↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/111

詰問

勢いよく背中が石造りの壁にぶつかった。

鈍い衝撃が走る。


「っ……!」


肺の奥に溜まっていた空気が、強制的に押し出されたように吐き出される。


叩きつけられたわけじゃない。

ただ、後ずさった勢いのまま距離感を見誤っただけだ。

けれど、石壁の硬さは容赦なく背中へ伝わってきた。


その直後。


ダンッ、と胸元へ強い衝撃が走る。


握り締められた拳が、そのまま胸板へ叩きつけられていた。


布越しでも分かるくらい重い一撃。


押し付けられた拳が、小さく震えているのが伝わってくる。


怒りなのか。

焦りなのか。

それとも別の感情からなのか。


目の前の相手――シランは、一歩も引かなかった。


むしろ、距離を詰めるたびにこちらの逃げ場を丁寧に潰してくる。


背後は石壁。


左右へ抜けようと思えば不可能ではない。

けれど、今のシランの様子がそれを許さなかった。


逃がす気なんて最初からない。

そんな圧が、真正面からぶつかってくる。


琥珀色の瞳には、怒りと焦りが入り混じっていた。


普段なら、どこか余裕を滲ませている目だ。


なのに今は違う。


真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐに、ただこちらを射抜いていた

彼女の目尻には、うっすらと涙まで滲んでいた。


「シオン、あんた……自分が何やってるのか理解してるの!?」


責め立てるその声は、鋭いのに、どこか崩れそうで。

張り詰めた糸みたいに、不安定に震えていた。


(あぁ……。

 シランにバレたんだな……)


どこか他人事みたいに、ぼんやりとそう考える。


否定する材料もない。

そんな気分にもなれない。


反論が許されるような立場ではないのだから。


偶然、彼女に見られたのだろう。

レインとティアと一緒にいたところを。


どの場面を見られたのだろうか。


笑っていたかもしれない。

言葉を交わしていたかもしれない。


あの場の空気を思い出そうとして、すぐにやめた。


「……わかっているさ」


その返答を聞いた瞬間、シランの声がさらに強くなる。


「そうだよね!?シオンがわかってない筈ない!」


それに合わせるように、胸元を掴む指先にも力がこもった。


シランの瞳には、今にも零れ落ちそうな涙が滲んでいた。

けれど、必死に堪えている。


怒っている筈なのに。

責め立てている筈なのに。

その顔はどこか、縋っているようにも見えた。


「だったら!!どうして!!」


感情を押し切るように、言葉が叩きつけられる。


「あいつらは敵だよ!?敵!!殺せって命令受けてたじゃない!!偵察ならともかく!!なんで、あいつらと仲良くしてるの!?」


矢継ぎ早に投げつけられる言葉。


シランの言葉はどれも正しい。

何ひとつ、間違っていない。


黒ユリの呪華の抹消。


それが、俺たち2人に与えられた命令だ。


つまりはティアの抹殺。


それが最終的な目的である以上、過程がどうであれ、結果だけ見れば俺の行動は逸脱していた。


危害を加えるどころか、

会話を交わし、

食事を共にし、

その契約者(マスター)の鍛錬にすら付き合っていた。


こんな状況で、今、思い出すべきではないのに、

思い出したくもないのに、断片的に浮かぶ光景がある。


くだらないやり取り。

無防備な笑顔。

警戒を解いた、あの時間。


自分の愚かさに苛立ち、舌打ちしたくなる。


一度、目を伏せた。


言葉を選ぼうとしたわけじゃない。

ただ、何を言っても言い訳にしかならないと分かっていた。


それでも。


「……仲良くしているつもりはない」


口にした瞬間、自分でもそれがどれだけ説得力の無い言葉か理解していた。


その一言で、シランの表情が凍りつく。


「は……?」


信じられないものを見るような目。


「それじゃあ何?……あれが、“任務の一環”だって言うの……?」


掴む力が、さらに強くなる。

胸元の布が、千切れそうなほどに皺が寄せられる。


「……ただ、観察してただけだ」


「は?」


「接触しなければ分からないこともある。あの2人の動き、思考、戦い方……」


淡々と説明を続ける。


口にしているうちに、自分でも分かっていた。


空虚が心の内を埋め尽くしていくことに。


自分でも分かっている。

これはただ、自分を誤魔化すための“言い訳”だ。


「ふざけないで!!」



次の瞬間。

胸に強く、握りしめた拳が叩き付けられる。。


その反動で背中が壁にさらに押し付けられ、逃げ場が完全に塞がれた。


「そんなの、いくらでも方法あるでしょ!?わざわざ一緒に笑ったり、食事したりする必要ある!?」


シランの息が荒い。

肩が大きく上下している。


怒鳴っている筈なのに。


どうしてか、その声は必死で。

責めているのに、どこか縋るみたいで。


視線を逸らしてしまった。


真っ直ぐに向けられる琥珀色の瞳を、まともに見続けることが出来なかった。


「……ほら。なにも、言えないんじゃない」


ぐっと唇を噛む気配がした。


「任務だって言い張るなら、ちゃんと、最後まで言い切りなよ……。シオンらしくない……」


震える手が、ゆっくりと襟から離れていく。


圧迫されていた背中は解放されたはずなのに、呼吸がうまく出来ない。

代わりに、胸の奥に、重りのようになにかが深く沈んだままだった。


シランが、ゆっくりと背を向けた。


そのまま数歩、ヒールの音を響かせながら、距離を取った。


引き止めるべきなのか。

弁明するべきか。

正直にすべて打ち明けるべきか。


何を言えばいいのかすらわからない。

ただ、その背中を見ていることしかできなかった。


「……ねぇ、シオン」


不意に足音が止まり、名前を呼ばれる。


くるり、とシランが振り返った。


さっきまで浮かんでいた怒りは、もう顔に出ていなかった。


代わりにあるのは、今にも泣き出しそうな表情。

感情を押し殺そうとしているせいで、余計に脆く見える。


怒鳴られる方が、まだ楽だったかもしれない。


抑え込まれた感情は、鋭く刺さる。

逃げ場なんて、どこにもなかった。


「もし、あいつらと戦うことになったら」


シランが一歩、距離を詰める。


再び、反射的に後ろへ下がろうとして、壁に阻まれた。


「私と、そいつら」


さらに一歩。


今度は手を伸ばしてこない。

触れもしないまま、ただ確実に距離だけを縮めてくる。


俺を逃がさないための距離。

呼吸も、視線も、思考さえ閉じ込めるみたいに。


「どっちを選ぶの?その気持ちと、命令。……どっち?」


視線を逸らせない。


シランは答えを求めているのに。

俺の答え次第で、何かが壊れる。

そんなことを理解した上で、それでも問いかけている目だった。


喉が、ひどく乾く。


何か言わなければならないと分かっているのに、言葉が出てこない。

頭の中で、いくつもの答えが浮かんでは消える。


任務だと割り切る言葉。

感情なんてないと切り捨てる言葉。


いくらでも思い浮かぶのに、どれも口に出来なかった。


どうしてか。


脳裏に、あの光景ばかりが浮かぶ。


レインの笑っていた顔。

くだらないやり取り。

無防備に隣へ座ってきた姿。

敵だということすら、忘れていた時間。


その記憶が、思考をぐちゃぐちゃに乱していく。



「……俺は」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。