レジストランス ~最高のおもてなし~
『レジストランス ~最高のおもてなし~』
作 ししど たかまさ
あらすじ
終わりなき民族紛争が続く現代社会。
突如、紛争地域のど真ん中に現れた謎の拠点。
日本から来た戦場ジャーナリスト、
石本草一が連れて来られたその中ではなんと……。
ある若者たちのたたかいを描いたドキュメンタリーストーリー、ここに開幕!
<地獄の入り口>
――ばたん……。
荒れ果てた砂地の上に、大の字で倒れこんだ。
……ああ、死ぬなぁ……オレ。
紛争地帯へ向かうというジープカーに乗ったはいいものの、
現地の住民に騙されて
機材一式と水、食料……まあ要はゼンブ持ってかれちまった。
殺されこそしなかったが、日差しのキツイこんな砂漠に
丸腰でほっぽり出されちゃあ一日だって持ちゃしない。
開く瞳孔……乾ききった唇が、いよいよ以て人の限界を知らせる。
薄っすーい人生、だったなぁ……。
――戦場ジャーナリスト・石本草一、享年45歳――
……なんにもない砂漠を、ジープで出発した町へ向かい、
歩き続けて四時間ちょっと。
とうとうオレは地獄の入り口に辿り着いちまった――
…………しぬ、わ。
――人生の最後に何がしたかったって?
さんざん人の不幸を取材して、
その金で飯食ってきたオレがなにか望むなんて、おこがましいよ。
(……しろい、ごはんが……くいてえッ……!!)
たぶん、誰にも聞こえないくらい小せえかすれ声だった。
メガネの中で目がうるむ。気づけば涙がにじんでた。
ああ……どうやらついに迎えが来たらしい。
オレの頭の上から死神様がのぞき込んでる。
……死神にしちゃあずいぶん顔色よくねーか? アンタ――
グッ……!!
「んごごっ……がっ?」
突然、カラッカラに乾いた唇に筒のようなものが押し当てられる。
「Drink! (これ、のめ)」
ぶっ……ぐび、ぐびびっ……ぷっはああ~~っ!?
突然現れた死神……いや、がたいのイイ青年が
水筒の水を飲ませてくれたようだった。
「ごほっがほっ! ああー、死ぬかと……いや……生きかえったあ~ッ!!」
オレは砂の地獄の上で、でっけえラガーマンみてえな仏様に助けられた。
「Ride. ……Take you go.(のれ、つれてく)」
得意じゃあないが、仕事柄ちょっとくらいのリスニングならできる。
……ほんとにチョットだけど。
背を向けてかがみこみ、手をくいくい動かすラガーマン。
「お、おんぶするってことか?」
オレはそのやたらとデカいせなかに、ちょっと遠慮がちに負ぶさった。
<夢の城>
青年の背中に乗せられて、オレはしばらく揺られていた。
「あ、ありがとうな、命拾いしたよ! ……アンタ、名前は?」
「……」
金髪の青年はコトバが通じてないのか、黙ってオレを負ぶっている。
「さんきゅー! あいむらっきー!」
「……」
なんか言ってくれよ、むなしいだろ……。
終始、無言のまま五分ほどおんぶされていると――
「な……なんだよ……コレ?」
オレがジープに乗せられている間に通り過ぎた、でえっけえ岩山。
その裏側へ連れられて……。
なんにもなかったはずのその場所で目にしたのは、見たことない異様な光景だった。
――色あざやかなサーカスドーム。
あるはずのない……いやゼッタイにおかしいものが砂漠の岩陰に威風堂々と建ってる。
「……はぁあ?」
目の前に広がる情景に、おもわず口が半開き。
ドームのてっぺんに掲げられた旗には、
三本のなにかが重なったデザインが描かれている。
あいかわらず青年は沈黙しつつ、異様な状況のまま、オレはそのドームの中へと運び込まれた。
ドーム内の玄関口には、左右にランプの灯りがゆらゆらと揺れている。
オレはそこでようやく大きな背から降ろされて、ほっと胸をなでおろす。
すると、今度は奥の幕からまた別の西洋人の青年が現れた。
一体ここはなんなんだ……? もしかしてテロリストの潜伏拠点?
オレは暑さで疲れ切ったカラダを青年に向け、警戒しつつあいさつを試みた。
「な……ないすとぅみーとゆう」
――「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
ウェイター風の西洋人の青年は、びっくりするほどクリアな日本語で、
それはもう爽やかにオレに声を掛けてくれた。
すんげぇ、はずかしぃ……。
むちゃくちゃウメェじゃねえか!
「さあ、どうぞ。なかへ」――
……なんだか言われるがままに、オレは幕をくぐり抜けてドームの中へとお邪魔した。
<至高の空間>
サーカスドームの中は、砂漠に建っているのが信じられないくらい快適だった。
とても心地よい温度で保たれている感じだ、暑さで疲れ切ったカラダが落ち着く。
バイオリン……? 何か演奏してる。
ステージらしい台の上では、スーツにきっちり身を包んだ演奏者が
四人で綺麗な音色を奏でていた。
なんか、聞き覚えのあるリズムだ。
ああー、これ……うらしまたろう、だよな?
ゆったりとした曲調だったけど、しばらく聞き入っていると、それはたしかに
童謡の『浦島太郎』に間違いなかった。
クラシック調の響きが、意外なほど良くあっていると感じた。
ムードのある照明に照らされたステージの周りには、
高級感に溢れたテーブルがいくつか置かれ、
各席にはひとりずつ座っておのおの食事をとっている。
……こんなところで? なんで? しかも……。
フレンチ、イタリアン、中華、エスニック……世界中のあらゆるジャンルの料理に
舌鼓を打っている人たちは、オレが言うのもナンだけど、
失礼ながらどうみても金持ちそうな格好には見えなかった。
頭の中でクエスチョンがあふれかえってたが、それに答えるように
ウェイターくんは口を開いた。
「こちらは、夢のレストラン……レジストランスでございます」
「れすとらん……? ここが? ア、アンタたち一体なんなんだよ」
素朴な疑問を投げかけると、
ウェイターはラガーマンを見やってからオレに自己紹介をし始めた。
「申し遅れました、わたくしは当レジストランス支配人、デイビッドでございます。
お呼びの際はディビーで結構です」
「そしてこちらは……わたくしの弟、アンドレア。当レストランの副料理長です」
「さあ、お客様、どうぞこちらへお座りください」
空席に案内され、ディビーが引いてくれた立派な椅子に、オレはとりあえず座った。
ナイフやフォークが整然と並んだ高級そうな食卓。
そのあと彼は行儀よくお辞儀をして、近くのシンプルな二席の椅子に弟と座る。
アンドレアはちょっと窮屈そう。
「さっそくではございますが、お客様。おなまえをお伺いいたします」
「あ、名前? 石本……いしもと・そういち、です」
「いしもと様でございますね、かしこまりました。
それでは、よろしければご注文をどうぞ」
ディビーの唐突すぎる注文の受付けにオレはびっくりだ。
「は? あのー……どういうことか全っ然わからないんだけど」
「お客様の″いちばん好きな食べもの″を、どうぞひとつおっしゃってください」
「いや、急だなあー。イチバン好きなもの? ……」
――フライドチキン。
三カ月前、イスラエルのパレスチナにやってくる直前、
日本で食った肉汁ジューシーなフライドチキンのことをふと思い出した――
「……フライドチキンです」
(何言ってんだオレは!?
みんなあんなに高そうでウマそうなモン喰ってるとこ見てフライドチキンて!)
「……び、ビンボー舌なんで」
支配人はほほえみながら静かに首を横に振り、
照れてうつむいたオレにうやうやしくお辞儀をしてみせた。
「承りました、オーダー……″フライドチキン″です」
<質問の多い支配人>
「それではお客様、ご注文はいかがでしょうか」
「え? いや、だから今、フライドチキンって……」
「はい、どのようなフライドチキンをご所望かを
できるだけ、詳しくお聞かせください」
言ってる意味がよくわからなかったが、彼の言うとおりに
オレは日本で食ったフライドチキンのことを話した。
「……なるほど、にんにくがよーく効いた、塩だれ風味。
それにパンチのある香ばしいスパイスブレンド、ですね」
はい、まあ。ファーストフードとしても濃い目の味付けのヤツだ、コイツはうまい。
てか、場違いすぎて詳しく聞かれてんのかな、これは。
オレを助けてくれた無口なブッダ……。
ディビーのそばに座っていたアンドレアが、
そっと支配人に顔を近づけて何かささやいてる。
あからさまに内緒話されてるぞ。オレ、なんかヘンなこと言っちゃった?
「では、失礼ですが、
次にお客様の、お生まれになった場所、それから今まで生活されてきた場所などについて、
できるだけ詳しくお聞かせくださいませ」
その後もいろいろと、ディビーはオレに問い続けた。
……いつ終わんだろ? これ。
質問の機関銃を浴び続けていると、ステージ奥の扉から女性がひとり、つかつかと歩いてきた。
「こちらは当レストランの料理長、エマです。わたくしの姉でございます」
支配人がさりげなく紹介する。
わあ……美人。
おもわず見とれてしまうほどの顔立ちだった。
そんなエマがオレの顔をちらと見た。
「……″じゃ、わたし厨房にもどるから″」
フランス語っぽい言葉? でたぶんそんなことを言ってすたすたと戻っていった。
えー、カオになんか付いてた? ゴシゴシ……。
オレはへんな気分で頬をこすった。
「これで最後の質問となります。お飲み物はいかがいたしますか?」
「あ、じ、じゃあ……水で」
つくづくモッタイナイオレ。
「かしこまりました。それでは早速調理に取り掛かります。
どうぞ音楽をたのしみながら、ごゆるりと御料理をお待ちください」
言い終えると、ディビーとアンドレアは静かに立ち上がって一礼し、
ステージの向こう側の扉の奥へと姿を消した。
「よくわかんないけど、飯食わせてくれるならありがたいか」
……ちょうど腹ペコだったし、みんなうまそーに食べてるもんな。
気付けばバイオリン楽団は、今度は別の童謡の演奏を始めていた。
異様な状況に、思わずフライドチキンを頼んでしまったことを後悔しつつ、
オレは聞きなれた曲の素晴らしい演奏に心を打たれながら料理を待った。
<せわしなき厨房>
厨房に戻ったデイビッドは、
さっそく扉近くの個室に用意された専用のデスクに座った。
いくつものモニターに囲まれた業務用端末に、
先ほど石本に尋ねた質問の回答を打ちこみ始める。
その間にアンドレアは、エマが準備している調理場を手早く片付けながら
支配人の動向を待った。
デイビッドが目の前のキーボードに、
まるで激しいピアノの伴奏のように次々と個客情報を入力すると、
端末につながれたデバイスがうなりをあげる。
世界最新鋭の情報収集システム……『ミネルヴァ』
――英知を司る女神の名を関したその特殊プログラムは
入力された情報に対して、あらゆる答えを導き出す。
(石本草一……45歳。日本は熊本県出身の戦場ジャーナリスト。
六才のときに自衛官だった実父は、パレスチナの紛争地区にて被弾し、死去……。)
各モニターには英語で次から次へと石本草一に関する情報が表示されてゆく。
『ミネルヴァ』が答える情報を基に、
デイビッドはさらに石本について思い当たった思考を余すことなく入力し、
女神との対話を繰り返した。
デイビッドの正面のモニター画面に、澄み切った青い瞳が映り込む。
中心の瞳孔が目まぐるしく動き、立て続けに表示される膨大な情報を把握する。
ある程度、個客情報を確認すると
今度は左側に置かれたキーボードを、凄まじいスピードで片手で打ち込み始めた。
エマの眼前に設置されたモニターに、石本の好みの料理、食材の好き嫌い、平均的な食事量
といった情報が映し出される。
それをちらと見やりつつ、エマは下準備を終えた調理台で
アンドレアに必要な食材を用意するよう指示する。
無駄なく黙々と矢継ぎ早に食材を運ぶアンドレア。
デイビッドは左手で、料理に関する的確な情報をエマへと伝達しつつも、
右手で石本に関するさらなる情報の海へとアクセスし続けている。
エマがその間に調理器具を調整しつつ、
調理台に食材が運ばれると同時に火が出るほどの速さで調理に取り掛かった。
――「たいへんお待たせいたしました」
心が洗われるような繊細な演奏が続く中、
ディビーがドラマや映画のフランス料理のシーンなんかでよく見る、
銀色のドームの形をしたフタに覆われたお盆を台車に乗せ、料理と水を運んできた。
「わー……初めて見たよ、ソレ」
高級なレストランなんて行ったことがないだけに、オレはヘンにテンションがあがる。
……でもフライドチキンなんだよなぁ、中身。
「あー……うまそうなフライドチキ……ンじゃない!?」
開けられたフタの中の料理を目の前に差し出され、あぜんとするオレ。
それは、クラッカーっぽいモノの上に、
小さなフライドチキンみたいな香ばしい色の物体が乗った得体のしれない料理だった。
「前菜でございます、どうぞ召し上がれ」
ディビーがグラスに注がれた水を供しつつそう言うと、礼をして再び扉の向こうへと去った。
「なに、コレ?」
とりあえずフォークで軽くつついて食べてみる。
「おーうめえ! サックサクしてる!!」
カリッカリのベーコンチップがまぶされた、イワシのつみれ団子みたいなものが
パイ生地の上に乗ったオードブルだった……たぶんそう。
食べたことのない料理だったけど、すごく好きな味。
スナック感の強いその料理を食べ終えると少し喉が渇き、グラスを手にする。
「みずウんメエーッ! すっげえまろやか!」
いちいち感動が、つい口を衝いて出る。マナーのよくない客だなこりゃ。
「だけど、どういうこと? 前菜……もしかしてコース料理?」
「仰せの通りにございます」
いつの間にかディビーが次の料理を運んで来てくれていた。
「男爵芋のポタージュスープです」
――うまい。なめらかで沁み渡るやさしい温かさ。
オレ好きなんだよな、ポタージュ。このクルトンがまたいい。
そんな感じで、オレの前にはちょっとずつ、
これまで食べたことのなかったレベルのごちそうが運ばれた。
スモークサーモンとキャビアのカルパッチョ。
黒毛和牛のローストビーフ・クランベリーソース添え。
どれもこれも目玉が飛び出るくらいうまかった。
「こちらは洋梨とマンゴーのソルベです。お口休めにどうぞ」
運ばれてくる料理は、見た目も味もすべてにおいて絶品だった。
いくらビンボー舌のオレでもそれぐらい感動するおいしさ。
ふとステージの曲が止んだことに気が付く。あたらしい曲の演奏がはじまった。
童謡『赤とんぼ』だ。
哀愁漂うその曲調に耳をすませ、
すっかりオレはこの不思議なレストランの虜となっていた。
<最高のおもてなし>
「長らくお待たせいたしました。本日のメインディッシュとなります」
ディビーが右手にドーム型のフタを被せたトレイを乗せて運んできた。
「あぁ~、いよいよフライドチキンきちゃうかあ。どんだけうまいんだろ?」
オレは不安と期待が入り混じって胸が高鳴ってきた。
フタが開けられる――中の料理を見たとたん、
オレの頭ん中からクエスチョンマークが飛び出した。
「は? えっ……、ハ?」
大きな丸い銀色のトレイの上には、
四角いお盆に乗せられた、この場ではあからさまに不似合いなからあげ定食が乗っていた。
戦場で不意を衝かれた兵士のように、口を開けたまま戸惑うオレ……。
意味不明すぎてヘンな間が空く。
(ええ、とーこれがぁ、ここの、フライド……チキ、ン?)
とりあえず、皿の上のからあげをひとつ箸で掴んで口に運ぶ。
「…………」しばらくからあげを噛んでから、オレはテーブルを拳で強く叩いた。
演奏が止み、楽しそうに食事をしていたほかの客たちが、なにごとかと視線を注ぐ。
オレは顔を上げて思わず叫んだ。
「なんだコレッ……一緒じゃねえか、かあちゃんのからあげの味とッ!!!」
レストランが深い沈黙に包まれる。
うまかった。たしかにうまかった。
このレストランで食べた料理はぜんぶむちゃくちゃうまかった。
……だけど、オレにとってはこのからあげが
これまでのどの料理よりもいちばん、最高にうまかった――
――六年前、オレのおふくろは寝たきり状態になった。
オレの幼い頃に親父が死んでから、
女手ひとつで高校卒業まで必死に育ててくれたかあちゃん。
東京で仕事に就いてからも、暇さえできればオレは何度も熊本のかあちゃんの実家に帰った。
そんなかあちゃんが、67歳の頃に倒れた。
地元、八代市内の病院に運ばれてから、ずっと入院してたんだ。
この頃になると、仕事上どうしても外せない時期だったこと、
入院してから、かあちゃんがまだ少しは喋れるときに
「仕事、やめちゃぁダメだよ」って言ってくれたこと。
なんだかんだで結局オレは怖くなって、
かあちゃんのそばに居てやることもせず、仕事に逃げてた。
いつもやさしかった、かあちゃんが亡くなった。五カ月前のことだった――
メガネの中で目がうるむ。気づけば涙がにじんでた。
「……でもなんで、おふくろの、からあげ……?」
オレは、ディビーに聞いた。
「恐縮ですが……まことに勝手ながら、
いしもと様の小学校時代の卒業文集を調べさせていただきました」
ディビーの話を、オレは鼻をすすりながら聞いている。
「時期は小学三年生。課題のテーマは母の日、
タイトルは、『だいすきなかあちゃんへ』
……この作文の中に、こんな文章を見つけたのです」
ディビーがプリントアウトされた一枚の用紙を取り出し、
静かに読み上げはじめた。
「“ぼくのかあちゃんのからあげは、世界一おいしいからあげです。
ぼくは、この味がだいすきです。かあちゃんとおなじくらいだいすきです。
かあちゃん、ほんとうにいつもありがとう。”」
オレの目からは涙がこぼれていた。
寝たきりになる直前まで、本当に元気だったかあちゃん。
たまに実家に帰れたときには、いつも決まってからあげを作ってくれた。
……あれ以来、もう食べることができなくなったかあちゃんの味。
まさか、こんなところで、こんなかたちで会うことができるなんて。
――オレは信じられなかった。
ふと目を移すと、横におふくろが座っている。
オレは泣きながらおふくろに聞いた。
「おいしいよ! かあちゃんも食べなよ」
「あたしはいいんだよ、だいえっとしてるから。アハハっ!」
「ほら、なかないで。そうちゃん、いつもおいしく食べてくれてありがとね」
なきじゃくる少年は、母のやさしげな笑顔を見て安心し、
笑いながらおいしいからあげと白いごはん、
そして骨身に染みるお味噌汁を心ゆくまで味わっていた――
皿にはひとつも残ってなかった。
ごめんよ……オレ、かあちゃんの分まで食べちゃって。
「……うまかった。ほんとに、ごちそうさまでした」
メインディッシュを終えてから、新鮮なフルーツの盛り合わせが運ばれ
最後にはオレの好きなカフェオレが供された。
温かいドリンクを飲んで少し落ち着いたオレは、
イチゴやメロンをつまみながら、ディビーに純粋な疑問をぶつけた。
「……でも、なんでかあちゃんのからあげの味がわかったんだ?
オレ、食べるの専門で作り方なんてわかんないし」
「いしもと様のお母様は、お若い頃に調理師として働かれておられたようです。
地元の料理教室の先生をなさっていたようで」
まじか、オレも知らなかったぞ、それは。
「料理教室をおやめになる前に、
一度、地元で開かれた手料理コンテストで優勝していらっしゃいました。」
おおー、さっすがかあちゃん、てかすげえな!
「いしもと様、差し出がましいと存じますが、本日は
わたくしどもからこちらを贈らせて頂きたく存じ上げます」
うやうやしくディビーが何か簡素な冊子を取り出し、オレに手渡す。
白地に赤くて細い綺麗な線で彩られた、シンプルなデザインの表紙をめくる。
その中身を見てオレは驚いた。
『石本雅子 ~手料理コンテスト優勝記念 謹製からあげレシピ~』
「本日のメインディッシュは、こちらを参考に当レストランの料理長が
腕によりをかけてご用意させていただきました。」
「なお、ご注文の際、および御料理の提供のため検索いたしました
いしもと様の個人情報につきましては、こちらのレシピ贈呈を除き
今後とも一切の記録、利用は致しませんので、どうぞご安心ください。」
「……アンタ、いや、あなたたちはいったい、何者なんですか?」
オレはおもわず席から立ち上がり、ディビーの目を見て問いかけた。
「はい、わたくしどもは……」
ディビーの語り始めたコトバを聞いて、オレは立ち尽くした。
<重なる三本槍>
「僭越ながら、申し上げます。
わたくしたちナバートマン一族は、古来より続く由緒正しきフランスの資産家一族です」
「世界各地に産業界の重要拠点となる土地の権利を有しており、現在においても事業を継続しております」
――「わたくしたちの両親は、今から十一年前に米国にて発生したテロに遭い、亡くなりました。
その後、両親の死をきっかけに、三姉弟はそれぞれ、ある障害に苦しむことになります」
事情の重さを耳にして、オレは固唾を飲む。
「……両親の死による耐え難いショックがもたらした苦難……それは、
エマは味覚が消えました……。
アンドレアは、感情を失いました。
そしてわたくしは……耳がまったく聞こえません」
オレは震えていた。
「わたくしたちは、一時は仲違いをし、腐り、
一族の有する資産の権利一切を放棄することにまで思い至りました。
……しかし、その後わたくしたちを気にかけてくれた、父の恩師の言葉にみなが救われたのです」
――「食いたいものが、なんだって食えるレストランをつくろう! 亡き父上の野望じゃったよ」
「父の恩師の言葉と協力の果てに、わたくしたちも努力を重ね、
三姉弟はそれぞれある力を持っていることに次第に気付いてゆきました」
「三姉弟のちから?」
なんだか不思議な気持ちでオレはディビーを見つめている。
「エマは、顔を見るとその方の味覚に合わせた味の調律が、
アンドレアは、人の感情を色彩として感じることが、
……そしてわたくしは、調べた情報をもとに詳細なデータプロファイリングができる、
ということに」
「いしもと様が、いちばん好きな食べものはフライドチキンだと仰ったとき、
アンドレアはいしもと様の顔が桃色に見えたと伝えてくれました。
桃色……ほんとうのことを隠している方は、そう見えるようです」
やっぱりブッダだったよ! アンドレアは。
「……なあディビー、あなたはどうしてそんなに会話がうまいんだ。
耳が聞こえないんだろう?」
「読唇術、語学習得、発音練習……微力ながら、接客に必要なスキルは日々磨いております」
"天才"、彼らにそんな言葉を充てるのは失礼でしかない。そうオレは感じた。
「そんなに、どうしてそこまで……」
オレがディビーに理由を聞きかけたとき、食事を終えた客たちの会話が聞こえてきた。
「――すばらしい時間だったよ。
まさかボクが子どものときに食べた、祖母の手料理をまた食べられるなんて」
「――ここは最高ね! ゼンブ凄くオイシかった。こんなの一生忘れられないわよ」
口々に幸せそうな声や驚きの声を上げるゲストたち。
彼ら彼女らの身なりをあらためて見て、オレは気が付いた。
そうか――彼らはこの紛争地域の近辺で暮らす難民か。
ゲストの感想を唇の動きから読み取っていたディビーが、誇らしげに再びオレに話す。
「このレストランの従業員は、わたくしども三姉弟だけではありません。
演奏者、食糧調達班、ドームの設営スタッフ、紛争対策チーム……」
「働く者みなが、おのおの心に刺さる重い槍を抱えております」
「それを自分たちの糧にして、辛い現実にあらがい、努力し、立ち上がる……
すべては、"お客様の最高の笑顔"のために。
レジストランスとは、そういうレストランなのです」
言い終えると、ディビーはにっこりほほえんでオレに名刺をくれた。
――描かれたシンボルマークは、アスタリスク[*]のように重なった三本槍……。
重厚感のあるその槍の絵は、
よおーくみると、ナイフとフォークが交差し、
真ん中には一本のキャンドルが煌々と火を灯しているデザインだった。
そのシンボルとディビーの爽やかな笑顔をオレは交互に見て、
彼らの抱える使命感の重みと、どこまでも限りなく続いてゆく決意の強さを感じた。
(三本の重い槍……苦難とたたかうレストラン、レジストランス!)
そんなことを心に浮かべて、オレは名刺を大切に仕舞う。
すると、扉の奥からアンドレアとエマが、二人揃ってこちらへと歩いてきた。
「これ、よかったら好きなときに食べて」
エマが短くそんなことを言って、アンドレアが持つ紙袋をテーブルの上に置かせた。
先ほどは冷たそうだったエマの口元が、少し笑んでいるように見えた。
いったい何かと紙袋の中をそっと覗き見たオレは、思わず吹き出しそうになった。
鼻孔くすぐる香ばしさ。そこには、すげぇうまそうなフライドチキンが
紙の容器に丁寧に入れてあった――これまたうまそーなフレンチフライのおまけ付きで。
そんな小憎いテイクアウトを抱えつつ、オレはディビーたち三姉弟にたずねた。
「最高のおもてなしをありがとう! お代は? ……今は手持ちがないですけど、
どれだけ高くっても必ず払いますから!!」
アンドレアがゆっくりと首を横に振っている。エマもなぜか手をひらひらさせている。
「お代ならもう頂いておりますよ、いしもと様」
? ……ディビーの満面の笑みに、オレは言葉が出なかった。
「″うまかった″の、お言葉です」
――オレはないた。
それはもう、こどもみたいに、ないた。
<伝えゆく真実の物語>
オレが砂漠で倒れていたことに彼らが気付いたのは、
難民を探すため、ドームの設営後に周辺を無人偵察機でチェックしていたからだそうだ。
紛争地域に突如として現れた謎の拠点……それは、重き苦難とたたかう人たちに
最高の想い出をふるまってくれる夢のレストランだった。
レジストランスでの忘れ得ぬ一刻を過ごした後、
ディビーたちはオレたちゲストを見送り、
専属のスタッフたちの協力により各々の帰路への手配をしてくれた。
あの運命的な出会いから二日後、日本へ向かう飛行機の中、
窓の外を見ながら、オレはディビーからもらった名刺を取り出す。
死にかけた砂漠でみた、
ドームの天辺の旗に掲げられた″重なる三本の志″。
その勇ましいシンボルは、いつまでもオレの胸に残るだろう。
奇跡を詰め込んだ夢のような別世界。
誰もがありえないことだと言いたいだろうが、最後にこれだけは言わせてほしい。
――苦しい日常に生きる難民たちの、まごころ溢れる食事の中で見せた
ほんっとに楽しそうな屈託のない笑顔。
それを幸せそうに見渡す支配人たち。
その情景が、今もオレの目に鮮明に焼き付いているということ――
"人を想う温かいこころさえあれば、世界中が笑顔になれるんだ″ってことを。
オレは伝える。日本に帰ってかならず!
きっと今もどこかで……
ディビーたちは見知らぬ誰かのために、最高のおもてなしをしているにちがいないから。
レジストランス ~最高のおもてなし~
おわり