つるみるいの短編集その①『鏡の中の私』
私の部屋には、私より少し背の低い姿見がある。
これだけ聞くとどこの家にもあるものと同じだ。
しかし、私の姿見は少し違う。
私がもう一人いるのだ。同じ動きをするのではなく、完全に自立している。
だから、いつも髪型と服のバランスを見るのに苦労する。同じ様に止まってくれないからだ。
そんな鏡としての役割のおよそ半分を失った姿見だが、私には愛着がある。
何もすることがない時は鏡の向こうの私を観察している。
さらに、向こうの私とこちらの私が同時に”私”を認識する瞬間があリ、たまに、にらめっこをしている。
だから一人で住むには少し広い部屋でも、寂しくなんかない。
そうこうしていると、1日が終わる。
窓から桃の花が見える。とても可愛らしく、私を見てと言わんばかりに輝いているが、
それとは正反対に私は眠たい。
春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、まさに私のためにある言葉のように思う。
昔の人は偉大だ。この言葉を口にするだけで私はまた夢を世界に行くことが許される。
鏡の中の私の気持ちよさそうに眠っている。だがしかし、よだれを垂らすのはやめてほしい。
春を迎えたからと言って、何も、始まりの季節だとは限らない。私からすれば、何も始めたくない季節だ。
ゴロゴロしていたい。
何と幸せなのだろうか。何もしないことが幸せな私はお金がかからない。体力的にも金銭的にも省エネだ。
世の中の全ての人たちがこうなれば地球がこれ以上温暖化に悩まされることもない。
いや、それだと世の中が回らなくなってしまうから、私以外は頑張って働いていてほしい。
仕事の中に幸せを見出して強く生きてほしい。
少なくとも私はそんな人たちを全力で応援する。寝ながらですまないが。
鏡の中の私は相変わらず、気持ちよさそうに眠っている。お腹を掻くのもやめてほしい。
ふう、もうダメだ。我慢できない。我慢する必要もないし、したくもない。
寝てしまおう。それでは、おやすみなさい。
夏真っ盛り。私は18年間ともにした、このだらしない体型とおサラバするために約半年の月日をかけた。
ありとあらゆるダイエット方法を試し、結局どれが正解だったのか分からないが、
痩せてしまえばこっちのものだ。
過程よりも結果だ。結果が全て。私はそう思う。
しかし、我ながら、スラッとしていて見惚れてしまう。
鏡の中の私もこれには賛同の意を込めて、仁王立で大きく頷いている。さて、そろそろ服を着なければ。
人に自慢のできる体型となった私の身体だが、少し不満がある。
それは身につけている下着のサイズが小さいことだ。
決して太っているからではない。むしろ痩せているからだ。痩せすぎている。
よく人はこれを”まな板”と例えるが、私からすれば、これは洗濯板だ。肋骨のせいで凸凹している。
悲観的になるのはこのくらいにしておこう。
なんて言ったって、今は夏なのだ!
青い海、賑やかな祭り屋台、カラフルでたまにおかしな形を見せる花火。そして、スイカ。
夏が私を歓迎してくれている。私も夏を盛大に歓迎しよう。welcome to my summer!!
あまりの興奮に未だに裸であるにもかかわらず、小躍りを踊っていた。
いかん、いかん。これではお嫁になんて到底行けない。少し反省。
興奮と少しの運動で私は疲れてしまった。
明日に備えて今日はもう寝ることにしよう。おやすみなさい、my summer…。
うぅ…。少し寒い。
この季節になると、よく”食欲の秋”、”スポーツの秋”、”読書の秋”etc…と言われるが、
こうも寒いと家から出たくない。
鏡の向こう側では、私が美味しそうに焼き芋を食べている。
少し私にそれをよこせ。
贅沢だと言わんばかりに、両手に芋。花より団子より、芋。
食塩不使用のバターを一丁前に垂らしながら、思いっきり、思いのまま、一思いにかぶりつく。
あぁ、なんと裏山けしからん。
鏡の向こうの私よ、臭い屁が止まらないように私が呪いをかけてやる。
そもそも、嫌味ったらしく、餓死寸前の獰猛な猛獣のような私に見せつけるのが悪い。
そう、私は悪くない。
火のないところに煙は立たない。
屁のあるところに悪臭漂う。
つまり、そういうことだ。
私は悪くない。
腹が減って、腹が立って仕方がないから、今日はふて寝する。
ああ、もう、寝つきが悪いったらありゃしない。
夢の中でたらふく食べてやるんだから。
待っててな、焼き芋よ。
それじゃあ、おやすみなさい。
なんだ。なんなんだ。
最悪な目覚めだ。
結露したガラスを拭いて外を覗くと、雪が積もっている。
ただでさえ眩しい日差しが雪に反射してより一層輝きを増して、私の網膜へと襲い掛かる。
うら若き乙女には刺激が強すぎる。
さらに冷え性な私の足は、冷え切った彫刻のように冷たく、
いっその事、このままレンジに放り込んで最速加熱をきめてやりたい。
動け、私の足よ。働け、私の脳よ。さあ、今こそ目覚める瞬間だ。
口ではなんとでも言えるが現実は無情である。布団から抜け出せない魔法にかけられてしまっている。
鏡の中の私も同じ境遇であると確信しつつ見てみると、
なんと、そこにはウキウキとクリスマスの準備をしているではいか。
部屋をキラキラにデコレーションして、美味しい料理を準備して、可愛らしいケーキを作ってと、
私らしからぬのではないのか。
はぁー、いつから鏡の中の私はこんなに変わってしまたのだろうか。
でもまぁ、今まで不毛な人生を送っていた私がそろそろ幸せになってもいい頃合いだろう。
私も鏡の中の私を見習って、少しはイケイケ女子を目指そうか。
そう、明日から。
今日は今日。明日は明日。私は今を全力で生きることを心掛けている。
だから私は明日に備えるために、今、全身全霊を持って、精神誠意、寝ることをここに誓いますっ。
それではみなさん、おやすみなさいっ!!
ある朝、気付くと姿見が割れていた。
もうこれは使い物にならないと判断した私は少し名残おしいけれど、捨てることにした。
ともに過ごしてきた私にはもう会えないけど、やむを得ない。
相変わらず私の部屋の姿見は私の身長より低いけれど、
それを持ち上げたようとした瞬間に私は何か違和感を覚えた。
よくよく観察してみると、その姿見は支えがなく、そして、上の方が私の方に傾いているのだった。
そうか、私は鏡の中の私なのだ。