若き王の悩み【5】
ボルジニ伯爵邸は、街の南門近くにある。
もともとは南地方の小さいが豊かな平地を治める子爵だ、数代前に身内の不祥事が元で没落し山深い東北地方に領地替えとなった。だが家名の再興をかけて領政に力を入れ、先代の戦功により見事ボルジニ伯爵位を授けられた。
だが伯爵といっても、もちろん神殿の周囲に並ぶ名家に比べれば格は落ちる。
その格差は屋敷の建つ位置で見ることが出来ると、昔カイルに教えてもらった。
40代半ばの現ボルジニ伯は、若い頃から父親の意を受け領地にある鉱山開発に力を注いでいた。それが功を奏していくつもの新しい鉱脈を発見し、領内の経済力を高めることはもちろん、産出され鉱石が兵器へと形を変え国力をあげることとなった。父上に取り立てられたのもその為だ。
彼は野心家で、国政に関わることに精力的で、特に国威を高めることに熱心だった。
そして元来激しく攻撃的な気性で、前伯爵が急逝し爵位を継いだ時から箍が外れたように過激な論調を繰り出し、急進派の先鋒となった。
俺は、背が高く痩せこけ、頬にヒゲを蓄えたあの山師が嫌いだった。
『国の為』と必ず付け加えるその一言には、愛国心の欠片も感じれず、ただ保身と欺瞞と欲が詰まっていた。
もし連邦統治を強行的に執行すれば、各国は抵抗を示すだろう。
もちろん一番の大国であり戦力を有する我が国が負けることはないだろう。
それでも国同士の戦になれば、莫大な軍需が発生する。
ボルジニ伯の狙いがそこにあることは明白だった。
俺に媚びながらも本性を隠しきれないあの顔は、思い出すだけでも虫唾が走る。
俺が嫌っていることは伯爵も承知のはずだ。
だからこそ俺に取り入るのではなく、現時点で第一位王位継承権を持つジニーを担ぎ上げようとしているのだろう。
俺達は城に詳細を連絡させ後始末を警備隊に頼むと、高い鉄柵に囲まれたボルジニ伯爵邸へと乗り込んだ。
平民達で構成される警備隊では、貴族に関する事案に関わることは許されない。
その為に存在するのが城に詰める衛兵の一部門である憲兵隊だ。
増援として憲兵を引き連れ駆けつけたイーライとカイルと共に、馬車に乗った俺達は派手な彫刻を施された門をくぐった。
その後ろには駆け足の憲兵隊一個小隊が続く。
「夜分に先触れなしの訪問、無作法をお詫びする。今すぐご当主、ボルジニ伯に取次ぎを」
「これはマクドフ伯爵様、申し訳ありません、主人は只今休んでおりましてまた明日朝にでも……」
「私が王の命で参ったとしても、出直して来いとボルジニ伯はおっしゃるかな」
慇懃な物言いだが、カイルの厳しい眼が白髪の執事にこれ以上異論を許さなかった。
「かしこまりました。すぐに伺いをたてて参りますので、お付きの方達と中でお待ちください」
執事は側に控えていた侍女に一行を任せると、急ぎ主人へ報告に向かった。
館は珍しい南方で産出される高価な淡い赤岩をふんだんに使い、あちこちにはめ込まれた緑銅の装飾が眼を引く。
素材の組み合わせは異国風で悪くないが、何事も程度というものがあるのだ。
それが物の良さを引き出し真価を知らしめる。
だが建物のみならず、玄関ホールも高価な美術品らしきものが無秩序に並べられ、悪趣味の一言に尽きる。
中に入ったところで扉が大きな音を立てて閉まり、俺達と外の憲兵を隔たった。
打ち合わせ通り、こちらからの合図があるまでは大人しく控えているはずだ。
ホールの壁際には伯爵の私兵が立ち、扉の前には4人の兵が肩を並べている。
場は緊張に包まれ、先頭に立つ一行の代表者であるカイルの斜め後ろでイーライが守るように立ち、その後ろにソル、ウィルー、ケニーが、俯いて顔を隠す俺の姿を更に周囲の視線から遮るよう四方を囲んで周囲を警戒していた。
カイルは年明けに、マクドフ伯爵位を継いだ。
俺の即位と共に晴れて正式に王の侍従長となったが、年若い彼が海千山千の貴族達に侮られることは少なくない。
それで采配を少しでも振るいやすいようにと、俺はカイルの父親である前マクドフ伯に相談を持ちかけた。
マクドフ家にとって当主が国の中核、王の側で片腕となることに反対する理由は何も無い。古くから王の側近を輩出してきたマクドフの名がまたひとつ歴史に刻まれるのだ。
すぐに家督はカイルに譲られ、伯爵としての実務は義理の弟を領主代行に据えて任せているらしい。
だが、それでもカイルを良く思わない者たちも少なくない。
このボルジニ伯もそのうちの一人で、自分よりずいぶん年若いカイルが自分と同じ伯爵位を継ぎ、その才覚が貴族達の注目と賞賛を浴びていることを嫉んでいた。
俺を憚ってか表立った動きはしないが、各派閥との調整を進めようと裏で動くカイルの足を引っ張ろうとしていることは、自然と耳に入るものだ。
「これはこれは、侍従長殿。不躾な訪問ですな、まだ夜明け前ですぞ」
吹き抜けの玄関ホールに設えられた階段をゆっくりと男が降りてきた。
盗み見れば、寝巻き姿の上にガウンを羽織った細身の男で、狐のような細面は不機嫌さと狼狽を隠せないでいた。
「ボルジニ伯、王弟殿下を迎えに参った。今ここで渡してもらおう」
「若造が、口の聞き方を知らんのか」
「いつもの御託は結構。この館にいらっしゃるのは承知している。穏便なうちに事は済まそうではないか。それとも、私には渡せない理由があるのか」
カイルの強気の言葉に込められた気迫に、ボルジニ伯は気づかず一歩さがった。そしてさも今思い出したかのように愛想笑いを浮かべる。
「べ、別に隠し立てするつもりはない。悪漢に拉致されていた殿下を、当家の者が偶然お救いしたのだ。お怪我はなく、気を失っていて何も覚えていらっしゃらないのは幸いだったが、動揺していらっしゃる。それゆえ朝までお休みいただき、明日朝にでも私の手でお連れするつもりだ」
「おや、拉致ですと?聞き捨てなりませんな。侍女の一人が深夜にボルジニ伯から招待を受けたと申していたので、こちらだと思いお迎えに参ったのだが」
カイルは、ジニーを攫った男達や彼らを襲撃した男のことはおくびにもださず、侍女のことだけを持ち出した。
侍女という言葉にキーシャのことに思い至ったようで、ボルジニ伯の眼が細く険しくなるなる。
「王弟殿下の侍女?なぜその者が私の名を口にしたのかは知らぬが、秋に娘の誕生祝いをご招待したいと打診をしたことしか覚えはないが。それより城におられるはずの王弟殿下が、悪漢に捕らえられていたことを問題とすべきだ」
「確かに、それは一大事。でも何故、お助けした旨を急ぎ城に報告しなかったのだ。王や王太后のご心痛を慮らなかったのか」
「そ、それは……無駄に騒ぎを大きくして、王城より王弟殿下が誘拐されたこという不祥事を他国に知られるわけには行かない。国家の損失だからな。それに内部で手引きしたものがいるはずだ。だからこそ人に任せず明日私の手でお連れするのが一番安全だと思ったのだ」
「内部に手引きした者がいるなら、徹底的に調査をせねばなりませんな。ところでその犯人はどこに」
「下賎な荒くれ者だったとか。王弟殿下の命を優先する為に、やむを得ず全て切り捨てたと報告があった。北部の廃屋だそうから調べれば死体が出よう」
「そうか。ではこのことは逐一王にご報告しておく。だが殿下は今ここで城へお連れする。さあ渡していただこう」
「なっ、ならぬ。そなたにだけは渡すわけにはいかぬ」
伯爵は、声を荒げた。
顔は真赤に染まり、眼は血走ってカイルを睨んでいる。
「王命でもか。例え私に渡せなくてもここにいるのは王太后様が依頼され王妃様より王弟殿下捜索と護衛を命じられた者たちだ。それすらも拒むというのか」
「陛下のお力を傘にきて生意気な奴め。それにあの、まんまと王妃の座についた異世界の下賎な女にターニャ様までもが丸め込まれてしまうとは。そうだ、これはあの女とお前が仕組んだことだろう。裏でこそこそねずみを動かすのが得意だからな。ならば殿下を攫うことも容易かったに違いない。そんな下劣な者共にジニー様は渡さぬ。そして私が王やターニャ様の目を覚まさせて差し上げるのだ」
カイルだけでなく、ユカまで。
侮辱に次ぐ侮辱に、俺は怒りに震える手を腰の剣に手を伸ばそうとした。
と、その手を横に立つウィルーが掴んで話さない。
俺がウィルーを睨みつけると、彼の琥珀色の瞳が獰猛な光を宿していて、俺は手の力を抜いた。みれば皆、拳を白くなるまで握り締め、主人の侮辱に耐えていた。
「下劣なのはどちらか」
ため息と共に吐き出したカイルのつぶやきが耳に入ったようで、ボルジニ伯は叫ぶように言った。
「うるさい、黙れ。最初からお前のような生意気な若造が王の側に侍るのが気に食わなかったのだ。ちょうどいい、殿下をお連れする時に、お前ら皆、同行してもらおう。拉致犯として死体でな」
その言葉と共に掲げられた手を見た壁際の兵達は一斉に剣を抜き、俺達も皆剣を構えた。
「どこまで性根が腐ってるんでしょうね。王弟殿下誘拐のみならず、私や王妃の親衛隊に手を出そうとするとは」
「何、王弟殿下に危害を加えようとした逆賊を王に代わり私が成敗したとなれば、私の功績にもなるというもの。さあ、首をとった者は一人につき金貨100枚の褒美をやろう」
金貨100枚という平民なら一生遊んで暮らせる額を耳にし、兵達が血相を変えて切り込んで来た。
扉は固く閉ざされ、俺達だけで20人以上いる兵と戦わねばならない。
だが親衛隊の面々はあわてることなく、広くない室内で大人数が入り乱れて争う中、冷静かつ華麗な斬撃で次々と打ち倒していく。
俺も加勢をしようとすると、今度はカイルに止められた。
「ユリウスは大人しく側にいろ。王妃の親衛隊がこんな雑兵ごときに手間取るはずがない」
「だけど早くジニーを助けに行かないと」
焦る俺をカイルが宥めている隙を突いて、瞬く間に多勢だった兵が倒されていき劣勢になった伯爵が館の奥へと逃げ出した。
少し遅れてそれに気づいたカイルと俺、側で兵のこめかみを剣の柄で打ち、気絶したのを確かめていたケニーが追いかける。
突き当たりの部屋へ伯爵がガウンのすそを翻しながら駆け込む後ろから、俺達もその部屋に飛び込む。
すると中では男が驚いた顔で立ち尽くし、伯爵に強引に抱きかかえられたジニーが首もとに剣を突きつけられていた。
その恐らくこの状況が把握できずに部屋の隅に立つ男が、人相からして実行犯に拉致を依頼し、ジニーを引き取りに行った従者だろう。
「ジニー様、ご無事ですか」
「痛いよう、カイル!たすけてっ」
「これ以上近寄るな。少しでも抵抗すれば殿下の命はない」
「ボルジニ伯爵、もう終わりにしよう。階下は我等が制圧した。その刃先が少しでもジニー様に触れれば、あなたの命だけでは済まない。一族にまで処罰が下り領民達もが苦しむのはあなたの一族が良くご存知のはずだ」
「ええい、そんなことは承知の上だ。私のこの財力に王弟殿下があればこの国を手中にすることも不可能ではないと思っていた。だかそれも逃げることも叶わぬのなら、いっそここで殿下を殺してやる。お前のせいで王弟殿下が死ぬのをそこで見ているがいい」
「馬鹿な、剣を下げろ! 殿下を、ジニー様を放すんだ」
「ねえ、助けて、嫌だ、ぼく死にたくないよ」
「狙いは私だろう、ジニー様を解放して俺を好きなようにしろ」
「たいした献身ぶりだな。だがそうはいくか。お前は大いに失望するんだ。殿下を救えなかった自分をな。そして一生悔やみ苦しむがいい」
伯爵の血走った目が、脅しではなく本気だと言っていった。それはその場の誰もが理解した。
だからカイルは剣を手にしながらも動けず、ケニーも同様だった。
俺はこれ以上我慢が出来なかった。
ケニーに制止される前にカイルの前に立つ。
もちろん、この顔がよく見えるよう正面から伯爵を見据えた。
「なんだ、お前は。動くなと言っただろ」
「あにうえっ!」
「兄上? その御髪にお顔……でもまさか、そんな……」
「ボルジニ伯。一度しか言わぬ。今すぐ、余の弟からその汚い手を離せ」
※なんたること。ジニーはユリウスが王になったので王子ではなく王弟じゃないですか。
と、最終話を書いていて気付き、今ざっと全体を訂正しました。申し訳ない。。。