第2話:聖夜のミッション・インポッシブル(後編)
昨日のイブに投稿した【前編】の続きとなります。
完璧な迎撃態勢を整え、ブラックタイガーの恐怖と戦いながら就寝した理太郎。
深夜2時、ついに「その時」が訪れます。
1.限界突破の深夜2時
深夜2時。
三崎の夜は静まり返っていた。
……はずだった。
「……あ゛……ぶ……ぅ……」
カクンッ!
俺の頭が重力に負け、ガクンと揺れた。
危ない。今、俺の意識はブラックアウト寸前だった。白目を剥いて、あやうくよだれを垂らすところだった。
俺は今、人生最大の危機に瀕していた。
睡魔だ。
5歳児の肉体にとって、深夜2時という時間帯は、大人の三日三晩の徹夜に匹敵する過酷な環境だ。もはや眠いとかそういう次元ではない。脳のOSが強制終了を求めて、けたたましいエラー音を鳴らしている状態だ。
俺の瞼には、見えない鉛がぶら下がっている。意識が泥の中に沈んでいくようだ。
さっきから、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる。
ダメだ……寝るな……本田理太郎……。任務を遂行せよ……。ブラックタイガーの幻影が、瞼の裏でカサカサと動いているぞ……。
その時。
同じ寝室の奥、両親のベッドエリアから響いていた「溶接ゴリラ」こと父・晃の地鳴りのようないびきの調子が、唐突に変わった。
「グガ……グ……ゴ、ゴァ……?」
……ん?
何か、リズムがおかしい気がする。
いつもの重戦車のような安定感がない。どこか必死というか、取って付けたような音が混じっているような……。
だが、今の俺の脳は睡眠不足でバグを起こしており、その違和感を深く追求するリソースが残っていなかった。「新種の無呼吸症候群か?」とぼんやり誤認してスルーしてしまったのだ。
だが、異変はそれだけではなかった。
「グガァ……スピ……グゴォ……」
不自然ないびきを継続させながら、闇の中で巨大な影がモゾリと動いたのだ。
そして。
ズリ……ズリ……。
いびきのリズムに合わせて、影が床を這い、ドアの方へと移動していく。
(……なんだ? 夢遊病か? それともトイレか?)
俺は混濁した意識の中で首を傾げた。普通、トイレに行くならいびきは止まるはずだ。だが奴は、まるで「俺は寝ている」というアリバイを固持するかのように、必死で喉を鳴らし続けている。
ガチャリ。
奴は器用にドアを開け、いびきを残したまま廊下へと消えていった。
……静寂。
(……やはり夢か? それとも、奴はサンタを迎えに行ったのか?)
俺の脳裏に、就寝前に立てた仮説がよぎる。
奴はサンタクロースと裏で繋がっている「手引き屋」である可能性。
今頃、玄関でサンタに「お疲れ様です、一服どうですか」と缶コーヒーを渡しているのかもしれない。
あるいは、サンタのソリが故障して、緊急溶接を行っているのか……? それとも、奴自身がサンタと合体して……。
思考がまとまらない。論理の糸が、睡魔というハサミでプツプツと切られていく。
だめだ、検証しなくては。この目で……。
俺が再び深い闇に落ちそうになった、その時だった。
ミシミシ……ドスッ……ミシミシ……。
廊下から、重い足音が戻ってきた。
推定体重80キロ超。猫やネズミではない。大型哺乳類だ。しかも、かなり足腰が鍛えられているが、隠密行動のスキルは皆無に近い。
来たか、サンタクロース。
心拍数が上がる。
俺は渾身の力を込め、薄目を開けようと試みた。
だが、瞼が開かない。開口率わずか5%。視界がぼやける。ジャスティス・サーチライトに手を伸ばそうとするが、腕が布団に縫い付けられたように重い。金縛りか? いや、単なる爆睡寸前だ。
2.赤き巨人の侵入
ガチャリ。
ドアが開き、巨大な影がヌゥッと入ってきた。
薄ぼんやりとした視界に映ったのは、奇妙な物体だった。
赤い。確かに赤い服を着ている。
だが、その生地は悲鳴を上げていた。広すぎる肩幅と分厚い胸板に対し、規格外の張力がかかっている。
上腕二頭筋が盛り上がり、袖口が食い込んでいる。腹回りはクッションか何かを詰めているのか不自然に膨らんでいるが、胸筋の厚みは本物だ。
まるでプロレスラーが子供服を無理やり着たような、パツパツの筋肉ダルマサンタだ。
顔には白い髭のようなモジャモジャがついている。
だが、俺の視界は限界を迎えていた。
それが北欧の永久凍土で育まれた本物の聖なる髭なのか、それとも100円ショップで売られているポリエステル繊維なのか、区別がつかない。
ただ、頬肉に何かが食い込んでいるのだけは見て取れた。あれは聖なる刻印か、あるいはただのゴム紐か……。
(……なんだ、あの筋肉ダルマは……?)
俺の思考回路がショートしかける。
サンタクロースとは、あんなにフィジカルに特化した存在だったのか? 煙突を登るためというより、煙突を物理的に破壊して侵入しそうな迫力だ。
影は俺のベッドの横に立ち、手にした物体を置こうとした。その動きは、慎重だが、どこかぎこちない。
「……ちっ、髭め」
ボソリと、やけにドスの効いた低い声が漏れた。
どこかで聞いたことがあるような、ないような……。だが、俺の脳は睡眠不足でバグを起こしており、音声データの照合に失敗した。
そして次の瞬間。
グシャッ。
「んぐゥ……ッ!!」
暗闇に、硬質なプラスチックが悲鳴を上げる音と、野太い声が必死に痛みを飲み込むような気配が響いた。俺の瞼はすでに重力に敗北し完全に閉じていたが、その音だけで戦況は手に取るように把握できた。
あの独特の粉砕音……奴は、俺が防衛ラインとして散布しておいた『レゴブロック(角あり)』を踏み抜いたのだ。
だが、連鎖反応はそこで止まらなかった。
ガゴンッ!!
「……ぬぐぉッ!?」
レゴの痛みに耐えきれずバランスを崩した巨体が、あろうことか俺が洗面所から持ち込み、侵入者を迎撃するためにベッドサイドへ設置しておいたプラスチック製の踏み台――通称「指令台」の角に、弁慶の泣き所を強打したのだ。
ダブルコンボだ。
さらに、その衝撃でよろめき……。
ドサァッ!!
「……っきゃぁっ!! ちょ、重っ……! あき……サンタさん、どいて!」
……ん? 今、聞き覚えのある悲鳴と、聞き捨てならない苦情が混じらなかったか?
「きゃぁ」という可愛らしい悲鳴の直後に漏れた、地を這うような「重い」という本音。あの声は間違いなく、我が家の絶対権力者・親父の嫁のものだ。
推測するに、サンタの勇姿を盗撮しようと背後に忍び寄っていた母上が、レゴと指令台のダブルトラップで後退してきた筋肉ダルマの巻き添えを食らい、プレス機のごとく押し潰されたのだろう。
レゴを踏んで悶絶し、指令台で脛を砕き、背後の嫁を道連れに倒れるサンタクロース。
……な、なにを……やって……。 聖夜の使者が……俺の枕元で……夫婦漫才……?
俺は「大丈夫か」と声をかけようとしたが、口が動かない。睡魔が、俺の言語中枢を完全にシャットダウンさせた。
影は「フンッフンッ……」と獣のような荒い鼻息を漏らしながら、痛みに耐えて小刻みに震える手で、何か四角い箱を俺の枕元に置いた。
そして逃げるように、しかしやはりドスドスと部屋を出て行った。
その背中には、哀愁と、任務を遂行した男の安堵が滲んでいた。
ガチャリ。
ドアが閉まる音だけが、遠くで聞こえた。
……夢か、現か。
俺の意識はブラックアウトした。
最後に確認できたのは、「サンタクロースは、意外とマッチョで、少しドジな奴だった」というログだけだった。
3.銀色の封印
翌朝、午前7時。
不覚だ。
普段なら、この時間はすでに朝のパトロールを終え、優雅に麦茶を嗜んでいる頃合いだ。
俺の体内時計は、本来であれば午前5時14分に設定されている。しかし、昨夜の過酷な監視任務(夜更かし)が、俺の精巧なバイオリズムを完全に狂わせていた。
貴重な朝の時間を二時間近くも喪失するとは……。これがミッションの代償か。
俺は重い瞼をこじ開け、ふらつく足取りで、しかし眼光だけは鋭くリビングへ向かった。
昨夜の記憶データと、現実を照合するためだ。
夢現の中で見たあの「筋肉ダルマサンタ」。そして、侵入直前に聞こえた、妙にぎこちない親父殿のいびき。
あれは確か、わざとらしいほどに「寝てますアピール」を含んでいたような気がする。だが、あまりの睡魔に記憶が曖昧だ。夢と現実の境界線が溶けてしまっている。
あれが実在するなら、正体は明白だ。
「おはよーリタくん! メリークリスマス! サンタさん来てた?」
親父の嫁が、白々しいほどのハイテンションで迎えてくれた。
そして、その横。
溶接ゴリラは、いつものように無言で、変わらぬ吸引力でトーストを吸い込んでいる。
……怪しい。
俺は奴の脛を凝視した。そこには真新しい湿布が貼られている。昨夜、何者かが俺の部屋でレゴを踏み、その反動で「指令台」に脛を強打した事実と一致する。
だが、奴の表情は鉄壁だ。微塵も動揺がない。まるで「俺は一晩中、夢の中で溶接をしていただけだ」とでも言いたげな顔だ。
「……確認した。枕元に未確認物体が投下されていた」
俺は抱えてきた袋をテーブルにドンと置いた。
そこには、俺が熱望していた『プラズマ・トリケラトプス』を内包した、夢のギフトボックスが鎮座している……はずだった。
袋から内容物を取り出すと…
「……なんだ、この施工方法は」
俺は絶句した。
箱は、可愛らしいクリスマスの包装紙で包まれている。そこまではいい。
だが、その包装紙を留めているテープが、決定的証拠すぎた。
セロハンテープではない。
銀色の、繊維が入った極厚の粘着テープ。
通称「ダクトテープ」。配管工事や、現場の応急処置に使われる、超強力なやつだ。
しかも、剥がれ防止のためか、4隅がカッチカチに補強されている。
さらに言えば、リボンの代わりに、なぜか配線用の「結束バンド(インシュロック)」が十字にかけられ、ガッチリと締め上げられていた。
「……厳重すぎる」
これは、どう見ても現場の仕事だ。サンタクロースが北欧の妖精なら、ダクトテープではなく魔法の紐を使うべきだろう。
俺はゆっくりと顔を上げ、溶接ゴリラを見た。
奴は新聞から目を離さず、しかしボソッと言った。
「……輸送中に、中身が出たら危ねぇからな」
その「輸送中」というのは、トナカイのソリのことか? それとも、工場のトラックの助手席のことか?
それに、この結束バンドの切り口、やすりで面取りしてある丁寧さは何だ。子供が怪我をしないようにという、過保護なまでの職人魂が滲み出ているではないか。
4.疑惑の判定は持ち越し
俺は、この「限りなく黒に近い灰色」の状況を前に、しばし沈黙した。
昨夜の筋肉ダルマ。脛の湿布。そして、このガテン系梱包。
状況証拠は揃っている。
だが、俺は「お前がサンタだな!」と指を突きつけることを躊躇った。
なぜなら、このダクトテープの端が、少しだけ折り返してあり、「剥がしやすいように」加工されていることに気づいてしまったからだ。
不器用な男が、仕事の合間に隠れて、太い指で必死にテープを折り返している姿。
規格外の筋肉で悲鳴を上げるパツパツのサンタ服を纏い、俺のために抜き足差し足で――実際には全く忍べていない重量級の足音を響かせながら――必死に任務を遂行しようとした姿。
それを想像すると、俺の中に宿る男の矜持が、「今回は見逃してやるか」と囁いたのだ。
「……母上、ニッパーを貸してくれ。このサンタは、少々『現場慣れ』しているようだ」
「あらあら、サンタさんったら、随分とワイルドねぇ」
親父の嫁はクスクス笑いながら工具箱を持ってきた。
パチン、パチン。
結束バンドを切断し、強力なダクトテープをバリバリと剥がす。
ようやく現れたのは、紛れもなく『メカ・ダイナソー プラズマ・トリケラトプス』の箱だった。
「おお……!」
俺は歓声を上げた。クリアパーツが朝日を浴びて輝いている。
ブラックタイガーじゃなかった。
そして、希望通りの品だ。
俺は箱を抱きしめ、チラリと親父殿を見た。
奴は新聞をめくるふりをして、大きく息を吐いたように見えた。その肩の力が、ふっと抜けている。
……やれやれ。バレていないと思っているのか。
甘いな、溶接ゴリラめ。
俺は確信に近い疑念を抱きつつも、その安堵の表情を守るため、あえて気づかないフリをしてやることにした。これが男の優しさだ。
「……サンタクロースに伝えてくれ。『梱包技術は独特だが、安全管理意識はSランクだ』とな」
俺が言うと、親父の嫁が吹き出した。
「わかったわ、伝えておく。……よかったね、リタくん」
「……うむ」
俺はトリケラトプスの箱を撫でた。
侵入者の正体確認。このミッションは、来年のクリスマスまで持ち越しだ。
俺は、剥がしたダクトテープの切れ端を、そっとポケットにしまった。
それは、世界一強くて不器用な、俺専用のサンタクロースが残した、確かな愛の証なのだから。
(第一話 後編 完)
第1話前後編、いかがでしたでしょうか。
サンタクロース(推定体重80キロ、職業:溶接工)の愛と、ダクトテープの強度は本物でしたね。
不器用なりに理太郎の夢を守ろうとする父の姿に、少しでもほっこりしていただけたら嬉しいです。
次回、第2話は年末。『大掃除という名の強制労働』をお届けします。
理太郎が集めた「ゴミ……いえ、宝物」の運命やいかに? 更新をお楽しみに!
もし「笑った!」「筋肉サンタお疲れ!」と思っていただけましたら、
理太郎へのクリスマスプレゼント代わりに、下にある☆☆☆☆☆から評価をポチッとしていただけると、作者も溶接ゴリラも小躍りして喜びます!
(感想もいただけると、理太郎がハードボイルドに返信するかもしれません……!)
「5歳児なのにハードボイルド」
「最強の母と無口な父」
「三崎の港町でのスローライフ(?)」
そんな彼らの日常をもっと見たい!と思ってくださった方は、ぜひAmazonで発売中の合本版『俺の親父の嫁』をご覧ください。
本編「俺の親父の嫁」では、
・砂場での宿敵との戦い
・同級生との恋の予感ならぬ悪寒
・理太郎が父の職場(造船所)に潜入して見た「男の背中」
・台風の夜、家を守るために戦う「溶接ゴリラ」の勇姿、
・理太郎の迷子、他
笑って泣けるエピソードを多数収録しています。
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