若き王の悩み【1】
キャラクター人気投票にご参加頂きありがとうございました。
見事逆転一位となったユリウスを主人公に番外編をお送りします。
数話の連載となりますので、しばらくお付き合いください。
瞼越しに窓から差し込む光がまぶしく、体を覆うシーツを頭まで引き上げ俺はうめいた。
「おはようユリウス、起きたのね」
離れたところから明るく穏やかな声がかけられ、気配がゆっくりと近づく。
寝台がかすかなきしむ音をたてたかと思うと、白い布に影が落ちのぞきこんだのが分かった。
俺は腕を伸ばし、柔らかい体を抱き寄せる。すると軽い笑い声をたてながら、されるままに身を横たえ任せてきた。
しなやかでほどよく肉のついた身体を抱きしめ、その豊かな胸元に顔を埋める。
「どうして起きてるんだ、まだ時間が早いだろう」
「夜明け頃にふと目が覚めてしまって。せっかくだから溜まっている手紙を書いていたの」
「そんなものは後でいいだろ、この部屋にいる間は俺だけのものだ。さあこっちへ」
子どもっぽい主張に頭上で苦笑されていることは分かっていたが、今更取り繕い遠慮する相手でもない。
そんな甘えが許されるのは、この部屋にいる間だけなのだから。
俺は背中や頭を撫でられる心地よさに浸りながら、妻の長い黒髪を弄んだ。
「私もずっとこうしていたいけど、そろそろ侍女が起こしにくる時間よ」
「分かってる。でも、少しだけ、少しだけならいいだろう」
甘い香りのする唇に優しく口付け、そのまま身体を反転し彼女の上にのしかかる。
少しのつもりなんて毛頭ない。
気にせずとも、彼女のあげる甘い声が響けば、扉の外で侍女が気を利かせるだろう。
俺は、彼女の身体に遠慮なく口付けの雨を降らせた。
ところが定刻に遠慮のない軽やかなノックが響き、制止の声を上げる間もなく勢いよく侍女服姿の少女が飛び込んできた。
「おっはようございます!ユカ様、ユリウス様。今日もよいお天気でございますよっ……え? き、きゃああああああっ」
悲鳴をあげて硬直するナナにあわてて俺達はシーツで身体を隠した。
そしてこういう事に一向に気の回らない神殿育ちの侍女に、二人で顔を見合わせ苦笑した。
澄み切った青空の先に白い雲を纏うように神の山と呼ばれるボルモア山脈がそびえ、そのふもとに横たわる大平原には黄色に色づき始めた穂の揺れる畑や、地肌をむき出しにしたこげ茶の畑がパッチワークのように広がっている。点在する農村からは、昼食の竈の煙が白糸のように立ち上る。
そんな絶景を臨む城の奥向きのバルコニーで、俺は剣を振っていた。
昼近くの日差しがじりじりと照りつける中、型に沿って身体を動かす横では、せわしげに白い制服姿の侍従達が手にに書類を持って現われ、それぞれ用件を述べては俺の返事を聞き去っていく。
「陛下、南部のシロバニア伯爵より、昨年秋に決壊したジフル川の堤の修復と流された橋の建築完了の報告書です」
「そうか、ようやく終わったのか。なんとか秋までに間に合ったな」
「はい、これで現在進行中の治水に関しては東地方のシテ川下流域の開発だけとなりました」
「まあ、また秋が深まり雨の日が続けば色々問題が出るのだろうが。ごくろう」
侍従のフィンは、丁重に後ろになでつけた髪を一筋も乱すことなく優雅に一礼するとその場を去ろうとした。
その時入れ違いに同じく仏頂面の侍従長がやってきて、二人の視線が一瞬鋭く交錯するが、赤毛の侍従はそのまま足早に退出した。
「カイル、いい所に来たな。どうだ、一本手合わせしないか」
「いいや、結構。それにしてもどうした風の吹き回しだ? こんな時間に剣の訓練など」
「いいだろ、会議は午後だし。体を動かして頭をすっきりさせたかったんだ」
「ユカ様のことをか?」
「別に何も。俺達は何も問題ない、夫婦円満だぞ」
「分かってるさ。だけど最近二人の時間があまりとれないからいじけているんだろう」
カイルの訳知り顔な指摘に、俺は思わず言葉に詰まった。
確かにまだ新婚なのに互いに公務で多忙を極め、二人でゆっくりと過ごす時間がとれずにいる。
それに加え、今朝ようにおあずけをくらうこともしょっちゅうで、積もったストレスを発散していたのは確かだった。
すると図星と見たのか、この幼馴染は遠慮なく言葉で鞭打ってくる。
「最近は特に貴族の懐柔に乗り出しておいでのようだからな。彼らが苦手なお前に代わってご立派なことだ。お前も彼女を見習ってもっと積極的に貴族達の掌握に努めろよ」
「反王妃派のことは俺が表立って立ち回れないことだからな。強硬派の連中は揃って代替わりしたから、彼女に任せておいて危険もないだろう」
「ああ、今は反王妃の貴族派閥がすっかり鳴りを潜めて、それどころか彼女の信奉者が増えてきたそうじゃないか。それに護衛たちも信頼出来るしな」
俺は自分でも眉間に皺がより口元がゆがむのが分かった。
それを見て、カイルは哀れむように俺の肩を叩く。
「お前は夫だし、あの王妃様は恋の囁きに乗るタイプじゃないのは分かってるだろ」
「分かってる。あいつらは安心して彼女を任せられる、信頼してるさ。ただ、最近彼女に擦り寄ってくる奴らは……」
俺は、カイルから離れるように大きく踏み出して、剣で空を突きなぎ払う。
「女同士でハンカチを贈るとか理解できん。一体何を考えてるんだ」
ハンカチを贈るとは、貴族の女達の間に伝わる古い習慣だ。
親愛や敬愛、恋慕を持つ男に、相手と自分のイニシャルを刺繍した小ぶりな白いハンカチを贈る。そして男は、その心に応えるなら上着の胸ポケットに挿す。
ユリウスも幼い頃から幾度となく手渡されたものだが、一度しか挿したことはない。
その刺繍入りのハンカチが、貴婦人達のお茶会に招かれる度に離宮のユカの文机の上に積み上げられ山を成していた。
彼女と交流し、人となりを知った婦人や令嬢達が、彼女の手の中にそっと忍ばせるのだそうだ。
最初は意味が分からず「口元が汚れてるから拭きなさいといことなのかしら」「私の化粧が濃いってこと?」と途方に暮れていた。そこで、エリス達から助言を受けてその意味を知り、王妃への信頼と好意の証だろうと解釈したようだ。
そして離宮で過ごすプライベートな時間に、暇を見つけてはせっせと丁寧な礼状を書いている。
ユリウスが寝ている間や留守の時のことなので特に口を出すことではなかったが、何故か妙に腹立たしかった。
それは夜会に出た折に、令嬢や夫人達が心なしか頬を赤らめて彼女を見ているからでは断じてない。
俺は妻の信奉者に、ましてや女なんかに嫉妬するほど狭量な夫ではないからな。
「そういえば、用件はそんなことじゃないんだろう」
そう言いながら剣を鞘に収め、カイルに視線を残したまま手渡された布で汗をぬぐう。
カイルは変化は少ないが顔をひきしめ、侍従長らしく固い口調で切り出した。
「そうだ、実はターニャ様から言伝が届いた。弟君のことで相談があるから一度館へ寄って欲しいと」
「ジニーのことで? 何かあったのか」
「多分、王弟殿下の妃候補の件でご相談があるんだろう。王執務室の方にも打診の書状がいくつか届いている」
「その件は保留だと言ってあるだろう」
「分かってる、だが何人かは策を弄し接触を図っている。早めに手を打っておかねば面倒なことになるぞ」
さっきから何度目かになる溜息をつきながら、俺は広がる丘陵地や平野より更に下、城壁に囲まれ城の北東に小さな林を挟んで並ぶ二つの建物を見下ろした。
両方ともこの春完成したばかりで、東側の白い石造りで青い屋根の小さいが建築の粋を凝らした優美な建物は王と王妃の住居である離宮、そして西側の薄黄石作りで赤い屋根の建物は王族の為の館だ。
館は王太后となった母上が女主人として取り仕切り、まだ年若い異母姉妹達と暮らしている。
周囲には取り壊す前の離宮から薔薇を始めとした草木が植え替えられ、夏も終わりを迎えた今、美しい庭が完成しつつあった。
そして館には最初の主人となる母上の名をとり「エシスターニャ宮」と命名したが、母上の紋が古薔薇で、薔薇を愛されていることから「薔薇館」と呼ばれている。
最後にそこを訪れたのは館が完成した祝賀の宴以来だと思い出し、俺は苦笑した。
そういえば多忙に任せ、すぐ側に住んでいるのにしばらく足を向けていなかった。
「そうだな……。では今夜、離宮へ戻る前に館に寄る。予定に入れて、母上にも使いを出しておいてくれ」