余韻 [13.5]
「カイル!カイル!」
「朝から騒々しい。何度子どもみたいに騒ぐなと言えばわかる」
朝食が終わり執務の時間が始まるのを待ちきれず、俺は執務室に駆け込む。すでに今日の仕事にとりかかっていたカイルがペンを置いて顔をあげた。
「俺、ユカの事好きみたいだ」
昨夜夜会から帰ってからも興奮がおさまらず、ほとんど寝られなかった。
いつまでも彼女を抱きしめた感触、唇の熱が消えない。
次はいつ彼女の唇を味わえるのだろうか。唇だけではなく、もっと、もっと……。
余韻に浸りながら、ずっと彼女のことばかり考えてしまう。
「どうしたらいいと思う?」
カイルが俺の頭めがけて、手元の本を投げてきた。風をきって耳のすぐ横をかすめ壁にぶつかって床に落ちる。
危ないな、打ち所が悪かったら死ぬぞ?
「計算して投げてるから大丈夫だ。頭が冷えたか?」
「肝が冷えたぞ」
時々、この幼馴染で親友は俺の心の声が聞こえるんじゃないかと思ってしまう。
「たかがキスくらいで騒ぎすぎだ。キスは初めてじゃないだろう」
「俺は経験豊富なお前とは違うんだ!というか、な、な、なんでそれを!」
「叔父の家の庭であんなに熱烈にしておいて、何を今更。今日の使用人達の一大ニュースになってたぞ」
「そ、そうか。昨夜の件でメラニー伯爵邸に行ってくれたのか」
「朝食を頂きながら一部始終を伺った。伯母上も目撃されたとかでとてもお喜びだったから、次にお会いする時に覚悟しておいたほうがいいぞ」
「げっ」
あの時は誰に見られていてもよかったのに、後になって見られていたと分かると恥ずかしくて顔から火が噴出しそうだ。
彼女の唇を奪ったとき、俺にはユカしか見えておらず、彼女の声しか聞こえず、彼女の香りしか感じなかった。もし、彼女が止めなければ、猛る欲望を止められなかったらあのまま……
「おい聞いてるか?乙女の恥じらいは後にしてくれ。例のグレン伯爵の子息は見張りをつけて謹慎させているが処分はどうする?」
「あれの顔は二度と見たくない。本来は不敬罪だが重罰はユカが望まぬからな。廃嫡にし今後領地から出るのは罷りならん。もし破れば絞首に」
カイルが意味ありげに笑う。
「彼が今後禁を破らない確率は低そうだな。ああ、伯爵には他に子息はいないがそこへの配慮は」
「確か娘を後宮で次期王妃候補として入れていたな。幸い俺は手をつけてないから戻して婿をとらせればいいだろう」
「メリッサ様だな。だが彼女は確か王と…」
「俺はしらん。もし父上が手をつけて妾妃にするつもりなら正式に沙汰があるはずだろう」
「わかった。彼を夜会へ手引きしたサント侯爵のご子息はどうする?今朝には侯爵の名で詫び状も来てたぞ」
「あれはもういい。昨夜直接詫びたうえに、俺とユカに生涯の忠誠を誓った。しかもユカの為ならどんな尽力でもすると血の誓約までしてたぞ。外聞もあるから半年の領内での謹慎を命じておいた」
俺は自分でも機嫌が悪くなるのがわかった。血の誓約は、主君に心酔した従者が自らの覚悟を示すもの。
『私の命は姫様のものに』そう言って自らの体に主をあらわす一字、所有印を刻む。リックがいきなりグラスの破片で腕にそれを刻んだ時は、ユカも青い顔をしていた。そして奴の行動を説明すると、思いっきり迷惑そうな顔をしていたのが俺としては救いだった。
最近では、若い恋人達が似たようなことをしあいお互いの愛を誓い合うことが密かに流行しているのだそうだ。
俺は彼女に対してそこまでしたいと思うほど愛せるようになるのだろうか。今は、まだ愛というより彼女を知りたいという欲求ばかりだ。
彼女を知れば愛することになるんだろうか、それとも既にこの欲求からして愛なんだろうか。
「どうせユカ様にできるだけ穏便にとか言われたのだろう。まあ、あの方の性格や元の世界の司法制度からいくとそれが妥当だろうな」
カイルは、時々ユカと意見交換という名目でお茶の時間を過ごしている。
俺も参加するというと、授業の延長ですからだめですと同席させてくれない。俺だってユカの世界の話を色々聞きたいのに。
そうだ、話といえば昨晩彼女と色々話をしようと約束したんだ。
「カイル、今日から彼女との時間が欲しい。だから時間を空けておいてくれ」
「それはいつ?」
「だから適当にぱぱっと」
「その適当な時間に彼女は時間がとれるのですか?」
彼女の時間?
意味がわからず首をかしげているとカイルはため息をついた。
「ユリウスの予定に合わせてユカ様の予定を調整する必要があるだろ。それ以前に、この仕事がたまってる状況でどう時間作れと?スピードと密度をあげなけりゃ無利だぞ」
「そんなあ。俺がユカに合う時間が作れないと愛を育めないだろ」
「恥ずかしいことをよく言う……仕方がない、今週だけは午後に30分だけ時間をやろう」
「今週だけでどうしろと」
困惑する俺を無視して再び書類に向かったカイルは、ペンを持っていないほうの手でこめかみを押さえながら『来週からは苦労させられそうだ』などとつぶやいていた。
結局その日の俺は常に上の空で仕事が全く進まず、カイルに罰としてさっそくユカとの面会を中止させられてしまったのだった。
本編、淑女教育編「[13] 初めてのキス」の次(メラニー伯爵邸での夜会エピソードの後)にside-王子-として挿入していました。