B型女子はとっても可愛い
「……もう、上映開始から三十分経ってるんだけど」
映画館のロビーで、僕は何度目かもわからないため息を零した。
手元の腕時計と自動ドアを交互に見つめる。
僕のスマホのスケジュール帳には『13:00 映画館ロビー集合』と記されている。しかし、現在の時刻は13:32……。
僕の人生の辞書に「遅刻」という文字はない。だが、彼女の辞書には「予定」という概念自体が存在しないらしい。
「はーるーとー!」
もう一度ため息を吐き出しそうになった時だった。緊張感の欠片もない声が響いて顔を上げる。
外ハネの髪を揺らしながら走ってくるのは、夏目絵里。先日付き合い始めたばかりの僕の彼女だ。
いつものボーイッシュな姿が嘘のような可愛らしい格好。ヒラヒラとした長めのスカートが新鮮で、不覚にも可愛いと見惚れてしまった自分に腹が立つ。
「ごめん晴斗! 来る途中にさ、すっごく綺麗な色の野良猫を見かけちゃって。つい追いかけたら迷子になっちゃった」
「……猫、猫か。君の『五分で行く』は今後一切信用しないことにするよ」
ただでさえ集合時間の五分前に送ってこられたメッセージに目を疑ったのだ。真っすぐ来てくれたならまだしも、寄り道をしていただなんて非常識にもほどがある。
「えー、冷たい! でも見てよこれ。写真撮ったんだよ」
僕の小言をBGM程度にしか思っていない彼女が、至近距離でスマホを突きつけてくる。画面に映っているのは、茂みに突っ込む猫の尻尾だけだ。
……なんだこの躍動感しかない失敗写真は。
「……いいから行くぞ。もう本編始まってる」
「あ、待って。やっぱりあの映画やめる」
「は?」
足が止まった。
「さっきポスター見て気づいたんだけど、こっちの『巨大サメvsメカ地蔵』の方が、今の私の魂が呼んでる気がするんだよね」
「魂って……そんなもので二千円を無駄にするな! 予約したんだぞ、こっちは!」
「だって、今からじゃ途中からだよ? だったら初めから見られるこっちの方がいいよ。サメと地蔵の戦いって気になりすぎるし」
誰のせいで初めから見られないと思っているんだ……と、口にしそうになった言葉を飲み込む。
「ねえ、ダメ?」
絵里が小首をかしげ、猫のような瞳で僕をじっと見上げてくる。
これだ。彼女特有の、この“自分勝手なのに一点の曇りもない純粋な瞳”。
……卑怯だと思う。僕がこの瞳に弱いことを、絵里は本能で理解してやっている。
「……わかったよ」
結局、僕は折れた。
買い直したチケットを手に、予定外のB級映画を観るはめになる。僕の徹底したスケジュール管理が、音を立てて崩れていく。
◇ ◇ ◇
劇場内。
案の定、映画は支離滅裂だった。
サメが咆哮し、メカ地蔵が物理法則を無視して動き回る。人間は儚い……。
だが、隣に座る絵里の反応は、スクリーンの中身よりもずっとドラマチックだった。
サメが吠えれば「きゃっ」と僕の腕にしがみつき、地蔵がビームを出せば「いっけぇーっ!」と小声で拳を握る。
「……」
今、この瞬間に没頭している彼女を見ていると、B級映画だと思っていたものが面白く思えてくるから不思議なものだ。
「本当、自由だよな」
僕の呟きは、サメの咆哮でかき消される。
呆れ果てているはずなのに、腕に伝わる絵里の体温と、スクリーンの光に照らされた無邪気な横顔を見ていると、不思議と毒気を抜かれてしまう。
僕の予定表通りの日常には、こんな胸のときめきは存在しなかった。
最初は正反対な僕たちがやっていけるのかと疑問だったけれど、今は少し、悪くないと思えた。
◇ ◇ ◇
「あー! 面白かったぁ! まさか最後に地蔵が宇宙に行くとは思わなかったよね!」
映画館を出るなり、絵里は興奮冷めやらぬといった様子ではしゃいでいる。
「……支離滅裂な映画だったな。僕の午後の予定は全部滅茶苦茶だ」
わざとらしく肩を落として見せると、絵里がピタッと足を止めた。
彼女はくるりと振り返ると、僕のシャツの裾をぎゅっと掴む。
「晴斗は、楽しめなかった?」
「別に……楽しくなかったとは言ってない」
「ふふっ、だよねー。晴斗は映画にじゃなくて、予定が狂っちゃったことに怒ってるんだもんねー」
絵里は訳知り顔で頷くと、満面の笑みを浮かべた。
「あのね、晴斗。私は今日、世界で一番この映画を楽しんだ自信があるよ。それは隣に晴斗がいてくれたから。一人だったら猫を追いかけて帰ってたもん」
「……それはそれで問題だけどな」
「だからね、お詫びに……じゃなくて、私がそうしたいから。今日はこの後、私が晴斗を全力で楽しませる係。予定表なんて捨てて、私の直感について来て!」
絵里が僕の手を強く握り、強引に歩き出す。
「そういうわけで、次はあそこのゲーセンにある変な色の綿あめ食べに行くよ」
「オイ、そこ前に『センスない』って酷評してただろ」
「今は『一周回ってアリ』って気分なの。ほら、早く」
「ちょっ、引っ張るなって!」
振り回され、予定は崩壊し、常識を疑うような言動のオンパレード。
けれど、握られた手のひらから伝わる熱量は、誰よりも真っすぐで、嘘がなかった。
「……やれやれ。これだからB型は」
照れ臭さを、血液型のせいにしてみる。
自分勝手で強引で、そんな彼女との時間を心地良く感じる。
僕は口では文句を言いながら、その繋がれた手を、自分からも少しだけ強く握り返した。
「そんなこと言わないでよ晴斗。今度はちゃんと、晴斗の予定通りのエスコートを受けてあげるから」
「なっ……!?」
かぁっと顔が熱くなる。
……まったく、察しが良すぎる彼女というのも考えものだ。
次こそは僕の完璧な予定で、絵里を照れさせてやろうと決意したのだった。
お読みくださりありがとうございます。
血液性格診断なるものはもう廃れたものだと思っていたのですが、最近「これだからB型は」みたいな声を聞いたので、B型女子の可愛さよ伝われ! と書いてみました。
まあ科学的根拠はないっぽいですからね。ライトに楽しむ分にはいいですが、必要以上に悪く捉えるのはやめましょうということで(あくまでエンタメ)
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