若き王の悩み【4】
侍女のキーシャを取調べ一通りの事情を聞きだすと、騒ぎが漏れないよう館の一室に拘禁することになった。
自白によれば、今年の春頃から、婚約者の手紙にボルジニ伯からジニーへの口ぞえや予定を教えるようにという頼みが何度も書き添えてあったそうだ。
最初は断ったが、破談をちらつかせ、親を通し圧力をかけてきた。
やむなくキーシャが情報を漏らすと、ジニーの行く先で伯爵の縁戚の娘達が接触してきたという。
だが頑なに少女達の誘いを拒むジニーに業を煮やした伯爵は、『王弟殿下を当家に招待したいのでその時には素直に助力を』という連絡を数日前に寄越してきた。
そして今日、厩舎でいきなり現れた男が伯爵の名を出したので、その指示に従ったのだという。
その手紙は指示に従い燃やしてしまっており、彼女の言葉を信じるしかなかった。
カイルはそのキーシャの証言の情報を元に配下に居所を探るよう指示を出し、ユカは状況の進展を母上に報告しに行っている。
そして俺は、一人でジニーの部屋にいた。
ランプのオレンジ色の光が揺れる主人不在の部屋は、俺が夕方訪れた時とほとんど変わりない。
ただ、読みかけだったのだろう本が机の上にまっすぐに置かれ、寝具が侍女の手により寝ていた跡が演出され乱されている。
俺はあの時と同じように窮屈な椅子に座り、部屋を眺めた。
ジニーとちゃんと話が出来ていれば、こういう事態にならなかったはず。
自責の念がこみ上げ、奥歯をギリリとかみ締める。
何度この思いを味わうつもりなのか。
ユカを神殿に送り出したのを最後に、後悔はしまいと決めていたのに。
幼い弟の叫びが未だ耳に残る。
『どうして兄上は分かってくれないのですかっ』
どうしてあいつは、俺の臣下にこだわったのだろうか。
王太子になることがどんなに重責かは、王太子だった俺が一番よく分かっている。
だが、王になりたくないという思いは持ったことがあっても、誰かの臣下になど考えたことはなかった。
俺の存在で王位継承をあまり意識されずに育ったせいか。そして俺がユカとすぐに子を成せてないことや、後宮を廃止し妾姫をもたないことにした為、免疫がない所にいきなりハイエナ貴族どもの標的にされてしまった。
だからそこまで思い詰めてしまったのか。
俺は、初めて兄としてジニーと対面した時のことを思い出した。
あの時、庭で剣の稽古をしていた幼い少年。
かつての恋人と父との間に生まれたこの義弟に会うのがずっと恐ろしかったが、ユカの助けでようやく踏み出すことが出来た。
そして会ってみれば母親の髪や目鼻立ちを受け継ぎ穏やかな性格で、すぐにジニーが愛しい存在となった。
もちろん妹達も同じように愛しいが、生意気が鼻に付くぶん、この素直な弟をつい贔屓して可愛がった。
そのジニーも俺をよく慕い、剣の練習を見てもらいたがったり、いつか俺と馬で遠出したいというので、誕生日にリーンを贈った。
あの時、リーンの鼻面を撫でてやりながらジニーは瞳を輝かせて『ぼくは、ずっとあにうえのお側でお支えします。だから、いい家臣になるようがんばるので待っててください』と言っていたな。
「あっ……」
思わず声をあげ、静かな部屋にやけに大きく響いた。
あの時の俺は、あまりに可愛らしい顔で真剣に言うので、頭を撫でてやって、確か『ならお前は俺の片腕になってもらうから、今はしっかり剣に勉学に励め』と答えたんだ。
俺は立ち上がると、椅子を元の位置に戻す。
そして開け放してある窓に近寄り、眼前に広がる夜闇を見つめた。
「ジニー、頑張れよ。今俺が迎えに行くからな」
俺は静かに窓を閉めると、階下へ下りて宣言した。
俺がジニーを救いにいくと。
「どうしてお前と一緒にいないといけないんだ」
「ユーリ、うるさい」
すぐ耳元で聞きなれた声が懐かしい名でたしなめ、俺は眉をしかめた。
少し離れようと身体を動かすと足元の砂利が音きしむ音を立て、今度は「シッ」というかすかな音と共に腕がつかまれる。
先刻から急に空を雲が多い月が隠れたかと思うと、雨粒が叩きつけてきた。
俺だけでなく周囲に者達皆、既にずぶ濡れだ。
それでも誰一人として雨を避けようともせず、じっと暗闇にうずくまっている。
ここは城下街の北のとある家の裏手にある小さな公園。
そこに闇に紛れ俺達は息を殺して身を潜めていた。
今から、ジニーを拉致した男達が潜むこの家に踏み込むために、警備隊と共に偵察の合図を待っている。
街の警備隊には、要人の息子が誘拐されたので秘密裏に助け出したいと話を通してあり、内密に借りた10人ほどの部隊が物陰などにそれぞれ身を隠し包囲していた。 彼らを指揮するのは、王妃の親衛隊である黒尽くめの制服姿の隊士が4人。
その中の一人が、変装した俺だ。
王の不在を知られぬよう俺の親衛隊を動かすことができない為、彼らには館にいるユカや母上達の守りをさせ、代わりに王妃の親衛 隊の面々が城下でのジニーの捜索の指揮をとることになった。
もちろん実際に指揮をとるのは俺で、三人は俺の護衛だ。
王である俺が捜索に加わることに最初は皆が断固反対した。
だが、俺が真剣なのを知ったユカが皆を説き伏せてくれ、護衛をつけ変装して身分を隠すという条件を飲み今ここにいる。
親衛隊の黒い制服に身を包み黒いマントを頭から被った俺の隣には、同じ姿のウィルーがいた。
カイルの家が所有する別荘の使用人の息子だったこの黒髪隻眼の男は、幼い頃から知っている。
だから信用は置いているが、昔も今も苦手だった。
特に今は、すっかりユカに信用され護衛として常に側に張り付いていささか目障りだ。
親衛隊の剣の指南役をしているリカルド元侍従長もお墨付きの優秀な武官で忠信に篤く登用に口を出すつもりはないが、彼女を見る時のあの熱を帯びた目を見ると何故か腹立たしい。
城を出る前、ユカと隊長のイーライが決めた俺の護衛は、ケニー、ソル、ウィルーの三人だった。
三人が任務を命じられると、ウィルーは露骨に嫌そうな顔をし不満の声をあげた。
館での護衛として残るガリヤとの交代を望んだが、イーライはガリヤは体躯から立ち振る舞いが何かと目立つので隠密行動には不向きだからと、隊長命令でそれ以上反論させなかった。
俺もウィルーは館に残ればいいと言ったが、警備隊に好意的な協力を得るには彼らの出世頭である彼が必要だとユカに説き伏せられた。
お陰でウィルーの不満は俺にぶつけられることになり、身分を隠し「同僚のユーリ」でいるのをいいことに、事あるごとに無礼な口を利く。
お陰でやはり側にいるケニーにソルの顔がどんどん青く、更に紙のように白くなっていた。
肩を並べながら今にも一触即発になりそうな俺達の背後へ、警備隊との連絡役を務める小柄なケニーが忍び寄って声をかける。
「ユリウ、いやユーリ、突入の準備が出来たそうです」
「そうか、ジニーは確かにここにいるんだな」
「お姿は確認できないそうですが、一味の者達は上機嫌で祝杯をあげてると。数は5人で、今ならすぐに制圧できるでしょう」
「そうか。とにかくジニーの身の安全が確保なのは伝えてあるな」
「もちろんです。人質の生命を優先に、誘拐犯は取りこぼしなく捕らえるようにと命じてあります」
「では手はずどおりに。突入せよ」
俺の言葉にケニーが手元のランプにかぶせておいた布を取り、頭の上に掲げて大きく振ろうとした時だった。
「ケニー、まて」
その手をウィルーが押さえる。
見れば、人気のない家の前の通りを土色のマントを頭から被った怪しげな男がやってきた。
俺達の見ている前で家の前で立ち止まると左右を見回し、扉を叩く。すると中から強面の男が顔を出し、二言三言言葉を交わしたかと思うと、男はいきなりマントの内側からナイフを抜き男に突き立てた。
刺された男が驚いた表情のまま崩れ落ちる横をすり抜け、あっという間に中へ入っていったマント男の姿を、俺達は呆然と見ていた。
そして我に返ると、ケニーに急ぎランプを振らせる。
「突入だ、急げ。今入った男には気をつけろ。あれはかなりの手だれだぞ」
ランプの合図に十人ほどの男達がドアや開け放たれた窓から一気に中へなだれ込んでいく。
俺達も彼らに遅れないよう腰の剣に手をやりながら彼らの後に続き、中へ飛び込んで行った。
内部はろくに掃除をしていないのか誇りが舞う中で人が入り乱れ、刃が打ち合う音や叫び声、物が崩れ落ちる音や重い足音がやかましく響いている。
奥へ進む廊下で既に二人の男が首を切られて倒れており、宴をしていたのだろう広間で皆が交戦中だった。
先に入った男の手によるのか、入り口近くにも二人の男が倒れ、その横に一人が肩を切られ座り込んでいるところを警備隊に捕縛されていた。
そして侵入者の男によって警備隊の数人が傷つき、取り囲んで追い詰めていながらも、奪った剣を手にした男の側には誰も近づけずにいた。
侵入者の男は俺達の登場に焦っていたようだが、剣さばきは冷静だった。
マントのフードから除く顔は陰気な中年男なのに冴えた剣技は衛兵達にも劣らない。
「お前は何者だ。こいつらの仲間ではないのか」
「俺をこいつら屑と一緒にするなよ」
「なら名乗れ」
「こいつらを始末をしにきただけさ。利害は一致してるだろ。頬っておいてくれ」
「ふざけた奴だ」
俺がその男に向けて剣を抜こうとすると、後ろから伸びた黒服の腕が掴まれ抜かせない。
「いけない、ここは僕が」
「いや、俺がやる。俺がジニーを助けにきたんだぞ」
「ユーリ、お前は王だ。王が民を断じる時は一片の陰りがあっては駄目だ。感情に任せての手打ちはしちゃいけない。手を汚すのは俺達の仕事だ。だから僕たちを信用して見てろ」
ウィルーは耳元で厳しい口調で告げ、マントをひらめかせて疾風のごとく男に詰め寄った。
皆が見守る中、二人は何合か打ち合う。
男が警備隊の者以上の手だれであっても、ウィルーは王妃の親衛隊、いや、国でも指折りの剣の使い手として数段上をいっていた。
袈裟に振り下ろした男の剣を、腰を落として受け止めざまに上へ跳ねあげ、剣を飛ばされ空を泳いだ腕の下、がら空きになった胴を蹴り飛ばして床に倒す。そしてそのまま首筋横の木の床に剣を突きたてた。
「おい、見つかったか」
「駄目です。地下室にもいません」
「上の階もいないです。屋根裏まで見ましたけど入った形跡もなくって」
「どういうことだ。ここにジニーがいるんじゃなかったのか」
家の中を捜索していた者達の報告に苛立ちを隠しきれないでいると、別室で手負いながら生き残った男と侵入者の男を取り調べていたウィルーが戻ってきた。
「ジニー様はここにはいないそうだ。貴族の従者のような男が報酬と引き換えに連れていったと生き残った男が言っている。そしてここを襲った男は貴族の従者風の男に、誘拐犯を処分するよう命じられてきたそうだ。どちらも依頼者の家名は知らないらしい」
洗った手を布でぬぐっているが、頬には微かに赤い汚れが散り血臭をただよわせていた。
お前は何をやったと目で尋ねると、いつも俺に対して不機嫌なへの字を見せる唇の端が上を向く。思わず背筋が寒くなり目を逸らしてしまった。
いや、今はこの男のことを気にしてる時じゃない。
「さあ、これからどうやってその依頼主を探す。何か手がかりはないのか」
「ユーリは王になっても昔のままだな。必ずひとつ抜けてる」
「なんだと。まだ俺を侮辱するのか」
「ウィルー、いい加減口を慎むんだ。恐れながらここにいた者たちは使い捨ての道具に過ぎません。ジニー様は予定通りに招待されたのだと思います。誘拐犯からの保護という名目で。そしてあの男が王弟殿下の誘拐という大罪を働いた男達を先回りして処断するよう命じられたのかと」
ウィルーを遮って一歩前に出たソルが、俺を見上げ声を落として注進する。
その冷静で聡明な言葉に俺は腹立ちを鎮めた。
「ボルジニ伯爵の許にいるのだな」
俺の前に立つ3人が深く頷いた。