にはおぼん。2つのコーヒーとブドウジュースが乗っている。
一足先に飲み物を持ってきたようだ。
しかし、それよりも気になる。
「わたくし達のせい」とは?
「ほらぁ、この島、全体を黒い霧に覆われてるしぃ。わたくし達もこんな見た目でしょ?他の国と比べたらぁ、わたくし達の容姿は異形らしいんですよぉ」
手際よく机の上にコーヒーを並べながら話すルビーに悠真は首を傾げる。
「言い伝え?異形?」
悠真の問に、ルビーは大きな目をぱちくり。にこりと微笑む。
「やだなぁ、もう。相変わらず、引きこもりなんだからぁ。わたくし達みたいな異形な容姿はこの島だけぇ。他の諸国では、エルフは1つ目じゃないしぃ、ゴブリンも愛嬌のある顔立ちだってもっぱらの噂じゃないですかぁ」
「ねぇ、アズエル様」
ルビーは、にこやかにアズエルに話を振った。
悠真もアズエルを見ると、アズエルは笑みを浮かべたまま肯定するように大きく頷く。
どうやら、この島の住人が異形の容姿をしているのは特別なことのようだ。
なら、言い伝えとは?
その疑問に答えたのはラティエルだ。
「お忘れですか?二千年ほど前、この国に攻め込もうとした国があったことを?」
忘れるも何も悠真は体験どころか生まれてすらいないのだが。
そんな気持ちを押し殺して、悠真は"記憶"を探った。しかし、"バロン"にとっては忘れても構わないどうでも良い物だったのか、どれだけ探っても、その"記憶"は見つからなかった。
悠真は再び首を傾げた。
「あった、かな?」
「ありましたよぉ。わたくしが小さい頃でしたが、他国が攻めてきて、バロンさんがぁ、人外的な力を使って追い払ったてぇ。バロンさんはぁ、わたくし共の英雄ですぅ!」
悠真の言葉に被せるように、ルビーが声を荒らげた。
いや、ルビーだけではない、よく見れば店中の客がこちらを見つめ、何度も頷いているではないか。どうやら本当の事らしい。
ラティエルも父が、褒められて嬉しいのか、満面の笑みで、胸をはって言うのだ。
「はい!お父様は英雄です!――ただ、そのせいで、その国が腹いせに、この島は、草木は枯れ、土は腐り異臭を放つ、毒の霧が蔓延する生き物が住めない島だ等とデタラメを広めましたが……」
――いいや、待て。
この国は諸国にそんな目で見られているのか。
言い伝えとはこの事か。全くのデタラメである。
「そのせいで、この島は《死溢れる国》なんて呼ばれています」
「うわぁ。はた迷惑な話ですねぇ。そう呼ばれちゃ、誰も近づきませんよぉ」
「《戦溢れる国》なんて呼ばれている所に言われたくないです!」
「まぁ、物騒なのはあちらじゃないですかぁ!」
何処か楽しげにしかし不服そうに彼女達が話を続ける。
いいや。だから待ってくれ。
この国はそんな中二…いや、恐ろしい名前が付けられているのか。
そんな事を思いながら、悠真心を落ち着かせるようにはコーヒーを1口飲み、
「《死溢れる国 ヴァロン》。本当に酷いですよ。これではまるでお父様が諸悪の根源みたい!」
「まぁ!バロンさんの名前!ネーミングセンスが悪いのか良いのか、分かりませんねぇ!」
思い切り、コーヒーを吹き出すこととなった。
そして、それが目の前にいたアズエルにかかる事になるのだが、それはまた別の話である。