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第七話「食レポ」

鼻腔を満たす強烈な腐敗臭に今すぐ幼虫を口から吐き出したい衝動が走るが、吐き出したい衝動を抑えて冷静に咀嚼そしゃくを開始する。


食料カロリーの摂取は、この大地を生き抜く上での最優先事項なのだ。


むにゅっ むにゅっ


ゴムのような幼虫の外皮は何度噛んでも噛み切ることができず、咀嚼を繰り返す度に幼虫の体内からどろりとした体液が口の中にあふれ出していく。






バターやクリームを彷彿とさせる体液のとろみ。


その味は、薄味ながらもほのかに苦い。


うっ・・・。


地獄と化した口内で、とろみのある体液が腐敗臭と絡み合う。


ああ、この舌に纏わりつくような体液の粘度が、僕に更なる地獄の深淵を覗かせる。






むにゅっ むにゅっ


いつまでも噛み切れない幼虫の外皮に対して、懸命なる咀嚼を繰り返す。


しかしながら、とんでもない腐敗臭である。


濃縮させたカビの臭いは嘔吐感を誘発させ、池の底に溜まった泥のような臭いは口の中にあるものが幼虫では無く土なのでは無いかと錯覚させるのだ。


どこまでも続く森の奥深くを見つめながら、僕は、この臭いの原因に思いを馳せた。






あ・・・。


気付いて・・・しまった・・・。


木の皮を剥がされた倒木の表面。


その表面で木質部を喰い進む幼虫の姿は、白い体表を持ちながらもこれまでに食べた内容物が黒く透けて見えている。


僕の口の中に居る幼虫が、一体何を食べていたのか。


そんなことは、考えるまでもない。


腐りかけて真っ黒になった倒木である。






この倒木は、時が経ればいずれ土に還るのだろう。


しかし、倒木には土に還る前の段階がある。


腐葉土である。


腐葉土とは、朽ち木や落ち葉を微生物やミミズなどの土壌生物が分解してできるもので、通常ならば不快に感じない程度のカビ臭や泥の臭いを持つ土状の堆積物のことである。


この濃縮させたカビの臭いと池の底に溜まった泥を混ぜ合わせたような臭いは、幼虫が倒木を腐葉土に変質させることで発生させた臭いなのだ。






淡水魚の肉質は、その水質によって大きく左右される。


その最たる例としては、日本において特定外来生物に指定されているブラックバスが挙げられるだろう。


よくブラックバスは身が泥臭くて不味いと言われているが、これは水質の悪い河川や湖沼で漁獲されたことに起因するものであり、決してブラックバスの身が不味いということでは無い。


本来、ブラックバスとはスズキ亜目に属するタイやスズキの仲間であり、タイやスズキと同じくタンパクな味の白身魚なのである。


そう、この鼻腔を満たす強烈な臭気は、泥臭いブラックバスを食べた時のものと同じ現象なのだ。






むにゅっ むにゅっ


(これは、やってしまったなぁ。)


倒木の黒く変質した樹皮、或いは、幼虫の白い体表から黒く透ける内容物を見れば、幼虫の食性から腐葉土の臭みを十分に予想できたはずである。


これは、異世界という環境の違いによって引き起こされた失敗では無い。


しっかりと目の前の自然を観察していれば、前世から引き継いだ知識をもって十分に回避できたはずの失敗なのだ。






むにゅっ むにゅっ


(これからは、観察を大事にしよう。)


幼虫の腹から透ける黒い内容物・・・。


これさえ目に入っていれば、口の中が地獄の釜と化すことも無かったのだ。


うっ・・・。


これは、純然たる僕の油断が招いた当然の結果。


幼虫に味を求めるならば、このような朽ち木では無く生きた木に巣くっている幼虫を食べるべきだったのだろう。


この口内の地獄は、現実を見ていなかった自分に相応しい味なのかもしれない。


口の中の幼虫さんには何の責任も無いのだ。


これは、しっかりと味わって食べよう。






むにゅっ むにゅっ


ゴクンッ


ゴムのような外皮をようやく噛み潰し、幼虫の体液ごと外皮を飲み下す。


舌にクリーミーに纏わりついていた幼虫の体液が、口内に腐葉土の香りとほろ苦い余韻を残している。


これが、コクか。






ゆっくりと息を吐き出して、空を見つめる。


「メディアから得た情報も嘘では無かったのかな。」


確かに幼虫の体液はバターやクリームを彷彿とさせていたし、確かにコクも存在した。


冷静に思い返せば、パプアニューギニアの少数民族が幼虫を採集していた木は、このような黒色になるまで腐食したような倒木では無く、もっとフレッシュな色合いをした木では無かったか。


なるほど。


メディアに踊らされていたのではなく、僕が勝手に踊っていたというわけか。






背の高い木々の間から見える青空は、遥かに遠い。


どうやら、僕は、思っていたよりもずっと小さかったようだ。


目の前の自然を見ようとせず、前世から引き継いだ知識だけで行動を決定していたのだ。


視線を落とし、倒木の木質部を喰い進む幼虫の姿を見つめる。






ここは、新世界なのだ。


これから先どんな災難トラブルが起こったとしても、それは決して不思議ではない。


しかし、想定できたはずの災難ならば、それはなるべく避けておきたい所だ。


「口の中が地獄と化す・・・。」


今回は、たったそれだけの失敗で済んだのだ。






最初の食事が幼虫さんでよかった。


「幼虫さん、気付かせてくれて本当にありがとうございます。」


それでは、食事を続けよう。

【持ち物】

白い布

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