第8話:海南神社の神と500円の使い道(後編)~獅子舞の洗礼と鋼鉄の父~
マグロみくじの結果が出た直後、境内に獅子舞のお囃子が響き渡ります。
逃げ惑う子供たちですが、そこは縁起物。
逃げ場のない「幸福の儀式」が始まります。
そして、ピンチに輝く父の背中と、温かいコーンポタージュの味が染みる後編です。
1.神託の明暗
海南神社の社務所前。
俺たち「しおかぜ組」の3人は、釣り上げたばかりの張り子マグロから取り出したおみくじを、食い入るように見つめていた。
まずは、筋肉至上主義者・本田鉄平の結果だ。
「っしゃあ! 見たか! 『大吉』だぁぁぁ!」
鉄平が紙を高々と掲げて吠えた。
無駄にデカい声が境内に響く。
「『願望:叶う。とにかく叶う』『失せ物:出る。足元を見よ』……! マジか! 無くしたスーパーボール、見つかるかも!」
単純明快。彼の人生そのもののような結果だ。神様も、彼に対しては複雑な言葉を使うのを諦めたのかもしれない。
次に、論理の怪物・田中泉美。
彼女は眉をひそめ、紙を睨みつけている。
「……『小吉』。……統計的な偏りを感じるわ」
彼女は不服そうに読み上げた。
「『学問:雑念を捨てよ。知識に溺れるな』……ですって? 失敬な神様ね。私の探究心を雑念と呼ぶなんて。この神社のアルゴリズム、少しバグがあるんじゃないかしら」
神託にまでケチをつけるとは、さすがだ。だが、その顔は少し悔しそうだ。
そして、俺だ。
俺は震える手で、薄い紙を開いた。
そこに記されていた文字は――。
『 中 吉 』
……微妙だ。
大吉ほど突き抜けてもおらず、凶のようなネタ性もない。
一番リアクションに困る、中間管理職のような結果だ。
詳細を読んでみる。
【願望】 焦るな。潮目が変わるのを待て。
【学問】 基礎を固めよ。賢ぶるな。
【家庭】 母を敬え。父を労われ。
……見透かされている。
俺は戦慄した。
特に【学問】と【家庭】の項目。海南神社の神様は、俺の日頃の言動(孤高気取りや、親父殿への塩対応)を監視カメラで見ているのか?
「賢ぶるな」という一言が、鋭いナイフのように俺のプライドを抉る。
「……ふっ。中吉か。悪くない。平穏こそが孤高の条件だ」
俺は精一杯の強がりを言ったが、内心では鉄平の大吉が羨ましくて仕方がなかった。
2.獅子舞パニックと強制儀式
俺たちがそれぞれの結果を噛み締めていた、その時だった。
ピーヒャララ……!
ドン! ドン! ドン!
境内の空気を切り裂くような、甲高い笛の音と、腹に響く太鼓の音が轟いた。
お囃子だ。
そして、人だかりの向こうから、巨大な緑色の塊が、くねりくねりと動きながら近づいてくるのが見えた。
「げっ……!」
鉄平の顔色が、一瞬で青ざめた。さっきまでの大吉の喜びは消え失せている。
獅子舞だ。
三崎の正月には欠かせない伝統芸能。唐草模様の風呂敷を胴体にし、真っ赤な顔と巨大な金色の目を持つ獅子が、厄除けのために練り歩く。
身長100センチ前後の5歳児たちにとって、それは「捕食者」以外の何物でもない。
「うわあああん! 食われるぅぅ! 母ちゃん助けてぇ!」
鉄平が絶叫し、母親の後ろに隠れようとした。
だが、彼の母親はニッコリと笑い、無慈悲にも彼を前へと押し出した。
「何言ってんの鉄平! 噛んでもらいなさい! 頭が良くなるんだから!」
「いやだぁぁぁ! 頭を食われたら、明日からどうやって帽子を被ればいいんだぁぁ! 首から上がスースーして風邪ひいちまうぅぅ!」
筋肉至上主義者の抵抗も虚しく、獅子はカチカチと歯を鳴らして鉄平の頭に食いついた。
ガブッ。
「ギャアアアア!」
断末魔のような悲鳴が響く。
次は泉美だ。
彼女は青ざめた顔で後ずさりしながら、早口でまくし立てた。
「……待って。衛生的観点から言わせていただくと、不特定多数を噛んだその口腔内は……きゃあああ!?」
論理的抗弁も通用せず、泉美もまた、綺麗な日本髪ごとガブリとやられた。
あの「論理の怪物」が、涙目でフリーズしている。
そして。
獅子の巨大な眼球が、ギョロリと俺を捉えた。
(……来るか)
俺は覚悟を決めた。
逃げれば恥だ。孤高の男として、ここは堂々と受けて立つべきだ。
俺は震える足を踏ん張り、目を閉じて頭を差し出した。
カチカチッ!
ガブッ。
硬い木の感触と、独特の古い布の匂いが俺を包んだ。
一瞬の暗闇。
(……終わったか?)
獅子が口を離すと、そこには妙にスッキリした視界が広がっていた。
厄が落ちた、ということだろうか。
それとも、恐怖で脳内麻薬が出ただけだろうか。
「よくやったな、理太郎」
横で見ていた親父殿(溶接ゴリラ)が、ニヤリと笑っていた。
他人事だと思って……いや、待てよ。
その目はどこか懐かしんでいるようにも見えた。
もしかすると、この鋼鉄の男もかつては同じように獅子に噛まれ、恐怖を乗り越えてきたというのか。
溶接ゴリラも通ってきた道なのかもしれん。
3.強風と鋼鉄の腕
獅子舞の洗礼を受け、魂が抜けたようになった俺たち3人は、とぼとぼと参道を歩いていた。
日は傾き始め、三崎特有の強い海風――「三浦おろし」が吹き始めていた。
ビューッ!
ゴオオオッ!
突然、突風が境内を吹き抜けた。
砂埃が舞い上がり、屋台のビニールシートが激しくバタつく。
「きゃっ!」
泉美が風に煽られてよろめいた。
その時だ。
ギギギ……バキッ!
嫌な音がした。
参道脇に立てかけられていた、奉納者の名前が書かれた巨大な木製の看板が、風圧に耐えきれず傾いたのだ。
その倒れる先には、体勢を崩したままの泉美と、何が起きたか分からず立ち尽くす鉄平、そして数名の参拝客がいた。
「「「あぶねえッ!!」」」
周囲の参拝客たちから、叫び声が一斉に響いた。
俺は声を上げようとしたが、喉が張り付いて出ない。
重そうな木の塊が、スローモーションのように人々へ迫る。
ダンッ!
地面を蹴る重い音がした。
次の瞬間、彼らの頭上に、茶色のコートの背中が割り込んでいた。
ドォン!
パリンッ!
鈍い衝撃音と、何かが割れる乾いた音が同時に響いた。
周囲から「きゃあああ!」という悲鳴が上がった。
だが、看板の下にいるはずの人々の悲鳴は聞こえなかった。
俺たちが恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景があった。
親父殿が、倒れてきた巨大な看板を、広い背中と太い片腕でガシリと受け止めていたのだ。
「……ぐっ、……ふん、これしき……」
額に青筋を浮かべ、親父殿が看板の重量に耐えている。
しかし、そのコートのポケットからは、透明な液体がボタボタと滴り落ち、辺り一面に芳醇な吟醸香が漂い始めていた。
「手伝います!」
「こっちも持て!」
すぐさま近くにいた若い衆や参拝客たちが駆け寄り、看板を支える。
「せーの!」
親父殿の掛け声と共に、男たちが一斉に力を込め、ミシミシと悲鳴を上げる看板を元の位置へと押し戻した。
近くにいた神社の関係者が慌てて駆け寄ってくる。
「す、すみません! 大丈夫ですか!?」
「……ああ。紐が緩んでるぞ。締め直した方がいい」
親父殿は淡々とそう言うと、パンパンと手についた埃を払い、何事もなかったかのように俺たちの方を向いた。
「……あ、久保田が……」
俺が視線を落とすと、親父殿の足元には、割れた瓶の破片と、無残に散った名酒のシミが広がっていた。宴会から命がけで避難させた秘蔵の酒が、一瞬にして露と消えたのだ。
だが、親父殿は濡れたポケットをポンと叩き、地面のシミを見つめてニカっと笑った。
「地面も神様の一部だ。たまには美味い酒、飲ませてやらねぇとな」
……渋い。
酒を失ってもこの余裕。
この男は物理法則だけでなく、喪失感すらも笑い飛ばすのか。
4.残された200円と温もり
騒動が落ち着き、俺たちが帰路につこうとした時だった。
「おじちゃん! 待って!」
鉄平と泉美が、親たちの制止も聞かずに駆け寄ってきた。
「おじちゃん、すっげえかっこよかった! これ、お礼!」
「私の論理的思考が追いつかないほどの素晴らしい危機回避能力でした。感謝の気持ちです」
二人が親父殿に差し出したのは、湯気を立てるパックだった。
鉄平からは「大盛り焼きそば」。泉美からは「焼きたてのたこ焼き」。
「……いいのか?」
「うん! 俺、食いすぎて腹いっぱいだし!」
「母が多めに購入してしまった余剰在庫ですので、お気になさらず」
二人はニコニコと笑い、俺に向かって「じゃあな理太郎!」「また新学期に」と手を振って、それぞれの親の元へ戻っていった。
すると今度は、半被を着た若い男が息を切らして走ってきた。
海南神社青年会のメンバーだ。
「晃さん! 見ましたよ、さっきの!」
親父殿の職場の後輩でもあるその男は、興奮気味に言った。
「看板支えたって噂で持ちきりっすよ! マジでかっけぇっす! これ、青年会のみんなからです!」
彼が差し出したのは、薄いブルーの瓶に入った四合瓶だった。
「……こいつは」
「新潟の『村祐』っす! レア酒っす! 今夜みんなで開けようと思ってたんですが、晃さんに是非飲んでもらいたいって!」
村祐。
親父殿の目が一瞬にして輝いた。
それは、割れてしまった久保田をも凌ぐかもしれない、入手困難な銘酒だ。
「……いいのか? お前らが飲むはずだったんだろ」
「いいんすよ! 晃さんの武勇伝の肴になれば本望っす!」
後輩は爽やかに笑うと、一礼して去っていった。
「……早速ご利益あったな。しかもグレードアップして」
親父殿は、両手の焼きそばとたこ焼き、そして小脇に抱えた村祐を見て、豪快に笑った。
久保田は失ったが、その代わりに子供たちの笑顔と、温かいご馳走、そして最高級の酒が手に入ったわけだ。
これぞまさに、わらしべ長者。いや、人徳のなせる技か。
俺たちは並んで、夕暮れの三崎港への坂道を下り始めた。
体は冷え切っていたが、手に入れた戦利品の温かさが心地よい。
俺は自動販売機に向かった。
せっかくの料理と酒だ。だが、今はまず冷えた体を温める必要がある。それも、俺のではなく、一番体を張った男の体を。
俺は迷わずボタンを押した。
『あったか~い ブラックコーヒー』 130円。
ガコン。
取り出し口から、熱い缶が出てくる。
残金70円。これにて、俺の全財産はほぼ消滅した。
「……親父殿、やる」
俺は缶を親父殿に差し出した。
「……あん? お前、コーヒーなんか飲めるのか?」
「違う。貴殿への報酬だ。……さっきは、助かった」
俺がボソッと言うと、親父殿は目を丸くした。
俺が自分の飲みたいコーンポタージュを我慢し、全財産をはたいて溶接ゴリラへの感謝を示したことに気づいたようだ。
「……ふっ。気が利くじゃねぇか」
親父殿はコーヒーを受け取り、プシュッと開けて一口飲んだ。
「……苦ぇな。だが、悪くない」
そして、親父殿はポケットを探り、小銭を取り出した。
チャリン。ピッ。
ガコン。
『あったか~い コーンポタージュ(粒入り)』
「……スポンサーからの特別ボーナスだ。取っとけ」
「……感謝する」
俺たちは並んで、夕暮れの三崎港への坂道を下り始めた。
コーヒーの香りと、コーンポタージュの甘い匂い。
冷えた体に、熱が広がっていく。
遠くには、漁船の明かりが見える。
「……中吉だったな」
親父殿が不意に言った。
「……見ていたのか」
「『父を労われ』って書いてあったぞ」
……千里眼か?!
しっかり見られていたのか。
「……善処しているつもりだ」
俺がそっぽを向いて答えると、親父殿は喉の奥でクックッと笑った。
その大きな手が、再び俺の頭をガシガシと撫でた。
500円の使い道としては、当初の計画とは大きく異なった。
だが、この手の中にある張り子のマグロと、友人たちからの戦利品。そして何より、この最強のボディーガードと過ごした時間は、プライスレスだ。
俺はポケットの中のマグロを撫でた。
今年も、この無口で不器用な父と、愉快なライバルたちがいる限り、きっと退屈しない一年になるだろう。
そう確信した、元旦の夕暮れだった。
(冬の陣 完)…………………………
【余談:帰還】
「それにしても……」
俺は親父殿のコートを見上げた。
「……臭うな」
「……ああ。吟醸香がプンプンしやがる」
酒瓶が割れたせいで、親父殿のコートは日本酒まみれだ。歩く人間酒造のようになっている。
さらに、周囲はすっかり暗くなっている。予定よりも大幅に遅い帰宅だ。
「……母上、流石に怒ってるだろうな」
宴会のカオスから逃亡し、長時間帰宅せず、さらに酒臭い状態で帰るのだ。
あの絶対権力者・華代の逆鱗に触れる可能性は極めて高い。本田要塞の門が開く時、そこに鬼が立っている光景が容易に想像できる。
だが、親父殿は小脇に抱えた『村祐』と、手にした焼きそば・たこ焼きを少し持ち上げてみせた。
「大丈夫だ。こいつらがある」
「……賄賂か」
「……お土産と言え」
俺たちは顔を見合わせ、ニヤリと笑った。
この強力な戦利品があれば、きっとあの鉄壁の要塞も攻略できるはずだ。たぶん。
(完)
『冬の陣』完結。
いかがでしたでしょうか。
物理的な危機には滅法強い溶接ゴリラの活躍でした。
大切なお酒は神様の元へ行ってしまいましたが、代わりに子供たちからの温かいお礼と、さらに上を行く銘酒が届きましたね。情けは人の為ならず、です。
さて、これにて短期集中連載『冬の陣』は完結となります!
年末のコタツ攻防戦から始まり、お年玉、初詣と、理太郎の冬休みにお付き合いいただきありがとうございました。
この物語が、皆様の冬のひとときに少しでも温かさを届けられたなら幸いです。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!
もしよろしければ、ページ下の【☆☆☆☆☆】評価や感想をいただけると、作者(と理太郎)が小躍りして喜びます!
それでは、また新しい季節にお会いしましょう!
本編「俺の親父の嫁」では、
・砂場での宿敵との戦い
・同級生との恋の予感ならぬ悪寒
・理太郎が父の職場(造船所)に潜入して見た「男の背中」
・台風の夜、家を守るために戦う「溶接ゴリラ」の勇姿、
・理太郎の迷子、他
笑って泣けるエピソードを多数収録しています。
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