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女王様とお呼びっ!【番外編】  作者: 庭野はな
閑話(再収録)
9/17

父の椅子 [69.5]

 俺は、見慣れた部屋にいた。

 重苦しい空気の中で、ひときわ存在感を示す大きな革張りの椅子。その背に触れようとし、ためらって腹の横で拳を握る。


 この部屋が嫌いだった。

 部屋のドアの前に立つと、胃がせりあがってくるような、口の中が苦くなる。回れ右をして逃げ出したくなった。それが毎回だ。

 中に入れば、この椅子に座り尊大に構える父が待っていた。

 意見すれば、必ず青二才がと罵られる。褒められたことなど一度もなかった、最期の時まで。


 父上を憎んでいた。

 それはイリーニャの事があってからだけど、幼い頃から好きではなかった。

 俺が生まれた後から離宮に顔を出さなくなり、俺が成人するまで公式行事でしか顔を見ることのなかった父上は、俺の中では父親ではなく「王」だった。

 父上との思い出がほとんどないのに、どうして嫌っていたのかというと、母上のことがあったからだ。

 俺や妹にいつも優しく微笑んでいる母上は、夜に部屋で一人涙を流している姿を、幼い頃から何度も目にしていた。見かねた俺が部屋を訪れどこか痛むのか尋ねると、月があまりに綺麗だったから涙がでてしまったのと赤く腫らした顔で微笑んだ。

 でも、俺はある晩聞いてしまった。女官が肩をふるわせる母をなだめながら慰める言葉を。詳しいことは忘れたけれど涙の原因は父にあると知り、ショックを受けたことだけが記憶にある。


 それから、父は嫌いな人となった。

 イリーニャを奪われ、憎んだ。

 ユカを奪われそうになり、激しく憎んだ。

 それでも、殺意はなかった。

 どうして憎めば殺すと思ったのか。

 自分がそうだから、息子の俺もそうだと思ったのだろうか。

 そうだとしたら、とんだ馬鹿親父だ。


 俺は椅子の手をつかむと、乱暴に座った。

 座ると分かる。父上が、王が、身体も存在も大きい人だったことが。

 長年使われてできた皮張りの背に出来たへこみが、俺の頭頂きの拳一つ上からはじまる。

 いつもリラックスしたようにさりげなく腕を置いていた肘かけも、俺だとかなり脇を開けて置くことになり、無駄に気張って座ってるように見えてしまう。

 正面から見ていた時は、父上の存在感が大きすぎて椅子なんて視界に入っていなかったのに、俺は椅子に座らされてるようだ。


 父を殺めた日から、ほとんど毎晩その夜のことを夢に見る。

 唯一それを見ないで済むのは、ユカの側で眠る時だけだ。

 夢では、俺が父上を殺せずに母上がナイフを突き立てたり、俺が母上を止めると父上が母上のナイフか俺の剣を奪って母上を殺したり、ユカを殺したりと、カイルを殺したりと、毎回違う様々な状況が繰り広げられる。だけど、誰も死なずに済む結末だけはない。

 いつか夢を見なくなるのは、どんな時なのは今の俺には分からない。

でも、ずっと続いても構わないと思う。

 父を殺したのは、俺の選んだ背負って行く業だから。



「浸ってるな、ユリウス」


「リカルドか」


 隣の侍従室から入ってきたのは、白い侍従服に身を包んだ灰色の髪をした壮年の男だった。

 王の右腕として戴冠した時から今まで勤め上げた彼は、父上と違い、年に1、2度の母のご機嫌伺いや、何かトラブルがあった時に離宮に顔を出していた。父上が苦手な俺に、間に入ってくれることも多く親しい存在だ。

 彼には今、新しい王の執務室の相談役という立場で、これから後進の指導や俺の仕事の手伝いをしてくれることになっている。

 そして、父の崩御の真実を知る僅かな者達の一人だ。


「どうだ、この椅子の座り心地は」


「父上の大きさがよくわかる」


「はっ、あそこまで図体がでかいと邪魔だ。お前くらいがちょうどいいんだ。貫禄なんざそのうちつく」


「王にひどい言い様だな」


「私は特別だ。だけどお前ももっと食って身体も鍛えろよ。王の仕事は一に体力、二に体力だ。姫さんを見習え。毎朝走ってるらしいじゃないか」


「ユカは走るのが好きなんだ。俺はあんまり好きじゃない」


「じゃあ、王の義務の一つと思ってやるんだな。いいじゃないか、普通嫁さんと走ろうったってそんな相手はいないぞ」


 リカルドは口が悪い。

 庶民の出で兵士だった彼が王と出会ったのは、まだ王子時代だった。

 アイオナにフランシス王子ありと、既に華々しく活躍していたが、ある戦場で奇襲に遭い命を落としそうになった。その時彼の命を救って功績をあげたのがリカルドだった。

 剣の腕の立つ彼は、王の側につくようになり次王の親衛隊隊長は間違いないと噂されていた。


 だが、戦場で腕と足を怪我をし、二度と戦場には出れなくなってしまった。その彼を、戴冠を控えた王子は侍従に取りたてた。

 剣しかとりえがないと思われていた彼の人事に周囲も本人すら驚いた。

 だが、皆の予想を裏切り立派に文官の仕事をこなし、戦慣れしたその侍従は城でも戦場でも常に王の傍らにいた。

 そして王や王妃の信に厚い彼は、数年後には侍従長となり、そのまま王の葬儀が終るまで勤め上げた。


「カイルはどうしてる?」


「ああ、フィンに叩き込まれているぜ。あいつ、自分より若くて上に立つならそれを証明しろって無茶な詰め込みをしやがって。空気悪すぎて逃げてきた」


 フィンとは、リカルドの下で働いていた最年少の20代後半の侍従で、侍従になってこの5年間、その優秀さゆえに王が重宝していたらしい。それでリカルドの進言もあって彼を侍従に加えた。


「あいつなら大丈夫だ。」


「チビの頃にいっつもあいつの尻を追いかけまわしてたろ。今もくっついてるからカイル離れで来ていないんじゃないかと心配してたが、大丈夫みたいだな」


「俺は別にあいつの尻を追いかけたりなんかしてないぞ。それと子ども扱いはやめてくれ」


「いいじゃないか、お前は俺の甥っ子みたいなもんだ。それよりカイルは兄貴みたいに思ってるんだろ」


「ああ」


「じゃあずっと大事にしろ、手放すんじゃないぞ」


「言われるまでもない」


「ああ、それからしばらくはあの二人に目を配っとけ。あいつら揃って、意地になると無茶するタイプだからな」


 リカルドの一番の才能は人を見て動かす力だ。

 俺も、彼から必死になって色々学ばないと。

 背筋を正して前に立つ彼を見上げると、妙な顔をされた。


「そこで張り切るのも結構だが、今はここでは用無しだ。さあ、暇なうちに騎士隊に顔出しに行くぞ。ついでに久しぶりに稽古をつけてやろう。もうハンデはやらんからな」


「ええっ、いいよ、視察だけで」


「何言ってる。騎士達に新王の力を見せつけてやらんとな」


 結局、俺は騎士達にリカルドからこてんぱんにのされた姿を見せることになった。

 一対一の試合形式では、肩から上があげることが出来ない古傷と老いというハンデを補って余る剣技を持つ彼は、騎士隊長すら3回に1本しかとらせてもらえない。それを5回で2本とったんだから褒めて欲しい。


 体力を全て使い切って地面に倒れ込む俺に、軽く息を弾ませるリカルドが嬉しそうに見下ろしていた。


「まだまだが、だいぶ歯ごたえがでてきたな。どうだ、少しはすっきりしたか」


「ああ、身体は痛いけど、気分はいい」


「悩むのも大事だが、いつまでも捕われていたら他が見えなくなるぞ。煮詰まったらいつでもここで相手をしてやる」


「遠慮したいな」


 視界が空で埋め尽くされるのはいつぶりだろう。

 リカルドが隊舎に向かった後も、俺は地面に寝たまま青く眩しい空を見ていた。

本編、後宮と獅子編「[69] ためらいを越えて」の後に閑話として挿入していました。


※この後から書き下ろしの閑話が始まります。

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