第5話:除夜の鐘と煩悩の数(カウントダウン)
みなさん、こたつの中でみかんと戦っていますか?
『冬の陣』第5話、いよいよ大晦日決戦です。
5歳児にとって「年越し」とは、単なるカレンダーの更新作業ではありません。
それは、文明の利器と生理現象(睡魔)が結託して襲いかかる、逃げ場のないデスゲーム。
果たして理太郎は、無事に意識を保ったまま新年を迎えられるのか?
それとも夢の中でトリケラトプスと盆踊りを踊ってしまうのか?
1.魔窟「コタツ」の包囲網
12月31日、午後11時。
外は三浦の寒風が吹き荒れているが、ここリビングの中心には、熱源を持つオレンジ色のブラックホールが存在していた。
「コタツ」。
それは日本の冬が生んだ、人をダメにする最終兵器だ。
俺は今、その魔窟に下半身を呑み込まれながら、必死に意識を保っていた。
限界だ。
普段なら、午後9時には意識をシャットダウンしている。
夢の中で愛機『プラズマ・トリケラトプス』を駆り、ジュラ紀の平原を爆走している時間帯だ。
だが、今夜ばかりは眠るわけにはいかない。
俺には「年が変わる瞬間を、この目で目撃する」という重大なミッションがある。
「……ガクッ」
俺の頭が、重力に負けて大きく揺れた。
危ない。
今、3秒ほど意識がブラックアウトしていた。
あくびなどという生易しいものではない。
脳のOSが強制終了を求めて、けたたましいエラー音を鳴らしている状態だ。
瞼には鉛の塊がぶら下がっている。
白目を剥いて、あやうくよだれを垂らすところだった。
敵は強力だ。
コタツの赤外線攻撃が、俺の自律神経を直接ハッキングしてくる。
視界の端で、テレビの中の演歌歌手が二重三重にブレて見え、なぜかトリケラトプスに乗って歌っている幻覚が見え始めた。
横を見れば、溶接ゴリラ(父・晃)がすでに半眼になりながら、みかんの皮を剥いていた。
その剥き方は相変わらず職人芸だ。皮が途切れず、芸術的な螺旋を描いている。
……おい、寝るなよ親父殿。
お前が寝たら、俺も道連れだ。
「さあ、お蕎麦できたわよー!」
キッチンから、絶対権力者(通称:親父の嫁)の声が響いた。
湯気と共に運ばれてきたのは、本田家特製『年越しそば』だ。
2.カオス理論に基づく蕎麦
ドン、という重厚な着地音が響いた。
その衝撃がトリガーとなり、俺は深淵(夢)の底から強制的に引きずり上げられた。
危なかった。
もう少しであちら側の世界の永住権を獲得するところだった。
俺はどうにか現実世界への再接続に成功したが、まだ脳の半分は寝ている。
霞む視界をこすり、テーブルに置かれた丼を覗き込んで、俺は深く眉をひそめた。
「……母上。これは『蕎麦』という定義で合っているのか? それとも、まだ俺は夢の中にいるのか?」
そこには、俺の知る慎ましい年越しそばの姿はなかった。
麺の上に乗っているのは、海老天ではない。
ちくわの磯辺揚げ(昨日の残り)。
紅白かまぼこ(正月用のフライング使用)。
そして、中央にデミグラスソースを纏ったハンバーグ(一昨日の残り)が、堂々と不時着している。
冷蔵庫の在庫一掃セール。
まさに「断捨離」の精神が、食卓にまで波及している。
「何言ってんの。栄養満点よ。全部乗せ『オールスター蕎麦』だと思えば豪華でしょ?」
親父の嫁は悪びれもせず、自分の丼に七味唐辛子を赤くなるまで振りかけている。
ポジティブだ。
この女の辞書に「繊細」という言葉はない。
「……いただきます」
溶接ゴリラは細かいことは気にせず、合掌すると、掃除機のような吸引力で麺をすすり始めた。
ズズズッ、ズゴォォォ……。
いい音だ。
まるで溶接現場の吸煙ダクトのような迫力だ。
俺も箸を取った。
味は……まあ、悪くない。
ハンバーグの肉汁とデミグラスソースが和風だしに溶け出し、奇跡的な核融合を起こしている。
これが本田家の味だ。
3.108つの敵
食後、テレビからは国民的歌番組が終わり、静かな鐘の音が聞こえてきた。
『ゆく年くる年』。
大人の聖域だ。
ゴーン……。
重厚な音が、ブラウン管(今は液晶だが)を通じて腹に響く。
「ねえリタくん、知ってる? 除夜の鐘って108回つくのよ」
みかんを食べながら、親父の嫁が言った。
「人間の『煩悩』の数なんだって。悪い心を払うのよ」
「……ボンノウ?」
俺は聞き返した。
「そう。『もっとお菓子食べたい』とか『お片付けしたくない』とか、そういう欲張リな心のこと」
……なんと。
俺は戦慄した。
108つもあるのか?
俺の「『実験!メカ・ダイナソー培養キット』で、最強の合成生物を創造したい欲求」や「公園で泥だらけになりたい衝動」が、そんなに細分化されているというのか?
人類とは、なんと業の深い生き物なのだ。
ゴーン……。
一つ目の鐘が、夜空に吸い込まれていく。
俺は静かに目を閉じた。
(一つ目は、今日のおやつを二個食べた罪……)
ゴーン……。
二つ目の鐘が鳴る。
(二つ目は、母上の高い化粧水をうっかり倒して床にぶちまけ……いや、あれは床の摩擦係数を確認するための科学的実験だ。断じて失敗ではない)
ゴーン……。
(三つ目は……)
数えようとしたが、意識が急速に遠のいていく。
満腹になった胃袋に血液が集中し、さらにコタツの温もりが俺の思考回路を遮断しにかかっている。
だめだ、108つもカウントできない。
せいぜい10が限界だ。
俺の煩悩は、睡魔という名の巨大な敵に上書きされていく。
カクンッ。
俺の頭が揺れた。
視界がぼやける。
テレビの中の雪景色が、白いモヤになっていく。
「……理太郎」
遠くで、低い声がした。
大きな手が、俺の頭をポンと撫でた。
ごつごつして、少し硬い、溶接ゴリラの手のひらだ。
「……寝ろ」
それだけ。
たった一言。
「……ことわる……俺は……新年を……」
俺はクールに返そうとしたが、口から出たのは「むにゃむにゃ」という情けない幼児語だった。
4.初夢への境界線
気づけば、俺は抱き上げられていた。
浮遊感。
あの男の腕の中だ。
鋼鉄のように硬いが、不思議と安心感がある。
微かに、機械油と蕎麦の出汁の匂いがした。
「あら、落ちた?」
「ああ。……今年は、随分と手強くなったな」
親父の嫁と、あの男の会話が、水の中にいるように聞こえる。
「ほんとよ。いちいち理屈っぽいんだから。……来年は、こっちも理論武装で対抗するわよ!」
「……ふっ。無理だ」
溶接ゴリラが、鼻で笑った気配がした。
「なんですってー!?」
「……あと1分で年越しだ。静かにしろ」
「……ん」
俺は薄目を開けた。
テレビの画面で、秒針が進んでいる。
5、4、3……。
(……待て、まだだ……俺はまだ……起きて……)
2、1……。
ゴーン……。
新しい鐘の音と共に、世界が変わった。
俺の中で、108つの煩悩が、一つの単純な幸福感へと収束していく。
「……あけましておめでとう、理太郎」
親父の嫁が、俺のほっぺたをつついた。
「……今年もよろしくな」
あの男が、ボソリと言った。
俺は答えようとしたが、もう声が出なかった。
ただ、その温かい腕の中で、俺は深く頷いたつもりだった。
……了解した(ラジャー)。
来年も、このカオスで愛すべき部隊で、サバイバルを生き抜いてやろう。
俺の意識は、除夜の鐘の余韻と共に、深い眠りの底へと落ちていった。
初夢はきっと、ハンバーグ味の蕎麦を食べる夢に違いない。
(第5話 完)
『冬の陣』第5話、お読みいただきありがとうございます。
大晦日の夜、睡魔に負けて寝落ちする……誰もが通った道ではないでしょうか。
理太郎の煩悩も、コタツと親の愛には勝てなかったようです。
そしてハンバーグ蕎麦、意外と美味しいのかもしれません(勇気のある方はお試しあれ)。
さて、次回はいよいよ新年!
第6話は『お年玉攻防戦と親戚の襲来』
正月の風物詩、ポチ袋の中身を巡る高度な情報戦(親による管理という名の手数料徴収)と、親戚のおじさんたちへの接待ミッションを描きます。
三が日の更新をお楽しみに!
みなさま、良い年をお迎えください。
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・同級生との恋の予感ならぬ悪寒
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