12 変わった日常で 後
「まったくアズエルは!なんであんな子に育ったかな?」
悠真はアズエルに対し怒りを募らせながら庭先にいた。
あれから、アズエルは逃げるように去っていてしまった。
ルルーシカの事はルビーが自分に任せておいてほしいと引き受けてくれたのでお願いしてある。男のユーマが話すより女同士の方がよいと思ったからである。
なら自分はアズエルを見つけ出して、もう一度叱りつけるべきだと判断したのだ。
そんなこんなで、ユーマは今アズエルを探し庭にいる。アズエルが自室にも広間にも城の中には何所にもいないのだから仕方がない。この庭にいなければ、街にでも逃げたのだろう。
覚えておけ。夕食はあいつの苦手なものを沢山入れてやるっと心に決め、ユーマは庭にいる。
「ラティエル様!!おやめください!!私がやりますから!」
突如として、庭に真面目そうな女性の声が響き渡った。
ユーマは驚き声がした方向に身体を向ける。彼の視線の先に立っていたのは二人の人物。ラティエルと傍には慌てふためく女性がもう一人。しかし、その女性は人の姿をしていない。
全身が美しい深緑の鱗で覆われ、腰下から生えた長い蜥蜴の尾。長い指先からは鋭い爪を覗かせ。ピンっと建った背筋に引き締まった豊満な女性らしい身体。そして、竜のような頭と二本の角。金色の瞳
蛇人間だ。名前はアグラーシェス。アグリーと呼ばれている。
彼女も城で雇った使用人の一人である。役職は兵士。その隊長を務めてもらっている。といっても平和なこの島では敵襲など無く、城の見回り程度が彼女の仕事だが、その強さは右に出る者はいないと評判だ。なんでも一人で5mは超えるサメを一突きで退治したとか。他国の船を三隻潰したとか。真偽はどうあれ頼もしい存在だ。
そんな彼女が何故、今ラティエルといるのだろうか。
「やぁ。ラティ、アグリー」
声を掛けるとラティエルとアグリーは驚いた様子でユーマを見据えた。
「こ、これはお父様。ごきげんよう」
「ゆ、ユーマ様。ごきげんよう」
2人そろって礼儀正しく小さく頭を下げたが、その様子はやはりおかしい。良く2人を観察すれば、ラティエルの足元に割れた花瓶が詰め込まれた木箱が存在した。
なんてことない、メイドの一人が今日割った花瓶達である。怒られる前にラティエルに治してくれと頼んだのだろう。今までアズエルのせいで忘れていた問題が思い出される。
そう、メイド掃除下手問題。
「ラティ、これは誰が割ったのかな?」
「え、ええと」
「これはルルーシカです。」
ユーマが問うと、ラティエルは見て取れて焦り始め口籠り、それを遮るようにアグリーが迷うことなく犯人を摘発した。どうやらルルーシカ、カーテンの他にも余罪があったらしい。しかも「これは」とは?
このほかに、割った人物がいるのか。なんにせよ、ラティエルは犯人を庇い立て、庭でこっそりと花瓶を治そうとしていたわけだ。
「あのね、ラティエル。ルルーシカを庇おうとしたのは、まぁ、いい事だと思うけど。限度があるよ?」
「私もそう思います。そもそも、本日だけで10件目です。私たちは貴女方に雇われた身。貴女はもっと厳しくしてもいいかと思いますよ!」
ユーマの言葉にアグリーが大きく頷く。アグリーは酷く生真面目だ。他人を簡単に庇ってしまうラティエルの行動が許せないらしい。嫌、しかし本日10件は流石に多すぎではないか。アグリーの言葉は正論にしか取れない。
そんな二人の前でラティエルは困ったように小首をかしげた。
「しかし、ルルーシカ様は昨日もカーテンを汚しましたし。私の差し上げた指輪も無くされたようですし、減給は免れないと思いまして。そこに、この花瓶の数となりますと更に減給されかねませんので…」
よく見ているではないか。
確かに、この割れた花瓶の数は異常だ。ユーマならまだしもアズエルにバレたりすれば減給対象であろう。カーテンも指輪も事実であるし。どうやらこれ以上はルルーシカが可哀想でこっそり庇っていたらしい。
ユーマは再び悩まし気に額に手を当てた。庇うことは悪いことではないと思うが、それが過ぎるのも良くない。ラティエルをどう諭すべきか考える。
「安心して、ルルーシカの減給はしないから。でもね、アグリーの言う通りだよ。庇ってばかりじゃだめだ。それはルルーシカの為にもならない。それに君が治す前に誰かに花瓶が足りないことがバレてしまうかもしれないよ」
「ですが……」
「そしたら犯人探しだ。城中の使用人たちを疑わなきゃならない。君もつらい思いをするんだよ?」
「いえ、私はルルーシカ様が怒られずに済むのなら辛いなど感じませんよ?」
「………いや、そうじゃなくて」
ユーマの言葉にラティエルは聖母がごとく優しく微笑んだ。どうやら心からの言葉らしい。
全く、殺戮病すら発症しなければ本当に聖女か天使そのものなのに。
しかし伝えたいのはそういう事じゃない。ユーマはチラリとアグリーに視線を送った。
「えーと。私たちが使用人を疑い犯人を捜す。そしたら、他の使用人はどう思うかな?」
「………あ、凄く嫌な気分になりますね。主に信用されない等、それはもう悲しいです。そして、真犯人も許せません。私なら張り飛ばします。」
どうやらアグリーは察してくれたらしい。少々やり過ぎな気もするが。しかしラティエルには十分に伝わったようだ。その表情は悲しそうな色に染まった。
「そう、ですね。犯人探しなんて、犯人扱いされた方々は悲しくなりますよね。私、ルルーシカ様だけでなく他の皆さんの気持ちも考えるべきでした」
ラティエルは小さく「ごめんなさい。」と呟いた。分かってくれたならいい。ユーマは目を細める。正直、「そもそもそんなヘマはしません」や「私が身代わりになります」等と言われるのではないかと内心不安であったが、いらぬ心配だったようだ。
「………どうせ言ったところで“そういう事じゃない”、“君が身代わりになったところで意味はない”と言われるのが落ちですからね。」
「え。」
「ハイ、なんですか。お父様。」
ラティエルの発言に思わず顔を見る。完全に今、心を読まれたような気がする。
そんなユーマを気にする様子もなくラティエルは割れた花瓶を見た。
「これからは花瓶を割ってしまった方には、こう言いましょう。私も一緒に謝るので素直に謝りに行きましょうと。」
これでよろしいでしょうか?と小首をかしげての愛らしい微笑み。完全に誤魔化された。
ユーマはまじまじとラティエルの顔を見つめる。いつも通りの笑顔、慈愛に満ち、嘘偽りのない完璧なまでの笑顔だ。
ユーマは大きくため息をついた。
「そうだね。それが良いと思うよ。」
確かに間違った判断はしていないようだ。ユーマは目を細め優しくラティエルの頭をなでた。さらさらふわふわとした彼女の髪はとても心地よい。ユーマに褒められてか、ラティエルも嬉しそうに目を細め小さく耳を動かす。その笑顔は本当に愛らしい。
ただ、思う。本当に表情が読み取れない子だと。
これもまた三か月で判明したこと。正直、ラティエルの表情を読み取るのはかなりの難問だ。というより、あからさまに分かりやすいが、異常なまでに分かりにくい。もっと簡単に言えば、嘘を付くのは馬鹿みたいに下手糞で分かりやすいが、それ以外の感情は全く読み取れない。しかし、こうして喜びは全く隠すことなく露になっているのだ、ポーカーフェイスと言うわけでもない。
問題なのは、笑顔。
このいつも、ニコニコニコニコ浮かべている慈愛に満ちた笑みのせいだ。
人前に出ると癖のように浮かべるこの笑顔。嘘や偽り等ない心から浮かべているこの笑顔。
「皆我が子のように愛している。」狂っているが、その言葉は心からの本心らしい。
彼女の本性を知らない相手からすれば、まさに聖女であるが、本性を知るユーマからすればこれ以上のない大きな壁である。
「ま、まぁ。本心みたいだし、いいか」
ただ、今はたどり着いた彼女の判断には嘘や偽りは見当たらない。ユーマの小さな一言にラティエルはやはり何時もと変わらない笑顔で頷くのであった。
しかし、その和やかな時間は僅かな事。
「あの、何を納得されているのですか?」
今まで黙っていたアグリーの言葉にラティエルの表情は変わることとなる。
アグリーは顔を険しくさせ二人を見据えている。
ユーマも疑問に思う、ラティエルの考えは改めさせた。他に問題はあるのだろうかと。そんな主人にアグリーは溜息をつく。
「あの、ですね。ユーマさん。ラティエル様の相手の失敗を一緒に謝る。という考えは大変すばらしいと思いますが」
「うん」
「それだと、今後ご息女に更なる負担をかけるという事になるのですよ?」
「…うん?」
「今までも壊れた家具の修繕で毎日何十回とメイド達に呼び出されていたのに。その上、一緒に謝罪までなされるつもりですか?」
とんでもない正論ではないか。アグリーの一言に「黙っていたのに」とラティエルは少し困った表情を浮かべた。しかしラティエルは直ぐに笑みを湛える。
「大丈夫ですよ。それで皆様の為になるのであれば。そんな物、苦にもなりません」
「ダメです!!何を仰っているのですか!!だから、もう少し主としての自覚を持ってくださいと言っているのではありませんか!これに関してはご家族の中ではアズエル様が一番まともだと思いますよ!」
しかし、アグリーは1ミリたりとも譲らない。
やはり彼女は真面目である。ただ、アグリーはそこで何かに気づいたように小さく「あ」と声を漏らし、あたふたと慌てふためきだした。
「あ、す、すみません!つ、ついっ。わ、私も兵として、まだちゃんと働いてないというのに!主人に大口をたたいて!」
「いいよ、アグリー。君の言ってることは正しいから……」
どうやら言い過ぎたと思ったらしい。しかし、先ほどの言葉、真面目な。真面目過ぎる彼女だからこその言葉であるのだが、それにとユーマは思う。「やはり正論だ」と。
確かにラティエルの考えだと彼女の負担が増えるばかりだ。それにユーマ自身もメイド達の扱いに関しては甘い方だとも思っているし、正直もう少しアズエルの非道差を学ぶべきだとも思っている。
だが、しかし。
「あの子たち、どれだけ教えても覚えてくれないんだよなぁ」
メイド達の異常なまでの掃除下手は最早治るとも思わない。
しかし、張り紙一枚で働きに来てくれた彼女達をクビにもしたくない。
さて、どうしたものか。
「……まぁ、黒妖精と精霊は島の中でも極めてお掃除が下手な方が多いですから。特に城に来た方々は中でも取り分け掃除が下手な方々ばかりのようですし」
そんなユーマの悩みを読み取るようにラティエルは小さく呟いた。ユーマからは思わず「そうなの?」と声が漏れる。ラティエルは小さく頷く。ラティエルは特にメイド達と仲良く過ごしている、お茶をしているのも良く見る。その時、個別に話を聞いたようだ。
「彼女たちは掃除が苦手なだけで得意なことは其々持っていますよ」
確かにそれはユーマも気づいている。メイド達は掃除は壊滅的だが、その他の仕事は中々の腕だ。
例えばルビー。彼女は聞き上手で料理も上手く、紅茶や珈琲を入れさせると天下一品。
ルルーシカは。もちろん掃除は出来なくて、料理もトースト一枚焼き上げる事すら出来なくて、お茶も入れられない、変な言葉遣いは治らない。ラティエルの良き話し相手になっているぐらいだ。
…る、ルルーシカは…………。
「ルルーシカ様はご実家が農家です。植物を育てる。特に花等の世話は見事としか言えませんし、その知識を利用しての仕事の腕も中々です」
ユーマの表情を察してかラティエルは苦笑いを浮かべてフォローを入れた。「ただし」と最後に付け加えて。
「ルビー様もルルーシカ様も……メイドの皆様、家族から絶望されるほどに掃除だけは下手だと申していましたね。」
身体が硬直するのが分かる。
冗談だと言ってほしくてラティエルを見るが、彼女の表情が語る。「嘘はついていないと。」
これは頭を抱えるしかない。
まさか家族に絶望されているとは思ってもいなかった。
もう正直、掃除だけは三人で暮らしていた時と同じく家族だけで終わらせた方がよいのではないか、やはりもっとちゃんと面接するべきであった。
そんなユーマを前にし、ラティエルは微笑む。
「ですのでお父様。これは一つの提案として聞いてくださいね」
「はぁ………」
「ここは家事、掃除が得意な方々を入れるのはいかがですか?」
「え?」
メイド達に気を取られ過ぎていたためか、思わぬラティエルの提案にユーマは間抜けな声を漏らした。
掃除が得意な方々を入れる?
それは新しく人材を雇うという事だろうか。
「…ああ、黒小鬼達ですね。」
隣で妙に納得したようにアグリーも頷く。
ユーマは自身の記憶を探る。
黒小鬼。それは街でよく見かける深緑色をした恐ろしい容姿をした種族だ。そう言えばと思い出す。街に初めて出かけた時、ラティエルが黒小鬼達は家事が得意だと口にしていたことを。
しかし、問題がある。
彼ら小鬼の見かけが恐ろしいのは別に良い。もう慣れた上、街の住人は皆、気が良い者達ばかりだ。問題はそこじゃない。
正直に言おう、実はユーマ。
黒小鬼の話す言語だけは全く理解出来ないのだ。
何故だか分からない。しかし彼らの話す言葉はユーマからすれば未知でしかない。それこそ知らないが外国に来たように。
ここで記しておくが、実はユーマの世界とこちらの世界とでは言語が全く違う。それでもユーマが此方の世界の言語を理解できるのはバロンの“記憶”とラティエルの魔法のおかげだ。もっと詳しく言えば文字の読み書きは“記憶”から、言葉に関してはラティエルが翻訳の魔法を掛けてくれたらしい。
今、アグリーと話をしている時点でラティエルの翻訳魔法はしっかり作用しているわけで。
だから、
つまり、
……黒小鬼達の会話は翻訳魔法が全く聞かない完全なる未知なる言語というわけである。
ラティエルは言う。訛りが強いのだと。あれは訛りなんてモノじゃない。
それにまだ問題が二つある。
「えっと、つまり今いるメイドの子たちは?」
「今まで通り働いてもらいます。ただし、掃除以外で。掃除だけがメイドの仕事ではありませんから。…侍女。お父様にはそう言った方が分かりやすいでしょうか?ルビー様方には我々の身の回りのお世話をしてもらいます。」
問題の一つはあっさりと解決してしまったようだ。ユーマとしては身の回りの事は自分でしてしまう為、あまり必要ない気もするが。というか、この身体ではして貰う事の方が少ない。
ただ、話し相手としては彼女たちは十二分だ。問題はない。
「黒小鬼の方々は、そうですね……家政婦、として雇うんです。まぁ、そうなればお給料の問題が少々発生しますが、そこは話し合いの結果ですね。あ、でもそこはお兄様の方が得意ですね」
「待ってラティエル。一番の問題があるよ」
しっかりと給料に関しても考えているらしい。
しかし最後の問題はそこじゃない。
ユーマはラティエルの言葉を遮り少々困った表情を浮かべた
「城の使用人募集をしたとき、黒小鬼達は来なかったじゃないか。」
そう、最後の問題はそこだ。
数か月前、街に使用人募集の張り紙を張った時、小鬼達は誰一人として来なかったのだ。来たのは今城で雇っているメンバーだけ。小鬼達が来なかった理由は分からないが、働きたくないと思っている者達は無理には働かせられない。彼らの気持ちも重要だ。
その言葉を聞いてラティエルは口を閉ざす。
暫くして「そうですね」と呟いた彼女は、困ったように微笑んだ。その表情は、まるで何かを我慢しているような表情だ。その表情を見てふと思う。せっかく娘が提案を出してくれたのに、頭ごなしに否定ばかりは良くないと。
「あ、ごめん。いいよ、続けて。」
ですが。とラティエルは俯く。
一度否定された案は出しにくいらしい。
そんな彼女の頭をユーマは目を細め再び優しく撫でた。
「ラティの考え、私はちゃんと聞きたいな。君がしっかり考えてくれたものだもん。だから私もしっかり話を聞いて一緒に考えたい。否定も肯定も後だ。だから、最後まで聞かせて?」
ラティエルの右目が大きく開かれる。
何か考えるように上を見て、下を見て、そして数秒後。
彼女は形の良い眉をハの字にさせ、酷く困惑した表情へと変えた。まるで、そんな言葉掛けられるとは思ってもみなかったと言う様に。
暫くの間。
ラティエルの様子を見てユーマは焦り始める。娘に対してこの対応は間違えだったのか、と。何を間違えたのだろうか。
「否定」という言葉だろうか。そもそも途中で口を挟んでおいて、やっぱり最後まで喋れ。など虫が良すぎるのではないか。
今更思えば、三か月前の事件以降、彼女は自ら進んであまり自分自身の考えを表に出さなくなった。ユーマが否定すればすんなり受け入れ考えを改めるぐらいだ。久しぶりに彼女からの考えだったのに余計なことをしてしまった。色々考えてしまう。
また暫くの間。
さすがに長すぎる。側で黙ってみていたアグリーも困惑し始めたところだ。
ここはどうフォローを入れるべきか、考え始めた時。今まで悩まし気に黙っていたラティエルはようやく口を開いた。
「…欲しい物は欲しいと言わなければ、実行しなければ始まらない…のではないでしょうか?…お父様はもう少し自分で動いても構わないと思います。」
「え?」
「問題の解決のためなら自ら…行動で示す。…それは雇い主も雇われ主も変わらないと思います…とくに、こんな…その、完全個人事情で雇うのですから…なりふり構わず…」
はっきりとした口調で、真っすぐにアイスブルーの瞳がユーマを見据えていた。ただ、最後はあまりに消え去りそうな声で。
しかし、その考えに思わず口を噤んでしまう。
言葉は出来る限り選ばれていたが、つまるところ、ラティエルはユーマはまだ何もしていないと言っているのだ。もっと自分から行動するべきだ、と。
確かに自分は問題だと嘆くばかりで行動も実行も何も起こしていない。
張り紙をして、やってきた人材をすべて受け入れただけだ。面接と言う面接もしていなかったし、募集を掛け来なかった者たちは仕方がないとあっさり諦めていた。
だが、黒小鬼達が城に来なかったから何度と言うのだ。優秀な人材ならスカウトしに行けばいい。事情があるなら聞けばいい、それこそ頭を下げたりして。別に利益を生む会社を経営するわけでもない。ラティエルの言う通りこれは完全個人の問題だ。自分から動いたって問題はないはずだ。
「スカウトか。そうか…考えもつかなかったよ。そうだね、雇ってやるんだからって踏ん反り返って待ってるばかりじゃ駄目だよね。」
ユーマは少し感心したように声を漏らす。
新しい人材を雇う等、下手をすれば自身の問題が大きくなりそうだが、そもそも元からその問題を取り除こうとユーマの考えを尊重しながらラティエルが考え出した事だ。
勿論問題だってある。確かに会社経営ではないが、お金を払って人材を雇うのだ、その人物が本当に優秀で自身が求めている人材か見極めなければいけない。今度こそ、しっかりと。
「だけど、一度小鬼達の仕事現場を見てみたいな。一応お金を払うんだから。…雇いたいってこっちから願いでる前にね。」
ラティエルの表情が柔らかくなる。
正直、彼女が万人共通の正しい物か定かではない。しかし少なくともユーマは、彼女の考えが正しいと思えた。それならば、試してみるのも間違いではないはずだ。
そうと決まれば、さっそく行動を起こそうと考える。
まず出来るだけ早く黒小鬼達の仕事ぶりを見る事だ。そして雇うか否か判断しなければならない。早くて明日にでも、魔法と謝罪でラティエルが疲労で倒れる前に。
「そうだな、じゃあ明日にでも…」
「では直ぐにお出かけの準備を始めますね。」
「え?」
ユーマが考えを出す前に側にいたアグリーが声を上げた。
直ぐに?直ぐにお出かけとは今から街に出て行動するという事か。今から黒小鬼達の仕事ぶりを見に行くという事か。しかしだ、それはあまりにも急ではないか。
「ま、まってアグリー、さすがに今日は…黒小鬼達にも都合って物があるだろうし、見学ならするにしても順序って物が…」
「何を言いますか。こういう事はさっさと行動した方がいいんです!それに私にも黒妖精の知り合いなら一人二人いるんですよ。幼馴染ですので今から頼みに行ってきます!」
一時間ほどお待ちください。そう言うとアグリーは胸に手を当て、頭を下げ足早に駆けていった。全く話を聞いていない。そうじゃない、待ってくれと手を伸ばしても彼女には聞こえていないようだ。
彼女はやはり少々真面目が過ぎるようだ。
そんな様子をラティエルはクスリと笑った。
「アグラーシェス様は少々せっかちな所がありますから。ですが、私たちの事を考えての行動なんですよ」
「そ、そうみたいだね」
ラティエルの言う通りだ。アグリーは人一倍、ラティエルの事を気にかけているようだった。使用人たちの中でも、主人に対しても臆せず、しっかりと小言をぶつけてくれるのは彼女だけである。
しかし、やはり真面目過ぎるような気もするが。
「心配せずとも、アグラーシェス様は責任感も強いですので、それこそ私たちが頭を下げる前に自ら頭を下げてでも黒小鬼達の承諾を取って下さると思います。」
そこまでしてくれるのか。反対に心配になるのだが。
隣でラティエルが「もう遅いですし」とにこやかに微笑む。確かにもう既にアグリーの姿は見えない。腕輪を使って連絡を取ってもよいのだが、アグリーの事だ。「行動が遅い」と再び叱られそうだ。それならばと思う。
ここはアグリーに任せてみようと。
ラティエルは「では」と胸の前でポンっと小さく手を叩いた
「……お父様、後で門前に集合いたしましょう。私からアグラーシェス様に連絡しておきますから」
ラティエルの一言に軽く驚く。どうやら彼女も街まで着いてきてくれるらしい。
「ラティも来てくれるのかい?」
「はい。通訳が必要でしょうし。」
「…あ、ああ。そうだね。」
ああ、そうだ。自分は黒小鬼達の言葉が全く持って分からないのだった。ラティエルの言葉にユーマは自身に呆れたように目を細め、話題を変える様にぽつりと呟いた。
「けど驚いたな。ラティが以外にもしっかり考えていて」
「黒小鬼達をスカウトしましょうという提案ですか?」
ラティエルの言葉にユーマは小さく頷く。ラティエル自身から城に人を入れようと言い出すとは思ってもいなかった。しかも「スカウトすべきだ。」なんて。
3か月前。城に使用人を入れると決めた時、彼女は何も言わなかったが実はアズエルと同じで心の中では反対しているばかりだと思い、内心少し強引過ぎたと反省もしていたのだが。彼女のスカウト発言から見るにラティエルは城に他人が入るのは、そこまで嫌ではないらしい。正直安心したところだ。
「………ふふ、まぁ、お父様のお考えですから。……この城は思い出ばかりですからね。お兄様は他の方に汚されたくないと考えているんですよ。」
「…え」
ラティエルの言葉にユーマは再び彼女の顔を見る。
また心を読まれたようだ。「今」と問いただそうとするユーマにラティエルは気にする様子もなく花瓶の入った木箱に視線を移した。
「それでは私は花瓶修理を終わらせてしまいますね。」
「…ん?ああ、そうか。その仕事がまだ残っていたね」
どうやら、また話を誤魔化されたようだ。しかし、確かに花瓶の修繕はまだ終わっていない。
それならば手伝おうかと声を掛ける。
直したところで、10は軽く超えるだろう花瓶の数。小さな彼女一人では運べないだろう。しかしラティエルは静かに首を振った。
「大丈夫です。他の方に手伝ってもらいますから。お父様は自分のお仕事をなさってください。」
「え?私の仕事?」
ユーマは首をかしげる。何か自分は仕事の最中だったか。それとも、するべき仕事でもあったか考える。
しかし何も思いつかない。一つ思いついたのはアズエルの事だ。元々は彼を叱り付ける為、探していたのだが残念ながら見つからなかった。今この城にはいないのだろう。見つからないのであれば叱るに叱れない。
それともアレだろうか。出かける準備をして来いという事だろうか。しかし今の自分に準備など必要ないものである。それか、見学に辺り…等とユーマが考えていると、ラティエルは悩まし気に「うーん」と小さく声を漏らした。
「そろそろ、お昼の時間ですね。お腹もすく頃です。……食欲旺盛な食べ盛りなら尚更です。それは人や馬も変わりませんよね」
少しの間。ユーマはその一言で思い出す「ああ、そういえばそうだ。そろそろ時間だ」と。
同時に妙に思う。勿論ラティエルの発言に、である。
「ラティエル、今」
「あ、バルリアス様、ちょうど良いところに!」
だが、その疑問も瞬間に掻き消されてしまった。
問いただす前に彼女は嬉しそうに手を上げる。
ラティエルの視線の先には庭先を歩く小さな影があった。ラティエルに名を呼ばれ、手を振る彼はアグリーと同じく城に兵士として入った死人喰の男性である。彼に運ぶのを手伝ってもらうのだろう。そう考えている隙にラティエルは優雅に頭を下げた。
「それでは失礼します。また後程」
「待て」なんて言葉が届く暇も無い。
どうやら2回連続で誤魔化されたらしい。
こちらに気に留める様子もなく走り去って行くラティエルを見送って、ユーマは溜息をついた。今から彼女を追って問いただすのも別に良いが、仕事の邪魔をするのは気が引ける。話を聞く機会は何時でもあるのだ。今はそう思うことにして。ユーマは一人、その場を後にした。
ユーマが一人向かったのは庭のはずれ。草木が生い茂り、光が差さないような場所だ。用があるのはその先だ。
両手でニンジンの入った箱をもって神妙な顔をしながら向かっていた。
「あの子、また人の心呼んだよね?気のせいって思っていたけど。絶対だよね?」
ぶつぶつ呟き考えるのはラティエルの事だ。
それもそうだろう、今日だけで彼女は2回も心を見透かすような答えをユーマに浴びせたのだから。
人を見透かしたような発言は、異世界に来てからこれ迄何度もあったが、ここ2ヶ月は更に鋭くなったようだ。もはや心を読まれていると言ってもよい程に。
しかし、バロンの《記憶》を探っても彼女にそんな力は無く、一度アズエルに聞いてみたが「そんな能力は持っていない」と嘆かわしいものを見るような目で言われてしまった。
だが、もしも本当にそんな力を所有しているならば、止める様に注意しなければならない。勝手に心を読まれるのは気持ちの良いものではないし、特に初対面の相手には失礼でしかないだろう。今後のラティエルの将来がさらに心配になる。
だがしかしだ。問いただそうにもラティエルはのらりくらりとユーマの質問をかわし誤魔化してしまう。あっさり諦めてしまうユーマにも問題があるだろうが。さて、どうしたものかとユーマは考える。
そんなことを考えながらユーマは庭の草木が差さない影。さらにその先へと足を進めた。
草木を抜けるその先には小さな広場があった。緑が生い茂り、温かな光が差し込む小さな広場だ。
その広場には小さな小屋が一つ。小屋の中には柔らかな藁が敷かれ、小屋の傍には澄んだ水がたっぷり入った桶に、藁を掻き出すためのピッチフォーク。ユーマの用はここに有る。
驚かさないように、のぞき込むと中の相手は嬉しそうに首を振った。
小屋の中にいるのは、まだ子供と呼べる雌の馬が一頭。
母馬譲りの真っ白な毛並みに大きな黒い瞳。
干ばつに苦しめられ、ラティエルによって目の前で母馬を殺された緑溢れる国にいた、あの時の仔馬である。
あの時から随分と成長したが、三か月前の事件の翌日。ユーマがアズエルに頼んで連れて来たのだ。せめてもの懺悔として。
見つからなければ諦めるつもりだったが、母馬の墓の傍、蹲る彼女は直ぐに見つかった。やせ細り、頑なに人を拒む仔馬を何とかアグリーと精霊のメイドの一人に手伝ってもらいながら、なんとか世話をつづけたのだ。今では健康に育ち、世話する三人からなら手渡しでも食事をとってくれるようになった。
ただ、いつ凶行に走るかも定かではないラティエルには内緒で。そのはずだったのだが。
どうやら既にラティエルに気付かれている可能性がある。可能性と言っても先ほどの、まるで仔馬の食事の時間を諭すような言葉から、もしやと判断しただけなのだが。
「もしかしたら、君の事もバレてるかもしれないんだよね。」
ニンジンを食べる仔馬を見ながらユーマは小さく零した。
仔馬の事は城の使用人にはきつく口止めし、この場所には誰も近づかないように釘を刺し、アズエルにも口論の末、渋々納得してもらい、ここに来るときは細心の注意をはらっていたつもりだが。
勿論、隠していたと言っても城の敷地内。いつか、気付かれるだろうという事は覚悟していただが、もう少し長く隠せると思っていた。
ユーマは仔馬の頭をなでる。
「けど、いつから気付いてたんだ?それになんで何も言わないんだろう?」
やはり考えが読めない子だと溜息をついて、ふと思い出す。
ラティエルが城を留守にしているとき仔馬をこっそりと散歩させているのだが、小屋に戻ると必ず小屋の中が中途半端に掃除されているのだ。まるで急いで掃除を始め、慌てて中断したように。アグリー達に聞いても知らないと言うばかりで、他のメイド達が手伝ってくれたのだろうと思っていたが、もしかしたら。
「いや、まさかね。」
しかし、それは無いだろうと考えを改める。
ラティエルのような小さい少女に馬小屋の掃除等、到底無理であろうし、彼女は理由もなしに中途半端に仕事を放る子ではない。掃除に関しては、やはりメイド達が手伝ってくれたおかげで、妙に中途半端だったのは彼女達が掃除下手だったからだ。そう決定づける。
そんなユーマの考えを知ってか知らずか、仔馬は小さくブルルっと頭を振るのであった。
◇
「はい。今日の夕食だよ」
日も傾き空が赤くなり始めた頃。
広々としたダイニングでユーマは兄妹の前に本日の夕食を置いた。
白い湯気が立つ食欲のそそる香りの茶褐色のソース。ゴロっとした野菜と大きな一口サイズの鹿肉がたくさん入った赤ワイン多めでコトコトじっくり煮込んだシチューだ。それに焼きたてのパン。レタスにトマトと沢山のピーマンが乗ったサラダ。
使用人を雇ったが、兄妹の料理三食だけはユーマの仕事である。
「まぁ、美味しそうです!」
シチューを前にラティエルは満面の笑顔で、耳をピクピクと動かす。この表情を見る為だけに頑張ったというものだ。
反対にアズエルは見てわかるほど、耳を垂れ下げていたが。
「どうかしたのかい。アズエル?」
意地悪に声を掛ける。ただ、彼は完璧主義者だ。ユーマの前では弱点は見せたくないらしく表向きは取り繕ったような引き攣った笑みを浮かべる。
「……いえ。今日はラティエルの好物だなと思っただけですよ」
サラダをフォークで突っつきながら言った。その隣でラティエルはシチューを頬張り幸せそうである。全く、この時だけは年相応の、いやそれよりも幼く見える兄妹だ。
ユーマはそんな二人に目を細め笑った。
「今日はね。ラティが頑張ったからちょっとしたご褒美だよ。」
そう言って移すのはダイニングの向こうの廊下。扉が閉まっているので勿論見えたりしないが、時折聞こえてくるユーマには理解できない声。
その声を聴いて想像する。エプロン姿で必死に城のあちこちを掃除する黒小鬼達の事を。
数刻前、街に黒小鬼達の仕事姿を見学しに行ったのだが、ラティエルの助言通り確かに彼女たちの仕事振りは完璧の一言だった。塵一つ見逃さず、窓はピカピカに、微かな汚れ一つ許さない。
ラティエルの翻訳を元に、どうやら気が強く自立心の高い女性が多い種族だという事が分かった。綺麗好きで掃除は好きでやっているらしい。
そこでユーマは改めて城で雇いたいと、頭を下げたわけだ。
黒小鬼達は最初こそ戸惑ったものの城の惨状を知ると承諾してくれた。黒小鬼の中でも取り分け掃除好きで働き者の20人が早速今日からと来てくれたのだ。
まぁ、本当の所、今日は様子だけ見るつもりだったのだが、あまりにメイド達の仕事振りが悪く見てられないと手を貸してくれただけなのだが。明日からは本格的に仕事に来てくれるという。
ちなみに最初に募集を掛け来てくれなかった理由は、自身の容姿があまりに城に不似合いに感じたため遠慮したらしい。
「それを勝手に決めて私に押し付けたわけですか?」
アズエルがどこか不機嫌そうな声で言った。
彼が小鬼達の事を知ったのは彼女達が城に入ってから一時間ほどたってからの事だ。城にこっそり戻ってきた所、待ち構えていたラティエルから説明を受けたようだ。ついでに小鬼達の給料についてもその場で任せられた。小鬼達との話し合いと模索の結果。住み込みではない為、他の使用人たちよりも少し高めの銅貨二十枚に決まったと報告を受けている。
「良いじゃないか。いつも君、他のメイド達に対して不満そうだったし」
「その、他の使用人達への説明も私に押し付けたでしょう。とりあえず説明しておきましたが愕然としていましたよ」
「え?なんで。別に辞めてもらうわけじゃないのに。黒小鬼に入ってもらうだけだよ?」
「それが問題なんですよ。――小鬼達は綺麗好きの掃除好き。掃除に関しては誰に対しても人一倍煩いですから。喜んでいたのはアグラーシェスだけでした」
「…………」
どうやら黒小鬼、気が強すぎるきらいがあるらしい。生真面目なアグリーとは気が合いそうだ。
しかし、ユーマは咳払いを一つ。
「何にせよ、これで城の問題は今より少しは良くなるんじゃないかな?」
結果良ければすべてよしである。
ユーマの様子にアズエルは眉を顰めた。正直な所彼も黒小鬼達の掃除の腕に対しては認めているのか文句はないらしい。今までのメイド達に困っていたのも事実だ。
「ただ、そもそも元々はこの男がこの城に使用人さえ入れなければ、こんな苦労は起きなかったでしょう。」
等とぶつぶつアズエルは呟いていたが。
そもそも元々は兄妹のために思っての行動だったのだが、そう言い返そうとして止めた。なに、アズエルの言うことも、また事実だからである。三か月前は取り敢えず少しでも早く城に人を入れ、兄妹に人との付き合い方を教えるべきだと考え、勢いで面接等もろくにせず雇ってしまった。今思えばもう少し考えるべきだったのはあからさまだ。
今回の件で城の掃除問題が少しは改善してくれればよいのだが。
「……良くなりますよ。それにお父様が私たちの事を考えての行動だったのは分かっていますから」
「え?」
ユーマはラティエルを見る。彼女は相変わらずシチューに夢中らしく、鹿肉を頬張ると「美味しいです」と笑顔を向けてきた。
本日3度目、再び心を見透かされた気がするのだが…。やはり誤魔化されたらしい。
アズエルを見るが彼は気にも留める様子がない。
ユーマはラティエルに追求しようとして、再び止めた。
どうせラティエルの事だ。またのらりくらりとかわしてくるのだろう。今度二人きりで話す機会があればゆっくり問いただせばいい。
そう判断して、ユーマも二人に続くようにシチューを頬張る。少しだけ酸味と渋みが強い気もするが、ラティエル好みの味に上手く仕上がっていた
◇
「あ、そういえばさ」
食事の途中。ユーマは思い出した様に口に出した。
「今回はアズエルに給料とか任せちゃったけど。この城の金銭関係ってどうなってるの?」
それは今まで疑問に思いつつ。問いたださなかったことだ。今まではアズエルが得意だから一番理解しているからと言われたままに金銭関係は任せっきりにしていたが、さすがに一つも理解していないのはまずい。今どれだけ城に財があるかぐらいは把握しておくべきだろうと思い立っての事だった。
ユーマの一言に兄妹は二人そろって食事をする手を止めた。
呆気にとられたような顔をして数秒後。二人はその表情のまま互いの顔を見合わせるのだった。