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女王様とお呼びっ!【番外編】  作者: 庭野はな
番外編(書き下ろし)
11/17

リードと革靴【後編】

 俺は目の前に立ち、ニヤニヤ笑いをひっこめたヒックリー兄さんの前に立ちすくんだ。

ウィルーさんのことがバレてる?

 口の中に湧いた唾を飲み込みながら、さりげなく足を一歩後に引く。


「最近さ、北区も取締が五月蝿くなって路上での商売がやり辛くなったんだよ。それで新しいシマを探してこっちまで来たらお前を見かけてな。お前は抜けても可愛い弟分だ。お前のアパートの大家に挨拶に行ったら、俺以外に世話になってる人がいるっていうじゃないか。しかも名前を聞いて驚いたよ、俺達も世話になっている黒髪の警備隊隊長さんときたもんだ」


 アパートのことも知られているのか。ということは、ウィルーさんのことだけでなく、赤猪亭のことも知られているのは間違いないだろう。

 このまま逃げて店まで来て迷惑をかけたらどうしよう。女にだって容赦のないこいつらのせいで、チョコさんとお腹の赤ちゃんにもしものことがあったら……

 俺は逃げるのをあきらめ、ヒックリー兄さん、いやヒックリーを睨みつけた。


「俺は確かにあの人に世話になってる。だけど世話になった人達のことは一言も喋ってない。足抜けも自分の意志でしたんだ」

「はっ、自分の意志な。浮浪児のお前がそんなにすぐにご立派な寝床と仕事に美味い飯にありつけるなんて、情報でなきゃ代償はなんだ? 隊長さんの慰み者にでもなったのか?」

「あ、あの人を侮辱するなっ!あの人は本当に親切で俺の世話をしてくれてるだけだ」

「そりゃまた危篤な奴を捕まえたな。だけどな、そんな言葉は信じられねえよ。最近警備隊が俺らをターゲットにしてんだ。内部から誰かが情報を流してることは間違いねえ。身内を片っ端から調べてみたが、警備隊と通じてるやつはお前しかいなかったんだよ」

「そんな、俺は何も知らないっ」

「じゃあ、協力しろや。やつをたらし込んで情報をよこせ」

「やだね、あの人に迷惑はかけられない。断る」


 ヒックリーは指を鳴らした。すると、どこに隠れてきたのか、前に後に合わせて6人ほどの男が現れ俺を囲んだ。


「ま、そう言うと思った。仮にそうだとしてもお前は隊長さんのお気に入りってこった。脅しの餌くらいにはなってもらわにゃな。それにしてもいい匂いさせてるな、おい、その手の中のものをこっちによこせ」


 俺は脇に抱えていた包みを胸元に引き寄せようとしたが、横に立っていた男に奪われ、それがヒックリーに投げ渡される。彼は包みを開き、煮込みの入った器の蓋をあけ、その中身にパンを浸して口に運び咀嚼した。


「ほー、美味いな。さすが赤猪亭だ」

「店には手を出すなっ!」

「ああ、心配すんな。ああいう地元とつながりが強い店は手を出すとやっかいだ。そのくらいは地回りしてりゃ馬鹿でも分かる。脅しは隊長さんに伝わればいい。お前の命で充分だ」


 少なくとも、モウリさんやチョコさんに手を出す気はないらしい。俺は一気に気が楽になった。

 じゃあ俺がこのまま逃げれば誰の迷惑にもならない。

 マリク、ごめん。お前ほどじゃないが、モウリさん達やウィルーさんも今の俺には大事なんだ。だから、予定より迎えに行くのが遅くなろすだけど、待っていてくれ。


 俺はいきなり身を翻すと、背後に立っていた男に体当たりをした。男はふいをつかれ後に倒れ込み、俺はその腹の上を踏みつけて駆け出した。


「おいっ!待て、逃がすなよ!」


 ヒックリーの怒号が飛び、男達の足音と罵声が背後に迫る。俺は必死に走り、一度は近づいた男達を次第に引き離していく。

 せめて人通りのある所まで出れば……


 だが、暗いマーケットの側を抜けた所で俺は背後に迫った男に背を押されて倒れた。

 一人だけ、俺の足についてこれた奴がいたらしい。汚れた服を着て、俺と同じくらいの背格好で歳は少し上だろう。知らない顔だが、浮浪児あがりの下っ端ちんぴらといったところか。慌てて立ち上がろうとした背中を思い切り蹴りつけられる。


「まったく、手間とらせやあがって」


 男は息を切らしながら、他の男達が追いつくまで何度も俺を蹴りつけた。


「おい、ヒックリーさんが捕まえた奴の手柄にしろだと。こいつの持ってる金目のものも好きにしていいとさ。もっとも、こんなガキの持ち物なんてたかが知れてるだろうがな」


 最後に来た男が、息切れしんがらナイフを取り出し、俺を蹴っていた男に手渡した。それを受け取った男は刃を俺に向けると、俺の持ち物を要求した。


「金目のものなんて、これしかないぞ」


 俺が財布を投げつけると、中を確かめ舌打ちする。給金はマリクの為にチョコさんに頼んで、家賃と最低限の生活費以外だけ渡してもらい、残りは貯金してもらってるんだ。

食費も賄いだし、手持ちは赤猪亭の一番高い定食の値段と同額しか入っていない。


「確かに他には何も持ってなさそうだが、お、いい靴履いてるじゃねえか、よこしな」

「これは駄目だっ」


 奴が目をつけたのはチョコさんがくれた皮靴だった。

 これは、俺の物だ。今の俺に一番大切な物。

 俺の反応に、男は獲物を見つけた蛇のような目を細めてにたりと笑った。


「へー、よっぽど大事なもんなんだな。だけど死ぬお前には必要ないもんだから俺が大事に履いてやるよ」


「俺の部屋のものは全部やるからこれだけは、駄目だ」


「そんなの知らねーよ。俺が欲しいつったら貰うだけさ、よこせよ」


 俺はとっさにそれを脱ぐと腹のズボンの中に入れて身体を丸めた。それを見た男は忌々しげに近寄ると背中を、腰を、頭を、肩を、気まぐれに蹴りつける。

 俺は必死に痛みと衝撃に耐えながら腹の中のものを守った。


「おいおい、先に殺っちまってから奪えばいいだろ? 早くしろよ、人が来るだろ」

「ちっ、せっかく大事なモンを奪って泣き叫ぶ顔が見たかったのによ」


 身体を丸めて膝を抱えるのでせいいっぱいな俺の頬に男はナイフを押し当てた。刃先が食い込み温かいものが頬を伝うのが分かる。


「喜べ、声をださずに長く苦しめるように、喉を裂いてやるからさ」


 もう駄目だ、そう俺は覚悟して目を閉じた。

 俺の脳裏を駆け巡るのは全部マリクのこと、暗赤色の髪を揺らし、灰石色の瞳で俺を見つめるマリクの姿だった。俺の家族で大事なマリク。約束、守れなくてごめんな。

 残る全ての力で自分の身体を抱きしめて最期の時を待った。



 その時、俺の背後にしゃがみこんだ男がうめきナイフが落ちる音がした。


「お前ら、ここで何やってるんだ!」

「邪魔すんじゃねえよ、おやじ」


 片目だけそっと開けると、ナイフを持っていたはずの男の手首が背後に立つ中年の男の手に掴まれ、背中の後にねじり上げられていた。

 他の男達が動けないのは、他にも木の棒や金槌、鉈といった道具を手に立つ偉丈夫達が立ちはだかっていたからだ。


「俺達の街で無法は許さねえ。神妙にしやがれ」

「なんなんだよ、おまえら」

「お前らこそ俺らを知らないとは余所者だな。おおかた北区あたりから来た小物だろう」

「なんだと?」

「俺達はこの地域を守る警備隊公認の自警団だ。道の利もねえお前らはもう逃げられんぞ。抵抗すると容赦はせん」


「くそっ、お前らやっちま、うぐっ」


 男は反撃しようと空いた手で自警団の男になぐりかかったが、腹に入った拳に動じることもなく、彼の鼻っ柱を殴りつけあっけなく押さえつけてしまった。

 他にも抵抗しようとした男達は自警団のメンバーに反撃され、刃物をつきつけられて降参した順に、縄で縛られ引っ立てられる。


「だいじょうか、ぼうず。しっかりしな。おい、こいつ赤猪亭の新入りじゃねーか」


 俺の顔を知ってる?

 俺の顔にランプをつきつけた男は、仲間を呼んだ。

 その声を聞きつけて集まった顔ぶれを見ると、アッカの肉詰めが好きな金物屋の旦那にエールを際限なく飲む鋳物屋の旦那、鳥の尻尾の肉が好物の指物師のおっちゃん達だった。他にもシチューにパンをちぎって浮かべて食べる雑貨屋の無愛想なじじいに、金がないから豆のスープばっかり頼む酒屋の兄ちゃんもいる。顔を見て名前じゃなく注文するものしか浮かばないって、すっかり赤猪亭に染まってんな。

 腫れて痛む頬を動かし、笑顔を作って俺は大丈夫だと伝えた。


「気は失っちゃおらんようだな。安心しな、ここにいた奴は全部捕まえたから」


 おっちゃん達、大丈夫だよ。俺、昔からこういうの慣れてるから。ただ、物を守るためにやられっぱなしっていうのは初めてだったけどな。

 そう、口にしたつもりが言葉にならないまま、俺は意識を失った。



 意識を取り戻すと、俺は赤猪亭の二階にあるモウリさんの寝室に寝かされていた。チョコさんがずっと側に付き添って看護してくれていたらしい。

 幸い、見た目はぼろぼろだけど打撲と擦り傷ばかりで、ちょっと肋骨にひびが入ったくらいで済んだ。


「迷惑かけてすみません。ちゃんと明日から仕事に戻りますから」

「馬鹿っ、そんな面で客の前に立たせられるか。お前がいない間は手伝いを頼むから心配せずにちゃんと休め」

「俺、出来ますから、働けますから辞めさせないでください、お願いします」


 長年日雇い暮らしだった俺には、仕事が出来ないことは、即ち仕事を失うことを意味する。俺の代わりに人を入れるということは、つまり俺はおはらい箱ってことだ。それだけはいやだ、おれはこの店を辞めたくない。

 モウリさんにとりすがり、必死で働かせてくれと頼む俺の頭に、突然拳骨がふるわれ目の前に星が飛んだ。


「いてーっ」

「馬鹿やろうっ、誰が辞めさせるって言った。お前には早く仕事を覚えてもらわなくっちゃ、チョコが安心して子育て出来ねーだろうが。だから休みの間も給料出してやるからきっちり直せ」

「本当に? 俺をこれからも使ってくれるんですか?」

「あたりめーだ。お前は俺達の息子みてえなもんだ。お前は字はまだあんまし読めなくても金の計算は正確で馬鹿みたいに早い。店中に目を配れるし客の顔もいっぺんで覚える。ガキのくせに客あしらいも異常にうまいしな。最初はチョコの代わりに若い娘っこ2人ほど入れるよう考えたこともあったんだが、お前がいれば2人以上の仕事ぶりだ。看板娘も不要なくらいな。だからこれからしっかり俺の店をきりもり出来るようになってもらうから覚悟しとけよ。それで早く弟分の坊主を迎えに行ってやれ。そしたら今度は調理場で俺の弟子でこき使ってやるから」

「マリクも働かせてもらえるんですか?」

「最初は皿洗いや芋の皮むきからだけどな。そろそろ俺一人で厨房に立つのもきつくなってきたし、それに小僧が料理を作れるなら先で2人で店を持つことも出来るだろう。だから早いとこウィルーに認めてもらえるよう一人前になれよ」

「ありがとうございます」


 俺は、モウリさんが俺とマリクの将来のことまで考えてくれていることに感激し涙ぐんだ。何より、まだ知り合って間がないのに、そこまで俺のことを見て、期待してくれていたことが嬉しかった。

 そして、俺はもう一つの大事なことを思い出した。


「そういえばあの、俺の靴はありますか」

「ああ、ここにあるぞ。お前なんで腹の中に入れてたんだ、そうすると腹を守れるのか?」

「いや、気にしないでください。そか、ちゃんとあるんだ。よかった……」


 俺は、彼のごつい手が持ち上げて見せた潰れかけた革靴を目にし、安心したせいか今度は眠りに落ちた。



 翌日、赤猪亭に俺を訪ねてきたウィルーさんが、いきなり俺に頭を下げた。


「ウィルーさん、やめてください。これは俺の過去が招いたことですから」

「いや、違うんだよ。僕は君の身元引き受け人になる時に、念のため素性を捜査していたんだ。その中でたまたま別の筋からヒックリーの所属する元締めの情報を手にいれてね。それで連日手入れをしていたんだ。そのことで君への影響に思い至らなかったのは僕のミスだ。すまなかった」

「そうですか。じゃあ安心しました。でも、ヒックリーは俺だけじゃなく、ウィルーさんや赤猪亭のことも知ってるんです。もし仕返しとかされたらと思うと」

「安心しろ、奴は今朝方うちの副隊長が東区の警備隊と協力して捕らえたよ。昨夜捕まった奴らがヒックリーの愛人の家を吐いたお陰でね。だからもうリードに手出しすることはないから。だからゆっくり怪我を直すんだぞ。店の方は俺も協力するから心配いらない」


 そう言って、ウィルーさんは俺の頭をわしわしと撫でてくれた。



 それから一週間、俺は大人しく家に籠って療養に専念した。

 その間、寝てるだけじゃもったいない。食べ物を届けてくれるチョコさんにお願いし、子ども向けの本を買ってもらい、赤猪亭の定番メニューと内容を書いたメモを作ってもらった。それで自信のなかった字の勉強をし、何を聞かれても応えられるように、メニューを完全に頭に叩き込んだ。


 医者の診察では経過は順調で、3日後にはジョッキ2個持ちまでなら仕事に復帰していいと許可が出た。

 俺が休んでる間、店はウィルーさんの妹が手伝ってくれているらしい。兄妹共に同じ黒髪で緑の瞳のエリルさんは気さくな美人で、この界隈ではちょっとした有名人だ。

 うちの客にも彼女のファンが多いから、きっと俺が復帰したらがっかりする野郎共が多いだろうな。その顔を見るのが今から楽しみだとほくそ笑みながら、俺は愛おしげに革靴を磨いた。


※字下げの改稿をしました。

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