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前編

久しぶりに新しい作品を書きました。

楽しんで読んでくださると嬉しいです。


ヒロインが、ヒーロー以外の相手に思いを寄せている場面が少し長めなので、苦手な方は回れ右してくださるようお願いします。

ちゃんとのちほど甘くなります。^-^



「遅くなってごめんね」


そう詫びる言葉を口にしながら、店の奥の席に坐っている人に近づいていく。

その人の前にはグラスが一つ。

まだ料理は頼んでいないらしい。


「今日は飲まないの?」


いつも飲んでいるエールとは違うグラスの中身をちらっと見て私が云うと、彼は曖昧に微笑んだ。

向かいの席に坐って、私もベリージュースを頼む。

メニューを見てあれこれと料理を注文して、私の飲み物が来るとカチンとグラスを合わせた。


「久しぶりだね」

「ああ」

「珍しいね、ゼインが声をかけてくれるなんて」


私がそう云うと、ゼインは少し顔を強張らせた。

切れ長の青い瞳が少し眇められる。

何か気に障ることを云ったのかしら…?

ほんの少し生じたそんな思いは、久しぶりに同じテーブルを囲める喜びにすぐに消え去ってしまった。

()()()()で、ずっとゼインに声をかけるのを躊躇っていたけれど、昨日聞いた話ではそれとは関係なく、ゼインに会える状況ではなかったらしい。

まずはその話からと思い、私が口を開く。


「…サルーダの森に討伐に行っていたのだってね」

「ああ」

「大規模な討伐で大変だったって……そうなの?」

「…サルーダに魔獣が出たのは初めてのことだからな。できることなら、根絶やしにしておきたいんだろう」

「知らなくてごめんね。そんな討伐に行くのなら、ミリアたちとちゃんと送り出したのに……」


私の言葉に、ゼインの青い瞳が少し見開かれる。

彼は、人一倍仲間のことを守ろうとするくせに、その仲間が彼のことを気にかけているとは思っていない節がある。

誤魔化すようにグラスを傾けたゼインが、ふと思いついたように云った。


「討伐の話…誰から聞いた?」

「訓練所の衛兵のダレルさんとか…ハロルドさまとか……」


昨日、ハロルドさまにお会いした時、こちらが挨拶する前に、「サルーダの森の討伐から帰ったばかりで、ざわざわしていて申し訳ありません。大規模な討伐だったのでまだ片付かなくて」と断りを入れられのだ。

が…。

ハロルドさまの名前を出した途端、グラスを握るゼインの手がピクリと動く。

ほらね。

やっぱり、ゼインは本当に仲間思いだ。



◆◆◆



ゼインと私——エメリア——とは、幼馴染で孤児院育ちだ。

私は王都にある孤児院の前に捨てられていたと聞いた。

籠の中でおくるみに包まれて、私たちが育った孤児院の玄関先に置き去りにされていたらしい。

籠の中に「エメリア」と書かれた紙があって、それが私の名前になった。

ゼインが孤児院に来たのは、私が七つくらいの頃だったと思う。

正確にいつゼインが来たのかはよく覚えていないけど、来た時のことはよく覚えてる。

黒い髪の綺麗な顔立ちの男の子は身体中に傷があって、私よりも小さくて細かった。

左頬にもナイフで斬られたような傷があり、誰が話しかけてもビクッとして、拒むように視線を合わせない。

部屋の隅で人を避けるようにしているゼインに、ある時私は近づいた。

傷の手当てをしようとすると暴れるので、なかなか治らない傷があまりに痛々しく見えたからだ。


子どもの私にはそこまで警戒していなかったのだろう。

暴れたり逃げる様子もなく、ゼインは近づいてきた私の視線を避けて体の向きを変えただけだ。

そうすれば恐がって逃げるとでも思ったのか、傷のある左頬を晒しているのは私には好都合だった。

私はそのまま、無言で近づいて彼の頬に手を当てた。

その傷は引き攣れ、ちゃんと手当もしないので膿みかけていたのだ。


「! な…何を…」


声を上げるゼインに、唇に指を立てて「しーっ!」と声をかける。

私の掌が光だし、手で口を覆ったゼインの目が見開かれた。

光が消えて手をどけると、うっすらと跡が残るものの、ゼインの傷はほぼ完全に治っていた。

でも傷は残っちゃうな…せっかく綺麗な顔立ちなのに、と残念に思ったことを覚えている。

傷は相当痛んだのだろう。

呆気に取られたような顔で、ゼインは何度も傷のあった頬を触っていた。

私は構わず、他に見えるところの酷そうな傷に手を当てていると、クラリと目眩がした。

恐らく魔力切れを起こしかけていたのだろう。

でもゼインの傷が痛々しくて、私は黙っていられなかったのだ。


「あら、まあ! エメリア!」


不意に後ろから声が上がり、シスター・マーサが顔を覗かせた。


「エメリア、魔力があったのね! どうして黙っていたの?」


ゼインの治りかけの傷と私を交互に見て、シスターは私に問いかけた。

見つかってしまった……。

上手く隠しているつもりだったのに、つい夢中になってしまった———

その時の私は頭が真っ白になって、どう誤魔化そうか…ということばかり考えていたように思う。

魔力があると判ると、ここから出なければならないかもしれない。

シンデン、というというところへ連れて行かれて、シュギョウという何か難しいことをさせられるらしい…と、私は誰かが話しているのを聞いて知っていたからだ。


黙っている私に、シスターは優しく微笑みかけた。


「いいわ、エメリア。話したくないなら、話さなくてもいいのよ。でもね、魔力があると判ったら、調べていただかなくてはいけないの。判るわね?」


そう云って、シスターは私の頭を撫でた。

これはもう諦めるしかない…。

シンデンに連れて行かれちゃうかもしれないけど……仕方ない。

ふと私が目線を上げると、泣きそうな顔でこちらを見ているゼインがいた。

きっと自分のせいだと思ったのだろう。

酷い傷がいくつもあって、痛い思いをしていたゼインの方が辛いのに。

だから、私はゼインに笑いかけた。

あなたのせいじゃないからね、という気持ちを込めて。

ゼインは、ちょっとびっくりしたように目を瞠った。


でも、私の心配は杞憂に終わった。

私の魔力量はそれほど多くなく、シンデンというところへは行かなくて済んだからだ。

傷を治すことができるのは光という名前の魔法だと教えてもらい、もう少し大きくなったら治療院というところで色々と教えてもらうように、と云われて帰ってきた。

当時の私は云われたことの半分も理解していなかったけれど、一緒に行ってくれたシスター・マーサは「光魔法が使えるのはすごいのよ」と褒めてくれて嬉しかったことは覚えている。


それから、ゼインは少しずつみんなとも打ち解けていった。

あとで聞いたら、ゼインは本当は私より一つ年上だった。

私より小さくて痩せていたから、てっきり年下だと思ってたけど…。

ご飯がもらえなかったり、殴られたり蹴られたりしていた…とシスターたちが話しているのを聞いたけど、ゼインはそのことを話したくないみたいだった。

だから私も聞かなかった。

孤児院にいる子は親に捨てられたり、死に別れたり色々だから。


孤児院でもお腹いっぱいに食べられることは多くないけど、ゼインはみるみる元気になって細かった体も肉がついて、背も伸びた。

どれだけ食べさせてもらえていなかったのかと思う。

左頬の傷は残ってしまったけど、ゼインはすごく整った顔立ちをしていた———私や他の女の子たちよりずっと。

だからゼインは、孤児院の女の子たちからすごく人気があった。

でもゼインは男の子たちばかりと連んでいて、話すのは私と女子の中で面倒見のいいミリアくらい。

たくさん喋る方ではないゼインはどこか落ち着いた雰囲気があって、小さい子の面倒もよく見ていたっけ。

同じところで育ったみんなは仲間だし、はじめにゼインの傷を治したこともあって、ゼインと私は孤児院の中でも仲の良い方だと思う。


孤児院にいる子は、12歳になるとそろそろ将来の職業に向けて下準備を始める。

この国の成人は16歳で、孤児院を出なければならないからだ。

最低限の読み書きは、孤児院で教えてもらっているけど、受け入れてくれる店や場所へ、手伝いをしながら学ばせてもらうことになる。

もちろんお給金は出ない。

その代わり、知識や技術を学ばせてもらうのだ。

私は以前云われた通りに、日中は街の治療院に行き、手伝いをしながら治療師さんから色々と教えてもらうことになった。

ゼインも12になると、騎士見習いになるために騎士団に通いはじめていた。


ゼインは普通の子どもが3年かかるところを2年で騎士見習いとなり、孤児院を出て騎士団の宿舎に入った。

とはいえ、休みの日には孤児院によく顔を出していたので、そんなに寂しいと思うことはなかったけど。

私も日中の治療院では覚えることも多く、帰ったあとの孤児院でも下の子の面倒を見たり、夕飯の調理を手伝ったり忙しい毎日だった。


成人して孤児院から出て、町で暮らしている仲間も多い。

全員と仲がいいわけでもないけど、ゼインや彼と同い年で面倒見の良いミリア、私と同い年で同時に孤児院を出て自活を始めたブレットと一緒によくご飯を食べたり、飲めるようになったらお酒を飲みに行くようになった。

ゼインは騎士となり、ミリアは花屋の店員、ブレットは理髪師になった。

私はもちろん、治療院で治癒師として働いている。


治療院は基本、物理的に怪我や病気を治すところだ。

治癒魔法で治してもらう、大きな怪我や病気は神殿に行く必要がある。

治療院で治癒魔法が使える人は、私の他には院長先生とマイヤさんという壮年の女性だけだ。

けれどマイヤさんも私もそれほど魔力量が多くないため、物理的に治すのが難しい毒や、重い怪我などの時に呼び出されて治療する。

あと、貴族の方がお忍びで治療に見えた時にも。

神殿で治療してもらうと、治療に行ったことが知られやすいため、平民のふりをして治療にいらっしゃるのは特に貴族の令嬢だった。

だから私が治療に携わるのはそう多くなく、いつもは院で処方する軟膏や薬に魔力を込めて作っていることが多い。


傷を治す軟膏と、薬草から作る、魔獣から受けた毒や麻痺を軽減する薬などは騎士団へも納品している。

治療院で働き始めて一年ほど経った頃、私はマイヤさんに連れられて薬の納品に騎士団の訓練所へ行くようになり、やがて月に何度か、一人で納品しに行くこともあった。

薬の納品のために騎士団に行くことは、私の楽しみの一つだった。

騎士団副団長補佐のハロルドさまにお会いできるからだ。

初めて納品に行った時にお会いして、彼は薬品などの管理を担当されているというお話だった。

騎士とは思えないほど優しげで、優美な顔立ちに最初はぼーっとしてしまった。


「ちょっと…エメリア!」


隣でマイヤさんに小突かれて、ハッとする。


「あっ…あの、エメリアと申します。よ、よろしくお願いいたします」


慌てて頭を下げる私に、優しい声が降ってくる。


「顔を上げて、エメリア嬢」


云われるままに顔を上げると、ハロルドさまはにっこりと笑った。

灰色の瞳が、優しげに細められる。


「こんな可愛い子が薬を配達してくれるなんて嬉しいですね。よろしく」


かっ…可愛い? 可愛いって云われた…!

云われ慣れてない言葉に、頬に熱が集まってくるのを感じる……。


「もうっ、ハロルドさま、ダメですよ! エメリアは初心な子なんですから!」

「ははっ、悪い、悪い。別に揶揄った訳じゃないですよ。本当にそう思っていますからね」


ハロルドさまとマイヤさんがそんなやりとりをしていたのも、初めて云われた言葉が嬉しくて恥ずかしくて、私は気がつかなかった……。




それからすぐに、四人で一緒に街中の食堂でテーブルを囲んだ時、私はすぐにゼインに食いつた。


「ねえ、ゼイン! ハロルドさまのことを教えて!!」

「あ? ……ああ…」


私の勢いに目を瞬いたゼインに、ミリアがくすくすと笑った。


「エメリアったら、騎士団の訓練所へ薬の納品に行った時、ハロルドさまに『可愛い』って褒められたんだって」

「ミリア〜〜〜っ…」

「だって…仕事終わりにエメリアが飛び込んできて、頬を紅潮させて話すのが本当に可愛かったんだもの!」

「ふーん…」


胸の前で両手を組んで、こうだったのよ! と身振りで示すミリアに、男二人は面白くもなさそうに相槌を打つ。

確かに、ハロルドさまのような素敵な方に『可愛い』と云われたことがずっと嬉しくて、ついミリアに報告しに行ってしまった。

熱を持った頬を両手で押さえて、私は俯いた。

———恥ずかしい…。


私の知らないところで目線が交わされたらしく、溜息が一つ聞こえてきた。

目線を上げると、ゼインが仕方ない、という風に話し出す。


「ハロルド副団長補佐は、出自は庶民だけど、いずれ騎士爵を叙されるだろうと云われている。年は23歳。婚約者は…判らないな。俺たちのところヘまではそんな噂は流れてこない。けど、女性には人気がある。あれだけ整った見た目だからね。しかも、剣を持たせると騎士団の中でも五本の指に入ると云われている」


淡々とハロルドさまの情報をくれるゼインに、私は目を瞠った。

下らない…と云われてゼインは渋るだろうと思っていたのに。


「有難う、ゼイン! また教えてね!」


私が笑顔でゼインにお礼を云うと、「仕方ないな」とゼインも笑ってくれた。

やっぱり、ゼインは本当に仲間思いだ。

ハロルドさまは女性に人気がある……。

ゼインの云ったことを当然だと思いつつ、チクリと胸が痛んだ。

でも…いいんだ。

ハロルドさまのような素敵な方が、私みたいなちっぽけな存在に本気で気持ちを向けてくださることなんてないだろうけど、私が勝手に思っているのは自由だから。


自分の気持ちが落ち着いたところで隣のミリアに目を向けると、ちょっと恥ずかしそうに頬染めたミリアが、向かいに坐るブレットにちらちらと目線を向けていた。

ブレットもどことなく照れたように、ミリアを見返している。


「ん?」


いつもと違う雰囲気の二人に私が声を上げると、意を決したようにブレットがコホンと咳払いをする。

ゼインは気のないようにエールを煽っていた。


「あのさ…俺たち———俺とミリア、付き合うことになったんだ」

「ええええ〜〜〜〜っ!」

「五月蝿いよ、エメリア」

「だって…」


照れくさそうなブレットの発言に私が素っ頓狂な声を上げると、エールのジョッキをテーブルに置いてゼインが私の方を向いて静かに云った。

だって…と云ったあと、私は手で口を塞いだ。

私の様子をちらりと見て、ゼインがブレットに声をかけた。


「おめでとう……漸くだな」

「おう、有難うな」


ゼインの言葉に、ブレットが頭を掻きながら応える。

でも、その言葉に何か引っ掛かりを覚えた………漸く?

私だけ何か理解していないようで、三人の顔を順に見比べると、ブレットとミリアが顔を見合わせてブレットが頷いた。


「あのさ、エメリア…実は俺、ずっとミリアのことが好きだったんだ」

「え…そ、そうなんだ…」

「うん」


兄弟のように育った仲間の告白に、自分が好きだと云われたわけでもないのに、なぜかこっちが赤くなってしまう…。

パタパタと熱を逃すように手で顔を仰いでいると、ゼインがあきれ顔で云った。


「気がついてなかったのは、エメリアくらいだ」

「えっ…そうなの?」


そう云ってミリアを見ると、恥ずかしそうに頬染めたミリアがそっと云った。


「だって……私は年上だし……」

「だから! そんなの関係ない、って云っただろ!」


猛然と言い返すブレットに、ミリアは嬉しそうに微笑んだ。


「うん…ありがと」


うわぁ……ミリアが恋する乙女そのものだ。

いつも私たち年下の子を気にかけてくれて、面倒見の良いお姉さんのような存在なのに、頬染めてブレットに向ける眼差しで、ミリアもブレットが好きだと判る。


「! ミリア! 良かったね〜〜〜〜っ!」


私はそう云って、ミリアに抱きついた。

「きゃっ」と云って抱きとめてくれたミリアに嬉しくなって、私はぎゅうぎゅうとミリアに腕を回して抱きしめる。

本当に良かった!

私たちのために、ミリアはいつも何か我慢してるんじゃないかと思っていたから、ミリアが心から愛して頼れる人と付き合うことになったのは、自分のことのように嬉しい!

それがブレットだったっていうのは、ちょっと意外だったけど。

だってブレットは割と飄々としていて、誰かにそんなに思い入れがあるタイプには見えなかった。

だから、ミリアのことをずっと好きでした…みたいに一途だったなんてかなり意外だ。

そのブレットは、手先が器用だからとさっさと理髪店に手伝いに出かけ、今やご指名をたくさんいただく人気理髪師だったりする。


「おい、抱き合う相手が違うんじゃ…」

「暫くこうだろ。諦めな」

「えー……」


私とミリアが抱き合ってきゃあきゃあ云ってる間に、男二人がそんな会話をしていたなんて知るよしもなかった……。



◇◇◇



それからも、納品に訓練所へ行くたびに大抵はハロルドさまが対応してくださった。

その度に優しい言葉をかけてくださるハロルドさまへの思いを募らせて、ゼインに話を聞いてもらった。

もちろん、それからも四人でテーブルを囲むことはあったけど、恋人同士になったミリアとブレットを頻繁に誘うのは気が引けて、ついつい誘いやすいゼインに声をかけることが多くなった。

場所も街中の酒場から、街の外れのこぢんまりとしていて雰囲気の良い、お酒も出す食堂を見つけて、そこがいつもの場所になった。

街中と違って人も多くないから、私たちを知る人たちもいなくて気が楽だ。

騎士には遠征などの仕事もあるから、誘いたくても誘えない時もあったけど、時間さえ合えばゼインは嫌な顔せずに付き合ってくれる。

そして大半は、私がハロルドさまの話をゼインから聞き出すか、納品の時にお会いした彼がどんなに素敵だったか、という話を私がすることが多かったけど……。


そんな日々が一年ほど続き———

私はゼインから、昇格試験に合格したハロルドさまが騎士団副団長になられることを聞いた。

騎士団の副団長になると、騎士爵が叙されるらしい。

出世なさるハロルドさまを祝福したい気持ちと、そうなると納品の時にはきっともうお会いできない、と暗く沈んだ気持ちが綯交ぜとなって、私は暫し言葉もなく顔を俯けた。


「エメリ…」

「あ……ハロルドさま、出世なさっておめでたいね!何かお祝いを……あれ?」


声をかけてきたゼインに、できるだけ明るく応えたつもりだったのに、パタパタと目から雫が落ちてきてしまった。

だって……。

ただでさえ、遠い人だと、手に届くはずのない人だと判っていたのに……。

ほんの時々、納品の時にお会いできれば幸せだと思っていたのに、いつの間にか私は少し欲張りになっていたみたいだ———


「ご…ごめん」


ゼインが怒ったような顔をしていたから、彼に謝って、壁の方を向いて涙を隠そうとした私に、ゼインは私の腕を掴んで彼の方を向かせた。

思いがけず、真剣な青い瞳がこっちを見つめてる。


「我慢するな。泣きたい時は好きなだけ泣けばいい」


ゼインの言葉にびっくりして、一瞬涙が引っ込んでしまった。

そんな優しい言葉をかけてくれるなんて———

怕い顔をしていたゼインは、怒っていたわけじゃないのかもしれない……。

でも、そんなの不意打ちすぎる———


一瞬止まった涙は、また流れ始めてしまった。

でも、今度の涙は温かい涙だ。


衣擦れの音と人の動く気配がしたので振り返ると、ゼインが私の隣に移動していた。

私に背を向けて自分は店の中を向き、テーブルに頬杖をついたゼイン。

気がなさそうに、静かにエールを傾けている。

きっと、泣いてる私を隠してくれてるんだ……。

そう思うと、ゼインはいつもそうやって仲間を思いやる人だと思い出す。


「えへへ…。ゼイン、ありがと」


私がゼインの背中にそう声をかけると、身じろぎしたゼインはそのまままたエールを煽った。

私の方を振り向かないまま、呟くような声だけが返ってくる。


「エメリア……俺……」

「……え?」

「いや……」


何か云いかけたゼインの言葉は、そのまま途切れてしまった。

私は有難く、ゼインの好意に甘えさせてもらった。

半分は本当に悲しい涙だったけど、半分は優しくしてもらった温かい涙だったと思う……。




その数日後。

本当のショックがやってきた———


治療院で、院長先生とマイヤさんが話しているのを偶然聞いてしまったのだ。

私が院の廊下を歩いていた時、院長室の扉が薄く開いているのに気がついた。

閉め忘れたのかな、と思っていると院長先生の声が聞こえてきた。

耳に入ってしまった名前に、思わず私は立ち止まってしまう。


「ハロルド殿は、本当に嬉しそうでしたな」

「ええ。副団長になられて、これで漸く愛しの婚約者様とご結婚できるのですもの」

「二年か……」

「婚約者の子爵令嬢様も、よくご辛抱なさいましたね」


———ハロルドさまが…………結婚?


ハロルドさま、婚約者の方がいたんだ………。

そんなことも知らないくらい、ハロルドさまのことを何も判っていなかった———

頭が追いつかないうちにすぐ側の扉が大きく開き、にこやかな笑顔で部屋から出てくるマイヤさんと思わず目が合った。

私を見たマイヤさんは、驚いたように目を瞠って足を止めた。


「どうしたんだね?」


部屋の中から院長先生の声がする。


「いえ、別に…」


マイヤさんはそのまま部屋を出て扉を閉めると、私の顔を見て眦を下げ、固まっている私の肩に手を置いて「いらっしゃい」と促した。

心臓はドキドキといつもより早いくらいなのに、その心臓は氷でできていているように冷たく感じる———

マイヤさんはいつも休憩に使う部屋に誰もいないことを確認すると、私にそこへ入るように合図して自分も中へ入った。


「エメリア……貴女がハロルド様を慕っていたことは知っていたから……こんなに急に伝えるつもりじゃなかったのよ」


すまなそうに眦を下げるマイヤさんに、顔に熱が上がってくるのを感じる。


「…ご存知だったのですか」


絞り出すような声になってしまった。

自分の声なのに、自分の声じゃないみたいに聞こえる。

マイヤさんは一つ頷き、慈愛に満ちた眼差しを向けた。


「上手く隠していたから、私以外に気づいてた人はこの治療院にはいないと思うわ…………エメリア、今日はもう帰りなさい。院長には、私からうまく云っておくわ」

「……有難う…ございます…」


私はマイヤさんに一礼して、部屋を出たその足で治療院をあとにした。

部屋へ帰るより、自然と私の足が向かったのは———ミリアの勤めるお花屋さんだった。


「ミリア……!」

「エメリア! どうしたの!?」


百合の花を手に、驚いたように立ちすくむミリアの胸の中に、私は堪えきれずに飛び込んだ。

ミリアの顔を見た途端に、涙が溢れて止まらなくなってしまった。

驚いた様子の店主の男性が飛んできて、状況を把握すると、ミリアに「仕方ないね」と云って休む時間をくれた。


「……ごめんなさい。急に押しかけて、こんな………」

「ううん、いいのよ。私、このままお休みもらうから、私の家にいらっしゃい」

「え、でも…そんな……」

「このままエメリアを一人にしたくないの。今夜は女二人でお話ししましょう……ね?」


ミリアの言葉に、新しく涙が溢れてくる。

私はこくん、と頷いた。

ミリアの手が、優しく背中を摩ってくれていた……。



その夜、ミリアに話しながら私はたくさん泣いた。

叶わないと思ってた。

遠い人だと思ってた。

だけど、お会いして優しい笑顔と言葉をかけていただくとそれだけで幸せで……。

ついつい欲張りになりそうな気持ちに、云いきかせていたつもりだったけど……。


ミリアは温かいお茶とお手製のミルククッキーを振る舞ってくれて、私が話すのを静かに聞いてくれていた。

その夜は、ミリアの部屋に泊まらせてもらって、翌日はそこから治療院に出勤した。

どんなに水で冷やしても目は腫れぼったいし、心も重いままだけど、出勤して忙しくしていると不思議と体は動くし、深い考えに沈む時間もない。

翌日の出勤の時の服は、ミリアが貸してくれた。

「前からエメリアにあげようと思ってた服だから、返さなくていいわ」と云いながら。


悲しい気持ちはなかなか癒えないけど、あの日にミリアの部屋でたくさん泣いたからか、自分で思うよりも早く立ち直れてきていると思う———




「ゼインには話したの?」


ある時、ミリアに聞かれて、私は首を振った。

驚いたように軽く目を見開いたミリアは、それでもそれ以上は何も云わなかった。

あんなに私の話に付き合ってもらったのに。

でも———どんな風に話せばいいのか判らない。

それに騎士であるゼインは、きっともうハロルドさまのご結婚の話は聞いているはず。



ゼインには会いに行けないまま、私はそれでもハロルドさまに何かお祝いを贈ろうと考え始めていた。

ハロルドさまにはたくさんお世話になった。

そのお礼を伝えて、お祝いをお渡しして、そして私は自分の気持ちに区切りをつけようと思ったのだ。

ミリアに相談しつつ、何を送るのがいいのか一生懸命考えた。



◇◇◇



「エメリア嬢、今まで有難う」

「は…はい。ハロルドさま、本当に色々とお世話になって有難うございました」


久しぶりにお会いしたハロルドさまは、変わらない優しい微笑みを浮かべていらした。

薬を納品するためにお伺いした私は、後任者へ諸々の引き継ぎを済ませたので最後の挨拶です、というハロルドさまに、恐る恐る用意したプレゼントを差し出した。


「…これは?」

「ほんの少しですけれど……今までお世話になりましたお礼というか、ご結婚のお祝いです」


大きさの割には重みのある包みを手に取って、ふむ、と考えられたハロルドさまは私の顔を真っ直ぐに見て口を開いた。


「…開けても良いでしょうか」


思いがけない言葉にびっくりしつつ、私は頷いた。

もしかしたら使い方がわからないかもしれないと心配していたので、返って好都合だ。

丁寧に包みを開き、ハロルドさまは中から木製の小箱を取り出した。

木製の割には重い小箱を測るように手の中で感触を確かめると、ハロルドさまは視線は小箱に向けたまま口を開いた。


「これは…?」

「おるごうる、というものです」

「おるごうる……」


口の中でハロルドさまが呟くのを聞いて、やはりご存知ないか…という気持ちが強くなる。

先日、街に出た時に時計屋の店先で見かけ、店主のお爺さんに聞くと、仕事の合間の手慰みに作ってみたもので、商品として出そうかどうか考えている最中だという話だった。

滑らかな木製の箱には貝と海鳥が細工されていて、一目で気に入ってしまった私は、お爺さんに事情を説明して譲ってもらったのだ。

お祝いなら金銭は受け取れない、というお爺さんに、対価を受け取ってもらわないとお祝いにならない、と説得して。


一見、小ぶりのジュエリーボックスのようにも見える小箱の蓋を開け、ハロルドさまは私に視線を向けた。

私は一歩近づき、手を出して小箱を受け取ると、箱をひっくり返して底に折り畳まれていたネジを巻く。

ハロルドさまに向けて小箱の蓋を開けると、音楽が流れ出した。

ハロルドさまは軽く目を見開いた。

流れている音楽は、この国の者なら知らない者はいない優しい子守唄だ。

ハロルドさまが顔を綻ばせて口を開いた。


「エメリア嬢、珍しいものを…感謝する。」

「いえ…あの、これもよろしければ……」


見えないように、大きめの袋に入れておいた花束をハロルドさまに渡した。

ミリアが心を込めて作ってくれた花束だ。

オレンジのガーベラとピンクのラナンキュラスが中心の可愛らしい花束に、ハロルドさまは今度は大きく目を見開いた。


「これを…私に?」

「あ、いえ。こ、婚約者さまにです。お祝いだとお伝えください」


ああ、と呟いて、ハロルドさまは微笑んだ。

ハロルドさまの婚約者の方は、喜んでくださるだろうか…。

———この微笑みが、大好きだった……。


本当は、親友が心を込めて作ってくれた花束です…ということもお伝えしたかったけど……。

もう私には、お渡しすることだけで精一杯だった。


「…有難う。エメリア嬢」

「こちらこそ、今まで本当に有難うございました」


私は頭を下げ、そのままハロルドさまのお顔は見ずに部屋を出た。

あれ以上居たら、泣いてしまいそうだったから。


部屋を出たところで、少し離れた廊下の陰に、壁に背を預けている騎士がいることに気がついた。

暗がりで顔は見えなくても誰だか判る———


「ゼイン…」


ほんの小さな呟きだったのに、彼には届いたらしい。

こちらに視線を向けたゼインが、体を起こして近づいてきた。


「ゼイン…あの、ごめ…」

「エメリア…」


もっと早くに会いに行って謝ろうと思っていたのに、ゼインが心配そうに見下ろしてきたのが判って、私は唇を噛んだ。

涙が溢れそう……。

でもこんなところで泣いたら、ゼインを困らせる———

私は唇を噛んで涙を堪えた。


「エメリア?」


返事をせずに、視線も上げない私を心配したのか、ゼインの声が降ってきた。


「ミリアから聞いたよ。副団長にお祝いを贈るって」


漸く私が顔を上げると、気遣わしげなゼインが見下ろしている。


「今…お渡ししてきたよ」

「…………エメリアは大丈夫?」

「うん…何とかね」

「そうか…」


まだゼインの眉間の皺が戻らない。

私は笑って見せた———上手く笑えたかは判らないけど。


「ゼインも色々と有難う」

「いや…」


不意にゼインが真面目な顔をした。


「明日…会えないかな?」

「明日? いいけど…」

「じゃあ、いつもの店で」

「うん…わかった」


ゼインは踵を返して歩き出し、二、三歩進んだところで振り返った。


「待ってる」

「うん」



◆◆◆



そうして、私は今ここにいる。

漸く料理が並び、私たちはもう一度カチンとグラスを合わせた。

いつもいくら飲んでも酔わないゼインは、珍しいことに今日は飲まないことにしたらしい。


「ここのお料理はいつも美味しいね! 勤労あとの胃に染みる…!」

「そうだな…」


私は目の前の、蒸したチキンを割いて和えてあるサラダを突つきつつ、ゼインに話しかける。

ドレッシングが絶品で、サラダはいつもこれを頼んでしまうのだ。

メインはローストビーフとラムのハーブソテーを、其々のお皿に取り分けていただく。

付け合わせとして供された蒸し野菜のディップも美味しい。

本当に、ここの店主は料理上手で、お酒や会話を楽しみに来るお客さんもいる傍ら、純粋に料理を食べにやって来るお客さんも少なくないのは頷ける。


お腹が空いていた私たちは、ろくに話もしないまま食べ進めた。

その間にゼインは飲み物をお代わりする。

私はすぐにお腹がいっぱいになり、ベリージュースからハーブティーに切り替えてゼインの食べっぷりを眺めていた。

騎士の割には細身に見えるゼインは、昔のことが嘘のように本当によく食べる。

食堂なのに、これも店主の趣味でハーブティーの種類も多い。


人心地ついたのか、満足の溜息を吐いたゼインは、空いたグラスを給仕をしている店主の奥さんに手渡した。

笑顔でグラスを受け取った奥さんは、何も云わず、笑顔だけ残して去っていく。

私もハーブティーを啜りながら、食後のまったりした雰囲気を楽しんでいた。

今日の午後は、マイヤさんに頼まれて、日付の古くなった軟膏や薬に魔力を込め直していた。

魔力を込めた容器に日付のラベルを貼り替え、種類別に並べられている棚に置き直す。

日付を確認しながらの細かい作業で思ったより時間がかかってしまい、今日は治療院を出るのが遅くなってしまった。

食べ終えたのは夕食の時間もとうに過ぎたころで、周りに人もいなくなっている。

不意に、ゼインは真剣な顔をして私に向き合った。

いつにない雰囲気に、私は落ち着かなくなり先に口を開いた。


「…どうしたの、ゼイン。何かあった?」

「エメリア」

「え?」

「俺じゃダメか」

「え?」

「エメリアのことが好きだ……たぶん、子どもの時から」

「えっ!」


突然の告白に、頭が真っ白になって固まった。

そんな私の様子に、ゼインがちょっと苦笑する。


「そんな反応じゃないかと思ってた。副団長のこともあるし、今云うのは卑怯かもしれないけど………云わないで後悔したくないんだ」

「…好きって………その……」

「男として、ってことだ。エメリアのことを誰よりも大切に思ってる」


ボボボボッ…と、音がするかと思うくらい、顔に熱が上がってくるのを自覚する。

ゼインの顔を見ていられなくて、赤くなった頬が恥ずかしくて私は俯いた。

———ゼインが私を………好き……?

考えてもみなかった。

だってゼインは一緒に育った孤児院の仲間で、恋愛感情なんて———

でもそういえば、ミリアとブレットも孤児院で育った仲間同士で恋人になったのだっけ…。

現実逃避するように、違うことに意識が向かいそうになる……。


「私……あの…」


何か云わなくちゃ…と思うのに、何も言葉が出てこない。


「エメリア……困らせたい訳じゃないんだ」

「うん…」


ゼインの気遣うような口調。

どんな顔をして良いのか判らずに、まだ顔は上げられなかった。


「でも俺にもチャンスが欲しい」

「…チャンス?」


その言葉に思わず顔を上げると、真摯な青い瞳がじっと覗き込んでいた。


「エメリアの隣にずっと居られる権利が欲しい。エメリアの嫌がることは絶対にしない、って約束するから」

「……ゼイン…」

「エメリアは何もしなくていい。俺がエメリアを甘やかして、気持ちを知って欲しいだけなんだ」


乞うように話すゼインに、私はただ驚いていた。

こんなゼインは初めてだ。

今まで知ってる穏やかなゼインとは別人のように、青い瞳の奥に揺らめく熱が感じられる。

瞳の奥の炎に当てられながら、私はふと気がついてしまった。


「ゼイン」


私の呼びかけに、ゼインは口を閉じた。

私の言葉を待ってくれてるみたいだ。


「ごめんなさい」

「……」


ゼインに頭を下げる。

罪悪感でゼインの顔を見られず俯いたまま、私は続けた。


「ゼインの気持ちも知らないで、ハロルドさまのこと………嫌、だったでしょう…?」


何も言葉が返ってこないのは、やっぱり凄く嫌だったってことなのかな…。

でも少しして、聞こえてきたのは長い溜息だった。


「………良かった」

「えっ?」


驚いて顔を上げると、もう一度溜息を吐いて髪をかきあげるゼインがいた。

今までそんなこと感じたことがないのに、その仕草がとても艶っぽく感じられて、私の心臓がどきりと音を立てた。


「…心臓が止まるかと思った。エメリアの『ごめんなさい』は、俺の告白に対してかと……」

「違うよ! 私、ゼインの気持ちを知らなかったとはいえ、無神経だったな、って…」

「…それはいいんだ。本当は、エメリアが誰を思ってもずっと支えて、守って行こうと思ってたから。ただ……俺もごめん」

「え?」


私は目を瞬かせた。

ここでゼインに謝られる心当たりは何もない。

それに何か凄いことを聞いた気がする。

でもゼインの眦が下がり、申し訳なく思っている気持ちは伝わってきた。


「はじめ、副団長の婚約者のことは知らない、と云っただろう? あのあと…副団長になったら結婚する予定の婚約者がいることを知ったんだ。でも、エメリアにはどうしても云えなかった……」

「そう…」

「ごめん…俺の方こそ最低だ。エメリアが傷つくのを知ってて、何もしなかった。本当にごめ——」

「ゼイン、いいよ」


私に向かって頭を下げそうな勢いのゼインに、私は言葉で遮った。

ゼインは下げかけた視線を私に向け、目を瞠っている。


「その……たぶんだけど……きっとゼインは凄く悩んでくれたんでしょう? ゼインのことだから、私が傷つかないように…って考えて云えなかったのかな、って。だから———」


ゼインが考えそうなことを推測して言葉にした。

だって、彼は絶対に私をわざと傷つけるようなことはしない。

それだけは信じられるから。

見開かれた青い瞳が徐々に嬉しそうに細められたのに気がついて、今度は私の言葉が途切れた。


「…好きだ、エメリア」

「えっ……ええっ!」


またも急に熱が上がってくるのを感じて、私は目を伏せた。

ゼインと目を合わせることができない。

きっと顔も赤くなってるはず……。

それに、私が話していたことへの返事とは違う反応なんですけど……。

戸惑っていると、ゼインの声が降ってきた。

しかも、心なしか甘く感じる———。


「エメリアが、副団長のことを嬉しそうに頬染めて話すのを聞きながら、途中から俺のことならいいのに、と思うようになった。友だちや仲間なら、ずっと一生一緒にいられると思ってたのに、何で気づかなかったのかな。エメリアの隣じゃないと意味がない、ってことに」


さらりと熱烈なことを云われて、これ以上は恥ずかしくて耐えられない…。

私は決然と顔を上げて、「ゼイン」と呼びかけた。

青い瞳が心持ち見開かれている。

滅多にみることのないゼインの表情も、今日はこれで何度目だろう…。


「私、ちゃんと考えるね。ゼインのこと…」


今まで気がつかなったとはいえ、心から本当にそう思った。

本心なものの、少しだけ打算もある。

私がそう云うことで、このむずむずするような甘い雰囲気は、とりあえず終わらせられるのではないかと———

ゼインがクスリと笑った。


「ああ…有難う、エメリア」


ゼインの蕩けるような笑みに、私は目を見開いて固まった。

私をちらりと見た彼は、何故か自分の手で顔の下半分を覆う。

すぐ近くに見える大きな手は、何度も見たことはあると思っていたけれど、私のとは違うゴツゴツした男の人の手だった……。

今までそんなこと気にもしなかったのに、好き、と云われたからなのか変に意識してしまう…。

ゼインは私を真っ直ぐに見つめると、蕩けるような微笑みのまま口を開いた。


「エメリア、愛してる」



◇◇◇



昨晩はあまりよく眠れなかった。

色々と衝撃的過ぎて、考えるともなく色々と考えてしまって。

今日は私が軟膏に魔力を注いでいると時々お呼びがかかり、治癒魔法を施すことが何度かあった。

午後の遅い時間にやってきた患者さんに治癒魔法をかけたあと、くらりと目眩がして、マイヤさんが「少し早いけど、今日はもう上がっていいわ」と云ってくれたので、有難く仕事を上がらせてもらうことにした。


このあとは部屋に帰ってゆっくりしようと治療院を出ると、向かいの建物の壁に背中を預けた人影がいる。

騎士服姿のその人影は、夕暮れ時にも関わらず、何人かの女性に囲まれていた。

騎士は人気がある職業だ。

加えて彼は整った顔立ちをしているし、左頬に残った傷跡すらワイルドで素敵…と、孤児院でも云われていた。

何を話しているのか判らないけれど、私は何故かもやっとした気持ちのまま彼らから視線を外して踵を返した。

足が勝手に家と反対方向に歩き出す。

彼が私に気がついたかどうかは判らないけど、私を待っていたのかも……って思うのも、そもそも自惚れなのかもしれない———


と…。

いきなり肩を叩かれた。


「エメリア」

「きゃっ…」

「俺だよ、エメリア」

「ゼイン…」

「歩くの、こんなに早かったっけ。家と反対方向だろう。何か用事があるのか?」


不思議そうに見下ろしてくる顔に毒気を抜かれた。

私に気がついて、追ってきてくれたんだ…。

そう思うと、何故かほっとした。

でもすぐにバツが悪くなって、聞かれたことをはぐらかすように別のことを話す。


「ゼイン、勤務中じゃないの?」

「ああ…まあ、そうだけど。休憩時間を交替してもらったから、暫くは大丈夫。送っていくよ。そのために待ってたんだ」

「待ってたの…? 私を?」


驚いて見上げると、昨日見た、蕩けたような笑顔が降ってきた。


「もちろん。チャンスが欲しい、って云っただろう」

「!」


また胸の中が、むずむずするような感覚を覚える。

判ってはいたけれど、昨日ゼインに云われたことは夢でも気のせいでもなかったようだ。

だとしても、今までのゼインからは考えられないほど言動が甘い———

頭を振って気を取り直した私は、もと来た道を戻って部屋へ帰るのも不自然なので、少し買い物に付き合ってもらうことにした。

夕食の食材になりそうなものを買ってから部屋へ向かう。

その間、ゼインは黙って付き合ってくれて、荷物が増えるたびにひょいと取り上げて持ってくれた。


「——懐かしいな、エメリアの料理」


歩きながら、ぽつりとゼインが呟く。


「騎士は宿舎に食堂があるでしょ。でも…今度食べに来る?」


てっきり「約束だぞ」って喜んでくれるかと思っていたけど、ゼインは何も云わないまま歩き続ける。

不思議に思って隣を見上げると、困ったように眦を下げたゼインがこちらを見下ろしていた。


「エメリア、警戒心がなさすぎだ。仮にも、君のことが好きだって云ってる男に、そういう誘いを気軽にかけちゃダメだ」

「あ……うん。ごめん」


ゼインの云いたいことを理解して、首からほんのり熱が上がってくる。

確かに、全然深く考えての言葉じゃなかった。

一緒の頃のご飯が懐かしいのなら、たまに振る舞うのもいいかも…と軽く考えてしまったのだ。

この国では貞操観念はわりとしっかりしているものの、恋人同士であれば関係を進める人たちも少なくない。

でも、私たちは恋人同士ではないし、ゼインとのことを「ちゃんと考える」と宣言したばかりなのに———


「今度、手料理をご馳走してくれるって云ったら…」

「え?」

「遠慮しないから」

「…!」


驚いてゼインを見上げると、前を見つめたまま、心なしか耳が赤くなっている気がする。

返す言葉が見つからずに、私は黙々と足を動かした。

私の部屋のすぐ近くまで帰ってきた時、ゼインが立ち止まったので私も足を止めた。

そこから動き出そうとしないゼインを不思議に思って、「ゼイン?」と声をかける。

ゼインの手が私のほつれた髪を耳にかけて…名残惜しそうにするりと頬を撫でた。

今までされたことのない仕草に、恥ずかしくなって俯く。


「今日はここまでで帰るよ」

「えっ?」


降ってきた声に驚いて顔を上げる。

いつものゼインのようでいて、どこか甘い青い瞳が私を見下ろしていた。

そのまま彼は、私の部屋を見上げた。

私の住む部屋は建物の二階にあって、ここから部屋の扉がよく見える。


「エメリアが部屋に入るのを確認してから帰りたいから」


ゼインの言葉が胸の中にじわりと広がって、温かく私の体に染み込んでいくような感覚になる。

私を守りたい、大切にしたい気持ちが伝わってきた。

手を振りながら別れて、私は部屋への階段を登った。

私たちがいた方を見ると、ゼインが見上げている。

鍵を開けてゼインに手を振り、ゼインが小さく振り返してくれたのを見てから部屋へ入った。



お読みくださり、有難うございました。

ようやくヒーローが告白まで漕ぎ着けました。(^^;


ちなみに、ゼインがブレットに対して嫉妬などの悪感情を持たなかったのは、それまでエメリアに恋愛感情を持っていると自覚していなかったことと、ブレットはずっとミリアに片思いしていたことを知っていたからです。

ブレットは飄々としている中、見る人のことはちゃんと見ているタイプ。

世話焼きお姉さんタイプのミリアは、ブレットのそんなところに惹かれたのかもしれません。

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