青春は遠回りである
チクチク、針と糸が動いて動いて、布と布を繋ぎ合わせていく。
短時間でどんどん形になっていくのが凄いと思う。
最初は布の切れ端同然だったものが、確かな形になって別物になるのだ。
「作ちゃんは手先、器用だね」
ゆらりと上げられた真っ黒な瞳には、俺が映って、瞬きをすれば一瞬だけ消える。
視線を上げたので手の動きも止まり、針も糸もそのまま停止した。
「……手先は、ね」
ふぅ、と吐き出された短い息とその言葉。
棘もない淡々とした言葉だった。
「そう?小説を書いたり写真を撮ったりは、文章力とか感性の問題じゃない?」
「……そうじゃない」
首を捻って彼女――作ちゃんが好んでることを上げてみれば、ゆるゆると首が横に振られた。
左耳付近で結えられた黒髪が、白い頬を掠める。
「崎代くんを追っ払うほどの口先の器用さは持ち合わせてない」
「……え、追っ払いたかったの」
「冗談。でも、口先の器用さはあまり」
また首を振って、今度は視線を下ろして手を動かす。
チクチク、また布と布が縫い合わされた。
一度も糸が絡まることも、刺し違えることもなく、同じ縫い方を等間隔で行っている。
手先は、とは言わないが、手先が、器用なのは分かっていた。
会わせて、口先が器用でないことも知っている。
どちらかと言えば口下手で内弁慶。
その癖ハッキリとした物言いは、相手にどう思われようと知ったこっちゃないからである。
オブラートに包めないからこそ、不器用だ。
「その点、崎代くんは手先も口先も器用だからね」
「何でだろう……。褒めれてるはずなんだろうけど、褒められてる気が全くしない」
濃紺の布を縫い合わせ終えたのか、残った糸を丁寧に玉結びにしてぷつり、と糸切り挟みで切り落とす。
同じ濃紺色の糸が、針の穴に入ったまま、十五センチくらい、宙ぶらりんになる。
「俺、口下手だよ」
「人見知りはするんだろうけど、万人受けするタイプだと思う」
「万人受け……」
残った糸を抜き取り、縫い終わったらしい布地は机の上に置かれる。
人間サイズでもないが、着せ替え人形のサイズにしては大きいジャケットだ。
昔、妹も着せ替え人形持ってたな。
小さなトートバッグのような裁縫箱……ならぬ裁縫鞄の中には、各種各色の糸や針が詰め込まれている。
何故か、ミシン糸と針もあったが。
「崎代くんは……言葉を考えずに言えば外面が良いってやつでしょう?」
「……言葉を考えたら愛想が良いだよね」
「じゃあ、崎代くんは愛想が良いから、だから、実は人見知りでも知り合い程度を含め、広い交友関係が作れている」
小さなプラスチックケースから何かを取り出す作ちゃんは、淡々と、言葉を選ぶことにあまり頭を使わずに吐き出していく。
こういう所が、口下手で口先が不器用だ。
現代文も古典も成績が良いのに、誰かと話す時にはその知識などが現れない。
目を細めて、手の平の上に鈍い黄色の何かを乗せた作ちゃんを見る。
小さなボタン、にも見えた。
「本人の意思は置いておいても、周りから特別酷い敵視を受けることはない。悪いことじゃ、ない」
また、濃紺の糸を手に取る。
適当な長さで、ぷつりと切られるそれと同時に、作ちゃんの言葉も切れた。
これは、うん、褒めてくれている。
一つ大きく頷いて見れば、僅かに上げられた作ちゃんの黒目が細くなった。
「だからこその、疑問かな」
鈍い黄色のそれは、やはりボタンだ。
糸を通して、その小さなジャケットに小さなボタンを縫い付けるらしい。
作業の手を止めずに放たれた言葉は、僅かな固さを含んでいる。
伏せられた長い睫毛は、不健康なまでに白いその肌に小さな小さな影を落とす。
長い前髪が垂れて、その表情を分かりにくくする。
「崎代くんがボクに引っ付いている理由が、全く以て分からない」
手早く小さなボタンを縫い付けて、糸を切る。
同じ要領で、一つ、二つ、ボタンが増えた。
予想外の発言に瞬きをしながら、その作業を見つめていたが、二度目の糸切り挟みの音で我に返る。
「俺、作ちゃん、好きだよ」
座っていた椅子から立ち上がる。
勢いだけは立派で、ガタゴトと音を立てた上に、作ちゃんが裁縫鞄などを置いている机に足をぶつけた。
机をずらしたために、作ちゃんが顔を上げる。
蝋人形のような綺麗な無表情がそこにあった。
「有難う」
「うん」
「でも、ボクは別に好きじゃない」
あまりにもハッキリとした言葉だと思う。
立ち上がった俺は、ゆっくりと座って、もう一度、うん、と頷いた。
「男の人……いや、男の子としては好きじゃない」
何回も言わなくていいよ……と力ない声が漏れたが、作ちゃんは緩く首を傾けて、机の横に引っ掛けていた黒い革のスクールバッグを机に乗せた。
サイズの割には、ぺったんこのそれ。
授業道具よりも、原稿用紙とか裁縫道具を入れることの方が多いのは、だいぶ前から知っている。
「まぁ、お友達、としては嫌いじゃないけど」
スクールバッグから何か取り出される。
しかし、俺の意識は何かよりも、作ちゃんの言葉に向けられていて、いつもの伊達眼鏡の奥で、これでもかと言うほどに目を剥いた。
「え、ちょっ。作ちゃん、もういっ……」
もう一回、は上手く言葉にならなかった。
いや、ならなかったと言うよりは、言葉にさせてもらえなかったが正しい。
ボタンを縫い付けたばかりのジャケットは、スクールバッグの中から出て来た何かのものになっていた。
何かは、俺の口元に押し付けられて、声を出しても、もふ、と何かに沈む。
目の前の作ちゃんは、手に何かを持ったまま、俺を見上げて、瞬きを一つ。
長い睫毛が小さく揺れた。
「ところで今日、行き付けの喫茶店で季節限定のケーキが出る日なんだけど。早く行こうか」
それも終わったし、と俺の手を取って、何かをにぎらせた。
俺の口元から自主的に避けるつもりはなかったらしく、片手ずつ別の動きをする。
その後、何かを握らされた俺を一瞥して、出していた裁縫鞄を仕舞う。
丁寧に針と糸が並べられた。
ゆっくりと握った何かを下ろす。
それを、見下ろす。
出て来たのは間の抜けた声だった。
「ほら、行くよ。行かないの?」
「えっ。いや、行く!行くけど!!」
既にスクールバッグを持った作ちゃんが立ち上がり、俺を振り返りながら教室を出て行こうとする。
慌てて俺も鞄を手に取り、肩に引っ掛けた。
手の平で握った何かは、見慣れた濃紺のブレザーを着ている。
中には白いシャツとベージュのカーディガン。
濃紺と臙脂のネクタイまでしている。
薄い茶の髪とそれよりも少しだけ濃い瞳、合わせて赤縁の眼鏡には、見覚えがあるどころの騒ぎではない。
駆け出そうとして、作ちゃんのスクールバッグの金具にくっ付いて揺れるものを見た。
同じ作りだけれど、どうしようもないくらい、顔の作りが違う人形がそこにいる。
真っ黒な髪に、それを鮮やかな水色の髪飾りで止めた、真っ黒な瞳の人形。
「あ、え。作ちゃん!待って!!さっきの俺のこと……いや、それもだけど!この人形!!俺、そっちの作ちゃん持ってるやつも欲しいんだけど!!」
教室を出て行ってしまった作ちゃんを追いかけるために、バタバタと足音を立てて駆け出す。
手にはしっかりと、俺にそっくりな人形を握り締めて。