若き王の悩み【3】
「それで、最後にジニーの無事を確認したのがお前なのだな」
「は、はい、陛下。ジニー様が寝台に入られたのでランプの灯りを落として、ご、ご挨拶をして部屋を出ました」
「だがお前は隣室に控えていたのだろう、何か異変に気づかなかったのかっ」
「ひいっ、もっ、もうし訳ありません。少し窓が開く音がしましたが、ご自分で風を入れられたとしか。私、私……」
廊下には交代で衛兵が立っており、俺は唯一外に向けて開いていたという窓に歩み寄り、外をのぞいた。
星は出ているが月はなく、王弟を捜索する衛兵の持つランプが夜闇の中であちこちで揺れ動いている。
窓についている小さなバルコニーは他の窓との行き来は出来ず、側に木などはない為下へ伝って降りることは出来ない。その下には花壇があり念のため調べさせたが、不審な足跡や花壇が荒れた様子はないと既に報告があった。
部屋の中で俺と護衛に囲まれ怯えているのか、跪きぐずぐずと鼻をすする灰色の髪の少女に、俺は苛立ちを抑えきれず声を荒げた。すると身をすくませとうとう泣き始め、話を聞ける状態ではなくなってしまった。
苛立ちと焦りから思わず壁をこぶしで殴る。その俺の肩が軽く叩かれた。
振り返ると、いつの間にかそこにユカが立っていた。
「母上はどうだ?」
「ようやく少し落ち着かれたので、寝室でお休みいただいてるわ。状況は逐一ご報告する約束をしてね。姫様達にも休んで頂いて、控えの侍女と護衛の数も増やすよう頼んでおいたから」
「そうか、助かった」
寝室で休んでいたはずのジニーの姿が消えた知らせを受けた俺達が薔薇の館に駆け込むと、館中を女や兵士達が走り回り、母上や妹達はとても取り乱していた。
ユカが彼女達を引き受けてくれたので、俺はジニー捜索の陣頭指揮をとっている。
連絡を受けたカイルはすぐにここへやってきて状況を把握し、この騒動が外に漏れないように手を打ち、王の親衛隊が中心となって館の警護にあたり、王妃の親衛隊が衛兵の捜索を手伝っている。
そこに女官の一人が連れてきたのが、ジニーの部屋付きの侍女だった。
年のころはジニーよりいくぶん上だろうが背丈が同じくらい小柄な少女で、ジニー付きになるだけあり顔の造作は整っていて、物腰から貴族の子女なのが見て取れる。だが涙に濡れた顔はすっかり青ざめ、身体を震わせていた。
「ねえ、私も少し話をしてもいいかしら。彼女に尋ねたいことがあるの」
「ああ、構わないが……」
ユカはドレスに構わず無造作に膝をつき、少女の肩をそっと抱いて背中を撫でながら、落ち着いた低い声で語りかけた。
「あなたのお名前は?」
「キーシャ・モンダーク、でございます」
「私のことは分かるわね」
キーシャはユカの顔を見上げた。その涙に濡れた瞳に怯えを宿していた。
「王妃様……」
「あなたは今日の夕方からジニー様のお側にいたのよね?この館で仕事についてからあったことを全て話してちょうだい。ジニー様に関係ないことも全て」
「全て、でございますか。えっと、私が館に入った時、ジニー様はまだ授業でお城にいらっしゃいました。ですからそれが終わるまで、お部屋の片付けをし、夕食の献立の確認へ厨房へ行きました。そして部屋に戻るとお帰りになった時のお着替えの用意をしておりました」
「いいわよ、続けて」
「そしてジニー様がお帰りになり、玄関までお迎えにあがり、ご一緒にお部屋へ戻りました。そしてお着替えを手伝うとお茶をお出ししました。ジニー様は今日の授業のことやご学友のことをお話になりました。そして読書をすると仰るので隣室で控えておりました。途中、陛下が館にお越しになったことをお伝えし再び控えて……そして陛下がお部屋にお越しになってジニー様とお二人でお話なさっておいでで私は護衛の方と共に廊下に控えておりました。ところがジニー様が……」
「構わぬ、ありのままに話せばよい」
俺とジニーとの間の事をこの場で口にしていいのか迷った様子のキーシャに、俺は命じた。
「お、恐れながら、ジニー様がその、大きな声をお出しになって部屋を飛び出され、私はすぐに後を追いました。するとジニー様は奥の角にある図書室へお入りになり、しばらく考え事をしたいとおっしゃるので私は外でお待ちしておりました。それから夕食までずっとそちらにおいででしたが、いつもと変わりないお顔で出てこられて皆様と一緒に夕食を召し上がりました。食後はすぐにお部屋にお戻りになって……」
「どうしたの?何かあったの」
「いえ、その。突然ジニー様が今日はリンの顔を見ていなかったから厩舎に行くと仰せになり、お供致しました」
その言葉に、部屋の者達は一様に眉をひそめた。
「あのっ、ジニー様は気がふさいだ時は厩舎にいるリンに会うと気が晴れるのだと日頃から口にされ、足繁く通われていて。いつもはこんな時間に足を運ばれることはないのです。ただ夕方あのようなことがあってその後も始終考え込んでいらしたから……。厩舎では、リンを撫でてしばらく話しかけておいででした。それで気が済んだようですぐに館に戻られました。えっと、廊下や玄関の衛兵もジニー様がお出かけになって戻るのを見ているはずです」
「ええそうね。その時、あなたはもちろん一緒にいたのよね」
リンとは弟の今年の誕生日に俺が贈った、額に白い星が入った黒毛の美しく若い牝馬だ。まだ手綱を引かれながらでなければ乗れないがとても気に入り、せっせと厩舎に通っていたのは周知のことだった。
厩舎は館の裏庭にあり館からも楽に行き来が出来る。
日中は馬番が詰めているが大事がない限りは夜はいない為に衛兵が敷地の警備がてら巡回しているはずだ。
ユカが笑顔で、励ますようにキーシャの小さな手を握った。
だが、キーシャは始終おどおどとした様子で、ユカの問いに顔をこわばらせた。
「実は私が粗相をして、うっかり扉を閉め忘れてしまいました。それでジニー様には先に戻っていただき、私は一度戻って後ほど館に戻りました。部屋に戻るといつも通り読書をされていて、私は急ぎお休みの支度をしました。そして厨房でもらってきたミルクを召し上がった後、寝台に入られて。ご挨拶をして部屋を出たのがお会いした最後でございました」
「で、あなたは隣室の侍女部屋に控えて、廊下は衛兵がいたと。そして見回りの時間になり、部屋をのぞいたらジニーの姿は無かったと」
「左様でございます。窓が開いてたから、そこから狼藉者が進入したのかも……」
キーシャは神妙な顔で深く頷き、ユカは顎に手をやり、考え込んだ。
「どうだ、何か分かったのか」
俺が尋ねると、彼女は黙ってと俺に手をあげ目配せした。
彼女が何をしようとしているのは分からないがとりあえず任せてみることにした。
「ねえ、あなたは侍女になってどのくらいになるの」
「はい王妃様、私は去年の春からお城にあがってお作法を学び、秋からジニー様のお側についております」
「キーシャ・モンダーク。ロスマリノ公爵の推薦で、親類筋に当たるモンダーク男爵家のご令嬢だったわね」
「は、はい」
キーシャは、ユカが彼女の素性を知っていたことに驚いた顔をした。
「なんだ、ダイアナの縁者か」
俺は、事あるごとに豊かな縦ロールを蛇のようにうねらせて執務室を強襲し侍従たちを翻弄する王妃の執務秘書官を思い出し軽く顔をしかめた。
元王妃候補でこの国で最も有力な内務大臣を務める侯爵家の令嬢であるダイアナの華やかで生命力に溢れた美貌に比べると、灰色の髪に灰色の瞳に陰の気を纏ったようなこの少女はまるで共通点が感じられない。
「ええ、はとこにあたるそうよ。ねえ、キーシャ。私、先日ロスマリノ婦人のお茶会であなたのお母様にお会いしたのよ。同じ綺麗な灰色の瞳をしてらして、あなたがご自慢の娘だとそれは誇らしく思っておいでだったわ」
「そ、それは。もったいないことでございます。母が王妃様に失礼をしていなければ良いのですが」
「おいユカ。今はそんな雑談をしている場合ではないだろう。問いたださねばならぬのは、ジニーが消えたことについてだ。窓からもドアからも出ていない。煙のように館から消えたんだぞ」
俺は苛立ちから、キーシャに寄り添うユカの腕を掴み上げ、強引に立たせる。
そんな俺を黒い瞳が見上げ、紅の塗られていないピンク色の唇が釣りあがった。
「大丈夫。謎は解けたわ」
「本当か? 俺にはさっぱりわからないぞ。どういうことなんだ」
ユカは肌の色に近い薄いベージュのドレスのすそを揺らしながら、キーシャの背後に立った。
「キーシャ、あなたは最近ご婚約されたとか。おめでとう」
「え、ええ。でも今は陛下もおっしゃる通りジニー様のことを――」
「婚約者は、名前までは存じ上げないのだけどボルジニ伯爵の次男だとか。お母様はとってもご自慢のようね」
ユカの言葉に、キーシャの青い顔が更に青くなった。
「ボルジニ伯といえば、急進派の先鋒の一人じゃないか。ロスマリノ家と対立しているのだぞ」
「派閥の対立が激しくなったのは今年の春頃からでしょう。その前は反王妃派として組んでいたのですからおかしい話じゃないわ。むしろ、政治的なことよりも、男爵家の令嬢が伯爵家に嫁ぐことがモンダーク家にとって重要じゃなくて?」
ユカの少し楽しげにも聞こえる柔らかな声の問いかけに、キーシャは黙って顔を伏せていた。
「ユカ、何が言いたいんだ」
「密室事件の犯人は、第一発見者が犯人が定石なのよ」
「ではキーシャがジニー失踪の犯人だというのか。この小娘がどうやってジニーをかどわかしたというんだ」
「犯人というより、協力者じゃないかしら。だから私はさっき外でバッハに頼んで廊下にいた衛兵と裏庭の扉の前に立つ衛兵の証言を教えてもらったの。ジニー様が厩舎から戻った後、あなたが館に入る姿も、部屋に入る姿も見た人はいなかったのよ。ジニー様が戻られた後、いつもの時間にあなたが部屋から出て殿下の日課のお休み前の甘いお茶を用意し戻ったと。そして交替した次の兵が、ジニー様の姿がないことに気づいたキーシャに呼ばれた」
「いつの間にか戻っていたことが問題なのか」
「惜しいけど違うわ。部屋には一人しかいなかったのよ。つまり元からジニー様は厩舎から戻っておらず、戻ってきたのはキーシャ、ジニー様に変装したあなただったのでしょ。夜風に薄手のマントを勧めたのでは? ジニー様の服を着てフードでもかぶってうつむけば、あなたとは分からないわよね」
「い、いえ、恐れながら王妃様。私は何も……」
その時扉が叩かれて開き、もう一枚の扉が、いや、巨躯の王妃親衛隊副体長が現れた。見かけによらず静かな足取り部屋に入り、俺を見て礼をとった。すぐにあげた顔の表情は厳しいものだった。
「ユカ様のご命令で、再度厩舎を改めさせました。捜索隊によって表口は踏み荒らされていましたが、裏口の外には複数の男のものだと思われる足跡が、衛舎へと続いていました」
「街に連れ出された可能性があるってことね」
俺は目の前で絶望に包まれる少女をねめつけた。
「キーシャ。お前は何を命じられた。ジニーを渡した相手は誰だ。王の命令だ、今すぐ答えろ」